サモアの人々と暮らし

華麗なる南洋の花

サモアのファファフィネ≠スち

上妻直子

 

ファファフィネの女王的存在、シンディさんのショー

 

ファファフィネ・コンテスト会場の様子

 

ファファフィネのミス・サモア

 

エイズ問題について語り合う。保健省主催の勉強会にて

 


 首都アピアでのある夜の光景。ホテルに設営された会場は観客の熱気にあふれていた。ステージには色とりどりの熱帯の花が飾られ、マスコミも観客席の前方で、カメラの列を作っている。さて、これから何が始まろうというのか?
 遂にステージの幕が上がり、観客の視線はある一点へと集中する。ステージに現れたのは、ゴージャスなドレスを身にまとい、しゃなりしゃなりと優雅に闊歩する美人の集団。会場から送られる声援に応え、絶えずにこやかな笑顔を周囲に振りまき、立ち止まり得意の華麗なポーズを決める。
「ミス・サモア」コンテスト? いや、よく見ると、実は全員が男性。いわゆる「ニューハーフ」たちだ。サモアで「ファファフィネ」と呼ばれる「おかま」さんのコンテストなのだ。
 サモアには「ファファフィネ」(Fa'afafine、「女性みたいな」の意)呼ばれる人々が驚くほど多く存在する。女性と見間違えるほどの、華奢で可愛らしいファファフィネもいれば、どう見てもごつい中年のオジサンでしかないファファフィネもいる。また、外見は普通の男でも、知り合って話しをすると、喋り口調や物腰がいかにも女性的な「ファファフィネ予備軍」だったりして、サモアの「おかま」さんたちは、実に層が厚いのだ。
 サモアに来て彼らと出逢いたいなら、懸命に探す必要などない。なぜなら銀行、政府省庁、スーパーマーケットの販売員、学校の教師……と、あらゆる職場でごく普通に働いているからだ。ファファフィネは市民権を得て堂々と暮らしており、周囲もファファフィネをごく自然に受け入れている。指をさされたり、もの笑いの種になることはまったくない。だから、ファファフィネたちの表情は至って明るい。
「なぜ、サモアにファファフィネが多いのか?」と素朴な疑問をサモア人の友人にぶつけてみた。友人は次のように説明してくれた。
「成長過程において自分の心と身体の性の違い、いわゆる性同一性障害に気付いて性転換をする人たち以外に、サモアには昔から一家の子供に女の子がいなかった場合、一番年下の男の子を女の子として育てる風習がある。なぜそうした風習があるかというと、村の大切な行事の際に行われるカヴァ(kava)と呼ばれる儀式で酌み交わす酒を作ることができるのは、村で最も権威のあるマタイ(酋長)の娘に限られていて、もしそのマタイに娘がいない場合には、男の子の一人を女として育て、カヴァ作りを担当させるからだ」
 果たしてこの説明が、サモアにファファフィネが多い理由なのか、真相は判らないが、幼い頃から女の子の格好をした(させられた?)男の子の姿をよく見かけるのは事実だ。
 地方の村々で暮らす大多数のファファフィネたちは、普段は一般の女性と同様に洗濯や縫い物などの家事全般をして過ごしている。このように村のコミュティの一員として違和感なく受け入れられているのは、友人が説明したようなサモアの風習・文化が背景にあることは間違いないのだろう。
 サモアのファファフィネを代表する有名人と言えば、何といってもシンディさんだ。週に一度、「シンディ・ショー」という歌と踊りのショーを披露し、美貌、奇抜なコスチューム、そしてユーモアのセンスに満ちた芸で、観客を抱腹絶倒の渦に巻き込んでいる。まさにシンディさんは、ファファフィネの女王の座に君臨している。ファファフィネの憧れ(妬み?)の存在であるシンディさんだが、昼間には街の洋服屋の売り子として地道に働いている。
「あら、日本から来たの?いいわよね〜、日本はファッショナブルで……。でも、私にはどれもこれも日本の服はサイズが小さすぎて着られないの、残念だわぁ」といった調子で、仕事でも持ち前のサービス精神を発揮している。
 サモアでは自分が「おかま」であることを世間にひた隠しにし、内面で葛藤しながら生きていく必要はない。社会の公的な場でも、エイズやドラッグの問題提起を行うオピニオン・リーダーとして積極的に発言する姿もしばしば見られる。
 冒頭で紹介したファファフィネ・コンテストは、「ドラッグクイーン・コンテスト」という名で年に一度催されるイベント活動として国民に広く認識されている。
 ステージで繰り広げられる数々のパフォーマンスに、会場の盛り上がりも最高潮に達していく。女性でも男性でもない、ファファフィネとして生き、一生懸命に自己表現しようとする彼らの前向きな姿……。時には、お腹がぽっこり出た、いかにもオジサン風情のファファフィネが女性さながらの柔らかい物腰でひょこひょこ歩く滑稽な姿があり、観客たちの笑いが沸き起こる。しかし、自分らしさを貪欲に追求しようとする人間の姿は、見る者に不思議なパワーと感動を与える。コンテスト会場で、サモアが「地上の楽園」と呼ばれていることを、私はあらためて思い出した。

 

 

 

サモア通信1
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