2001PART5

 

イラン映画

ダンス・オブ・ダスト
光と風に真実の言葉を求めて、少年は走り出す

アボルファズル・ジャリリ監督

Interview  日向さやか

 アボルファズル・ジャリリの映画はいつも、類まれな感銘を見る者の心に刻む。それはジャリリが「人生」や「生活」、あるいは「政治」や「社会問題」といったテーマの領域を越えて、常に人間のリアルな「生」そのものを、映像と音とでとらえることを試みているからだと言えるだろう。実際、こうした映画との出会いは決して多くはない。六月に公開が決まった旧作『ダンス・オブ・ダスト』では、ジャリリのそうした試みがより深く、より高く追求されている。これを見る私たちは、自らの内に響く「生のざわめき」にも耳を澄ますことになるだろう。
 舞台は砂漠の村。煉瓦を作ってひとりで暮らしている、少年イリア。村にやって来た季節労働者の娘リムア。ふたりは微笑みあい、互いの名前を叫びあう。いつしか心をかよわせ、小さな愛情を育んでゆく。やがて、砂漠に雨が降り、季節労働者たちが村を去るときがやって来る……
 ジャリリは観客の注意を逸らさないためにと台詞を排しているが、それによって私たちは人の泣き声や笑い声、ありとあるゆる日常生活の音や自然の音をこの映画から耳にすることになる。そしてそれは、人々の日々の営みを共感をこめながらも冷静に映し出す映像と一体となって、不可思議な驚きと美しさに満ちた「生」そのものを私たちに提示する。ジャリリならではの心のコミュニケーションとあふれるポエジーが、私たちを包んでゆく。
 この作品をめぐって、アボルファズル・ジャリリ監督にインタビューした。
――まず非常に強い印象を受けるのが登場人物とロケーションですが、どのようにして出会われたのでしょうか。
アボルファズル・ジャリリ監督■この映画を作るにあたって、「土」のイメージ、それもすぐに風に飛ばされてしまうような粉っぽい土のイメージがありました。そうした「土」を求めてイラン全土を探したのですが、思うような場所がなく、諦めかけていたときにあの場所にたどり着いたのです。土自体はイメージしていたような粉っぽいものではありませんでしたが、場所としてはいいのではないか、と思っていたら、ひとりの少女が走ってきて丘の上に登り、こわがるようにこちらを見ているのが目に入りました。ああ、この女の子とこの場所を使いたいな、と思い、実際に彼女が主役の少女になりました。
 人間に強い影響を及ぼすようなインパクトのある場所を探していたのですが、そのせいでなかなか見つからなかったのだと思います。そうではなくて、逆にそこに暮らす人間が場所に影響を与えていることから、あの場所に決めたのです。「土」を求めて出発したのですが、少女を選んだということです。
 もう一つ別の理由として、映画を見ている人がそこがどこであるか特定できないような場所を選びたかった、ということもありました。よく、あれはどこですか、という質問を受けるのですが、そういうことは説明したくありませんでした。

――村人たちと、監督はじめスタッフとの関係は?
監督■撮影するときはいつもそうですが、私にとっては撮影そのものよりも、そこに住んでいる人々と私たちとの関係の方が大切です。この映画のときも、担当者を決めて機材車に子供たちを乗せて遊びに連れて行ったり、村には病院がなかったので、病人が出ると救急車のように町の病院まで運んだりしました。こうしたことによって、とても親しい関係になっていきました。最後の晩はみんなを食事に招待してパーティをしたのですが、みんな泣いて、帰らないで、と言ってくれました。
――「手」がとても強い存在感を持っています。様々な人々の様々なことをする手を見ているうちに、手にこそ人間の生きる意志が宿っているように思えてきました。
監督■私は信じているのですが、性格というのはその人の手を見ればわかると思っています。この映画の中でも手というのはとても大切なもので、力を入れて撮りました。手で土を泥にし、煉瓦の形にし、それを焼く、全部手でやっている。手でものを作って、手で売って、お金にする。お金をまたゴールドのブレスレットにして手に返すというのは、手にお礼をしているのです。仕事をしているのは手であり、愛情を人に与えるのも手です。ほかの宗教でも私たちの宗教でも、手を合わせたり手を掲げることでお願いをする。最初に願いを表すのは手です。からだの中でいちばん聖なるものというのは手だと思います。お祈りをするときも手だし、握手をするとか、人と触れあうのも手なのですから。
――人々がお祈りをしている姿もたくさん出てきます。ラストシーンでは、少年がコーランを開いています。でも彼はふいにコーランをおいて丘を駆け上っていくのですが、こうした人々の祈りの姿を見せることに、どんな思いをこめられたのでしょうか。
監督■コーランは、地域の人々を結束させるためのイデオロギーとして利用されてしまっているという現状があります。コーランを読んでいる老人が出てきますが、彼は村長で、人々にコーランを大切にしなさい、読みなさい、と言っているけれど、自分自身は読み書きができず、読んでいるまねをしているだけなのです。読んで意味を理解することができないのに、コーランがすべてであると思い込んで、そこにとどまっている。
 一方、少年の心に少女への愛があふれていたとき、彼もコーランを手にするのですが、彼もまた読み書きができないので、学校へ行って教えてもらおうとします。が、学校は閉まっている。ここからこの映画の本当の意味が始まるのです。どうしようかと思っている少年の目に、風になびく木々の間からさす太陽の光が目に入ります。彼はその光に何かを見出したい気持ちになって走り出します。読めないコーランよりも自分で走って光を、神の愛を実際に自分の手で取ろうとして走り出す。イデオロギーとして、読むこともできないコーランを受け入れ、自ら真実を手にすることのない老人に対して、子供はコーランを読むことができなければ、自分の足で真実を探しに行く。
 この少年はイスラムの信仰を持っているんだけれども、自分の足でも走っていくという、宗教に対する新しい意味、新しい動き方を描きました。この映画を作った当時、上映禁止になったのは、こうしたことによるのかもしれません。

――監督の作品は一般に、ドキュメンタリー風であるとか、ドキュ・ドラマというふうに呼ばれているようですが、監督は登場人物のいかなる感情や行動を描くときにも、それを流れのいい物語に仕立てて語るということをなさいません。この点に、監督の作り手としての姿勢が表れていると思うのですが。
監督■一つ質問させてください。あなたの人生、生活はフィクションですか、ドキュメンタリーですか? 私は今、真実を探しています。人間がドキュメンタリーなのかフィクションなのか、それは大切ではありません。私にとっては真実を手に入れることが大切です。事実と真実は違います。事実というのは、私たちがこの目で見てわかることで、真実というのは、存在しているんだけれども見えないときがある。私は映画を作るとき、その目に入らない真実を見せたいのです。目に入らない真実を作って見せるのはすごく難しいことですが、からっぽに見えるものもそうではない、そこには絶対に何かがある、ということを見せたいと思っています。
●インタヴューを終えて
 イランのアクチュアルな状況にしっかりと身を置きながら、しかしそれにとどまることのない普遍性をもった作品を作り続けるジャリリ監督には、聞きたいことが本当にたくさんあった。『ダンス・オブ・ダスト』は、感じるだけでもすばらしい作品だが、少年に託された神との新しい出会いについてなど聞いていると、これからますますジャリリの映画が必要とされてくるように思われてならない。
(4月3日東京・渋谷にて/通訳■ショーレ・ゴルパリアン)

監督・脚本・編集■アボルファズル・ジャリリ
撮影■アタ・ハヤティ
出演■マームード・ホスラヴィ、リムア・ラーヒ
98年/イラン/75分
98年ロカルノ国際映画祭・銀豹賞・審査員賞、98年東京国際映画祭・アジア映画賞、98年ナント三大陸映画祭・監督賞
6月上旬よりテアトル池袋にてロードショー


 

 

アボルファズル・ジャリリ
1957年イラン中央部サヴェー生まれ。79年イランテレビ入社、83年より長編映画の製作を開始、各国の映画祭で受賞多数。現在、来年公開予定の新作を製作中。

 

青〜chong〜
李相日監督インタビュー
わかりいいとわかりにくいの境界線を追いたい

竹内牧子


 叙情的な水彩画のような画、少ないセリフとたっぷりの間、控えめに流れる音楽。強烈さ、派手さは一切ないが、「青〜chong〜」は、スクリーンからにじみ出るメッセージが観客の胸にすっと染み込んで余韻のように残る、そんな作品だ。昨年のぴあフィルムフェスティバル≠ナグランプリを獲得し、劇場公開の運びとなった本作の監督、李相日氏に話を聞いた。

●PFF受賞と劇場公開の喜び
――受賞の率直な思いを聞かせてください。
李相日監督■作品は日本映画学校の卒業製作として作ったものなんですが、PFF受賞は思いがけないご褒美でした。劇場公開できるならもっと一生懸命作っていればよかったです(笑)。
●作品について
――表現手法に非常に個性を感じました。
監督■こういった手法は僕の必殺技というわけでなく、他の人も既にやっているんですよ。他の撮り方がわからないというのもありましたが(笑)。ただ、観客にとってタルい(独り善がりでわかりにくい)ものは作りたくなかったんです。わかりいいとわかりにくいの境界線を追ったつもりです。
――少ないセリフとたっぷりの間。メッセージを言いすぎないで手前で止めておくのも監督のスタイルですか?
監督■スタイルというより僕の生理ですね。映画は想像させてナンボですよね。想像させるには間が必要になってくるんです。観客に自分の好き嫌いを押しつけたくないというのもあります。
――撮影前にシナリオをよく練ったそうですね。
監督■現場で混乱をきたしなくなかったんです。監督が防波堤で一人体育座りしても画になりませんから。現場に行ってから余程よいハプニングや閃きがあれば、取り入れることはありますけれど。
――作品のテーマは監督自身のテーマでもありますね。デビュー作にこのテーマを選んだのは?
監督■朝鮮学校時代は周囲の排他的な面が嫌でした。大学で出会った日本人の友人達はあまりに在日問題に対して無関心でした。両方に対してメッセージを送りたいと思っていたわけです。映画学校には興味のアンテナが高い人達が多く、僕の企画に賛同してくれたんです。
――思いはすべて込めることができましたか?
監督■思いというほどのものはありません。ただ、日本人の人が在日の人と初めて対面する時にこの作品を見ていたほうが、声を掛けやすいんじゃないかなあ、と。
――中から見た在日の世界。これまであまりなかった貴重な視点ですね。
監督■外から在日問題を描くとき、どんな立場で撮るのかが大きな問題になるんです。ただ擁護したらつまらない作品になるだろうし、批判するのは難しい。それが中の人の場合、自分の悪口も面白く、笑えちゃったりするんです。
――役者は日本人が演じていますね。
監督■在日の人を役者で使うと、自分の思いが必要以上にこもって、肩に力が入ってしまうかなと。作品自体のテーマが、世の中変わらないよというスタンスに立っているということもありますし。
――作品は五四分。二時間を越える長尺もザラにある中、短めですね。
監督■当初は一時間半を予定していたのですが、お金が無くて短くしました(笑)。結果的にはそれでよかったと思います。
●映画人として
――映画の製作現場を見たことがこの道に入るきっかけになったそうですね。どんな発見があったんでしょう?
監督■すべてが発見でしたね。ハリウッドの撮影風景の派手なイメージしかなかったので、以外とちんまりやっているな、これなら自分もこの中の一人になれるかなと。その頃がちょうど大学四年の就職活動の時期だったんですが、その波に乗り遅れたのと、会社員にはなりたくないという思いがあって。社会に放り出される段階になって、唯一やりたいと思えたのが映画製作だったんです。
――そして、日本映画学校入学ですね。
監督■すぐ現場に入って下積みをするという方法もありましたが、僕は忍耐強くないんで。どうせ下積みをするなら、まずは自分達の手で作ってみたいと、映画ごっこをするために高い授業料を払って映画学校に入りました。
――尊敬する監督、影響を受けた作品は?
監督■北野武監督、黒澤明監督、コーエン兄弟ですね。作品としては「ソナチネ」、「七人の侍」ですね。
●インタビューを終えて
 PFFグランプリは七三〇本の応募作品から審査員の圧倒的な支持を得ての受賞、そして劇場公開の快挙。なのに監督は、「たいしたことないんですよ」と、何度も冗談を織り交ぜながら、するりと身を交わす。その軽妙な語り口は、しかし、他者への配慮や論理的思考がベースにあってのものだと感じた。それは作品のスタイルと重なるものでもあるのだろう。(4月9日東京・半蔵門にて)

■ストーリー
 テソンは朝鮮人学校に通う高校三年生。彼の日常は、親友のヒョンギとつるんでチンピラとケンカしたり、電車の中で女の子のミニスカートを覗いたり、野球部のエースとして活躍したり、変わりばえなく過ぎていた。しかしそんな彼の生活にも少しずつ変化が。日本人の恋人と結婚したいと言う姉。美しい幼なじみのナミに日本人の恋人がいるという噂。そのためにいじめを受けるナミ。テソン自身も、野球部の高野連加盟が決定し親善試合をするが惨敗。変わり始めている周囲に戸惑い、また自分が何者かがわからなくなってしまったテソンだったのだが……

脚本・監督■李相日
出演■眞島秀和・山本隆司・有山尚宏・竹本志帆
99年54分
第22回ぴあフィルムフェスティバル/PFFアワード2000グランプリ他4タイトル受賞作品
4月21日(土)よりBOX東中野にてモーニング&レイトショー公開
李相日監督


 

 

李相日(リ・サンイル)
李相日(リ・サンイル)監督は横浜生れの27歳。小・中・高と朝鮮学校に通う。神奈川大学在学中に映画の製作現場を見たことが、この道に入るきっかけに。観客に向けてのメッセージは、「ご苦労様です、かな。だって、東中野って遠いじゃないですか」。あくまでも自然体。現在、本作で獲得したスカラシップによる次回作(家族をテーマにしたロードムービー)の製作に取り組んでいる。

 

タイ映画

ナンナーク
Nang-Nak
緻密な戦略が楽しめる
タイ発娯楽映画


日向さやか


 タイ国内で『タイタニック』の興行記録を上回り、タイ映画史上ナンバーワンのヒットを達成したという鳴り物入りの作品、『ナンナーク』の日本上陸である。今やタイのスピルバーグ≠ニ呼ばれるノンスィー・ニミブット監督は、ミュージック・ヴィデオやTVコマーシャルの製作でキャリアをスタートさせ、本作が二作目の劇映画となる。
 およそ一三〇年前のバンコク郊外プラカノン地区に住む若い夫婦、マークとナーク。強い絆で結ばれた二人を内戦が引き裂く。身ごもった妻ナークを残して、マークは戦地へと赴くことになったのだ。やがてマークは重症を負いながらも妻と子の待つなつかしい村に帰りつき、夫婦は至福のときを過ごす。程なくして不吉な異変がマークのまわりで起こり始めるのだが、それは運命の悲劇を嘆く妻ナークが起こした奇蹟によるものだった。その悲劇とは、そして二人の愛の行方は……。
「悲劇のヒロイン、ナンナーク(ナーク夫人)」の実話としてタイで語り継がれているこの物語は、すでに二〇回以上も映画化・舞台化されており、タイ国民でこの物語を知らない人はいないという。ここに描かれているのは妻の夫に対する、愛というよりはむしろすさまじいまでの執念であり、それを見事に鎮めてみせる仏教の超越性である。人間によるカタルシスのないこうしたお話が、国民的物語として親しまれているというのが新鮮である。
 さて製作も手がけたニミブット監督は、タイの自然や風土を美しく生かしながら、この非常に「タイ的」な物語を同時にグローバルな市場にも通用する娯楽映画に仕立て上げた。主演の二人の現代的なかっこよさ、過剰にならないことでより効果的にきまっている特撮、かっこいいカメラワークと編集。そして神秘的に描かれた仏教や、ビンロウをかんで黒くなった歯や、わけのわからない祈祷師(笑えます)といったエキゾティシズム。見知らぬ異国の自然も風習も、愛も死体も、化け物と僧侶の対決も、エンターテインメントが備えているべき様々な「お約束」が、ここでは緻密な計算のもとにバランスよく織り込まれている。こうしたしたたかな戦略性もまた、楽しいのである。

製作・監督■ノンスィー・ニミブット
脚本■ウィシット・サーサナティヤン
出演■インティラー・ジャルンプラ、ウィナイ・グライブット
99年/タイ/100分
第44回アジア太平洋映画祭グランプリ、第29回ロッテルダム国際映画祭最優秀アジア映画賞


5月26日(土)よりシネ・リーブル池袋他全国にてロードショー

 

 

恋戦
OKINAWA Rendez-vous
沖縄を舞台に繰り広げられる
香港的ラブコメディー

小野 妙子

沖縄と言えば、料理に音楽、そして忘れてはならないのが、美しい海。日本だけでなく、今ではアジアの中でも人気のリゾート地である。実は、つい最近、貧乏旅行派
の私にしては珍しくあるビーチリゾートで休暇を過ごした。目の前に広がる真っ青で広大な海。目を閉じて、波の音を聞きながら、ゆっくりと過ごした至福の時間。分刻みの生活を送る日常に比べると、なんとも贅沢な気分であった。そんな憧れのビーチリゾート地が点在する沖縄を舞台に「男たちの挽歌」「欲望の翼」のレスリー・チャン、
「恋する惑星」のフェイ・ウォン、「愛人/ラ・マン」「南京の基督」のレオン・カーファイという香港のビックスターが顔を並べた映画が「恋戦。OKINAWA Rendez-vous」である。
 レスリー・チャンは世界を股にかける怪盗ジミー。レオン・カーフェイは香港の内勤警部ロー、恋人と休暇を過ごしに沖縄へやってきた。しかしローはジミーを見つけたことで、恋人はそっちのけで手柄を取るために必死でジミーを逮捕しようとする。そんなふたりの前に、やくざから大金を持ち逃げした女、ジェニーが現れる。ジェニーを演じているのがフェイ・ウォンである。
「恋する惑星」のショートヘアに華奢な体で、つかみ所のない空気を持ったフェイ・ウォンはきっと多くの人の記憶に残っているであろう。あれから六年の歳月が流れた。
しかし、今回も彼女の魅力は健在である。何を考えているのか解からないが故に気になって仕方がない女性を演じている。演技力が際立つわけではないのに、彼女が
スクリーンに存在するだけで惹き付けられる。大袈裟に言えば、オーラを感じるのだ。
製作は香港で「大衆娯楽映画の復活」をめざして設立された「一百年電影」。その設立には、ゴードン・チャン、ジョニー・トー、ツイ・ハーク、リンゴ・ラム監督等が中心となった。確かに、内勤の警部や世界的な怪盗ジミー、日本のやくざにその金
を持ち逃げした女、と登場人物を聞いただけでドタバタコメディーを連想させる。
バラバラだった登場人物が芋づる式に一つにつながるような物語の展開は、わかりや

くて気持ちがいい。また、リゾート地ならではの開放感も、映像から十分に伝わってくる。この映画は多くの人が気楽に楽しめる娯楽映画として香港で大ヒットした。
メッセージ性や難しい描写はないけれど、「ハハハ」と気持ち良く笑えて、心が弾むような映画。それが多くの人に愛される映画の基本なのではないだろうか。単純にも
すっかり映画で気分が良くなった私は、今年の夏は絶対に海へ行くぞと心に誓ったのであった。

【ストーリー】
警視庁の地下金庫から警察が押収した一冊の手帳が盗み出された。犯人は香港を拠点に世界を股にかけた怪盗ジミー。手帳の持主は日本のヤクザの首領、サトウ。しかし、サトウは手帳の引渡し直前に報酬金の200万ドルを愛人のジェニーに持ち逃げされた。恋人と沖縄へ旅行中だった香港警察の内勤警部のローは、空港で逃走中のジェニーと出会い一目惚れする。さらに国際的犯罪者のジミーを見つけ、彼を逮捕しようと追いかける。一方、ジミーはカフェで働くジェニーと出会い、彼女が気になって仕方がないのだが…。

2000年/香港映画/99分

監督■ゴードン・チャン
脚本■ゴードン・チャン/サン・ヒンガー
出演■レスリー・チャン/フェイ・ウォン/レオン・カーファイ/ジジ・ライ/加藤
雅也


新宿シネマカリテ、大阪パラダイスシネマにて7月上旬公開予定

 

 

夏至
a la verticale de l'ete
 愛を感じるとき、失うとき、求めるとき

竹内牧子


 夏至。太陽が一年で一番高く上がり、白く眩しい光が草木や小川や街並みを鮮やかに照らし出す季節。色あるものはいっそう色を増し、澄んだものはより透明にそれぞれの美しさを競って輝く時。人もまた例外でなく、暑く激しい照射は心の内奥に秘めた思いを容赦なく溶け出させる。
 物語は、そんな夏の盛りの一カ月間、美しい三人姉妹に起こる愛に関する数々のエピソードを丹念に積み重ねたものである。ことの始まりは三姉妹の母の命日。母の初恋の人の存在が明かされる。彼女が本当に愛したのは父でなく初恋の人であったと。母を追うように一月後に亡くなった父。それ程仲の良かった両親。彼女たちの理想の夫婦像が虚像となっていく。それが発端となり、暑く眩しい日差しのせいもあってか、三姉妹がそれぞれに抱えていた秘密が明らかにされていく。夫との関係が気まずくなっている長女。夫には愛人と子供がいて、長女にも浮気相手がいる。彼女は夫の愛を失い、それを埋める温かみを求めたのだった。次女は最愛の夫がいて、妊娠している。全身で愛を感じていたと思いきや、小説家の夫は(職業病なのだろうか!)、旅先の見知らぬ女性に心を奪われる。兄と暮らす三女はまだ本当の愛を知らない。恋人はいるがうまくいっていない。むしろ、兄のことを恋人のように思っている。
 三姉妹は三人三様。長女は亡くした愛を修復しようとする。次女は愛を失って迷い出す。三女は真の愛を知ろうとするところだ。痛みを伴う愛のストーリーばかりなのだが、息苦しくないのは同じ場面が繰り返し映しだされるためだろう。それは、三姉妹が頭を寄せ合って姦しく食事の用意をする場面であったり、三女が兄のベットで安らかな眠りから覚めて幸せな朝を迎えるシーンであったりする。ありきたりで豊かな日常、ゆったりとした時間の流れ。また、彼女たちの映像の美しさのせいもあるだろう。草木や水、昆虫、動物、フルーツなどを、この監督は本当に綺麗に見せてくれる。何よりも女性が生き生きと美しい。あの艶やかな長い黒髪。すらりと伸びた体躯にちょこんと乗った小さな顔。美しい曲線を描く額、肩、腕、首筋。この人は女性よりも、女体の美というものをわかっているんじゃないかと思う。
 母の命日から一ヶ月後の父の命日でこの物語は終わる。日差しも少し低くなって、季節も少し巡って。三姉妹はまた、頭を寄せ合って姦しくお喋りしながら、食事の支度をするのだろう。また誰かがこっそりと秘密を打ち明けたりするのだろうか。
■ストーリー
 ヴェトナム・ハノイ。母の命日に集まった三姉妹。彼女たちはとても仲が良く、何でも語り合い分かち合っていた。しかし彼女たちは各々に、誰にも言えない秘密を抱えていた。長女スオンはカフェの女主人。幼い息子がいるが夫には愛人と子供がおり、自分も行きずりの青年と逢瀬を重ねていた。次女カインは新婚で、小説家の夫は処女小説を執筆中。妊娠が判ったが、今は夫と二人の秘密にしたい。三女リエンは学生で、役者の卵の兄とアパート暮らし。恋人とはうまくいっていない。命日の酒宴で母の秘めた初恋の話が明かされた。貞節な理想の夫婦を夢見ていた姉妹は戸惑い、母の秘密に自分たちの心の秘密を重ね合わせて行く……

2000年/フランス・ベトナム/112分
監督・脚本■トラン・アン・ユン
出演■トラン・ヌー・イエン・ケー、グエン・ニュー・クイン、レ・カイン、チャン・マイ・クオン
2000年第53回カンヌ国際映画祭正式出品


BunkamuraBunkamuraル・シネマにて今夏ロードショー

 

 

 

 

アジア映画
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その3
その4
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