2001PART4

 

ザ・カップ 夢のアンテナ

とっておきの笑顔に逢える
ブータン・オーストラリア合作映画

竹内牧子


 良質な映画との出会いは、誰かに恋をする時と似ている。激しい恋、穏やかな恋、顔かたちが好き、声が好き、匂いが、性格が……。恋の姿は千差万別。ましてや、その対象が魅力的であればなおのことだ。
 そういう意味では、「ザ・カップ 夢のアンテナ」に恋する人は多く、そこにはきっといろんな色と容セかたソをセちソした恋があるだろう。本作の素晴らしさは、実に様々な言い方で表現できるだろうから。
 舞台はチベット仏教の僧院。青々とした山の稜線とそれに続く蒼空、まばゆい日差しをいっぱいに受けて揺れる緑の草木、黄金色の豊かな大地、黄と朱が映える少年僧の袈裟、そして彼らの笑みといっしょにこぼれる白い歯。これらチベット映画定番の被写体達は、ため息が出るほど素晴らしい。美しい背景の中で、やんちゃな少年僧達のパワーは炸裂している。サッカー大好き。ボールがなければ、空き缶サッカー。どうしてもワールドカップの決勝戦が観たくて、なんとかお金をかき集め、おんぼろアンテナをおんぼろテレビに繋いでテレビ観戦。白黒だって、砂嵐が入ったって構やしない。この楽しさ、この満ち足りた感じ。穴だらけのおんぼろアンテナが輝いて見える。そんな暴れん坊達を、先生や僧院長はすべてお見通しだよ=Aと言わんばかりに厳しく優しく見守る。読経やお香の準備など僧院での修行の様子や、食事風景など寄宿舎での日常を垣間見ることができるのも興味深い。
 なによりも、私は、主人公ウゲンを演じた少年が見せた一瞬の表情で、この映画の虜セとりソとセこソなった。ひとめ惚れである。アンテナを借りるため、ニマの時計を担保にしたウゲン。晴れてテレビ中継観戦と相成ったものの、母の形見の時計を差し出して涙に暮れるニマが気になり、興奮に包まれる一団からそっと離れるウゲン。決勝戦そっちのけで、時計を取り戻すため自分のお宝を引っ張り出しているのだ。何をしているのかと先生に聞かれ、答えるウゲン。……この時、さっきまで小生意気な悪ガキだったウゲンがとてもいい顔をする。他を思いやることのできる者がする、強くて、優しい笑顔。まぶたの奥に置いて、へこんだ時には取り出して眺めたくなるような笑顔だ。この表情にヤラれた。映画はワンシーン、時に一瞬で人を魅了することもあるのである。
■ストーリー
 ヒマラヤ山麓の僧院で、ウゲン達小坊主は掃除の時間もコーラの空き缶をボール代わりにサッカーに熱中している。ある日、少年ニマとパルディンが僧院にやってきた。ウゲンはそんな新入りも巻き込んで、真夜中に僧院を抜け出し、サッカーのワールドカップをテレビ観戦しに行ってしまう。しかし、追い返された挙げ句に高僧からは大目玉。ついに決勝戦の日。ウゲンはみんなからお金を集め、ニマの大切な時計を担保にして、アンテナとテレビを借りなんとか決勝戦の放送を見ようとするが……
監督・脚本■ケンツェ・ノルブ
   出演■ジャムヤン・ロゥドゥ、ネテン・チョックリン、ウゲン・トップゲン、ラマ・チュンジョル
99年/ブータン・オーストラリア合作/93分
99トロント国際映画祭観客賞受賞
1月27日(土)よりBunkamuraル・シネマにてロードショー

 

 

インド映画

PYAASA渇き

詩人ヴィジャイの孤独と絶望
小野妙子



 一九五〇年代にインドで大ヒットを生み出したインド映画伝説の巨匠グル・ダット。彼の監督作品の中で最も社会派の作品、「渇き」は渾身の力を注いだ傑作である。
 売れない詩人のヴィジャイは家族や出版社から冷たくあしらわれていた。誰も彼の作品を読もうともせず、認めようとしなかった。そんな中で、娼婦のグラーブはヴィジャイの詩の素晴らしさを理解し、心から愛していた。
 ヴィジャイがやっとの思いで就職した出版社の社長ゴーシュは彼の詩には興味がない。さらにゴーシュの妻が大学時代の恋人ミーナーであることを知り、ショックを受ける。
 ある日、ヴィジャイは列車事故に巻き込まれ死んだと思われてしまう。グラーブは彼の詩をこのまま葬ってしまうわけにはいかないと、ヴィジャイの遺稿詩集を出版するためにゴーシュに唯一の財産である宝石を渡す。ヴィジャイの詩集はたちまち大ベストセラーとなる。ところが、ヴィジャイが生きているとわかったゴーシュは金のためにヴィジャイを精神病院へと幽閉する。そして、ヴィジャイの一周忌の集会が開かれた。大衆の前になんとヴィジャイが突然姿を現した。
「渇き」は社会的なテーマで重苦しいストーリーである。しかし、歌と踊りが挿入されることにより、モノクロの映像がまるでカラーになったかのように、光が色鮮やかに射しているような感覚に陥る。それらは、インド娯楽映画によく見られるような押し付けがましさはない。特にヴィジャイとグラーブが月夜に出会うシーンの歌と踊りは純粋に美しいと思える。
 劇中に読まれるヴィジャイの詩は、孤独と生活の貧しさを表現している。そして自分の詩が世間に受け入れられないことに矛盾を感じていた。グル・ダット監督は「渇き」以外にも「紙の花」「55年夫婦」などの作品のなかで芸術家の心の葛藤を描いている。
 さらに、彼は三九歳の若さで自ら命を絶っている。彼が芸術家ゆえの苦悩を背負い生きていたであろうことは想像できる。「渇き」のほぼ二〇年前に日本で活躍した詩人、中原中也の詩集にヴィジャイと似たような心情を表現している詩を見つけたので、最後に紹介したい。

詩人は辛い(一九三五・九・一九)

私はもう歌なぞ歌はない 誰が歌なぞ歌うものか
みんな歌なぞ聞いてはゐない 聴いているようなふりだけはする
みんなただ冷たい心をもつてゐて 歌なぞどうだつてかまはないのだ
それなのに聴いているやうなふりはする そして盛んに拍手を送る
拍手を送るからもう一つ歌はうとすると もうたくさんといった顔
私はもう歌なぞ歌はない こんなご都合な世の中に歌なぞ歌はない
(岩波文庫「中原中也詩集(大岡昇平編)」より)


製作・監督■グル・ダット
脚本■アブラール・アルヴィー
出演■グル・ダット/ワヒーダー・ラフマーン/マーラー・シンハー
1957年/白黒/145分
●三月三日〜一一日に国際交流基金アジアセンターにてグル・ダットの監督・主演作十本が上映される。
「アジア映画監督特集H/インド映画の奇跡 グル・ダットの全貌」

 

 

中国映画山の郵便配達

那山 那人 那狗

続いてゆく生の営みこそが希望
ASIA CINEMA
日向さやか

 ほぼ全編を覆う山と田園のみずみずしい緑と、アクセントのようにはさまれる夜祭りの赤。美しい山間の映像を背景に、初老の父親とその仕事を受け継ぐ息子の心の交流、そして過ぎてゆく人生の時間への郷愁という普遍的な物語が、抑制された語り口で綴セつづソられてゆく。そこにはもちろん世代の違う父と息子との考え方のギャップがあり、また、かつて背負っていた息子に今は自分が背負われ、思わずこぼれる父親の涙もある。とは言え、この慎み深い映画は、それらをことさら劇的に仕立てあげることをしない。いっさいはあたりを覆う緑に吸い込まれ、川岸の大きな水車が二人の傍らで回り続けるばかりである。
 しかしこうした物語と穏やかな描写は、この映画の大きな魅力ではあるが、核心ではない。
 単なる情緒的な物語の枠組みに収まろうとするものではないということに、しだいに気づかされる。八〇年代の初頭であるにもかかわらず、交通手段をほとんど持たない湖南省西部の山間地帯、そこに暮らす人々の日常に触れることによって、近代化とは何かを、まず問い直すことになるであろう。この山奥には近代化の恩恵など及ばないばかりでなく、若者の都会への流出により孤独を余儀なくされた老人がいる。近代化は必然ではあろう、しかし本当にそれが人々に希望をもたらすものなのか……。
 そう問いかけるとき、次に見えてくるのは山々にあふれる緑と、過酷な父親の仕事を受け継ごうとする息子の若々しい肉体、二人を助けてあまりある愛犬の俊敏さという、今、生きているものが放つ輝きである。父親が息子の寝顔に見入るシーンは、エロティシズムさえ感じさせて美しい。痛みは現実としてここにある、しかしその一方で生命は受け継がれ、人は生き、緑は萌える。この映画は、「生」を見失うことなく続けられる日々の営みそのものが希望であるということを、静かに見出してゆくのである。
 さりげない描写でありながら確実に見せていく語り口の見事さは、監督のフォ・ジェンチイと監督の作品でいつも脚本を担当しているという夫人、ス・ウとのコラボレーションの成果であろうか。その年の金鶏賞で、チャン・イーモウの『あの子を探して』を抑えて作品賞と主演男優賞(父親役トン・ルゥジュン)を獲得したというのも、当然と思う。
原作■ポン・ヂエンミン
監督■フォ・ジェンチイ
脚本■ス・ウ
出演■トン・ルゥジュン、リィウ・イェ、ジャオ・シィウリ
99年/中国/93分
99年中国金鶏賞最優秀作品賞・最優秀主演男優賞受賞
4月7日(土)より岩波ホールにてロードショー

 

アタック・ナンバーハーフ

SATREE-LEX
タイ映画

タイで最も強くて美しい、バレーボールチーム
「サトリーレック」が日本上陸!!

小野妙子


「サトリーレック」(タイ語で「鋼鉄の淑女」の意味)。これは、一九九六年、タイのバレーボールの全国大会で優勝したチームのこと。しかし、「サトリーレック」はただのチームではない。なんと選手たちは「カトゥーイ」(タイ語で「オカマ」や「ゲイ」のこと)なのだ。この嘘のような話を映画化したのが、「アタック・ナンバーハーフ」である。
 メンバーは一口にカトゥーイと言えども、十人十色。底抜けに明るくて、憎めない、ジュン。カトゥーイを理由にバレーボールへの夢をあきらめかけていた、モン。水牛のような体格と人並み外れたパワーを持つ軍人のノン。女性顔負けの美貌と妖艶さを兼ね備えたダンサーのピア。隠れカトゥーイのウィット。唯一、本物の男性であるチャイ。そんな個性の強いカトゥーイたちを理解し、チームをまとめているのがオナベのビー監督である。
 しかし、優勝への道は決して容易ではない。カトゥーイであることが壁となり大きく立ち塞がる。大会委員会はサトリーレックを恥だとして出場を取り消そうとする。チーム内ではモンが「チャイはカトゥーイを見下している」と言って対立する。しかし、メンバーたちは今までもカトゥーイということで、ずっと世間から白い目で見られてきた。同性愛者に対してタイ社会では排斥こそしないが、「精神的機能不全」として差別しているという。だから、サトリーレックはちょっとぐらいの風では倒れない強さを持っている。さらに、仲間の気持ちがわかる分、思いやる心と絆はどのチームより深い。そうして、険しい道を乗り越えて勝ち得た優勝と観客の声援は、メンバーにカトゥーイとしての存在を認められたという喜びと自信をもたらしたのである。
 登場人物の個性があまりにも強烈で、観ながら終始笑いに誘われてしまう。ストーリーもシンプルでわかりやすい。しかしそれだけではない、映画が終わり館内が明るくなったとき、多くの観客は心に何かが刻まれていることに気が付くであろう。その内容はひとりひとり違うと思う。ただ、筆者の心にジワーッと広がっていったのは、サトリーレックの人並外れた明るさと絶えることのない笑顔、「何より難しいのは、自分自身に勝つこと」というビー監督の言葉だった。
■ストーリー
 実力はあるのにもかかわらず、オカマであるためにバレーボールの県代表チームに選ばれなかったモン。しかし、モンの親友のジュンは再度、県代表チームのメンバーを募集していることを知る。二人はテストを受けに行き、自分たちを認めてくれるビー監督と出会う。ところが、オカマが加わることに反対したメンバーたちはチームから去っていった。そこで、監督にバレーボールができる友達はいないのか、と言われた二人は、さっそく友達をスカウトに向かう……

2000年/タイ/104分
監督■ヨンユット・トンコントーン
製作■ウィスーット・プーンウォララック
出演■チャイチャーン・ニムプーンサワット/サハーパーブ・ウィーラカーミン他

渋谷シネクイント/梅田ガーデンシネマ/心斎橋パラダイスシネマ/京都朝日シネマ/三宮アサヒシネマ にて3月下旬公開予定

 

 

イラン映画

テヘラン悪ガキ日記

カマル・タブリーズィー監督に聞く
子供の心を持ち続ければ、世界はもっと穏やかに

Interview 竹内牧子


 子供をテーマにした映画には、明るくて微笑ましいハッピーエンド≠ェほとんどもれなくついてくる。けれど、「テヘラン悪ガキ日記」は少し毛色が違う。実際の少年院で素人の少年を起用して撮影された本作はドキュメンタリー性が色濃く出た、渋い仕上がりとなっている。この度カマル・タブリーズィー監督が来日、自作について多いに語ってくれた。
――社会的なメッセージ性が感じられる作品ですね。アイデアはどんなところからでしょう?
カマル・タブリーズィー監督■以前から社会の現実に興味があり、特に少年院の子供をテーマに映画を撮りたいと思っていました。
――実際の少年院で撮影したそうですね。
監督■社会の現実を撮る上では、舞台を慎重に選ばなくてはなりません。セットで現実を表現するのは難しいので、実際の少年院でそこにいる少年に出演してもらうのが一番と思ったわけです。先生役の女優さんのことを、少年たちは本当に新しく来た先生だと思っていました。半分ドキュメンタリーと言えますね。
――少年院でのロケに対して反対の声はありませんでしたか?
監督■全くありませんでした。そもそも少年院に入っている子供たちは真の悪人ではありません。スタッフとの間に信頼関係も生れましたし、それが少年たちの性格形成上よい影響を与えられたと思います。
――メヘディ役をホセイン少年に決めたのは?
監督■彼はとても表情がよく、詩を書きためていました。実際の彼は父親を亡くしていて、大半は母親についての詩でした。彼の詩にはスタッフ一同が感動したんです。作品中にギターを弾きながら母への思いを歌うシーンがありますが、あれは彼の自作の歌なのです。
――ホセイン少年との出会いがこの作品の鍵となったと?
監督■そう言えますね。作品のプロットは決まっていましたが、ホセインと会ってから話を聞いて脚本を書いた部分も多かったです。別の少年と出会っていたらまた別の作品になっていたかもしれません。ホセインにとってもこの作品への出演で人生が大きく変わりました。出演料を得、少年院を出て学校に入りました。この作品はホセインのために作られたんじゃないかとも思います。
――こっそり少年院に通報する先生と先生を信じて疑わないメヘディ。大人の狡猾さと子供の純粋さとを見事に対比していますね。
監督■よく見てくれていますね。人は純粋な状態で生れてきて、大人になるにつれてだんだん複雑な存在になるんです。大人であることは大変だけど、子供の心を持ち続ければもっと楽しいのにな、世界はもっと穏やかになるのになと思うのです。けれど、どんな人間も一〇〇%悪人ではないのです。だれにでも良いところがある。全ての物事に良い面と悪い面があるようにね。作品中で八百屋が財布を返しにきたように。一面だけ見て人を決めつけては絶対にいけないのです。
――ラスト、メヘディは大切にしていた母の写真を置いて姿を消しますね。大人の世界に旅立っていったと?
監督■旅立ったというより、大人の世界で迷い始めるという感じですね。
――日本の観客にどんなところを見て欲しいですか?
監督■昨夜渋谷の街を歩いてみたんです。不思議な格好の若者を多く見かけましたが、今の時流に乗っているだけで、心の中は同じ、同じアジア人として同じ文化を持っているんだと思います。彼らもこの映画を理解してくれると思います。
●インタビューを終えて
どんな人間にも必ず良い面がある=Aという言葉が何回も監督の口から出た。人間を見つめる暖かい眼差しを感じた。この日最後の取材だったのに、疲れも見せずよく話してくれたタブリーズィー監督。「同じ質問を何回も受けたでしょうね」と聞くと、「取材は最後だったけど、質問は一番よかったよ」と返してくれた。窓の外を舞う、今年初めての雪をも融かしてしまいそうなパワーだった。
(1月20日(土)東京・渋谷にて/通訳■ショーレ・ゴルパリアン)
■ストーリー
 少年院にいるメヘディは、どうしても母親の死を受け入れられない。新聞の切り抜きの女性を母親だと思い込み、肌身離さず持っている。新しく赴任してきた先生を自分の母親だと決めつけて、少年院を脱走し彼女の家を探し当てる。母親になってくれと強引にせまるメヘディ。いったんは情にほだされて彼を家に入れた先生だったが、やはり少年院に戻そうと補導員に連絡するのだった。そしてメヘディは……

1999年ベルリン子ども映画祭グランプリ、他3つの子ども映画祭でグランプリを獲得
98年イラン映画/90分
監督■カマル・タブリーズィー
出演■ファテメー・モタメド=アリア、ホセイン・ソレイマニー、ゴルシード・エグバリ

4月14日(土)よりキネカ大森にてロードショー


 

 

カマル・タブリーズィー監督
1959年テヘラン生れ。映像で何かを伝えたいと、映画界に入った。前作の「夢がほんとに」(95年)はアジアフォーカス・福岡映画祭1996招待作品

 

蘇州河

ふたりの人魚

人魚をめぐる悲しい愛の行方

中国・ドイツ・日本合作映画

小野妙子


 腰まで伸びた金色の髪、スパンコールの鱗が光る赤い尾びれをもつ人魚。上海では、今でもそんな人魚が巨大水槽の中を悠々と泳ぐショーがあるという。その様子は、初めて観る者に、どこか異様で、強烈な印象を与える。また、人魚と言えば、神秘的なイメージとともに、泡となって消えていく人魚姫の物語から、せつなく、悲しい想いを連想する。
 邦題「ふたりの人魚」は、そのような人魚をめぐる四人の男女のはかない恋物語である。ビデオ撮影を仕事としている「僕」の彼女、メイメイ。彼女は、バーで人魚に扮して水中ショーをしている。また、刑務所から出所したばかりのマーダーは、かつて愛した少女、ムーダンを探している。昔、マーダーはムーダンを仲間と組んで誘拐した。しかし、彼女は逃げ出し「次に会うときは人魚になっているわ」と言い残し、蘇州河へと飛び込んでしまう。
 ロウ・イエ監督は人魚を美しい愛情、人を傷つけてしまう愛情、手に入れたくても入れられないものの象徴として用いたという。確かに、四人の愛の形は壊れそうで、不安定な感じがする。また、決して幸せな結末を迎えないだろうと想像できる。
 中国のインデペンデント映画の中で注目されているロウ・イエ監督。彼は、国内では思うように資金が集まらず、国外へと目を向けた。そして、ドイツ・日本との共同製作が可能になったという。さらにおもしろいのが音楽製作である。ドイツに住むボン・レンバーグと北京のロウ・イエ監督がEメールで音楽をやりとりし、つくりあげた。映画の中で、音楽は強すぎず、弱すぎず存在し、登場人物の心の変動をじっくりと伝えてくれる。
 掴セつかソんでは消えてしまいそうな、不思議な魅力のメイメイとムーダーの二役を好演しているのは、中国、香港、台湾で活躍しているジョウ・シュン。彼女のあどけない笑顔は、暗くなりがちなストーリーに強いアクセントとなってよいバランスを保っている。
 この作品は中国では、まだ上映許可が下りておらず、公開されていない。しかし、世界では、二三カ国以上で公開が予定されている。見えない愛への不安が引き起こす物語、「ふたりの人魚」は回を重ねて観ても、その度に深い味わいを感じることができる良質な作品だと思う。

■ストーリー
 上海に住んでいる「僕」の仕事はビデオの出張撮影。ある日撮影に出かけたバーで、水槽の中で泳ぐ美しい人魚に一目惚れする。彼女の名はメイメイ。ふたりは付き合い始める。しかし、メイメイは不思議な行動が多い。さらに彼女のことを、自分の恋人のムーダンだと言い張る男、マーダーが現れた……


2000年/中国・ドイツ・日本合作/83分
監督・脚本■ロウ・イエ
主演■ジョウ・シュン/ジア・ホンシュン
2000年ロッテルダム国際映画賞タイガーアワード(グランプリ)受賞
2000年TOKYOFILMeX2000グランプリ受賞


テアトル池袋にて4月下旬公開/全国順次公開予定

 

 

 

 

アジア映画
その1
その2
その3
その4
その5

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