サモアの人々と暮らし

南太平洋に浮かぶ教会の島

サモアの人々と信仰

上妻直子

 

10月のホワイト・サンディ「子供の日」の光景。教会に向かって行進する子供たち

「子供の日」に花を頭に載せたりして教会に向かう子供たち

 

村の教会

 

サモアのいたる所で、キリスト教のモニュメントを見ることができる

 

日曜日に正装して教会に向かうサモアの人々

 

 

知人宅(サバイイ島、Lalomalava村)にホームステイしていたときのこと。私は毎週日曜日、家族に連れられて、村の近くの教会に出かけた。私のホストファミリー、サモアではごく一般的な熱心なクリスチャンである。家長のマオさん(51歳)は、私との日常的な何気ない会話の中でも、しばしば神の存在を口にした。「神を信じている限り、神は私と家族を守り続けてくれるだろう。だから私は祈り続けるのだ」と……。
「結婚式は教会や神前で、葬式はお寺で」というのが一般的な現代の日本社会の中では、儀式に本来ある信仰的な意味合いが薄れてしまっている。私自身、家系的に仏教徒を名乗ってはいるものの、日頃から熱心に信仰しているわけではない。あるとき、村人の一人から「仏教の教義を説明してくれ」と言われ、思わず言葉に詰まったこともあった。

 サモアでは村を歩けば必ずと言ってよいほど、いくつもの教会を目にする。ステンドグラスが美しいもの、色鮮やかなデコレーションが施されたもの、歴史を感じさせる重厚なつくりのもの……バリエーション豊かな教会の建物を見るにつけ、人口約一七万人の小さな国に、どうしてこれほど多くの教会が建てられているのか?と不思議に思うほどである。
 サモアは憲法でキリスト教を国教と定めているが、人々が属する宗派はプロテスタント系三八%、カトリック系二三%、メソディスト一〇%、モルモン一四%、その他一五%がおよその内訳だと言われている(一九九九年サモア統計局調査より)。
 祝祭日になる国の行事や人々の冠婚葬祭には、当然キリスト教色が反映されているのだが、日常の中でも彼らの信仰熱心な様子が見られる。毎週日曜の朝には大人から子供まで聖書を片手に正装して教会へ出かけ、賛美歌を歌い、司祭の説教を請う。こうした光景は、一八世紀初頭に西洋人宣教師がサモアにキリスト教を伝えて以来、変わることなく繰り返されているのだろう。
 驚いたことに、サモアでは刑務所に入った囚人でも、毎週日曜日になると、家族とともに教会で祈りを捧げるために出身村に帰されて一日過ごし、再び月曜日に刑務所へ戻って生活するという。そうした一面からも、サモアという国が、如何に敬虔なクリスチャンの国であるか、想像できるだろう。
 日曜日の教会では、司祭に続いて、住民が代わる代わる演台の前に立ち、いつ終わるとも知れないスピーチを始める。外国人の私の眼には、何をそんなに話すことがあるのか?と思うほど、概してサモア人のスピーチというのはひじょうに長い。サモア語が十分に聞き取れない私には、いささか苦痛でもある。サモアには元来「話し言葉」の文化が根付いているようだ。
 その一方で、サモア人の手による文学が発展していないという事実からも明らかなように、「書き言葉」の文化には極端に乏しい。これは、キリスト教伝来以前のサモアに文字が存在していなかったからだと言われている。サモア人にとって、書き言葉を持つ唯一のきっかけがあったとすれば、それはキリスト教の聖書に書かれた「神の声」を知ることだったのかもしれない。

 初めて私がホームステイ先の家族とともに教会に出かけた日曜日。人々のスピーチが続き、いよいよ家長のマオさんの番となった。彼は演台の前に立ち、聖書を拡げると、神の言葉を語り始めた。その長い朗読が終わると、彼は続いて英語で私の方に眼をやりながら言った。「皆さん、後ろの方の席に座っている日本人。彼女は私の新しい家族です。はるか遠い国から、この国にやって来たのです。その結果、こうして私たちと出会い、ともに暮らしている。これも神の導きだと私は信じています」教会に集まっていた人々の眼が一斉に私の方に注がれた。しかし、その眼はいずれも暖かく私を迎えているのを感じた。たくさんの視線を前に、私は「信仰とともに生きる」サモアの人々の人間的強さが、少し羨ましく思えたりもした。

 

 

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