サモアの人々と暮らし

父の言葉

サモアの家族の絆

上妻直子

 

カレッジに通う子供たち

 

マオさんの家族に一昨年女の子が生まれた。筆者の名を取って、「ナオコ」と名づけられた

 

ホームステイ時の家族とのスナップ写真

 

食事にハエがたからないように団扇であおぐ

 

ココナッツクリームを絞る

 


●サバイイ島に住む私のホストファミリーの一族は、八〇歳を過ぎたタリマオさんを家長に、子ども、孫、兄弟、いとこ……など親戚約三〇人がそろって同じ村で暮らしている。こうした大家族の光景はサモアでは少しも珍しいことではない。子だくさんのサモアとくらべ、日本では合計特殊出生率(一人の女性が一生涯に産む子供数)が一・五人を下回っているという話をサモア人にすると、彼らは驚いた様子で、「どうしてなんだ?国の法律で一人しか産んではダメだと決まっているのかい?」と真顔で聞いてくる。「そうではない、むしろ近年では、国が社会の少子化現象を危惧しているのだ」と話すと、とても信じられないという素振りをした。

●ニュージーランドへの出稼ぎ者がとても多いサモアでは、不在の親に代わって子供を親戚のだれかが養子として育てているケースが少なくないことなどから、一族の中には異父兄弟、異母兄弟の子供たちが何人かいる場合も多い。このように複雑な血縁関係が入り組むサモア人家族の中でホームステイを始めた当初は、一人一人の名前や続柄を憶えるのも一苦労だった。しかし、彼らと一緒に暮らすにつれて、一見渾然と見えるサモアの大家族の生活が、驚くべき秩序とともに営まれていることがわかってきた。

●サモアの家庭の中では、絶対的な権威を持つ家長と、それに従う者の主従関係を、生活のあらゆる場面で目の当たりにすることができる。例えば、毎度の食事のとき、家長は家族のだれよりも先に食事をすると決まっている。家長が食事を一通り終えるまで、家の他の大人たちは家長の食事を見守っている。そしてその大人たちの食事が始まり、最後の最後に、ようやく子供たちが食べ物にありつけるといった具合だ。私にはその家の「客人」ということで、家長と同時に食事が運ばれた。私が食べている間、子供たちは無言でパンダナスの葉で編んだ団扇を仰ぎ、食べ物に寄ってくるハエを追い払う。
●私はこの習わしに慣れるまでに少し時間がかかった。お腹を空かせている子供たちを前に、自分が先に料理を食べ満足そうな顔をするのは何となく気がはばかられたし、さらに私が食べ残した料理が、そのまま次の人たちに渡るかと思うと、ゆっくり味わう余裕が持てなかった。
●一族のなかで、私が寝食を共にさせてもらったマオさんの家には、六人の子供たちがいた。一七才になる長男のマータイ君が、私の世話係としていつ、どこに出かけるときも一緒について来てくれた。彼は昼間、バスで村から二〇分程離れたカレッジ(サモアでは一三才〜一七才位迄の日本の中学・高校に当たる学校のこと)に通っていたが、放課後はプランテーションで父親の仕事の手伝いをしている。ホームステイ中は、その学校を休んで私に対してこまごまと世話を焼いてくれるので、一度「そんなに気を使わなくていいから、学校に行ったら?」と彼に告げると、「父さんが僕にそうしろって言ったから……」と、はにかんだ様子で答えた。
●そんなある日、マータイ君が、裏庭のマンゴーの木の陰で隠れて泣いているのを見かけた。驚いた私は彼に「何があったの?」と尋ねたが、彼は黙ったまま答えなかった。どうやら父親の言いつけを忠実に守らなかったので、いたく叱られたらしい。私は彼が父親の前で口ごたえするのを一度も見たことがない。いつも彼は静かに耐えていた。
●上下関係が厳しいサモアの村の生活では、子供は幼い頃から家族の中での自分の役割や立場を認識し、ときには耐えることをおぼえながら強い人間に育っていくのかもしれない。
●その夕方の食事時、父親のマオさんは私がマータイ君の涙を見たのを知ってか知らずか、私に向かってこう言った。
「私は一家の父親という役割を担っている。だから家族みんなを守る義務と責任があるんだ。守るためには強くなければならない。精神的にも肉体的にも……」
●その言葉は私に向かって話しているというより、自分自身に言い聞かせているようでもあった。私は、サモアの男たちの「強さ」が、ただ単に自然に備わっているものではなく、「愛する家族を守る」という明確な目的をもって築き上げられてきたのだと感じた。だからこそ何ものにも動じない強さを身につけられるのだろう。
●そしてマオさんは私に向かって、微笑みながら言った。「さぁ、たくさん食べなさい!食べなければ強い人間になれないのだから!」

 

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