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バックナンバー
2006年9月〜2009年3月までの紹介
2009年4月〜12月までの紹介 |
亜洲奈みづほ(あすなみづほ)
作家。97年、東京大学経済学部卒。在学中の95年に朝日新聞・東亜日報主催『日韓交流』論文で最優秀賞を受賞。卒業後の99年、上海の復旦大学に短期語学留学。2000年に台湾の文化大学に短期語学留学。代表作に『「アジアン」の世紀〜新世代の創る越境文化』、『台湾事始め〜ゆとりのくにのキーワード』、『中国東北事始め〜ゆたかな大地のキーワード』など、著作は国内外で20冊以上に及ぶ。アジア系ウェブサイト「月刊モダネシア」を運営。
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『ペルシャ猫を誰も知らない』
(2009年/イラン映画/106分/2010年8月、渋谷「ユーロスペース」にてロードショー)
「いつだって、音楽は自由への翼なんだ」‐‐そう銘うたれた本作は、西洋文化の規制の厳しいイランで、当局の目を逃れながら密かに音楽活動を続ける若者たちの自由への希求を、実在のミュージシャンたちの出演で、たくましいユーモアとともに描いた、青春群像劇だ。カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で特別賞を受賞した作品でもある。
舞台はテヘラン。ネガル(ネガル・シャガギ)と、その恋人アシュカン(アシュカン・クーシャンネジャード)は、ともにミュージシャンだ。インディーズ・ロックを愛する彼らは、演奏の許可がおりないイランを離れ、ロンドンで公演することを夢見ている。ただしそのためには、違法パスポートやビザを取得しなければならない。2人は、音楽のためなら何でもござれの便利屋ナデル(ハメッド・ベーダード)を頼るのだが…。
アングラ音楽活動の世界の実情が興味深い。「俺が闇で流せば、テヘラン中が聞くぜ。」そんなセリフも飛びだしたり、隠れスタジオで録音してみたり。「400人、逮捕されたコンサートがあったろ?」と逮捕と保釈を繰り返しながらも、若者たちは音楽をあきらめない。「歌詞が暗いな。刑務所で書いた?」「ウン!」そんな物語は、出演者たちの実際の経験に基づいているという。主演2人の結成する実際のバンド名は「テイク・イット・イージー・ホスピタル(気楽な病院)」、当局の規制に疲れた若者たちの癒しの場であるとの意味が、こめられているのだろうか。
ともあれ今まで、どんな日本人観客も見たことがなかったであろうテヘランの姿に、度肝を抜かれる。ペルシャ語のセリフの端々に混じる英語、「イエス」、「カモン!」、「ノープロブレム」。また演奏シーンの合間に挿入される、街の数々の風景、その一瞬一瞬のワンカットも、見逃せない。「テヘランの今」とでも言おうか。
作中には、ペルシャ語のへヴィ・メタルあり、ラップあり…。ただし決して欧米化が近代化・現代化を意味するわけではない。グローバル・スタンダードを踏まえたうえで、その先のオリジナルが誕生したときに傑作が生まれる。これはいわば「アジアの試練」だろう。その点、イランの最高ラッパー「ヒッチキャス」が、「神よ、俺はただのゴミ…!」と繰り返しイランの社会問題を叫ぶ歌は、「都市・民俗リミックス文化」の結晶とも言える。そもそも筆者は、ラップ音楽を「地獄に響く賛美歌」のように感じていたのだが、ラップの魂である反骨精神を、イランの国情を反映して表現すると、非常に切実なものがある。
また偽造ビザを作りに来た女性の、なにげない言葉が胸を突く。あなたはどこに出国するの、という問いかけに、
「どこでもいいの。自由に息ができて、知らない所が見られたら。」
それを聞いて、筆者は某イラン友人の言葉を思い出した。
「ほら、母国にいると、音楽でも何でも自由じゃないだろ?」
ただし自由を求めて出国した先で、決して歓迎されるわけではなく、過酷な日々が待ちうけているというのも現状である。あたかも北米大陸への日系移民に、ほとんど成功者がいないように。現実は厳しい。
それでも本作の主役の2人は、撮影が終了した、わずか4時間の後に、イランを出国したという。さらには実力派監督のバフマン・ゴバディ氏も、撮影中に2度も警察に連行されたすえ、本作の制作を最後に、イランの地を離れた。つまり本作は、祖国とひきかえの命がけの制作であった。しかもそれらのすべてが、決して肩ひじ張って深刻ばって表現されているわけでない。ひとことで言えば、
「クールに、深く、重い。」
本作は、とても、わずか3週間のゲリラ撮影で撮りきったとは思えないほどの完成度を誇る。
(筆者よりひとこと;「キミぃ、ちょっとペルシャ語ロック&ラップを聴いてみない?」)(2010.6)
公式ホームページ
http://persian-neko.com/
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『空とコムローイ 〜タイ、コンティップ村の子どもたち〜』
(2008年/日本映画/90分/2010年6月26日〜7月2日、「京都シネマ」にて上映)
「そうか、人間は優しい生きものだったんだ」、「女の子・ファ(空)、願いをこめて飛ばす熱気球・コムローイ」‐‐そう銘うたれた本作は、日本人女性監督が、7年の歳月をかけ、タイの山岳民族の子供達と彼らを支える人々を撮りつづけたプライベート・ドキュメンタリー映画だ。「遠く離れたタイの山あいの、小さな村の、小さな命の、物語」である。
タイの最北端の街・メーサイ。麻薬や人身売買の危険にさらされた山岳民族・アカ族の子供と女性達の150人が、家族のように暮らしている。自立した生活ができるように、約30年前から、イタリア人のペンサ神父(アルベルト・ペンサ)や、タイ女性のノイさん(スワラポーン・インディガーム)が、彼らを見守ってきた。子供達は、ひとりの人間として、隣人と共に生きることを自然に身につけている。この施設の卒業生・ユイ(ワニダ・プンタール)は、娘を出産する直前に、エイズに感染していることがわかった。母親を亡くした幼い娘・ファ(ジラチャヤー・プンタール)は、それでも皆の愛を受けて、たくましく育っていく。
撮影中に、ふと2歳の少女・ファの口(くち)から、ついて出た言葉が、観る者の胸をつく。
「ユイおかあさんはどこ?」
お墓を前に、とまどう少女に、ペンサ神父は静かに答える。「天国だよ。」「ちょっと開けてみせて?」少女は、お墓の土を掘りかえそうとした。これらは脚本として作られたわけでない。ありのままの事実である。子供達の、なにげない一挙一動が、切実で、いとおしい。しばしば巷(ちまた)では、「子役と名犬の演技に、かなう大俳優はいない」と言われるが、本作の主人公の少女は、演じているのではなく、素直に生(せい)を表現している。少女・ファちゃんは、2歳にして職業訓練用のミシンの前に座る。もしも日本であれば、指をくわえて幼児向けDVDを眺めているはずの年齢である。3歳のとき、親を亡くした身として母に甘えたくても、目の前に赤ちゃんがいれば、なにげなくあやし、タオルで鼻を拭いてあげる。小学生になれば、寮生活が始まる。こうして少女は、自ら未来を、きり拓いていくのだろう。
日本の現在の感覚から見れば、「かわいそう…」という感想も出てくるかもしれない。しかし本作で、たびたびセリフとして・またナレーションとして繰りかえされるのは、尊厳(dignity)、尊敬、誇り。「子供達に自尊心を持ってもらいたいの。」「働くことによって尊厳が生まれるのよ。」ペンサ神父も語る。「みんな、ちゃんと能力があるからね。彼らが、サンタクロース・タイプの援助を受けてもねえ…多くの子は、つらくても誇りを持てる仕事を選んだ。」
やはり援助慣れ≠ヘ、解決ではないのだろう。彼らが自ら立つ意志がある、それが解決への道すじの原動力となるのだろう。決して先進国から発展途上国を憐れむのでなく、内発的発展≠促す、それをバックアップするとでもいおうか。そんな思いが浮かんだのは、かつて東南アジア出身の青年から、鋭い問いをつきつけられたことがあるからだ。
「私たちは、カワイソウ≠ナは、ありません。」
施設の保母・ノイさんの言葉も、これらを裏づける。
「私達は、あなた達(筆者注・日本人のこと)から学ぶことができるけれど、あなた達も私達から学ぶことができる。」
本作に描かれる生活は、たとえ厳しくとも悲壮感はない。タイの「サヌック(「楽しさ」という徳の1つ)」に、観る者は、救われる。決して惨めな孤児院生活でなく、わかちあい、助けあい、神父や保母に見守られた、人生の学校。「疲れたら、いつでも泣きに戻っておいで」そのような場所なのである。これは余談だが、筆者は東京という冷たい都市の生まれであり、故郷として実感できる地を持たないため、かつて心のふるさとを探し求めて、アジアの街々を、さまよっていたことがある。少なくともこのコンティップ村には、暖かな灯がともっている。
ところで前述のように、撮影には7年の期間を要したという。これは一般の商業主義の映画制作であれば、不可能であろう。それを可能にした、三浦淳子監督の強い意志。インセンティブは、何であったのだろうか。
「(母)ユイは、この(娘)ファの成長を、みることができなくなりました。カメラを通して、ファをみつめていると、ファに会いたかった母親ユイの気持ちが、心に沁みてきます。ファの命を見つめていたい。タイに通い、ファの撮影を続けました。」
お母さんの魂と、よりそって撮る−−女性監督だからこその母性と、夭逝(ようせい)した母親ユイの想いとが、奇跡的にシンクロして、困難であるはずの撮影が、実現に至ったのかもしれない。
ただし本作は決して、お涙、頂戴(ちょうだい)的に作りこまれているわけでない。むしろ透明に、いわば神の視点≠ゥら包みこむような雰囲気をもつ。監督いわく「私はプライベート・ドキュメンタリーというか、私自身の体験を、よりどころに、私の考えや感じ方を語ってゆく映画を創っているので、テレビの報道のように、何かの問題を客観的に追求したりしません。」しばしば言われるような「アジアの子供は、たくましい・けなげだ」といった、ありきたりの表現すら拒むほどの、少女・ファちゃんの生(せい)。声高に窮状を叫びはせず、まして憐れみを乞うことはない。その存在感、来し方や行く末までも含めたものに、勝るものはない。そしてまたこの実在を、あらためて日本人が確かめることに、本作の何よりの価値があるように思われる。
どこかに生きた証(あかし)が遺される、それで死者は報われることもある。また自分は、あのとき、たしかに母さんといた、笑顔で抱きしめてもらった=Aその映像が日本にも記録されていることが、少女の人生のどこかで、心の支えとなることだろう。
「どんな小さな子も、ただそこにいるだけでいい。ただそこに生きているだけでいい。」
そんな監督のナレーションが心に沁(し)みる。
(筆者よりひとこと;空気も光も映しこんだこの作品、「心は、ひととき、タイに居た…。」)(2010.6.)
公式ホームページ
http://www.tristellofilms.com/scom.html
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(C)Tristellofilms
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『北京の自転車』
(2000年/中国・台湾映画/113分/2010年7月24日〜8月27日の間、中国映画祭「中国映画の全貌2010」の一貫として「新宿K's cinema」 にてロードショー)
経済発展にともなう矛盾を見事な青春映画として結実させた−−そんな本作は、世界3大映画祭のひとつ「ベルリン国際映画祭」で2001年に銀熊賞(審査員グランプリ)と新人男優賞を受賞した幻の名作で、毎年、開催される中国映画祭「中国映画の全貌」の一貫として公開される。
舞台は、活況を始めた2000年の北京。農村から来た少年クイ(ツイ・リン/崔林)は、バイク便の配達の職を得る。新しい自転車が支給され、配達の回数を重ね、一定の金額を超えれば、それが自分のものとなる。ようやく、その時が来て、最後の配達から戻った少年。しかし、駐輪していた場所からは自転車が消えていた。一方、クイと同年代の北京の高校生チェン(リー・ピン/李濱)は、中古店で念願の自転車を手に入れた。ところがそれは、まさしく少年が血眼(ちまなこ)になって探していた自転車だった…。
自転車1台といえども、当時の中国人にとっては、自分の脚1本分に匹敵するほど重要なものだ。「バイク便」を「マウンテンバイク(自転車)」でおこなうという設定が、「現代」と「中国」の双方を顕現している。ワン・シャオシュアイ(王小帥)監督の言葉によれば、
「自転車は常に北京、そして中国の象徴です。」
それにしても、働いたぶんだけ自分の持ち分となったはずのものが、盗難にあって中古自転車として売られ、買い手とのトラブルとなる。そんなドラマには、深いニュアンスが秘められているのではないだろうか。かつての中国は、半世紀近くにわたり共産制であったところが、改革開放により独立採算制へと移行、私有財産が認められるようになる。苦労して働けば自分のものとなる、それを裏返せば生産しても売られてしまえば国有ではなく消費者の所有となってしまう。旧世代たちが全国規模で感じてきたであろう葛藤が、縮図となって表れているようにも思われる。
「それじゃあ不公平よ!」
少女のなにげないセリフが、それらの心情を代弁しているようだ。「お金のある者が優位なのか、それとも最後は刻苦勉励した者が勝つのか」、これは社会主義市場経済の世界で、永遠のテーマだろう。
ところで本作には、口論ありバトルあり、それでも全編を通じて、澄んだ「気」が満ちている。たとえば川ぞいの道を、高校生の男女が自転車を並べて、言葉少なげに走る。青春にも、恋愛にも、労働にも、ひとことで言うなら、
「北京の純情」
とでもいおうか。観る者は、そのせつなさに、胸がじんじんとしてしまう。ちなみに本作の原題は『17歳の自転車』だ。
背景のひとつとなっているのは、伝統家屋の路地裏(胡同)の世界、開発とともに消えゆく風景である。現在進行形の中国は、新車の販売台数で米国すら抜き世界一となり、モータリゼーションが進み、自転車の行列という光景も、減りつつあることだろう。そのような意味で本作は、「その時代・その地」の貴重な生活記録であるのかもしれない。作品の随所には、自然ながら細やかな演出がほどこされている。たとえば自転車の積み荷の技。筆者も中国各地で、たびたび目にしたことがあるのだが、「あれはほとんど雑技団(サーカス)ではないか」というほど絶妙なバランスで、人々が巨大な荷物を自転車で運ぶことがしばしばであった。作中でも、当時の中国人にとっては三種の神器であったであろう「白物家電」を、小さな自転車で運ぼうとして、横転しかけるシーンが挿入されている。
見どころは、カーチェーサーならぬ、「胡同(路地裏)の自転車チェーサー!」。もしもそれが、大通りでの自動車追跡劇であればともかく、曲がりくねった迷路を、老人や子供達が巻きこまれかねない状況下、しかも横転したら即・負傷という生身の自転車で、若人たちが駆けぬけてゆく…。別の意味でのスリル満点だ。ただし今では都市開発により路地裏自体が少なくなり、撮影ではロケ地を点々と移動しするという苦労も秘められているそうなのだが。
ともあれ本作は、洗練された作りでありながら、人情や風景をまっすぐに描いているという面から、アジア芸術映画の正統派作品と言えるだろう。
最後に、本作とともに上映される、中国映画祭『中国映画の全貌2010』のラインナップ60作品のなかには、かつて本連載でも紹介した名作が多数、含まれている。たとえば「胡同の理髪師」、「胡同愛歌」、「ルオマの初恋」、「白い馬の季節」、「トゥヤーの結婚」、「北京の恋−四郎探母−」、 「パティシエの恋」、「1978年、冬。」など。各作品の詳細は、バックナンバーの中途をご参照いただければ幸いである。
(筆者よりひとこと;今年も待望の中国映画祭『中国映画の全貌』の季節がやってきました!みんなで応援してネ。)(2010.5.)
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『美と芸術の上海アニメーション』
(1962年〜1985年/中国映画/上映プログラムA・94分、B・89分、C・83分/2010年5月1日〜21日に「新宿K's
cinema」にて公開)
「君は、上海アニメーションを観たか!」――そう銘うたれた、このプロジェクトは、水墨画アニメを中心とした「上海アニメーション」全12作品を連続上映するという、前代未聞の試みだ。本年の上海万博の開催を記念したもので、上海いや中国全土でも最高峰にあたるアニメ工房「上海美術映画制作所」の映画を公開する。いずれも国内外のアニメーション賞を受賞した、きら星のような作品ばかりだ。アジアにおけるアニメといえば、日本のお家芸のように思われがちだが、中国アニメの発祥は1926年、万兄弟と呼ばれるグループにまでさかのぼる。長篇アニメについては、1941年、アジア初の作品が、彼らの手により作られ、少年時代の手塚治虫氏にも影響を及ぼしたと言われている。
本プロジェクトで、なによりも注目すべきは、水墨画アニメの存在だろう。その様式特有の、あえて輪郭を線描きしすぎない筆の濃淡という表現方法が、よりいっそうなめらかな流動感や躍動感を生みだす。あの、のびやかさは何ものだろう、「自由自在、万事如意」とでも言おうか。たとえば牧童と牛の夢のようなふれあいを描く『牧笛』、または怪我(けが)をした小鹿を世話する少女のけなげな姿を描いた『鹿鈴』、さらに琴の師を救った御礼に奏法を伝授される少年の物語『琴と少年』、切り紙と水墨画を融合させた『鴫(しぎ)と烏貝』など。
一般的に掛け軸や絵巻のような水墨画の名画を鑑賞すると、その奥に生き物の息吹(いぶき)や高山をわたる風、渓流のせせらぎまで、想像が広がるものだ。ところが水墨画アニメでは、それらの風情が、個人的に頭の中に、とどまるのみならず、目の前に動画として、ありありと、たち現れる。これはもはや奇跡といっても過言でないだろう。水墨画アニメは、シンプルな筆致で千万の夢幻の世界をかもしだす。実写では表現しきれない、絵画ならではの「風や大気」まで映しだす。特に無声の作品など、余白のすみずみに至るまで気≠ェ満ちているのだ。
『おたまじゃくしが母さんを探す』以外の水墨画アニメは、セリフがひとこともない。観客を釣るようなしかけは一切なし、あたたかな人情や水墨画の味わい、良質な伝統音楽で、最後まで魅せ通す。短編というささやかな世界に、それらに加えて「幸福感」まで秘められているさまは、まるで「桃源郷」のようだ。しかもこのような手法は、膨大な数に及ぶ、ひとコマ・ひとコマを、水墨画としてしあげられるだけの人材が存在しないと、不可能なものだろう。日本アニメには、まねできない。「日本アニメーション協会」の理事いわく、「CGでは到底(とうてい)表現できまい!!」
ところで今回の公開では、水墨画アニメ以外にも、みどころが少なくない。中国の代表的な長篇アニメ『ナーザの大暴れ』は、日本アニメの神様・宮崎駿(はやお)監督も絶賛した作品で、中国古典『封神演義(ほうしんえんぎ)』の一部をモチーフとしている。名作や伝統音楽、京劇を思わせる大見栄(おおみえ)のポーズなど、「伝統」文化がアニメという「現代」の表現形式に見事に昇華した、「都市民俗リミックス文化」の傑作と言える。さらには中国の伝統芸・切り紙を活かした作品や、民間伝承をアニメ化した作品、本物の画家の絵をもとにした絵画アニメなど…。
あらためて、中国の「ソフトパワー」の底力を実感する。
(筆者よりひとこと・暴力や性ののさばる殺伐(さつばつ)とした作品が蔓延(まんえん)するなか、今回の上映作品は、いずれも清らかでハートウォーミング。「観て良かった…」と、しみじみ素直に思える。)(2010.3.)
※・上映プログラムA(本邦映画館初公開作品)・『おたまじゃくしが母さんを探す』『三人の和尚』『鴫(しぎ)と烏貝』『火童』『鹿を救った少年』
・上映プログラムB・『ナーザの大暴れ』『猿と満月』『鹿鈴』
・上映プログラムC・『不射之射』『牧笛』『喋喋の泉』『琴と少年』
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※写真は『猿と満月』からです。
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『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』
(2009年/香港・フランス合作映画/108分/2010年5月より「新宿武蔵野館」ほか全国でロードショー)
『心配するな、約束は守る――』世界が認めた、男が心で泣く、至高の男<Gンターテイメント、降臨」――そう銘うたれた本作は、香港の2大巨匠の1人、ジョニー・トー(杜h峰)が監督を務めているというだけあり、パーフェクトな作りのハードボイルド作品で、カンヌ国際映画祭にも正式に出品されている。中国語の原題は、ずばり『復仇』。
腕ききの殺し屋という過去を持つフランス男性・コステロ(ジョニー・アリディ)。彼は過去に頭に受けた銃弾が元で、徐々に記憶を失いつつあった。そんなおりマカオで暮らす最愛の娘とその家族が、何者かに惨殺されたことを知り、犯人を探すべく、単身、マカオに乗りこむ。運命が引きあわせた3人の殺し屋を雇い、娘の仇を討とうとするが、彼は徐々に復讐の記憶さえも失い始めていた…。
一般的に香港アクション映画といえば、爆薬が炸裂し、肉体技の乱闘がめじろおしという先入観があるかもしれないが、ジョニー・トー監督が頂点を極める「香港ノワール」という作品ジャンルは、ひと味、違う。(本連載で紹介した同監督の作品『エレクション・黒社会』も同様だが、)いたずらに観客を釣るような派手な演出は、極力、抑えられている。いわば静かなBGMのあいまに、銃声が鳴り響くというようなものだろうか。へたに汗を流さず、鮮血のみがおびただしく流れていく。凄惨でありながら、洗練されているのだ。
淡々と続く殺人。殺し屋同士の会話もまた、たとえば
「(犯人の)1人は耳を(撃たれて)吹きとばされた。」
その言葉に観客は一瞬、凍るものの、続くセリフは、軽いひとこと、
「そいつは捜しやすい。」
本作には、従来の香港アクション映画のような、義理や人情、組織のためといった、こてこての大義は全く見られない。復讐すべき本来の動機すら、記憶喪失という形で失われながら、それでも純粋に「殺し」のために「殺す」。さらには、犯人を探すのは遠い異国の地、しかも記憶を失いながらという主人公の姿と、フランス俳優自身が初めて訪れたアジアの地で、撮影中に実際に味わった疎外感とが、結果的に相乗効果をなしているようだ。作品には透明な孤独感や孤高感が通底している。
これはフランスとの合作映画であるせいだろうか、従来の香港映画に比べて、ワンシーンが、それぞれに陰影や色彩感覚において美術性を兼ね備えており、各ワンショットが1幅の絵画のようにも見える。フランスの芸術力と香港のアクション力、各国が得意技を、かけあわせることによって、よりいっそうハイレベルな作品が生みだされてゆくのだろう。
「香港」のジョニー・トー監督の才能に惚れこみ声をかけたのは、「フランス」の名プロデューサーだ。(それを裏づけるように、監督はフランスから芸術文化勲章を授与されている。)主演するジョニー・アリディもまた、母国フランスにおいて国民的大スターでありながら、俳優仲間から「(香港の)ジョニー・トーと仕事ができるなんて!すごくラッキーだな。」と言われ、喜んでオファーに応じたという。しかもその作品の舞台は「マカオ」周辺、使われる言語には「英語」も混じる。そんなボーダーレスな時代。同様に台湾の巨匠、アン・リー(李安)監督もまた、欧米人スタッフやキャストを使いながら、数々の国際映画を撮りつづけてきた。本作もまた、金あり人材ありのアジアの「映画力」が、域内にとどまらず、世界的な広がりを見せるという現代性を、反映する1作なのかもしれない。
筆者よりひとこと・本作は、たとえ仲間が死のうと家族が死のうと構うものか、とにかくクールに撃って撃ちまくりたいという気分のあなたに、お勧めです。(2010.2.)
作品公式ホームページ
http://www.judan-movie.com
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(C)MEDIA ASIA ALL RIGHTS RESERVED. 配給/ファントム・フィルム |
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『チャンドマニ 〜モンゴルホーミーの源流へ』
(2009年/日本・モンゴル映画/96分/2010年3月20日より「渋谷アップリンク」ほか全国順次ロードショー)
「ホーミー」唱者がたどる共鳴の旅、様々な伝統音楽と2人の旅が交錯するドキュメンタリードラマ――そう銘うたれた本作は、ユネスコの世界無形文化遺産にも認定されている、モンゴルの民族音楽「ホーミー(喉歌)」をふんだんに散りばめた、音楽映画&ロードムービーである。心ゆくまでホーミーを「浴びる」とでも言おうか。本作を貫くのは「故郷」への旅、1500キロの道のりを48時間かけて長距離バスがゆく。気が遠くなるほど広大な雪原を、時おり道路を羊の群れが横ぎりもする。本誌の読者のようなエスニック好きやバックパッカーにはたまらない作品だ。
首都ウランバートルから西へ約1500Km離れたチャンドマニ村。そこに暮らす青年ザヤーは、お金にならない遊牧生活から離れて、ウランバートルへ仕事を求めに来ていた。一方、同地の劇場で、ホーミー唱者として活躍するダワースレンは、妻子と共に充実した生活を送っていた。生活も立場も違う、この2人が、偶然に乗りあわせたホブド行きの長距離バス。向かうのはチャンドマニ村、ホーミーの源流へ…。
まずは冒頭から、腹の底より大空へと通天するか喉歌に、度肝を抜かれる。筆者としては個人的に、ホーミーは、もはや肉体からの発声を超え、宇宙からの電波を受けた、交信のように感じられる。またモンゴルのチェロとも言われる馬頭琴、これは「1家に1台、馬頭琴」との大統領の命令も出されたというほど、たいせつな民族楽器だ。さらに劇中には、喉でホーミーを謡いながら、同時に唇では笛を吹くという、神業(かみわざ)のような演奏も込められている。本作では音楽が、BGMではなく主役と言えるだろう。それもそのはず、主だった出演者は、のきなみ民族歌謡の受賞者なのだ。脇を固めるのは、モンゴルホーミー連盟創立者かつ「文化勤労賞」の受賞者や、「文化芸術功労賞」受賞者。国家認定級の歌唱力が聞きどころである。さらには歌唱のプロばかりでなく、遊牧の「おやぢ」さんたちまでもが相当なレベルを持つ。だからだろうか、彼らの歌を聴いていると、なにかたいせつなものを思いだしそうになる。劇中にはこんなセリフがあった。
「ホーミーには風が吹くところがいいのさ」
伝統文化と現代生活の対照もおもしろい。たとえば都市部の演者は、練習中の男子たちはヒップホップ姿、女子はヘソ出しルック。またウランバートルから1500Km離れた故郷に連絡するのは携帯電話。ただし近代化を喜んでばかりはいられない。プレス資料によれば、モンゴルは豊富な地下資源ゆえに外貨があふれ、急速な経済変化を遂げているいっぽう、現金収入を得るために、遊牧民たちが放牧をやめ、定住化する現象が増えている。これは同時に、自然の中で育まれてきた遊牧民のホーミーが、失われつつあることでもある。その意味では、真の唱者や奏者を写した本作は、貴重な記録映画であると言えるだろう。
撮影は決して平坦な道のりではなかった。制作は足かけ3年。現地ロケは、真冬のモンゴルにおいて、零下40度のもとでも、おこなわれたという。日本の撮影チームは、村に滞在中、凍った川の水を溶かして使い、風呂はなく、水を沸かして洗うという苛酷な状況に置かれていた。しかしプロダクション・ノートを読まないかぎりは、そのような苦労は、作品にみじんもない。むしろ亀井岳監督が、芸術大学美術学科や美術工芸大学大学院の出身であるせいだろうか、各場面から、ひいてはスクリーンそのものにいたるまで、「美」の力が、ゆきわたっている。
歌唱や演奏は超プロ級、あいまのセリフは自然なつぶやきで、下手に小手先でいじっていないところが、逆にピュアで素直な魅力をかもしだしている。一般的に巷(ちまた)には、性や暴力で、むやみに動員を増やす作品が多く、観客たちは爛熟(らんじゅく)しすぎたエンターテイメント産業に振りまわされ、観終わった後に消耗しがちだが、本作は、純粋な音楽と圧倒的な大地の力だけで、充分に「魅せている」。
これは余談だが、ホーミーは、人間の耳には聞きわけられない、20Khz(キロヘルツ)以上の高周波が含んでおり、聞く者の脳内にリラックスを示すα(アルファ)波を導くせいか、聴いているだけで満たされてしまう。筆者もまた、本作を見終わるころには、すっきりと癒されていた。不思議な魅力を持つ映画である。(2010.1)
作品公式ホームページ
http://www.chandomani.com
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(C)2009 FLYING IMAGE All Rights Reserved.. |
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『海角七号 君想う、国境の南』
(2008年/台湾映画/130分/2009年12月26日より「シネスイッチ銀座」・福岡「KBCシネマ」にて、2010年正月より大阪「梅田ガーデンシネマ」・北海道「札幌シアターキノ」・沖縄「桜坂劇場」にて、同年1月9日より愛知「伏見ミリオン座」など全国13都市にてロードショー。あなたの街での上映情報は末尾公式ホームページ「THEATHER」ページを御参照ください)
時が流れても、心に残る歌がある。遠く離れていても、忘れられない人がいる。――そう銘うたれた本作は、公開当時、地元の台湾で「海角七号を観ましたか?」という言葉が挨拶がわりになるほどの社会現象となり、本連載で紹介した『ラスト、コーション』すら上回る、台湾映画史上最高の興行成績をうちたてた。台湾アカデミー賞にあたる金馬奨をはじめ、台北映画祭、さらに日本のアジア海洋映画祭やハワイ国際映画祭などで数々の受賞をはたしている。ただし決して豪華キャストや特撮などに頼ったわけでない。むしろ制作当初は、資金繰りに苦悩、明日にも撮影中止に追いこまれるかという危機にまで直面したという。そんな奇跡の成功の秘密とは?
物語の舞台は台湾最南端の町・恒春。日本人歌手のコンサートが開催されることになり、前座の地元バンドが結成される。ボーカルは郵便配達のバイト・阿嘉(アガ)(ファン・イーチェン/范逸臣)、悪戦苦闘しながら彼らをマネージするのは日本女性・友子(田中千絵)。ある日、彼は郵便物の中に、今は存在しない住所・海角七号(「岬七番地」の意)宛ての手紙の束を見つける。それは、60年前、日本人教師が台湾人の教え子に綴った手紙だった。60年の時を越え、手紙は彼女のもとに届くのか…。
本作のインスピレーションとなったのは、監督の耳にしたニュースだ。実際に数年前の台湾で、日本統治時代の住所宛に日本から送られた手紙が、郵便配達員の2年がかりの努力をへて、無事、受取人の台湾老人に届いたという。心あたたまるエピソードがきっかけとなっている。ただし本作は、いたずらなお涙頂戴物語ではない。台湾で、あらゆる世代に受けいれられたというだけのことはあり、たとえば若年層には作中で披露される音楽の魅力が、また働き疲れた壮年層にはニヒルな自虐ジョークが、さらに高齢者には日本統治時代をめぐる懐古などが、という形に見事な演出が秘められており、「パーフェクト」のひとことに尽きる。だからこそ台湾というアジア芸能のパワースポットかつ激戦地において、金馬奨の6部門を制したのだろう。(しかも台湾映画の巨匠ホウ・シャオシェン(侯孝賢)やアン・リー(李安)、香港映画の巨匠ジョン・ウー(呉宇森)も賞賛の言葉をおくったという。)
全体的に現代風のアップテンポなつくりで、バンド結成をめぐる騒動に笑いあり人情あり。さらにナレーションの手紙には日本男性の台湾女性への想いがつづられ、詩情もあふれる。そのひとことひとことに、台湾を想う日本の心が込められており、たんなる恋文にとどまらず、奥深いものがある。それにしても田畑の緑、南国の青い海が、目にしみる。へたにフィルターや特殊照明を使わなくとも、背景となる台湾の自然の力だけで、総天然色の美しさをほこる。また本物のミュージシャンを起用しているだけに、音楽も聞きどころだ。主演や助演に先住民であるアミ族やパイワン族のアーチスト、台湾の人間国宝である月琴奏者、さらに癒し系歌手・中孝介も実名で参加している。ちなみに台湾で先住民歌謡は、ワールド・ミュージックからポップスに至るまで、魂を直撃する歌声により、れっきとしたジャンルをうちたてている。それを裏づけるように、主演のファン・イーチェンは、本作の挿入歌「国境之南」で金馬奨の最優秀映画音楽賞の受賞をはたした。
音楽の力、先住民の力。クライマックスでは、先住民ルカイ族の祈りのこめられた宝珠が授けられる。さらに訳語にかかわらず、皆が「野ばら」の旋律に声を合わせ、日本と台湾が言葉を越えて、ひとつに結ばれる。決して巷のヒット作のように暴力やセックスで観客をつるのでなく、まごころや音楽の魂、さらに異なる者達がひとつのプロジェクトを成功させる――こうした健全なパワーで作品を名画の地位まで高めるということは、貴重なことではないだろうか。
たんなるドタバタ喜劇として笑いとばすには惜しいのは、台湾という地の歩みそのものが二重写しとなっているからだ。ウェイ・ダーション(魏徳聖)監督いわく、(台湾という存在が)「過去の歴史のうねりの中で操作されてきた結果、歴史的にコントロールされすぎて自分たちが何者なのかを忘れてしまっている。(中略)歴史的に抑圧されてきた結果、数多くの矛盾を抱えている。」ご存知のように台湾は、日本をはじめ各国の統治を受け、さらにさまざまなエスニック・グループとの共存をへて、繁栄に至っている。作中にもバンドのメンバーに先住民や本省人系(台湾生まれ)、客家(はっか)系、さらに日本女性まで加わり、葛藤のすえに成功をおさめる姿が、えがかれている。つねに、はりつめがちな日本人と、大らかなゆえに、なんとかまるくおさまってしまう台湾人との対比も、お国比較の点からおもしろい。
これは余談ながら、ナレーションで語られる日本人教師の手紙文、「時代の宿命」という言葉が重い。終戦により日本人はアジア各地から、判明しているだけでも629万720名以上が帰国したという。個人的に筆者も、父方・母方の双方に引き揚げ経験者を持つ。朝鮮半島がえりの祖母は送ったはずの家財道具いっさいを収奪され祖父は京城に抑留、また満洲がえりの祖父は匪賊の襲撃におびえながらの帰国という体験をへている。それだけに、本作に描かれているように、実際に台湾人たちが、引き揚げてゆく日本人に、わざわざ別れをおしんで見送ってくれたという様子に、さらには台湾のもつ優しさに、感涙をおさえきれなかった。日本人としてあらためて、
「台湾よ、ありがとう…(謝謝好,台湾)。」(2009.12.)
作品公式ホームページ
http://www.kaikaku7.jp/
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