亜洲奈みづほのアジア映画紹介

2009.3月〜

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2006年9月〜2009年3月までの紹介
亜洲奈みづほ(あすなみづほ)
作家。97年、東京大学経済学部卒。在学中の95年に朝日新聞・東亜日報主催『日韓交流』論文で最優秀賞を受賞。卒業後の99年、上海の復旦大学に短期語学留学。2000年に台湾の文化大学に短期語学留学。代表作に『「アジアン」の世紀〜新世代の創る越境文化』、『台湾事始め〜ゆとりのくにのキーワード』、『中国東北事始め〜ゆたかな大地のキーワード』など、著作は国内外で20冊以上に及ぶ。アジア系ウェブサイト「月刊モダネシア」を運営。

『レッドクリフ PartT』
(2008年/中国・日本・台湾・韓国・米国合作映画/145分/DVD好評発売中)

「三国志の完全映画化」、「(戦力は)80万vs20万。圧倒的な勢力で迫りくる曹操軍に、敵同士であった劉備・孫権軍が結束して立ち向かう 。」――そう銘うたれた本作は、中国の4大古典名作『三国志演義』をもととした、壮大な歴史アクション映画だ。中国映画史上、最高額の投資をほこるというだけあり、制作費はなんと100億円。さらに中国では、公開開始から、わずか1ヶ月で歴代の中国映画の興行収入記録を塗りかえたという。それもそのはず、主演は香港のトップ男優トニー・レオン(梁朝偉)と、日本でもおなじみの台湾のトップスター金城武(かねしろたけし)、さらに助演には台湾のトップスター、リン・チーリン(林志玲)や中国の人気女優、ヴィッキー・チャオ(趙薇)など、きら星のような豪華キャス ト陣をほこるのだ。ちなみにもタイトルの『レッドクリフ』とは歴史上、実際に大戦が行われた「赤壁」の地の名の英訳による。

 舞台は、さかのぼること1800年前、漢帝国末期の西暦208年。劉備(ヨウ・ヨン/尤勇)と孫権(チャン・チェン/張震)の同盟軍に攻め入った曹操(チャン・フォンイー/張豊毅)軍を迎えうつべく、陸上で激戦が繰り広げられる。

 特に曹操軍の侵攻に対すべく、劉備軍の参謀にあたる軍師・諸葛孔明(金城武)が仲介となり、孫権軍の司令官にあたる大都督・周瑜(トニー ・レオン)と同盟を結ぶシーンは見どころだ。本作は闘いの緩急や静と動、さらには文と武の対照が芸術的で、たんなるエンターテイメントにとどまらない。たとえば同盟をめぐり、軍師と大都督が互いの心をさぐりながら、琴を合奏する場面。ほかにも茶芸の場面など、細やかで美しい演出がはえる。また『三国志』ファンにとっては、有名な武勇・関羽(バーサンジャブ)や張飛(ザン・ジンシェン/臧金生)、趙雲(フー・ジュン/胡軍)らが見事な武術を披露してくれるのも嬉しい。

 ただし戦いが本作のすべてではない。たとえば「民を守れ!」というセリフが連呼され、民衆が避難する場面がたびたび登場する点や、さらには戦闘訓練を思わず止めてしまう子供の笛の音色、また馬の出産、白い鳩の登場など。激戦の根底には、深い平和への祈りが秘められている。

 構想から18年をかけたという巨匠、ジョン・ウー(呉宇森)監督。本物へのこだわりが随所に見られる。皇帝の手に見事にとまる小鳥や、孫権の服を喰いちぎる虎などは、実物を用いたそうだ。それにしてもロケ地の苛酷な気象条件のせいで、撮影はたびたび豪雨や突風にみまわれたという。雨にも負けず風にも負けず、また時には40度の猛暑のもと、脱水症状寸前の状態のまま、甲冑姿で数百名の若人が立ちつくすなか、撮影は強行された。巨大なペットボトルを回し飲みして耐える者あり、熱射病で倒れる者あり。ついには城砦の岩崩れが発生、生き埋めとなった負傷者たちを運ぶべく、担架まで出動するほどであった(詳細は同DVD付属の特典映像をご参照のこと)。(以下、「PartU」につづく)(2009.12)


(C)2009,Three Kingdoms Ltd.

『レッドクリフ PartU』
(2009年/中国・日本・台湾・韓国・米国合作映画/144分/DVD好評発売中)

「信じる心、残っているか」、「曹操の非情な作戦の前に男たちの結束は崩壊。連合軍は絶対絶命の窮地に追い込まれる。」――そう銘うたれた本作は、『三国志』上、最大の大戦である「赤壁の戦い」のクライマックスを描いたもので、劉備・孫権同盟軍が曹操軍の陣営に攻め入る水上戦・陸上戦が中心となる。

 原題に「決戦天下」という文字が入っているだけに、戦闘は前作にも増して壮絶だ。矢は雨のように降りそそぎ、火攻めの船が突入すれば兵士たちは火ダルマとなって、ふっ飛ぶ。また双方の将軍と大都督が相撃ちの形で剣を突きつけ、息をつめて対決するなど。何より自ら火炎瓶(手榴弾にあたる)を手に敵陣に体当たり、炎上する城砦とともに特攻死を遂げる将・甘興(中村獅童)の場面に、日本人は思わず涙せずにはいられない。

 ところでPartTとUを合わせた5時間の上映時間のうち、戦闘アクション・シーンは、じつに7割以上を占める。つまり戦闘だけで数時間を費やすにもかかわらず、1つとして同じ技が使われていない。事情によって、武術指導監督が次々とすげかえられたというだけあり、アクション・シーンには武術を極めた指導者たち数名分が束になっての精髄が込められており、数限りない技の1つ1つに見る者は度肝を抜かれる。

 もちろん最高水準のCGも駆使してはいるものの、その中核には生身の人間や、手造りの木製の戦艦、城砦などが、たしかに存在する。実際に数百の兵たちが一斉に渾身の雄叫びをあげ、船や城砦は轟音をたてて炎上しているのだ。その迫力には何ものも及ばない。圧倒的なエキストラの数、洗練された衣装。さらに荘厳で迫力のある音楽には、日本から岩代太郎が参加している点も嬉しい。

 それにしても世界を代表する監督やアジア各地のトップスターから、無名の兵士・青少年1000名に至るまでが、心を1つに合わせ、古典を名画として世界に送りだし、後世に継がれてゆくということは、たんなる映画制作にとどまらず、なにか神話的な意義まで持つほどの偉大なプロジェクトであるように思われてならない。やはり投入されたスタッフたちの情熱、出演したキャストの豪華さ、制作費、完成度など、すべての点において、歴代アジア映画史上の最高傑作に位置づけられると言えるだろう。それを物語るように、日本公開時にもまた、アジア映画としては異例のロングランを記録した。

 ジョン・ウー監督いわく、「信じる心があれば、どんな過酷な状況も乗り越えられる。信じる心があれば、奇蹟を起こすことができる。」

 ちなみに劇場では「PartT」と「PartU」が数ヶ月の間隔を置いて公開されたが、現在はDVDの形で一気に両作を鑑賞できる。もはやこれ以上、説明の言葉は必要ない、さあ、すぐさまDVDを御覧ください!(付・設定やあらすじが複雑であるため、御覧になるさいは公式ホームページ『レッドクリフ』http://redcliff.jp/index.htmlの「ようこそ」のページを要チェック)(2009.12)


(C)2009,Three Kingdoms Ltd.

『渇き』
(2009年/韓国・米国合作映画/133分/2010年2月27日より「ヒューマントラストシネマ有楽町」「新宿武蔵野館」ほか全国にてロードショー)

 神父と人妻が堕ちていく<血>と<官能>に彩られた罪深き愛の物語――そう銘うたれた本作は、芸術的な狂気をたたえた問題作で、監督にとっては10年越しという念願の企画でもある。2009年のカンヌ国際映画祭では、見事、審査員賞を受賞した。

 物語のほうは。致死率100%の猛威を振るう謎のウイルスのワクチンを開発するため、自死を覚悟で人体実験に志願した神父のサンヒョン(ソン・ガンホ)。彼は輸血された正体不明の血液によって、一命を取り留める。奇蹟の生還を讃えられた神父は、幼馴染(おさななじみ)のガンウ(シン・ハギュン)の妻、テジュ(キム・オクビン)とめぐりあう。彼女の不思議な色香は、自らを厳しく律する神父の心をかき乱し、夫との抑圧された日常から逃れたい彼女もまた、猛烈なまでに神父に惹かれていた。快楽に身を焦がしてゆく2人は、遂には夫の殺害を企てる。じつは神父は、輸血によって体内に異変が生じ、吸血鬼と化していた…。

 本作の原題は「コウモリ」。ただしどれほど内容が陰惨であろうとも、ある品格が保たれているため、決してB級ホラーには陥らない。これも、(筆者的歴代アジア映画の最高峰である)『JSA』のパク・チャヌク監督&主演ソン・ガンホのコンビの力(ちから)ゆえか。それとも、韓国では国民の多数が(カトリックやプロテスタントなどの)キリスト教徒であることによるキリスト教の力(ちから)ゆえなのだろうか。また日本人の想像を絶するような、韓国ゆえの徹底的な抑圧も根底にある。神父はキリスト教の教えという、また妻は小姑とマザコン夫による酷使という…。こうしたしがらみが強いぶん、ひとたび解き放たれた後のさまが、大変に危険なのだ。

 それにしてもキリスト教の犠牲的精神が巧みに逆用されている。たとえば人体実験への殉死志願。また筆者が本作で最も印象的だったのは、同僚の神父が請われるままに、吸血鬼と化した神父のために、自ら手首を切り、その血をむさぼり吸わせる場面である。さらにはニューエイジの世界の話題、たとえば掌を皮膚に透過させて内臓に至る奇跡、または集団で患者のベッドを囲み、気を送るヒーリングなどを、巧みにとりこんでいる点も心にくい。

 ところで現代の吸血鬼は、首筋の頚動脈を噛むだけでは事足らず、時には点滴チューブからも吸血する。外出先には血液入りペットボトル持参、というのも興味深い。喀血するは、心臓から血は噴き出すはと、全編を通じておびただしい血が流される。しかもその赤色を鮮やかに見せるべく、わざわざ劇中で棲み家の内装まで純白にリフォームされるとは。何より猟奇的なのは、全身麻痺状態の姑が、唯一、可能なまばたきによる表現ひとつで、殺人犯を明らかにしたり、植物人間状態の信者が昏睡する横の空きベッドで抱擁がくりひろげられる、といった病人づかいではないだろうか。

 それにしてもソン・ガンホの存在感は、やはり圧倒的だ。非情な役柄ながら、深い包容力をたたえており、神父という立場と、吸血鬼の肉体の欲望との葛藤を好演している。彼が演じれば、たとえ空中浮遊でも、きわどいレイプでも、観客を見せ倒してしまう。(ちなみに本作には、本連載で扱ってきた歴代映画のなかで最高度のベッドシーンが数ヶ所、含まれていることを加えておく。)特に絞首死された女性の白い首から露な胸へとしたたる鮮血を、神父がなめるシーンは鳥肌ものだ。

 決めセリフは、「2人とも地獄に堕ちます。」官能と殺人を芸術でコーティングした本作は、ホラーあり恋愛ドラマあり、ラストにはヌーヴェルバーグありと、見ごたえたっぷりであることはたしかだろう。
公式HP;http://www.kawaki-movie.com
付・「とにかくこれはやばい!≠フひとことに尽きます。」(筆者より)(2009.12.)


(c)2009 CJ ENTERTAINMENT INC., FOCUS FEATURES INTERNATIONAL & MOHO FILM. ALL RIGHTS RESERVED/配給:ファントム・フィルム

『ソフィーの復讐』
(2009年/韓国=中国映画/107分/2010年1月9日より「新宿ピカデリー」、「MOVIXさいたま」、「なんばパークシネマ」、(名古屋)「 ゴールド劇場」にてロードショー)

「リベンジするならハッピーエンド」、「アジアのドリームカップルが選んだのは、とびきり楽しいラブ・ファイト!!!」――そう銘うたれた本作は、中国全土800のスクリーンで公開されるやいなや、初登場にして第1位を獲得、公開後初の週末までの興行収入だけで380万ドルを記録したという話題のラブ・コメディだ。主演ばかりでなく製作者にまで名を連ねるのは、2009年にフォーブス誌が、「中国で最も影響力のある女性」として認定した、中国のトップ女優チャン・ツィイー(章子怡)。共演するのは韓国の人気男優ソ・ジソプである。筆者としては「正直、こんなポップでファンキーな中国映画、初めて!」そんな第一印象を抱いた。

 さて物語のほうは。中国女性・ソフィー(チャン・ツィイー)は、交際して2年になるイケメン外科医・ジェフ(ソ・ジソプ)と、完璧なカップルであったはずだった。彼が人気映画女優・ジョアンナ(ファン・ビンビン/范冰冰)と恋に落ちるまでは。うちのめされたソフィーは、この失恋を乗り越えようと 、ある計画を思いたつ。結婚式までの2ヶ月の間に、何としても彼を取り戻す、そして今度は自分から彼を振ってやるのだと。パーティーで出会った台湾人写真家・ゴードン(ピーター・ホー/何潤東)を仲間に巻きこんでの復讐計画。ところがなぜか思いどおりにいかず、やることなすことギャグの大連発になってしまう…。

 ところで元フィアンセのベッドシーンを盗み見て窓に雪玉を投げつけたり、恋敵のシャワー室の床に叩き割った電球をまこうともくろんだり、さらには自分のブラジャーをきっぱりと抜きとるや元カレのベッドに忍びこませてみたり。たとえすべての行動が、リベンジ(復讐)目的、いわば「失恋女の復讐劇」であろうとも、そもそもの人物設定が、一途であるばかりでない。主演女優のチャン・ツィイーが、体当たりの演技を見せてくれるせいだろうか、決して作品に嫌味がない。見終わった後に、すがすがしさすら残るほどなのだ。どんなに踏んだり蹴ったりで髪を振り乱そうとも、羊の着ぐるみで仮装しようとも、やはり彼女は清楚で愛らしい。「アジアン・ビューティー」は健在なりとでもいおうか。彼女は今まで芸術映画から武侠映画、歴史映画にいたるまで、さまざまなジャンルをこなしてきたのだが、本作ではコメディに挑戦、新境地を開拓することとなった。何よりも、イラストとの合成や、三角関係・四角関係惚れたのはれたのハチャメチャなドタバタ劇など、一歩間違えば三流喜劇に陥りかねないにもかかわらず、それでも胸をうつ何かを残す映画として、観客を見せ倒して(&魅せ倒して)しまうのは、これはもはや「チャン・ツィイー」力(りょく)とすら言えるだろう。

 それにしてもヌーベル・シノワズリのインテリアから、未婚男女のベッドインにいたるまで、中国というものが、こんなにも「西化(西洋化)」していたのかと驚かされる。2009年内にも1国規模のGNPが日本を追い抜くかと言われている中国。昇り龍の時代ならではの勢い、若者たちの明るさ、それらを監督自身が現在進行形のものとして体感している点も見逃せない。監督するのは米国の大学で映画制作を学んだ新世代のエヴァ・ジン。彼女いわく、
「ハリウッド式のストーリー構造にヨーロッパや南米の色彩と音楽をちりばめた幻想の世界から、中国を見せたいと思ったのです。」

 ただし表面的な作品作りが、ハリウッドや香港の映画の影響を受けているとはいえ、それを受けとめる中国の女性観客たちの純情な想い、さらには要所要所の場面、たとえば傷ついたソフィーを慰める母との抱擁シーンや、元カレが婚約指輪を手に復縁を迫るシーンなど、素直な直球勝負のインパクトは、やはり中国映画の魅力だろう。決して爛熟に腐っていないのだ。

 最後に、主演男優ソ・ジソプのメッセージをひとこと。
「この世の半分は男、半分は女ですから、誰でも1度は恋の悩みを抱えたことがあるはず。どんな人でも気軽に楽しめる映画だと思います。 」
(作品公式HP;http://www.sophie-movie.jp)
(2009.10)


(c)2009 SOPHIE PRODUCTION LTD, PERFECT WORLD CULTURE COMMUNICATION CO., LTD. and CJ ENTERTAINMENT ALL RIGHTS RESERVED

『ウイグルからきた少年』
(2008年/カザフスタン・日本・ロシア合作映画/65分/2009年10月3日より「渋谷アップリンク」にてロードショー)

「僕たちのことを、忘れないでください――3つの絶望と破滅が、発展と貧困が、モザイクのように色なすカザフスタンで交差する 。」そう銘うたれた本作は、佐野伸寿(さの・しんじゅ)監督が、実際にカザフスタンやイラクに滞在した経験をヒントに、中央アジアの現状とそこに生きる人々の生活を描いた力作で、モントリオール国際映画祭公式招待作品でもある。

 本作の主人公であるウイグル人といえば、2009年7月に新疆ウイグル自治区ウルムチで発生した、ウイグル人による大規模な抗議デモが、御記憶に新しいことだろう。その後、同地では針刺し通り魔事件が発生、9月中旬には自治区内アスクでウイグル人の所有する爆発物20発が発見されたとのニュースも聞かれた。また、カザフスタンではないものの、中央アジア地域としては、タジキスタンで内戦が続いており、キルギスではクーデターによって政権が転覆、ウズベキスタンでは体制批判を背景に自爆攻撃が起こりうる可能性を抱えているばかりでない。本作撮影中には実際にチェチェンの地で自爆攻撃が発生したとのことだ。

 ちなみにウイグル民族とは、かつて東トルキスタン共和国として、中央アジア諸民族のなかで唯一、国家を持つ民族であったところが、中ソの密約によって、第2次世界大戦終戦直後に、2度目の独立を失ったという悲劇の歴史を持つ。本作はディアスポラの悲哀を、少年の視点から純粋に描いた力作だ。

 さて物語のほうは。新疆ウイグル自治区から逃れてきたウイグル人の少年・アユブ(ラスール・ウルミャロフ)。彼は建設途中でうち捨てられた廃屋で、カザフ人の少年・カエサル(カエサル・ドイセハノフ)と、ロシア人の少女・マーシャ(アナスタシア・ビルツォーバ)とともに、兄弟のように暮らしていた。ある日、廃屋の管理人でチンピラのブラート(ダルジャン・オミルバエフ)が、「良い話がある」と少年・アユブを訪ねてくる。アユブは「捕らえられた母親を助け出す」という条件とひきかえに、フェルガナ地区のイスラム原理主義者によって、自爆攻撃者になる訓練を受け、破滅への道を静かに歩んでいく・・・。

 佐野監督は制作開始当初、「カザフスタンの人々の生活」を描くというアイデアを温めていたという。さらに監督御自身が、カザフスタン大使館に文化担当官として勤務したという経緯もあるせいだろうか。本作は決していちげんさんがオリエンタリズム的な志向からさいはての地への興味本位でしたてあげたような作品ではない。現地人との交流を通じてその地を知りつくした、いわば内側から、自然なまなざしで描かれており、カザフスタンの風土や人間の姿が、生き生きと伝わってくる。通常の日本人が抱くようなカザフスタンへの先入観、たとえば砂塵の舞う僻地というような偏見をくつがえすほどの風景の数々に驚かされる。たとえばおいしそうなウイグル麺「ラグマン」やファストフード店、バー、さらには戦勝記念日にくりだす身なりのきれいな市民たち、整備された舗装道路などなど。我々の想像以上に豊かな市街地の光景に、度肝を抜かれる。これらは大手メディアの報道だけでは伝わらない、カザフスタンの生活の息吹であり、本サイト読者のようなアジア好きにとっては、隠れた見どころであるかもしれない。

 それにしても本作は、自爆攻撃を題材としているため、現地スタッフの安全を確保する必要上から、撮影チームは9名という最小限にとどめられており、実質的な撮影期間はわずか11日であったという。これほどの制約のなかで1本の映画を撮りあげるのは、もはや神業と言えよう。撮影に機動性の高い小型ビデオカメラが用いられていたことが、結果的にデジタルならではの画質の透明感を生みだしており、陰惨になりがちな隠れ家生活をも清らかに写しだし、少年少女のピュアさが瑞々しく描かれることとなった。

 これは余談だが、佐野伸寿氏は、監督のみならず、構想から脚本や編集、さらには字幕にいたるまで、1人2役ならぬ100役(!?)を実現した。個人的に筆者は、日韓合作映画(未完)の制作に携わったさいに、映画制作の行程ひとつすらどれほど大変なものであるかを痛感したこともあり、監督の活躍ぶりに深く敬服せずにはいられない。さらに、わずか2カ国間の合作事業においてさえ、国も言語も異なる者同士が協力するのは、たやすいことではなかった。それをカザフスタンの地において、現地スタッフおよびウイグル人・カザフスタン人・ロシア人キャストを、3種の言語を駆使して、3カ国合作映画として成功させるとは…!

 最後に、佐野監督はイラク駐在中に現地人から、イラク南部の市場で自爆攻撃した少女の話を直接、耳にしたこともまた、本作制作のインスピレーションとなったとのことだ。ただし読者の誤解を避けるために、つけ加えておくならば、自爆攻撃という行為が、絶対的な解決手段であるわけではない。本作のプレス資料によれば、「ウイグル民族は独立のための運動の手段として自爆攻撃を選んだことはない(中略)。ウイグルは本当に平和的な解決を望んでいる。」とのことだ。

 なによりも佐野監督の舞台挨拶での直言が力強い。
「(世界中の)ウイグルの人々は、暴力という手段を最終的には選ばないというメッセージを送っている。 」
「(本作を通じて)平和というメッセージを強く出さなければいけない。」
(作品公式HPアドレス;http://www.uplink.co.jp/uyghur/ )(2009.9)

『母なる証明』
(2009年/韓国映画/129分/2009年秋、「シネマライズ」「シネスイッチ銀座」「新宿バルト9」ほか全国ロードショー)

 永遠に失われることのない母と子の絆。すべての謎≠フ先に人間の真実≠ェ明かされる。――そう銘うたれた本作は、韓国での上映開始直後10日の間に、200万人の観客を集めたというヒット作だ。主演するのはウォンビン。日本では2002年に日韓合作ドラマに出演して以来、韓流ブームの先駆的存在としての人気を誇り、ぺ・ヨンジュンやイ・ビョホンらとともに「韓流四天王」に数えられるスターでもある。

「この子を守るのは私しかいない…。」本作は女子高生殺人事件の容疑者となった息子・トジュン(ウォンビン)の無実を証明するために、単身で真犯人を追求する母親(キム・へジャ)の姿を、極限まで描いたヒューマン・ミステリーだ。息子の容疑を晴らすためには、あらゆる努力を惜しまない。殺人事件検証現場の群集に向けて無実を訴えるビラをまき、殺人被害者の葬式にまで押しかけて弁明する。さらに他愛ないシーンながら本作の母親愛を象徴しているのが、立ちションをするドラ息子の口に、わざわざ煎じた韓方薬の碗をさしだす母親の姿である。そのまま悪友に会いにと立ち去る息子の後には、靴底で跡を消し、傍らの重い石を抱えて蓋をする母親が、ひとり残される。

 配給側の宣伝によれば、本作は「母であることの原始的な本質に根ざした物語」、「子を想う母の無償の愛情=vと称されているのだが、筆者の胸に何より強く刻まれたのは、「母の執念」のひと言に尽きる。「息子をバカにするんじゃない…!」愛する我が子を守るためには、時として鬼にすらなる。その姿は真摯であることを通りこして、鬼気迫るものがあった。それが腹を痛めて我が子を産み、身を絞って乳を与えてきた母というものなのだ。それはもはや「母親道(どう)」とすら呼びうるものでもあるように思われる。

 ところで本作には、大の息子が老いた母とひとつの床に寄り添うシーンが、2度も登場する。母子家庭という設定上、母性愛が前面に現れやすくなってはいるものの、(さすがに添い寝はともかく)その他に見られる母と息子の関係というものは、いたずらな誇張ではない。一般的に韓国では、日本以上に母親という存在は、家族への献身を求められがちであり、男子たちもまた、いわゆる「ママボーイ(訳・マザコンのこと)」に陥りやすいと言われている。伝統的にも儒教的な背景から、男尊女卑・亭主関白が日本以上に強く、母であり妻である女たちは、日本以上に虐げられがちだ。そのぶん息子に強い代替愛を求めざるをえないという事情があるのだろう。ちなみに本作では、主役の母親に、あえて役名が与えられておらず、一貫して「母」として表現されている。そこにおそらく観客たちは、母親像の最大公約数をかいま見るのではないだろうか。さらに筆者は本作の通低音に、育児や家事の辛苦に耐えぬいてきた母親たちの叫びが秘められているような気がしてならなかった。

 ただし本作は断じて、お涙頂戴的な母子物語ではない。なにせ監督は、韓国映画界の鬼才、ポン・ジュノなのだ。彼には既に2006年、監督作品『グエムル−漢江の怪物−』で、韓国の歴代映画観客動員数最多を記録した経験がある。本作では深刻なミステリーのなかにも、残酷な笑いやエロスなど、観客を魅きつける餌を随所に散りばめており、観る者を飽きさせない。たとえば刑事が脅しのために容疑者(息子)にくわえさせたリンゴを蹴り割り、ひょうひょうと「セパタクロー」と称してみたり。「釈放おめでとう」と息子宛に友人からプレゼントされたロウソク付きのケーキが、じつは巨大な豆腐であったり…。何よりも光と陰、聖と邪の対比が心憎い。たとえば血みどろの尋問シーンの舞台は夢のような夜の遊園地。または生真面目な母親が偶然、息子の悪友のベッドシーンを盗み見たりなど。さらには真犯人をめぐり、二重三重にも仕掛けられたトリックに、観る者の頭の中も二転・三転、それでも映画は終わずに、最後まで観客を引っ張り抜くあたりに、「これでもか」という韓国人の執念すら感じられる。

 ともあれ本作が、母親の情念という一貫した力に、監督・脚本家のインスピレーション的なアイデアとが響きあい、稀有な作品となったことは間違いない。これは余談だが、本作は2009年度のカンヌ国際映画祭に出品されたばかりでない。関係者たちは、出品部門としては異例のレッドカーペットを踏んでの登壇をはたし、上映後には観客から満場のスタンディング・オベーションの祝福を受けたという。筆者自身もまた本作を、本欄担当の3年間のなかで、韓国映画としては最高の作品として位置づけたい。(2009.8)



(C)2009 CJ ENTERTAINMENT INC. & BARUNSON CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED

『九月に降る風』
(2008年/台湾・香港映画/107分/2009年8月下旬「ユーロスペース」「シネマート新宿」他にて全国順次ロードショー)

「高校生活のおわり、空の高さが心に残った。」「台湾から届いた切なくてほろ苦い高校生たちの夏の思い出」――そう銘うたれた本作は、誰もが感じる青春時代へのノスタルジーをピュアに描いた青春映画で、台北映画祭では審査員特別賞など4冠に輝いたほか、上海国際映画祭でもアジア新人賞部門グランプリの受賞をはたすなど、数々の映画賞を受けた話題作だ。

 舞台は1997年前後、台北近郊の町・新竹。7人のプチ不良仲間の男子学生ときまじめな女子学生2人たちが、卒業まで残された日々、青春を謳歌する。プロ野球観戦に熱狂しては、学校をさぼって仲間とつるむ。こっそり試すビールやタバコ、無免許でとばすバイクの2人乗り、異性への淡い恋心など。特に印象的なのは、真夜中のプールにしのびこむ場面である。こっそり缶ビールを乾杯、男子7人が素っ裸になって次々に水に飛びこみ、おおはしゃぎする。ラスト近くで再び現れる閑散としたプールサイドとの対比もあって、すがすがしく鮮烈だ。

 描かれているのは、どこにでもありそうななにげないエピソードであるにもかかわらず、稀有に感じられるのは、青春とはその人にとっては1度きりの全力投球であるせいだろう。誰にでも後になってみれば「なぜあのときあれほど夢中になっていたのだろう」となつかしく想い返すような体験があることと思う。こうして本作は青春時代の最大公約数を描ききることに成功、2008年の台湾映画界を席巻する1作となった。主演のリディアン・ボーン(鳳小岳)いわく、「非常に忙しい現代生活において、初めての喜びや感動をとっくに忘れてしまっていませんか?」また1976年生まれの新進監督トム・リン(林書宇)はこう語る。「この映画を通して、もう1度青春の味わいを感じていただければ幸いです。」ちなみに物語の80%は彼自身の高校時代の実体験であるという。

 青春とは長くは続かない、いつかは失われてしまう。だからこそ貴重なのだろう。物語でもまた、親しかった仲間たちは1人、また1人と去ってゆく。ある者は退学、ある友は兵役へ、別の友は交通事故死を遂げる。そして遺された者たちは卒業へ…。映画のタッチは決していたずらに小手先で観客をつるようなものでなく、素直でピュアで直球勝負だ。何よりも、監督が青少年9人を見まもる、そのまなざしがあたたかく、見る者にもここちよい。

『藍色夏恋』など数々の青春映画の名作をうみだしてきた台湾映画界。国産映画の占める割合は決して高いものではないにもかかわらず、カンヌやヴェネチアをはじめとした国際映画祭での受賞数は多く、作品もまた必ずしも商業映画第一主義ではない。優秀な新人には政府から製作援助がおりるというシステムもあるせいか、「興行収入よりも良品を」とでもいおうか、フレッシュで瑞々しく、ていねいな心あたたまる作品が育つ土壌があるように思われる。だからこそ本作のような作品が誕生するのだろう。さらにこうした映画が受け入れられる背景には、純粋な物語に素直に感動できる、心優しき台湾人が数多く存在することも忘れるわけにはいかない。

 余談ながら、本作は台湾だけにとどまらない。日本公開をはたすばかりでなく、制作の段階から汎アジア的な広がりをみせている。プロデューサーである香港のエリック・ツァン(曾志偉)は、『九月に降る風(原題・九降風)』と同じく、「1997年前後の時代設定」・「9人の高校生を主人公とした青春群像劇」というコンセプトを共通に、香港と中国大陸で姉妹編を製作するという九降風映画計画≠たちあげた。ちなみに香港版は純朴な台湾版とは対照的に、セックスや暴力・携帯電話といった新時代の要素を取りいれているいっぽう、中国大陸版は2つの街を舞台に貧困と開放を対比させ、憤りとやるせなさを表現するという形となったという。ひとつのテーマで3地域の文化や社会、地域感情の違いを反映している点、興味深いプロジェクトである。(2009.5)



(C)2008 Mei Ah Entertainment Group

『台湾人生』
(2008年/日本映画/81分/2009年6月27日より「ポレポレ東中野」にてモーニングロードショーほか、大阪「第七藝術劇場」・「名古屋シネマテーク」・「函館シネマアイリス」などにて全国順次ロードショー)

「かつて日本人だった人たちを訪ねて」「日本統治と戒厳令をのり越えて、いまを生きる」――そう銘うたれた本作は、足かけ7年におよぶ取材をもとに、日本統治時代から戦後の台湾の歩みを、決して大上段にふりかぶってではなく、生身の人間の体験としてつづるドキュメンタリー映画だ。日本語世代の口から語られる「台湾人の悔しさと懐かしさと…」日本に対する微妙な心情が描かれた貴重な一作である。

 ご存知のように、戦前の台湾は51年間、日本の統治下にあり、同化政策のもと、インフラ整備や治安の維持、教育の普及が進んだ。学校教育は日本語でおこなわれていたため、この時代に青少年だった台湾人たちは、今でも日本語を話せる「日本語世代」と呼ばれている。日本統治時代から国民党独裁時代を経て、現在に至るまでの激動の歴史。それに翻弄されながらも、力強く歩んできた日本語世代。そんな彼らのなかから5人の人生を、インタビュー形式で振り返る。

 たとえば宋定國さんは、日本統治時代、生活苦から学問を続けるのを断念しかけたとき、そっと資金援助してくれた日本人教師を戦後も忘れない。恩師の病床を見舞い、その死後も毎年のように来日、墓参りをおこなっている。「今こうして生活できるのは誰の影響ですか。先生の影響です。だから忘れません。」

 ところで日本統治時代、第二次世界大戦の戦況が厳しくなってくると、台湾でも志願兵制度に続いて徴兵制度がしかれた。そのため台湾の軍人・軍属は約21万人を数え、そのうち約3万人が死亡したという。また台湾の主要都市もアメリカ軍の空爆の標的となり、1万5000人もの犠牲者が出た。そんな経験をもつ日本語世代の口から、くり返し語られるのは、「なぜ日本は我々を見捨てたのか。」という訴えだ。今でも「毎朝、NHKのテレビを見るんですよ。」という蕭錦文さんは、ビルマ戦線で戦ったことがある。日本の軍歌を歌ってみせたのち、涙をぬぐいながら、こう語った。「戦士した友を思うと…僕たちは(日本に)捨てられて、支那人に押しこまれて、(中略)日本軍籍として戦った相手の国に入れられて悲しかった。過去の台湾の軍人軍属の皆さん、ご苦労さんでした≠フ一言が(日本の)政府に欲しいんですよ。」彼らの訴えは、決して反日感情に煽られたものではない。むしろ日本を慕うがゆえに発せられているだけに、胸につきささるものがある。日本への忠誠心と日本語とを徹底的に叩きこまれ、それに応えてくれた人々は、もっと日本に報われるべきだろう。けれど我が国・日本は、彼らにいったい何を返してきただろう…国交断絶など。

 さて、毅然とした老婦人の陳清香さんは、日本統治時代に日本語のみならず茶道も華道も完璧にマスターしていた。そんな彼女は胸を張る。「今の若い日本人よりも私は日本人ですよ。」前出の蕭さんもまた、「日本人以上に日本人だと信じています。」――それらの言葉にはっとする。我々は敗戦とともに目をつぶらされたとき、日本精神と一緒に、たいせつな台湾という友までも見過ごしてしまったのではないかと。世界一、日本に近い国に、なぜ我々はもっと目を向けてこなかったのだろう。そんな想いに押されて、私自身もまた台湾に関する書籍を4冊以上、執筆してきた。

 それにしても日本の責任があらためて問いなおされるのではないだろうか。かつて日本のために生き、ともに戦い、戦後は日本に見捨てられ、日本語も日本への想いも封印された人々が、日本の南に存在する。そんな事実に我々はもっと関心を持ち、彼らに敬意を払わなければならない。酒井充子監督はこう願う。「日本語世代の存在は、台湾だけではなく、日本の歴史の一部として記憶されるべきだと思います。(中略)かつて日本人だった人たちの声を聞いてください。ほんの一部ではありますが、日本が台湾でしたこと、今の日本が台湾にしていないことが浮かび上がってきます。」(2009.4)

『最強★彼女』
(2008年/韓国映画/115分/DVD発売中&レンタル中)

「怪力やめます。好きな人ができたもので」――そう銘うたれた本作は、笑いあり・せつなさあり・乱闘あり、見どころてんこもりのアクション・コメディだ。

 古来より伝わる武術の世界「武林」の名門カン家の長女ソフィ(シン・ミナ)は、怪力を秘めた武術の達人。花のキャンパス・ライフを送っているのだが、あるときイケメンのアイスホッケー部の先輩ジュンモ(ユ・ゴン)に、ひとめ惚れしてしまう。武術を捨て、女らしくふるまおうとする彼女だが、彼の態度は冷たい。そんなとき武林の仲間で幼なじみのイリョン(オン・ジュワン)が現れた。彼は彼女を武林の世界に連れ戻そうと、やって来たのだった…。

 たとえ金槌が頭に落ちようとも気絶することなく、また自動車にはねられてすら元気に立ちあがってしまう彼女。そんなシン・ミナのはじけるようなパワーがまぶしい。そもそも韓国は、儒教的社会の伝統ゆえに、女性は男性よりもはるかに弱く、劣位に置かれてきた。そのような背景があるせいか、公開当時、このような型破りな女性というものは、日本人の想像以上に新鮮に映ったことだろう。そんな「はじけた」女性を扱った韓国映画といえば、本作を監督したクァク・ジェヨンの作品『猟奇的な彼女』や、かつて本欄でも紹介した『花嫁はギャングスター』シリーズなども思いおこされる。

 ただし女性の姿や恋愛を描くだけにとどまらないのが本作だ。そもそもの原題は『武林女子大生』。日本公開向けのタイトル『最強★彼女』以上に、武侠色が前面に押し出されている。そんな題名にふさわしく、迫力の剣術シーンや最先端のCGを駆使したアクションは、見ごたえ十分だ。それもそのはず、アクションについては、大作『レッドクリフ』に携わった人物を、わざわざ香港から武術監督として招いて、本格指導をおこなわせているのだ。

 ところでアクションにしろコメディにしろ、いずれも従来の韓国映画としては、やや不得手のジャンルであり、むしろ香港映画のおはこであった。しかし映画産業の隆盛にともない、韓国映画は様々なタイプの作品を描きつくしていったすえ、新境地を開拓すべく、武侠アクション映画にのぞむこととなった。そして本作で見事、新境地を開拓するに至っている。韓国エンターテイメント界として、輸入ではなく国産で武侠映画を作ることができた――本作はそんな誇りとともに胸を張れる一作であることだろう。(2009.3)



『新宿インシデント』
(2009年/香港映画/119分/2009年5月1日より「新宿オスカー」ほかにて全国順次ロードショー、年内にDVD化の予定あり)

 ジャッキー・チェン製作、衝撃のアジアン・ノワール大作――そう銘うたれた本作は、暴力的という理由から、なんと中国では上映が禁止されたというほどのドラマチックなバイオレンスをほこる。香港映画ながら、新宿が舞台ということもあり、刑事役に竹中直人、ヤクザ組長役に加藤雅也のほか、峰岸徹、長門弘之など多数の日本人が出演している。制作費は2500万ドル、イー・トンシン(爾冬陞)監督が構想から10年、脚本に3年をかけてあたためてきた作品だ。

 原題は『新宿事件』――世界一の歓楽街、新宿・歌舞伎町を舞台に、恋人を探して密入国した男・鉄頭(ジャッキー・チェン/成龍)が、ひょんなことからヤクザの組長・江口(加藤雅也)の命を助ける。そこで運命的な友情が生まれ、鉄頭は遂には裏社会の実力者となっていく…。

 本作はアクション映画ながら、いっぽうでは在日中国人の実情をも描きだした、社会派ドラマの一面も併せもつ。たとえば不当な低賃金でこき使われる労働者、偽造テレカ販売や盗品販売、さらにはナイトクラブ経営にいたるまで。日本に落地生根してゆく在日中国人たちのたくましい生きざまがかいま見える。そんな彼らの言葉が印象的だ。

「運命は3割、努力は7割、頑張る者が最後は勝つ」

 一説によれば、日本が現在の国力を保つためには、2050年頃には移民を1000万人も受け入れなければならないという。日本が次第に多国籍社会になるにつれて、生じてゆく様々な矛盾。その縮図が本作であるとも言えるだろう。

 ところで主演のジャッキー・チェンは、常々、アジアの映画は、アジア諸国同士の協力体制がなければ、ハリウッド映画に飲みこまれると言い続けてきたという。そこで今回、アジア映画のレベルアップを第一に、自らプロデューサーとして、アジア人のアジア人によるアジア人のための映画を製作するに至ったそうだ。ハリウッドへの本格進出にも成功した彼だが、そこに安住せずに、きちんと自らのアイデンティティーを見つめているというところだろうか。物語の舞台はアジア的多国籍都市・新宿〜大久保、描かれるのは在日中国人、出演するのは香港人・中国人・日本人、監督・出資は香港人。本作はジャッキー・チェンのアジアン・プロジェクト第一弾作品にふさわしいつくりとなっている。『新宿インシデント』は香港・中国・日本の実力を結集してできあがったアジアン映画なのだ。(2009.3)


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