山の連なるチベットの、道中の安全を祈る峠の石積み。オボで。       写真■五村亜里

 

晴れ晴れとしたトイレ      
          五村亜里
 チベットは空気が乾燥しているので、排泄物もすぐ乾いてそのままの形が長く残っている。ヤクの糞を燃料に使うのも、こうした気候風土のせいだ。チベットの都市部では外国人用にホテルなどでは水洗トイレもあるが、地方の山間部では露天の天然青空トイレ。ちょっとした村では、周囲が土壁の共同トイレがある。しかしここでも屋根はなく、昼は青空の下で、夜は星空を見上げながらの、空に恵まれた排泄となる。
 この土壁トイレ、土の階段を昇っていくやや高い構造になっている。五、六段上がると奥の方に、木の扉があり、中は半畳ほどの広さ。中央に楕円の穴が開いている。足元は床板の上にさらに土が盛ってある。土は斜めに踏み固められていて高く作られているためちょっと危なっかしい。
 トイレによってはかなり広いものもあり、排泄物が溜まると、それに土や砂をかけて新たに穴を掘る。乾燥した他人のものがいくつも重なっていく。紙も便も溶け合うことなく原型のまま残っていく。極端な乾燥のため、臭いはない。
 夜、澄んだ空に星を見上げながらのトイレは、清洌な感じさえする地球の屋根での排泄感を味わえる。

 

 

モンゴル式トイレ
森下和恵          
 モンゴル草原は、東西南北さえもわからない草の海。見渡す限り緑の草が広がっている。その草はどこまでも膝の高さほどだ。
 モンゴルには、普通トイレなとどいうものはない。ただこの草のなかでするしかないのである。極端に言えば草原全体がトイレ。広大なトイレである。実際ところどころに、羊や馬の糞が落ちている。乾燥が激しい草原地帯では、慣れてくるとそれらもあまり気にならない。
 モンゴル人たちは紙などを使わず、草で拭く。それも実際にはほとんど拭かないそう。食べ物のちがいからか便が水気を帯びていず、固まりで出てくるからだとか。猫や犬の糞をちょっと思い出す。
 しかし実際にこのモンゴル式青空草原トイレに慣れるまでは勇気がいった。
 特に最初の体験は鮮やか。バスは道なき道をずんずん草原に吸い込まれるように進んでいく。目の前が一瞬、真っ白い雲の塊のように見える。羊たちの群れが目の前の視界いっぱいに広がっていたのだ。バスのクラクションで一瞬にして雲の塊は散ってしまう。
 広大な草の海は時間の感覚も飲み込んでしまう。太陽は相変らず高々と昇っている。バスが突然停まって「何事か」と首を出すと、トイレ休憩。「トイレ」と言ったって見渡すかぎりの草原で、建物らしいものはなーんにもない。添乗員の一声。「では、バスを中心に右を女性、左を男性にしましょう」
 できるだけ遠くの、草の丈の高いところを探そうとしたが、草は計ったようにどこまでも膝の高さ。お尻はすれすれで隠れそうだが、顔は隠しようがない。時間が迫ってくる。思い切って屈んでみた。「うむ!」草がちょうどお尻をつつく。「どうしよう」破れかぶれで「エーイ」と気合いを入れてみるが、やはり出るものが出ない。緊張している。
 そのとき、幼いころお漏らししたときの夢が私の頭のなかに蘇った。夜の草原。緑の匂いに囲まれて。たった一人、草原のなかでそっとおしっこをしたあの快感||その感覚が蘇ったとき、少し中腰で、服につかない不安定な体勢をとりながら用を足すことができた。一瞬、すっと草の海を風が走り過ぎた気がした。すばらしく爽快な、不思議な気持ちがした。
 その後のモンゴルのトイレ休憩は、心地好い爽快さに変わった。ただ一つ、草がお尻をつんつんつつくのだけが気になったけれど……。
 あれ以来どうやら私もモンゴル式トイレの愛好家になってしまったようだ。

 

 

 

湖南長沙市中心街に停車して営業する公営トイレ・バス。小便は1角(約1.3円)、大便5角(約6.5円)。おじさんが一日中ひまそーにお客を待っている。            写真■中新井綾子

 

 

長距離バスで行く       
中国、トイレを巡る旅のススメ
旗家風生    
●街の社交場
 さまざまな気候風土と多数の民族を擁する広大な中国では、地方によって、排泄後の処理もおのずと異なってくる。用便後、水で体を浄めるインドや東南アジアとは異なり、乾燥地域の多い中国では、漢族を中心とする人たちは紙で拭くのが習慣だ。
 普通、中国の家庭にはトイレがない。集合住宅では各階か建物に一カ所、また住宅街で各ブロックごとに、男女別の公共トイレが設置されている。中国のトイレの基本はこうした公共トイレだ。ブースのしきりはあったりなかったり、扉はまずないといっていいだろう。郊外へ行くと屋根すらなかったりする。
 住宅街の公共トイレは、基本的に日頃なじみのご近所さん同士が利用する所なので無料。ズボンを下ろし、通路を向いてしゃがんだ人たちはなごやかによもやま話に花を咲かせている。こうした中に紛れ込んだ旅行者は、仕方なく、他人と目を合わせぬようにしてこそこそと用を足し、すみやかにその場を立ち去る。急いで立ち去らねばならない理由の一つは、服が臭くなるからである。
 建物の内部は、土間やコンクリートの床に単にいくつかの穴が開いただけものを基本パターンに、足を乗せる台やしきりの有無などでバリエーションが増えていく。穴の代わりに、床に幅二〇〜三〇センチ、深さ一メートルほどの溝が長く切られている場合もある。管理が行き届いていて快適だった例としては、その溝の中を一定時間ごとに自動的に水が流れ、排泄物を洗い流すというものがあった。また自動でなくとも、服務員さんがまめにバケツで水を流して掃除していれば大丈夫。これが水不足、管理不行き届きになればなるほど、頭の痛い状況になる。
●トイレ裏の恐怖
 さて排泄物の行き先だが、都会で下水システムがある程度整っている所は、おそらく処理場かどこかへ流れていくのだろうと思われるが、問題は水に流すわけにはいかない地域である。中には、東南アジアでよく見られるような浸透式のところもあるだろう。郊外でしばしば見られるのは、トイレの穴が傾斜してそのまま外へとつながり、要するにトイレ裏にうずたかく排泄物の山ができるパターンだ。乾燥によって総量は減っており、臭いなどもマシにはなっているのだろうが、初めて見るとなかなかショッキングな光景である。
 あるとき、雲南地方を移動中に泊まった旅社のトイレがやはりこの手であった。そのときは、夜半から大雨が降った。大雨だろうが夜半だろうが、トイレには行きたくなる。さほど状況を深く考えていなかった私は、懐中電灯を手にし、洗面器を傘代わりに外のトイレへ向かった。ところが、雨の中水をはね散らかしながらトイレ近くまで来ると、なんと、その一帯は巨大な湖と化し、トイレはすっかり水没しているではないか。次の瞬間恐ろしい認識が訪れた。この足元の水はもしや……。その後私が後も見ずに駆け戻り、雨の中適当に外で用を足したのはいうまでもない。その晩、旅社の客でトイレを使った人はおそらく一人もいなかったであろうと思う。
 このほか、上海のおまる「馬桶」、海南島の並列式豚便所、砂嵐に煙る砂漠のトイレ、チベット寺院の崖っぷちトイレなど、中国で出会った味わい深いトイレはまだまだたくさんある。
 中国でのディープなトイレ体験には、長距離バスの旅がおすすめだ。列車と違ってトイレがないバスは、行程の間にかならず休憩や宿泊を挟まなければならない。そして生理的欲求に突き動かされる乗客は、中国人であれ外国人であれ、いやおうなく、あの一つの空間を共有せざるを得ないのである。

 

中国のトイレ
高濱太郎
 中国のトイレはすごかった。特に内陸に行けば行くほど日本ではとても経験できないような様式のものがあります。まず基本的な形は中央に長い溝が掘ってあり、そこをまたいで用を足す形です。従って自分の前で用を足していた人のものが容易に?見ることができます。また扉はありません。僕ら友人の間ではこのような基本的な中国のトイレを「ニーハオ トイレ」と呼んでいました。
 傾斜のある建物の裏では、溝を流れたそれが溜まってウンコの海になっていたりします。
 また、隣の人とのしきりがあればまだましで、まったくしきりのないものも存在します。西域に旅行をしていたときのことですが、バスで移動中何回かトイレのために停車します。しかしこのときのトイレが概してひどい。しきりなどむろんなく、さもここでせよとばかり赤煉瓦で囲ってあるだけのものや、囲ってあればまだましでその辺で用を足せといわんばかりにただ土が持ってあるだけのものなど、およそ日本では考えられません。
 チベットに行くときもバスで移動したのですが、この時はトイレ休憩時に停車した周辺にはトイレの存在などどこにも感じませんでした。つまり用を足したければどこででも足せということで、だだっ広いクンルン山脈の高原の地で皆で用を足すわけです。生理現象にむろん打ち勝てるわけはなく、老若男女、国籍などは関係なくみな用を足すわけです。慣れとは恐ろしいものでこのような状況でも回を重ねるとあまり周りを気にしなくなっていきます。たしかに切迫しているわけですからそれどころではないのですけれども。郷に入っては郷に従えといいますが、しかしできればきれいなところで落ち着いて用を足したいものです。



 

 

アジアウェーブ 44号より

まだまだアジアのトイレのおもしろい記事は続きます。その2その3その4も見てください

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