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イラン映画の巨匠
「パンと植木鉢」「ギャベ」の
モフセン・マフマルバフ監督に会う

石井里津子


 作品を跳び越えて、一人の芸術家の思考、感性が自らの身に突き刺さるそんな経験をしたことがあるだろうか。モフセン・マフマルバフ監督は、そんな経験をさせてくれる稀有な作家の一人だ。それゆえ「いったい彼は何者なのか」と存在そのものが気になる。
 マフマルバブ監督は、日本ではまだそう知られていないが、イランではもっとも人気が高く、大衆の圧倒的支持を得ている映画監督であり、「イランのスタインベック」と称される作家でもある。代表映画「サイクリスト」(89)は、「全イラン人が見た」といわれるほど、イランで最大の動員数を誇るという。
 マフマルバフ監督はいう。
「映画というものは、みんなが抱くいろいろな感情、たとえば愛する、悲しい、うれしい、そんな感情を描いて、いま一度見ている人たちに味わってもらう役割をしている。芸術家は、個人的なものを表すものではなく、みんなが同じように感じることを表すものです。
 イランのある詩人がこういっています。『わたくしは互いの痛みだ。叫ぶのなら、お互いの痛みを叫びなさい』と」。
 だが、その一方で、監督はわたしたちとまったく違ったまなざしで「世界」を見つめ、感じ取っている。
「人間はみんなクリエィティブなんですよ。確かに僕は、子どものころから芝居の脚本を書いたりした。でも、泥で家を創る子だっている。みんなそれぞれがいろいろなものを生み出しているんです。ただ、芸術家は、その創るものが美しいから目立つだけです。
 蝶も、花から花へ動くとき、一つのものを創っているんです。すべてのものが動くとき、何かを創り出しているんです」。
 監督の目には、ものが動くときすべて何かが生まれ、世の中がクリエィティブに華やぐ。なんと密度の濃い豊かな世界。だからこそ作品は、マフマルバフ監督ならではの、どこかトリッキーで天才的な構成となる。観る者が常に能動的に思考し続けながら観ざるを得ず、常に裏切られ続け、驚かされてしまう作品だ。そして、その根底に深い愛情があるから惹セひソかれてしまう。
 監督は、イランの詩人の愛の詩を紹介してくれた。
「ある作家が乾いた砂漠にいた。すると愛の雨が降ってきて、作家の足は泥(愛)の中に埋まった」。作家は、厳しい現実の中でも愛の雨を降らせるのである。マフマルバフ監督は、これからも未知なる驚きに満ちた愛の雨を降らし続けてくれるだろう。
「パンと植木鉢」96年イラン・フランス合作78分
「ギャベ」96年イラン・フランス合作73分
★7月22日より三百人劇場で同時上映(完全入替制)

 

マフマルバフ監督

 

ギャベ

 

パンと植木鉢

 

チュンと家族
不機嫌なムードのなかを浮遊する少年

竹内牧子


 予備知識なしで映画を見るのを以って主義とする方々も、この作品をご覧になる前に「八家将」について少しばかり情報を仕入れておいたほうがいいかもしれない。
「八家将」とは、台湾の民間信仰の儀式の一つ。京劇様の独特な衣装と化粧を身に纏セまとソい、ときには自らを傷つけ血を流して神を呼ぶ。さまざまな災難を払うものとして、人々の大きな信仰と尊敬を集めている、台湾の民俗文化である。
主人公チュンは、崩壊した家族に幸せをと、母の勧めでこの「八家将」のグループに入る。月明かりの中、独特の化粧を施した一団が、鈍く光る大振りの刀で、自らを斬りつける様はあまりにエキゾチックで異様ですらある。しかし、八家将はチュンを取り巻く不機嫌な状況の一つに過ぎないと次第にわかってくる。願を懸けて入った八家将だが、チュンと家族に安らぎを与えてはくれなかった。家族は相変わらず、バラバラなまま。さらには、仲間との抗争に巻き込まれて行くチュン。気持ちが通じていた祖父の突然の死。「飼っていたハトを逃がせ」との祖父の遺言をなぞるかのように、八家将を辞めることにしたチュン。
作品中に効果的に流れるエレキ・ギターの旋律は、チュンの胸中にある息苦しさ、不機嫌さを代弁しているかのようである。チャン・ツォーチ監督は、かつてホウ・シャオシェン監督の助監督を務めていたが、名作「風櫃の少年」にも見られた少年の苦悩、挫折感が伝わってくる。しかし、全てを通り過ぎてきたチュンがこれからどうなるのか、示唆すらされず、ラストで取り残されたような物足りなさを感じてしまうのも否定できない。
チャン・ツォーチ監督はこの作品の三年後に撮った「最愛の夏」(Darkness & Light)でその才能を開花させ、昨年の東京国際映画祭グランプリを獲得した。今後もその活躍が大いに期待される台湾の若手映画人といえるだろう。
■ストーリー
チュンの両親は別居中。彼は時々、飲んだくれのタクシー運転手の父のもとへ生活費を貰いに行かなければならない。弟には知的障害があり、義理の姉は父親にレイプされたことで家を出て、やくざと暮らしている。姉の同棲相手は自虐的な宗教儀式「八家将」を行うグループの一員でもある。家族に幸せをもたらすようにと、信心深い母の意でこのグループに入ったチュンは、いつしか暴力の世界に足を踏み入れてゆく。
チュンと家族
96年/台湾/98分
監督・脚本■チャン・ツォーチ
   出演■リュウ・シュンチョン、チョー・ショーミン
第22回ぴあフィルムフェスティバルにて上映7月6日(木)

 

 

FOREVER FEVER
フォーエバー★フィーバー
70年代、シンガポールの青春ダンスロマン!!

小野妙子


 青春。この言葉に人はそれぞれ特別な思いを持っている。夢をがむしゃらに追いかけて、成功や挫折、出会いを経験する。そんな青春の日々は、後になって振り返ると、人生の中で際立った輝きに変わっている。
 映画『フォーエバー★フィーバー』の舞台は一九七七年のシンガポール。世界はディスコブームの真っ只中。主人公、ホックはスーパーマーケットで働く、ブルース・リー好きの青年。彼はスーパーマーケットの支配人からはいつもガミガミ怒られ、家では両親にブツブツ文句をいわれている。そんな平凡で変化のない毎日に嫌気がさしてきたある日、友達の付き合いで仕方なくある一本の映画を観た。それは、「フォーエバー・フィーバー」(「サタデー・ナイト・フィーバー」そっくりの映画)という話題の映画で、彼はその中のトニー(ジョン・トラボルタの偽もの!)にすっかり魅了されてしまう。そして、彼は5000ドルの賞金がもらえるダンス大会があることを思い出す。それに優勝して賞金を獲得すれば、憧れのバイクを買うことができる。さっそく、幼馴染みのメイとダンス教室に通いだす。彼はバイクが欲しい一心でどんどん上達していく。ところが、ライバルの嫌がらせで仕事をクビになったり、憧れのジュリーにダンス大会のパートナーになって欲しいと言われたり、さまざな問題に直面する。そんな中で、ホックはスクリーンから飛び出してきた、トニーのアドバイスを受けてダンスコンテストを迎える。ようやくそれが終わった時、彼は本当に大切なことに気がつくのだった。
 この映画の注目すべき魅力は、個性豊かな脇役の存在である。ホックの妹は、恋愛小説の世界にどっぷり浸かって、一日中、主人公になりきっている。医学生の弟は「女になりたい」と突然、家族に告白する。私の一番のお気に入りは、ダンス教室のインチキくさい先生である。レッスンの最後に彼が言う「今日の格言」は洒落ている。「シェイクすればこの世は天国!」
 監督は、本作品が映画初監督のグレン・ゴーイ。自らの十代の頃を振り返り、脚本を書き上げた。主人公のホックを演じたのは、イギリスの映画・テレビ・舞台などで活躍しているエイドリアン・パン。彼以外はシンガポールで演技経験の浅い人ばかりを集めたという。そのせいか、登場人物たちに親近感を感じる。シンガポールでは過去数十年間、ほんの一握りの映画しか作られていないという。だから、この映画が新しい風を吹き込んだというのは間違いない。
 映画の舞台の一九七七年は、世界中がディスコブームで盛り上がっていた時代。サウンドトラックはすべて当時のヒット曲をカバーしている。その頃を知っている人は懐かしくてたまらないだろう。知らない私も気がつけば足が自然とリズムを取っていた。映画が終わったときには、体がウズウズしている。きっと映画館で踊りだす人もでてくるのではないだろうか!?


一九九八年/シンガポール映画/九五分
監督・製作・脚本■グレン・ゴーイ
出演■エイドリアン・パン/メダリン・タン/アナベル・フランシス

七月八日より恵比寿ガーデンシネマにてロードショー/全国順次公開予定

 

 

香港映画

片恋こそ至上の愛

竹内牧子

 

 片恋は、もしかしたらすべての恋愛の中で最も美しく強いものなのかもしれない。相手に受け容れられないのを承知の恋だから、見返りも期待しないし打算もない。ハッピーエンドの後の愛し愛される関係は、実は、ちらつく崩壊の影と戦いながら維持されるもの、とも言える。ときには愛情というより善意によって。片想いは、相手に想いが通じるか長い時をかけて想いが萎えるまで、凛とした緊張感と純粋さとを伴って、深く強く持続する。
 想いを相手に伝えることさえできない片恋もある。ここに一人の男に熱い視線を送る二人の男がいる。クー・ユールン演じるプール監視員の美青年・ジェと、エリック・ツァン演じる人のよい中年のビジネスマン・トン。二人は、新婚の男ワイに心惹かれ、それぞれの方法で片恋の相手に接近する。美しい容貌で周囲を魅了しているのに、ワイ以外の対象物にはまったく無関心・無気力なジェ。ジェは、ワイの妻ムーンの体を通してワイのぬくもりを感じようとするかのように、ムーンと関係を持つ。尋常ではないが、ジェの想いの深さは伝わってくる。クー・ユールンの妖艶さと言ったら!「恋恋風塵」で味の素や歯磨き粉をつまみ食いしていたいたずら小僧が、いつの間にこんなにもエロチックで憂いを帯びた美青年に成長したのかと、目を見張ってしまった。
 一方、トンは突然事故で妻ムーンを亡くし悲しみにくれるワイを元気づけようと、住み替えの提案をしたり、飲みに誘ったり、手料理でもてなしたり、あれこれ気を配る。まさに、無償の愛。二人とも、ワイへの想いを打ち明けることが容易にできない。
 本作は、スタンリー・クワン監督のゲイ・カミングアウト後の、第一作目にあたる。ジェに自身の姿を、ワイとムーンに恋人との関係を投影させたと語っている。そしてもう一つ、彼が作品に込めたテーマ、それは香港人なら誰にとっても一大事であったであろう香港返還≠ナある。作品のラストで切なく流れる詩がある。永遠に美しいものに触れることができない。君を愛し続けて何の意味がある。抱きしめてもむなしくさせるだけ……=B香港返還は、彼にとって成就することなく朝露のように消え去った恋のようなものだったのだろうか。すべての香港人に、それぞれに固有の返還ストーリーがある。
■ストーリー
 新婚のワイとムーン。夫・ワイは、ムーンの呼びかけにも上の空。そんなワイにムーンは寂しさを感じている。一方、プール監視員・ジェは、そこに通うワイに心惹かれ、毎日彼を見つめている。ふとしたことから出逢ったジェとムーンは、満たされぬ想いを埋め合うかのようにお互いを求めあう。が、不幸にもムーンは飛行機事故で命を落とす。ムーンを亡くし、あらためて妻への想いに気づくワイ。地下鉄のホームに一人佇むワイに目をとめた男・トンも、やがて彼に想いを寄せるようになる。ワイへの想いを振り切るかのように台湾に戻ったジェはそこで、ムーンに似た女・ローザと出逢う……
93分/97年 香港映画
監督■スタンリー・クワン
出演■チンミー・ヤウ、クー・ユールン、サニー・チャン、エリック・ツァン
9月中旬よりシネマスクエアとうきゅうにてロードショー

 

 

細路祥
香港・日本映画
下町の少年が見た香港返還とは……
フルーツ・チャン監督の香港返還三部作・完結編

小野妙子

 

 映画「リトル・チュン」のことを考えていたとき、子供の頃に秘密基地を持っていたことを思い出した。マンションの屋上の隅や貯水タンクの裏など大人に見つかりにくい、小さなスペースが隠れ家だった。友達とそこで遊ぶことは、自分達だけの世界にいるような気がして心が躍った。「リトル・チュン」の主人公の少年チュンも女友達のファンと二人だけの秘密を楽しんでいる。大嫌いなやくざのデビットに特製カクテル(おしっこ入り)を出前したり、父親に勘当された兄を内緒で探し始める。おそらく、子供にとって大人が知らない秘密を持つことが冒険であり、スリルなのだ。
 しかし、二人の楽しい日々にも終りがくる。ファンは不法移民の子で、「七月一日になれば香港の住民になれる」と楽しみにしていた。しかし、香港返還を目前にしてファンの家族は容赦なく強制送還されてしまう。
 もう一つ、チュンとの関係で欠かせない存在がある。それは、チュンの名付け親のおばあちゃんである。チュンとは香港の大スター「ブラザー・チュン」からとっている。「ブラザー・チュン」とは、舞台、映画で大活躍していた実在するスターだが、一九九七年の返還の直前に死んでしまった。おばあちゃんは、元女優で「ブラザー・チュン」と共演したことがあり、彼に特別な思いを持っている。そのような愛情が含まれているからか、チュンとおばあちゃんが並んでいる姿は微笑ましい。母親とはまた違った強いつながりのようなものを感じる。
「リトル・チュン」は香港返還三部作、「メイド・イン・ホンコン」「花火降る夏」の完結編である。香港返還を三つのテーマでとらえて映画を作り上げたフルーツ・チャン監督。彼の豊かな表現力と作品を生み出したエネルギーは彼の奥底で積もっていたものが噴出したように力が漲っている。歴史が大きく変わるとき、テレビや新聞では国の代表や有名な学者達が登場し注目される。しかし、歴史の真の主人公は、そこに暮らす人々なのだと三部作を通して強く感じた。

■ストーリー
 香港の下町に住むチュンは九歳の少年。父が営む食堂を手伝い、ヤクザ、売春宿、棺桶屋の出前先でチップをもらってお金を稼いでいる。チュンは九歳にしてお金がすべてだと悟っているのだ。そんな時、食堂の求人広告を見て、チュンと同じ年頃の少女が雇ってほしいとやって来た。チュンはその少女が気になって追いかける。また、近頃チュンのおばあちゃんは、大スター「ブラザー・チュン」の病気が気になってテレビに釘付けだ。ある時、おばあちゃんは裏社会に入り、父に勘当された兄の写真をチュンに見せる。チュンはその写真を手がかりに兄を探し始める……
1999年/香港・日本(NHK)/115分
監督・脚本■フルーツ・チャン
   出演■ユイ・ユエミン/マク・ワイファン
2000年ロカルノ国際映画祭正式出品
2000年香港金像奨7部門ノミネート
ユーロスペースにて9月9日公開予定/全国順次公開予定

 

 

極上の音、色、形で綴られた
映像詩

竹内牧子

 

 ありすぎて、見えすぎて、かえって本質が何ひとつわかっていない。そんな、持てる不幸とでも言うべき世界に私たちは生きている。モノも情報もあり余るほど持っている。けれど、そのどれか一つがなくなっても気づかないかもしれない。どんな顔つきをしていたかさえ覚えていないかもしれない。
 主人公の盲目の少年コルシッドは、音だけの世界にいる。だから、彼には音が人生のすべて。音から一部始終を理解する。ずらり並んだパン売りの列から美味しいパンの音を聞き分ける。蜂の羽音から、いい蜜をくれる蜂かを感じ取る。きれいな音を、すばらしい音色を本能的に追い求めている。彼にとっては、ドアをノックする音も、金物職人が鍋を叩く音も、音楽になる。それはいつしかベートーベンの交響曲第五番「運命」に変わっていく。イランの伝統楽器セタール、ウード、サントゥールなどの弦楽器で幻想的かつ情熱的に奏でられる「運命」は忘れがたい響きを醸し出している。
 コルシッドの耳を通して豊かな響きを聴かせるだけでなく、マフマルバフ監督は極上の映像を添えて、作品を叙情詩に仕上げている。色彩鮮やかなイラン女性の伝統衣装、水と緑が清々しい田園風景、あらゆる物が取り引きされる広い広いマーケット。これらイランのありふれた日常風景が監督の手にかかると、味わい深く新鮮に目に飛び込んでくる。とりわけコルシッドが伝統楽器を調律する、その調べに合わせて美少女ナデレーが舞を舞うシーンは秀逸だ。赤い大粒のさくらんぼを耳に引っ掛けイヤリング、ピンクの花びらを爪に載せマニキュア。ティファニーのアクセサリーも、青山の一指数千円のネイルアートもかないはしない、唯一無二の究極のお洒落。時間が止まってしまいそうな幻想的な光景に、すうっと引き込まれそうになる。残念なことに、この場面は女性の描写に厳しい制限を設けているイランでは物議をかもし、この作品を国内上映禁止に至らしめることになってしまったのだが。
 そしてもうひとつ、この作品には秘められた魔法があった。コルシッドを演じたタハミネー・ノルマトワは実は女の子であったのだ。彼女は監督が偶然見つけた物乞いの少女。監督もスタッフも撮影終了後までその事実に気づかなかったという。彼女が演じたコルシッドには、少女が女になる前に放つ一瞬の輝きがある。輝く金髪、伏せた長い睫毛が落とす陰影、桃色の唇。彼女自身も気づいていない、儚セはかソげセなソで他を魅了してやまない美しさ。「マイ・ライフ・アズ・ア・ドック」のサッカーの上手い美少女や、「アリスの恋」の小生意気な一三歳のジョディ・フォスターもそうだった。ノルマトワの輝きがマフマルバフの映像にさらに彩りを与えたといえるだろう。
■ストーリー
 一〇歳の少年コルシッド。盲目の彼は伝統楽器の調律師の弟子として働き、戦争でロシアに行ったきり戻ってこない父親の代わりに家計を助けている。彼は並外れた聴覚を持ち、パンや果物、蜂の羽音、あらゆるものの音を感じ取ることができた。街に溢れる音楽に魅せられ、惹セひソき寄せられ、仕事に遅れて親方に怒鳴られることもしばしば。そんな彼を支える一番の理解者は美少女ナデレー。ある日、コルシッドはすばらしい音色を奏でる音楽師を追って、またも仕事に遅れ親方を怒らせる。そんな折、家賃の支払い期限が過ぎ、コルシッド親子は家を追い出されてしまう。途方にくれるコルシッド、そして……
98年イラン・仏・タジキスタン76分
監督・脚本・編集■モフセン・マフマルバフ
      出演■タハミネー・ノルマトワ、ナデレー・アブデラーイェワ、ゴルビビ・ジアドラーイェワ、ハケム・ガッセム
11月上旬よりシブヤ・シネマ・ソサエティにてロードショー

 

 

韓国・日本映画

イ・チャンドン監督に聞く
「この20年間の韓国人の人生を撮りたいと思いました」

多賀谷浩子

 


「この20年間の韓国人の人生を撮りたいと思いました」
 見るものの胸に何かを思い起こさせる、あまりにも切ない映画。主人公は、冒頭のシーンで、人生のすべてに行き詰まり、線路の上で向かってくる列車の前に立ちはだかる。その男、キム・ヨンホが「人生が美しかった頃に戻りたい」という痛切な思いから、現在(一九九九年)を出発点に、一九七九年までの二〇年間を遡る時間旅行の物語である。||キム・ヨンホの時間旅行は、この二〇年間の韓国の歴史を振り返る旅でもあると思うのですが、監督にとって「韓国らしさ」とは何でしょうか。日本でいう歌舞伎や京都などのシンボル的なものでなく、私たちが生きている現代における「韓国らしさ」とは何でしょう。
イ・チャンドン監督●それは、私も考え続けている問いです。たしかに、歴史的建造物など過去に「韓国らしかったもの」の「らしさ」は時の流れとともに変わっていきますよね。思うに、韓国らしさというのは、空間ではなく、韓国人そのものなのではないでしょうか。外国に来て、その国の人とふれあうと、その国に来たなという感じを受けますし、そこで「らしさ」を感じます。『ペパーミント・キャンディ』を撮ったのは、この二〇年間の韓国人の人生を撮りたいと思ったからなのです。
||キム・ヨンホは辛い現在から三日前、五年前……と人生を遡り、初恋に辿り着きますね。
●ラスト・シーンは時間旅行の終着駅と考えました。ひとりの人間が人生の中でもっとも美しい時は、初恋の瞬間だと思うのです。初めてだれかを愛し愛された時、新しい人生が始まるような気がします。まわりの風景が、それまでとまったく違って感じられるのです。
 この映画は初恋のシーン、つまり主人公がもっとも幸せだった時で終わります。このラスト・シーンを私は観客、特に二〇代の若い観客に委ねたいのです。観客のひとりひとりが、このラスト・シーンの続きを歩んでいってほしいと思います。この後、幸せになるかどうかは、観客の皆さんが選べるのですから。

 あなたの人生の最も美しい時は、初恋のとき?それともこれから?「ペパーミントキャンディ」はそんな、人生を考えさせてくれる映画だ。この秋、キネカ大森などで公開される。期待しよう!

「ペパーミントキャンディ」
日本・韓国1999年
主演■ソル・ギョング


公開●10月21日よりキネカ大森にて公開

 

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