アジアの踊りその3

インド舞踊

モヒニアッタム

丸橋広美

 


モヒニアッタムを踊る筆者

 

インド・ケララ州の海

 

モヒニアッタムを踊る筆者

 

 

 

 インド舞踊といっても実に様々である。インドにある州の数と同じだけの民族舞踊があるといっても過言ではないであろう。東インド・オリッサ州のオデッシイ、北インドのカタック、タミールナドウ州のバラタナティアム、アンドラプラデーシュ州のクチプディ、マニプリダンス、そして、ケララ州のモヒニアッタム。それらは、同じ国の踊りとは思えないほど、それぞれ独自の舞踊形態をもつ。けれども、私にとってはモヒニアッタムが一番魅力的なのである。身も心も捧げるほど、モヒニアッタムに夢中。
 何がモヒニアッタムの魅力かといえば、とどまることのない優雅な動き。これは、ケララ州の大自然が反映されている。椰子の木が揺れる、蜂が花に戯れる、稲穂が風になびく、海の波がうねる、などの動きの流れが体の中をかけめぐる瞬間はまさに至福のとき。ヨガや太極拳にも通じるものがあり、体に自然で健康的な踊りなのである。そして、自然とやさしい気持ちになれる。
 次に、表現の豊かさがあげられる。九つの顔の表情や二四の手の表現を組み合わせて、いろいろな物語や感情表現ができる。顔に表情を出さない私たち日本人にとって気恥ずかしい部分が最初はあるかもしれないが、慣れてくれば、またこれも快感となる。美しいヒロインにも花にも蝶にも、神にも悪魔にも、一瞬のうちに変容しなくてはならない。それは非日常的であり宇宙的な体験である。そして、今度は逆に日常が表現豊かになっていく。
 ヒンドウー教の神様への献身的な愛情がテーマである。しかし、現代では奉納舞というよりも、あくまでも、舞台芸術として確立されている。そこで、重要なのが空間をともにする観客との共感であり、観客の持つ感情を引き出すことである。それは、インド舞踊全般に共通することで、他の国の舞踊と異なるところであろう。例えば、同じヒンドゥー教の流れをもつバリ島の踊り。お寺で踊り手の体に神様がおりてきてトランス状態で踊るという宗教儀礼として確立している。だからこそ、神秘的で妖艶なのであろう。踊り手が神様になってしまうのだ!すごい!
 それに対して、インド舞踊は神様への尊敬や愛情を表現し、それを観客と分かち合うという庶民的なところが、寂しがりやで、お調子者の私の性格に合うのかもしれない。けれども、その違いが興味深いので、バリ舞踊家の富沢香寿美さんと共同公演を企画している。単に違いを並べるのではなく、より深いヒンドウーの世界、踊りの世界をともに見つめていきたいと思う。
 モヒニアッタムへの不満が一つだけある。衣装が一つのパターンだけなのである。白地に金のボーダー、髪は左横に結いジャスミンの花輪を飾る、金のオーナメントを頭にも首にも、手首にも飾る。足にはグングル〔鈴〕。清楚で、それでいてきらびやかではあるのだが、いつでもどこでも白と金のみ。他の色は許されない。時々、よく公演に来てくださる方から同情されたりする。修行がたいへんで衣装が一着しか買えないのでは、と。違う。何着も持っているが、全部同じなだけ! でも、この衣装も踊りの一部。贅沢は言えない。
 とにもかくにもこの踊りの虜(とりこ)である。一生かかっても成就することがない片思いの気持ちと似ている。それは、モヒニアッタムのテーマである、神様へ恋焦がれるヒロインの気持ちと重なる。
 こんな踊りに巡り合うことができたインドに足を向けては眠れない。
(丸橋広美/インド舞踊家)

 




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