アジアの踊りその2

カンボジアの舞踊

 

アンコールワットで舞われるカンボジア古典舞踊

 

カンボジアの大衆舞踊「漁労の踊り」

 

アンコールワットで本番上演前に、ソンペア・クルーという代々の師匠への祈りの儀式を行なう

 

ヒンズー神話に基づく乳界撹拌を演じる男性舞踊手たち

 

ワット・プノムで赤十字の式典のため、扇の舞を踊る芸大の学生たちと筆者(中央)

 

テップ・マノローム(天上界の踊り)を踊る古典舞踊の踊り手たち。男性役(天男)も女性である

 

「ロバム・ブナリー(天女の花)」を踊る筆者

 

 

カンボジアの舞踊は、王宮内で存続してきた王宮古典舞踊と、農民など庶民の間で受け継がれ楽しまれてきた庶民舞踊との二つの流れがある。
 王宮古典舞踊は、優雅で洗練された格調の高いものである。金銀糸で綾織られたきらびやかな衣裳を身に着け、まばゆく光る高い冠をかぶって、木琴などの伝統宮廷音楽の伴奏に乗ってゆったりと踊り舞う。手の先の反りや指の曲りやその緊張感は、指先に無数の花が開いては閉じるような華麗な変幻を展開させる。たゆまない訓練によって培われる高雅な舞踊技術である。
 手や指、首の各動作は、特定の意味を持っている。また、足を後ろに跳ね上げるポーズなどはカンボジア舞踊の特徴でもある。
 アプサラ(天女/水の妖精でもある)の舞としても有名で、アンコールワットの壁画にも浮彫(レリーフ)として無数に刻されているように、古くからアンコール王朝の石群都市を彩るものとして、長く受け継がれ楽しまれて、格式高い伝統を誇っている。
 満月の夜、アンコールワットの回廊で舞われるカンボジア伝統舞踊は、月光と千年を越える遺跡の時空とが相まって、この世のものとは思われぬ無限の舞踊空間を創り出すと言われている。
 カンボジアではまた、庶民の舞踊も盛んである。東南アジア有数の穀倉地帯でもあるカンボジアは古来からの稲作文化の一環として、歌や踊りを楽しむ芸能を発達させてきた。田植えや穫り入れや漁労にちなんだ踊り、諧謔的な男女間の求愛の踊りなど、実に多彩で豊かである。ココナッツ・ダンスや収穫踊りなど、大太鼓に合わせたカンボジアならではのリズミカルな軽快なダンスは、原色の衣裳とともに、熱帯モンスーンの夜を楽しませてくれる。また、大勢で踊るロアムトンやロアンボンなど、カンボジアのダンスの豊かさはバリと並んで東南アジア随一とも言えよう。


カンボジア古典舞踊と私山中ひとみ

●カンボジア古典舞踊の歴史
 カンボジア古典舞踊の歴史をたどると、インドのヒンズー教の影響を受けたクメール(カンボジア)民族が、それを自分たち独自の文化として開花させ、九世紀から一四世紀のアンコール王朝時代に、アンコールワット遺跡群で、神々と王に捧げるために儀式の中で踊っていた舞踊が始まり、ということになります。
 その後、アンコール王朝は衰退し、王国は、タイとベトナムの間で主権を失い、古典舞踊も廃れていきますが、一九世紀フランスの植民地になり、民族の独立を確保したいクメール民族と自らの植民地を「東洋の神秘」としてヨーロッパで宣伝したいフランス側の意向が重なり、再興されました。
 第二次大戦後、王であったシハヌークが首相になり、独立近代国家として歩み始めたのですが、親米派のロン・ノル政権に追われ国土は内戦状態、次のポル・ポト(クメール・ルージュ)時代を招くことになりました。多くの国民、そして舞踊家や踊りの先生の九割が、このポル・ポト時代に殺されてしまいました。生き残ったごくわずかな舞踊関係者たちが、その後の社会主義的なヘン・サムリン政権、現在なお軍事的色彩の強いフン・セン政権のもとで、古典舞踊を再び蘇らせようと努力しています。
●カンボジア舞踊の性格
 踊りそのものは、指先・足先をそらせること、ポーズや手の印の形、きらびやかな衣装、高い塔を持つ冠、ラーマーヤナ物語を元にした話が多いことなど、タイやラオスの舞踊と大変似ています。音楽や身体の使い方ともども明らかに違ってはいるのですが、初めて接する方には同じように見えるかもしれません。ここでは、より本領を発揮できると思われる、その成り立ちと歴史に焦点を当て、細かい説明は省きます。
 踊りは生き物ですから、踊りそのもの、そして、そこで課されていた役目、誰が観てどのような感銘を受けていたのか、ということも、その時代によって違います。
 今のカンボジア人にとって古典舞踊は、彼らの敬愛する王家に捧げるものであり、自分たちの民族のアイデンティティの証であり、アニミズムと祖先崇拝による彼らの宇宙観を伝えるものであり、少し古臭いですが今だに影響力を持つ芸能界の一分野でもあります。
●私のカンボジア舞踊体験
 さて、日本で生まれ育った私が、なぜ、カンボジア古典舞踊にひかれたのか、と考えると、やはり、日本では体験しにくくなった聖なるもの・宇宙につながってゆく感覚を、自分にとって一番身近な、肉体や風景を通して感じていたかった、ということに尽きる気がします。日本とは違うアジア、というところも、日本に対してアンビバレントな思いを持つ自分に、合っていたようです。
 そんな私の、一番の悩みは、やっぱり、現地には現地の事情があり、それとどうやって付き合っていくかということでした。踊りは、他にも、政治家の集会の余興でもあり、寄せ来るグローバルな資本主義の波に乗り遅れまいと必死な薄給の先生方にとっての生計手段でもあり、内乱後の殺伐とした世相のなか汚職と権威・権力争奪戦を繰り広げる人たちの生きる場でもあります。たかが踊りといえど、やはりその国の社会問題や、政府のあり方と無縁ではないのだな、というのが、現在カンボジア生活三年目の私の正直な感想です。
 なかなか手ごわいプノンペン生活ですが、初心を忘れず、現地の事情とも折り合いをつけ、一期一会の今をこれからも楽しみながらやっていきたいと思います。
(山中ひとみ/王立プノンペン芸術大学・古典舞踊科三年生)

 

アジアの踊り
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その7イスラエル

 

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