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アジアの文字
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ハングル ペルシャ語・アラビア文字 奮戦記   文・イラスト内澤旬子
その4
韓国
ハングル文字
秘技ハングル文字瞬間会得法
●天下御免の合理性
 今から十ウン年前、大学の第三外国語で朝鮮語を履修した理由は、大好きな日本の作家の生まれ故郷が韓国の仏教寺院だったから、韓国に旅行してみたいな、ちょっとした
会話ができるようになれたらいいな、というじつにユルイものだった。
 そんなわけでハングル文字とご対面したときはびっくりした。あんまりにも幾何学的なので。文字ってもっとこう、くねくねしたものじゃないの??★ 縦線に横線、マルに三角……どうやら現地ではこんなハングル文字の洪水らしい。この抽象的な記号のような文字についていけるんだろうかワタクシは……。ワタクシだけではなく、集まった生徒全員の顔が曇る。
 先生はにやりと笑って「こうして覚えればいいんだ」と言うと、するするとハングル文字を分解して、秘技ハングル文字会得法を伝授してくださったんである。
 ところで、世界の文字のなかでも、ハングル文字の歴史はとても浅い。李王朝四代目の世宗大王が学者たちに命じて作らせ、一四四六年に公布された。当時は漢字が唯一の表記手段だったので、漢字を十分に使いこなすことができない民衆が、手紙のやりとりや政府に何かを訴えることができるようにという意図で作られた。
 当時から多少の変遷があるものの、ハングル文字は母音と子音から成る表音文字。日本の仮名文字のように漢字をもとにしてアレンジされたものではない。子音が一四種、母音が一〇種、これの組み合わせによって一四〇種の文字ができる……となれば話は単純なのだが、母音どうしを組み合わせてできる合成母音があと一一種、子音同士を重ねて作るつまった音をあらわす子音があと五種、さらに一文字が子音・母音の二つで構成される以外に、子音・母音・子音の三つ、子音・母音・子音・子音の四つで構成される文字もたくさん登場するわけで、一文字としてかぞえる文字は、いろいろな組み合わせ方がありすぎて、三桁で済む話ではない。まあ、よく使う文字はそれほど多くはないんだけれども。
 もちろん千いくつもの文字は、二四のエッセンスさえ覚えればたちどころに読めるようになるはず(細かく言えば文字と文字のつながりで子音の発音が変化する法則をおぼえなければならないんだけれど)。簡単っちゃあ簡単なんだけれど……。「今日からこの四角はMをあらわす子音です」などと言われても、凡な頭ではなかなかついていけない。そのとき先生が教えて下さった会得法というのがなかなかすごかった。
 まず先生は黒板に五つの子音を横に並べて書いた。そしてそれぞれの上に、人間の口蓋からのどにかけての断面図を書いていく。
「この  というのはkと発音するんだが、口の奥で舌の根っこを口蓋につけているだろう。自分で言ってみなさい。ね。だからそのかたちをとって★ になる。それに線を一つ加えると激音といっておなじKという音を、息を吐きながら発音するんだ」
「   はMで唇を使う音だから唇のかたち。これに縦線を加えてPもしくはB、横線を加えてPの激音となる。どれも唇を使う音だろう」
 目から鱗が何枚落ちたことか。生きててその日までワタクシは自分が口のどこを使うとどんな音を発音するかなんてことを考えたことがなかったんである。考えなくたって日本語喋るのに不自由したことがなかったんである。ホントだ、Kは舌の根っこが上に上がるよ。Sは歯に舌を近づけて息を入れてるよ。うわー。しかもそれをかたどるか。なんと合理的に考えた文字なのだろう。とまあ、感動しているうちにいつのまにか全ての子音を覚え、惰性で母音をその日のうちにマスターしてしまったのであった。
 覚えてしまえば読めない文字が読める快感、それはそれは気持ちよく、ソウルに行ったときは辞書を片手にメニューに看板、バスに地下鉄、なんでも読みまくって喜んだのであった。いや、聞き取りとしゃべりは上達しなかったんだけどさ。
 あれからずうううっと、知り合いがソウルに行くと聞くたびに、手書きのハングル文字講座を(もちろん口の形の図解入りで)ジイーコロロロとファクスし、「簡単だからぜったい覚えた方がいい」と洗脳し続けてきたのであった。いやホントに。漢字表記はもうほとんどないし、タイと違って案外ローマ字表記がないもんだから、言葉ができなくても、覚えていた方が絶対便利なのだ。
陰陽五行の宇宙観を早打ち…?
 ところでハングル文字会得法は、「訓民正音」という書物になっている。文字を作らせた世宗が新しい文字を広めようと使い方などをしるしたものだ。実はこの「訓民正音」にはハングル文字の背後にある哲学までもがしるされている。
「天地の間にあるすべての生類は、陰陽を捨てて何処に存在するや。故に、ひとの声音もみな陰陽の理が有る。(中略)ここに正音(ハングル文字のこと)を作ったが、初めから智をもって探しあてたものではない。ただ、喉の声音をもとに、それを極めたにすぎない」韓国の国旗にもかたどられている、陰陽五行思想だ。日本思想の中にも深く浸透している。これがハングル文字にも反映されているのだ。基本子音の五種はそれぞれ五行、すなわち水、木、火、金、土と関連づけられ、さらに母音字の基本要素となる縦線、横線、点(現在は短い線で表される)は立っている人、平らな大地、丸い天をかたどり、線と天との位置関係などで、母音は陰と陽に分かれる。これを利用した易占いもあるそうなので、興味のある方はどうぞ「訓民正音」をお読みください。
 そんなの後からこじつけたんじゃないのぉ? とツッコミを入れたくなるところだが、文字の公布とともに同時刊行された書物にしるされているのだから疑いようもない。世界的に見てもここまで合理的でかつ、作り方のセオリーがはっきりわかっている文字は少ないんだそうだ。
 過激にも思えるくらい漢字表記を減らすなど(ハングルだけで書くと、漢語の同音異義語が多くて大変なんだが)、韓国と北朝鮮はハングル文字を民族の誇りにし、重用しているのだが、それにはこういった思想との関連もあったのだ。我々日本人は、ひらがなの由来からしてそれほど民族的な誇りを感じることができない(別に卑下してるわけじゃないけど)わけで、むしろ脳が馴染んで来た表意文字(‖漢字)の便利さや趣をそんなに簡単に捨てていいのかと、余計なお世話だけど心配になる。
 さあ、新宿あたりのPCバン(韓国式ネットカフェのこと)に行って韓国人にパソコンを打つところを見せて貰おう。これが早いなんてもんじゃない。機関銃のように打つ。新聞ですらも横組みに完全移行したから画面上の横組みに何の抵抗もなく(ハングル創出期から近代まではずっと縦書きだった)、漢字変換もしない(世代によって漢字教育の水準がさまざまで自分の名前の漢字までわからない人がいたりと問題にはなっている)のだから、日本語よりも全然デジタルの世界に適応しているのだ。文字素が単純なこともあって書体も豊富だ。世宗大王が見たら仰天するだろうか、あんがい大喜びするかもしれないなあ。
(参考文献◆『韓国言語風景』渡辺吉鎔/岩波書店◇『ハングルの世界』金両基/中央公論社◇『朝鮮語のすすめ』渡辺吉鎔+鈴木孝夫/講談社)

西アジア
アラビア文字
ペルシャ語・アラビア文字
三重苦ものがたり

●ペルシャ語を習ってはみたものの
──華麗な崩しで読めない、読めない……

 三年前からペルシャ語を習い始めた。読めない文字が読めるようになる、ハングルで得た快感をもう一度手に入れたいと、妙な色気を出したのが運のつき。これが一向に上達しない。文字を覚えるのに三カ月はかかった。ハングル文字修得から一〇年の月日が経ち、脳が硬化したこともある。仕事の合間ってこともある。しかし理由はそれだけではない。ハングルみたいな理屈がないのだ。理屈が。
 なにしろペルシャ語の書き文字はアラビア文字。三世紀頃にアラビア半島で祖型ができ、七世紀以降イスラム教と共に広まった文字だ。現在アラビア語の他、いくつか文字を作り足してペルシャ語、ウルドゥ語にアフガン語の表記に使われている。ペルシャ語の場合はアラビア文字二八字に四字加えて三二文字だ。数はたいしたことないけれど、同じとしか思えない子音字がいくつもあるわ、どれも書きにくいわ、極めつけに文字と文字をつなげて書くために語頭、語中、語尾、独立と、一文字が四種も変形する。
 凍豆腐なみの脳にムチ打ち、牛の涎のようにダラダラと学び続けた結果、それでも辞書さえあれば文章が読めるようにはなったんである。えへん。
 英語表記が極端に少ないイラン、今こそは往生する外国人観光客をしり目にブイブイ歩いたるでえ、と意気込んでテヘランはメヘラバード空港に降り立ったのだった。
 ところが。「れ、れ?れ?」……読めない。読めないんである。アラビア文字、ペルシャ語はそんなに甘いもんじゃなかったのだ。
 平たく話せば理由は二つ。一つは短母音が表記されないこと。KTABとしか書いてないの。ケターブなのか、クターブなのか、コターブなのか、あらかじめその単語を知らないと読めないんである。そんなん文字って言えるんかあっ、とちゃぶ台の一つもひっくり返したくなる。だけど日本語だって「長谷川鮨」を「はせがわずし」って読むの、難しいからなあ……。これ、わかってはいたんだけど、いざテヘランに溢れる看板を目にすると、知らない単語ばっかりで……(涙)。それに日常見てるワケじゃないから瞬間にコトバとして目が認識してくれない。数秒かかっちゃう。ならば勉強不足を補うべく、路傍で辞書を開けばいい。ソウルでもそうして薬屋とか、ミシンとか、すぐにいろいろ読めるようになったじゃないの。ところが……。
 問題は二つ目の理由、「書体」なんである。ペルシャ語の教科書や辞書、新聞などに使われている書体、ナスヒー書体という。まあ明朝体みたいなもんだ、ユニコードにも入ってるし、マックのランゲージキットにも入ってる。そいつを三年間読み続けてきた。どっこい本場にゃそれからかけ離れた書体が鬼のようにあったのだ。同じ文字とは思えない崩しっぷり。主犯はナスタリーク書体。ほら、日本でも鰻屋とか、崩し字で書いてあるじゃないですか。あれです、あれ。あんな感じ。市街の文字の五割が草書体で埋め尽くされていると考えて下さい。道路名表示もナスタリーク書体。パキスタンでは新聞すらもナスタリーク書体だという噂もある……。辞書を開こうにも文字が流れちゃって判別できない。イランでは小学校でナスタリーク書体の授業があるとか。あるだろう、そりゃ。ちょっと勉強すれば読めるとも言うけれど……。ワタクシは呆然と路傍に立ちつくしたのであった。
 前に来たときは普通の文字も崩し字も、区別がつかないんでそんなことわからなかった。くすん。それにしても奔放に崩す。市街はビルの壁や塀など、いたるところカラフルな書き文字であふれている。形も色も洗練されてて、読みにくいけど、ホントーに美しい。
文通すらもままならぬ
多様な書体──書体家カリグラファーの存在

 イランにアラビアからイスラム教が入ってきたのが七世紀。当時の書体はクーフィー体という、ものすごく角張った書体。ぶっとい横線に刻みをつけただけのように見える。その後時代が下るに従い、モハガーク、ソース、ナスヒー、ナスタリーク、シェキャステと、数々の書体ができていく。アラビアの書体の変遷と呼応しているように思える。マシュハドのイマームレザー廟コーラン博物館の館長、キャフィリー女史の話によると、イランは中東世界の中でもコーランのもっとも美しい書体と装飾を発展させたんだそうだ。
 通常写本を作るのには製本家、装飾家、細密画家、ライン引き、製紙家、カリグラファーと、六人以上の専門職の手にかかる。カリグラファー以外の制作者たちの名前が写本に記されることはほとんどない。カリグラファーだけが書物に制作者として名前を残す。すべてではないが、聖職者が多かったようだ。マドレセ(神学校)では今もカリグラフィーの授業がカリキュラムに含まれている。キャフィリー女史は言う。「カリグラフィーは、アートワークではなくて、レリジャス(宗教)ワークなのです」
 もちろん日本だって宗教とシンクロした重々しい歴史を持つ書道がある。有名な書家もたくさんいる。しかし路傍や塀に経文みたいな流麗な筆文字が色とりどりのペンキで書かれたりするだろうか。ないよ。第一書かれてもだれも読めない。書家の字が登場するのはせいぜい時代劇のタイトルくらい。今の日本じゃ書道と看板やポスターの仕事とは、一億光年くらいの隔たりがある。イランで実際に看板や塀に文字を書く人はどんな人なんだろうか。まさか聖職者……?
 ようやく塀や壁に文字を書く人に会うことができたのは、テヘランに戻ってきてからだった。テヘラン南部、イスラム宣伝省が開いている芸術学校の一室。アバルファズル・ファルハンギーさんは、明日のムハンマド生誕記念日にそなえて道に張る垂れ幕を書いていた。下書きいっさいなしで、黄色い布に緑のペンキでさらさらと書いていく。ここでカリグラフィーを習って以来一五年。頼まれればビルの壁やガラスにも書くんだとか。使う書体は通常四つ。ナスタリークとナスク、シェキャステ、ソース。やっぱり写本と同じ書体だった。それから頼まれれば自分でオリジナル書体を作る。陰をつけたり、丸文字っぽくしたり。それらは総称してファンタジーと呼んでいるんだとか。お願いしたかったのは、すべての書体で同じ単語を書いてもらうこと。ファルハンギーさんは快くワタクシの図々しい野望を叶えるために、葦のペンを取りだし、スケッチブック一杯に書いてくださった。ゴレスターン。「薔薇園」とゆう、有名なペルシャ古典文学のタイトルだ。
 そうそう、さらに普通の人がボールペンなどで書き殴る文字というのもさらにさらに
解読困難である。独特の省略記号を用いるからだ。何度も「バー ハッテ メスレ ルーズナーメ/新聞みたいな文字で書いて下さい」とお願いしていた。みんなしばらくそんなかしこまった字を書いていないらしく、つっかえながら書いてくれたっけ……。ああ、いつになったらペルシャ文字を制覇できるのだらう。次回訪問までにはナスタリーク書体くらい読めるといいんだけどなあ。あ、ペルシャ語って文法は比較的カンタンなんで、片言喋るくらいなら大丈夫、ご興味のある方はぜひ恐れずに挑戦してみて下さい。
(参考文献◆『世界の文字』中西亮 松香堂)

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