亜洲奈みづほのアジア映画紹介



沈黙の春を生きて
(2011年/日本映画/87分/2011年9月24日〜10月21日「岩波ホール」にてロードショーほか全国順次公開)


(c))2011 Masako Sakata/Siglo


 ベトナム、アメリカ――いまだ癒えぬ枯葉剤の傷痕。そう銘うたれた本作は、以前に本連載でも紹介した、ベトナムの枯葉剤被害を追求した『花はどこへいった』の坂田雅子監督によるドキュメンタリー映画だ。彼女の夫はベトナム帰還兵であり、枯葉剤の散布による副作用で亡くなっている。監督はそんな微妙な立場から、枯葉剤の刻印を背おった、ベトナム・米国の双方の子供たちの困難と勇気を描く。ちなみにタイトルにある『沈黙の春』とは、環境破壊を警告したバイブルとも言える著名な論文をさす。

 ベトナムの戦場では、ゲリラが隠れるジャングルをなくすため、米軍による枯葉剤の散布がおこなわれた。これには人体や自然環境に多大な悪影響を及ぼす、猛毒のダイオキシンが含まれていたが、当時の米国政府は「人体に影響がなく、土壌も1年で回復する」と説明していた。また米国政府は国としての戦争責任は未だ認めていない。

 ところがベトナム戦争後、35年をへた今でも、枯葉剤の被害による奇形児の出生など、被害に苦しむ人々は、直接、それを散布された400万人のベトナム人とその子孫だけにとどまらない。その作戦に従事した米軍兵士、彼らの子孫の世代にまで及んでいる。本作は、手足に障害をもって生まれた帰還兵の娘へザー(ヘザー・A・モリス・バウザー)が、ベトナムを初めて訪れる姿を中心に、化学物質の危険性や、その被害者たちの困難を描いている。

 ベトナム人の元兵士は語る。
「すべては戦争で破壊されました。爆弾でなく、枯葉剤によって。」

 枯葉剤は、いうなればその後の被害も含めた、何十年という時間をかけた、人間と自然への「ジェノサイド」だったのではないかと思われる。太平洋戦争で原爆を使った次は、枯葉剤か…。米国は、人間が扱ってはならないものを平気で扱い、そこに罪悪感のかけらもない。

 それにしても、同じ枯葉剤の被害者であっても、あれほどまでに待遇が異なって、はたして良いのだろうか。それがたとえば米国人であれば、かたや広い家に住み夫をもうける。かたやベトナム人であれば、狭く薄暗い部屋で日がな1日、寝転がらせられているばかり。しかしベトナム人被害者たちは、取材慣れしていないせいなのか、それとも恥部に触れられたくないのか、はにかみがちで多くを語らない。いっぽうの米国人被害者たちは、辟易するほど饒舌に苦しみを訴える。これらの差は何ものなのだろう。

 それにしてもベトナム人の人情に泣ける。枯葉剤を散布した米兵の親族が訪れれば、本来ならば、さぞかし怒りをぶつけたいことだろう。それでも彼らは、お茶でもてなし、最後は握手や笑顔で別れる。 

 最後に、本作の監督である坂田氏は、奨学金制度の代表となり、ベトナム枯葉剤被害者の子供たちを、高校、大学、職業学校などに通う資金を提供する活動を続けている。

(筆者よりひとこと「それでも…それでもベトナムは戦争で米国に勝利した。その事実を我々は確認しておきたい。」)(2011.8)

公式ホームページ http://www.cine.co.jp/chinmoku_haru/


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亜洲奈みづほ(あすなみづほ)
作家。97年、東京大学経済学部卒。在学中の95年に朝日新聞・東亜日報主催『日韓交流』論文で最優秀賞を受賞。卒業後の99年、上海の復旦大学に短期語学留学。2000年に台湾の文化大学に短期語学留学。代表作に『「アジアン」の世紀〜新世代の創る越境文化』、『台湾事始め〜ゆとりのくにのキーワード』、『中国東北事始め〜ゆたかな大地のキーワード』など、著作は国内外で20冊以上に及ぶ。アジア系ウェブサイト「月刊モダネシア」を運営。