
パレスチナ自治区ガザで、イスラエル軍の監視所に向けて石を投げる少年たち

エルサレム旧市街ダマスカス門前で、イスラエル軍の厳重な警備の中、金曜礼拝を行なうパレスチナ人たち

ヨルダン河西岸パレスチナ自治区ラマッラで開かれた衝突の犠牲者の葬儀で、覆面姿で銃をかかげるパレスチナ解放機構PLO主流派ファタハの民兵

パレスチナ自治区ガザの中心部で開かれた反イスラエル集会

ヨルダン河西岸ラマッラで、パンを売るパレスチナ人。1個1シェケル(約30円)
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この文を書いている十一月一五日現在、九月末に始まったパレスチナ人とイスラエル軍の衝突は沈静化の気配はなく、パレスチナ自治区各地で流血が続いている。早期に終結するメドも見えてこない。そんな騒乱のさなかの十月から十一月、パレスチナで出会った普通の人たちを通じて、パレスチナのイメージを紹介してみたい。
●開放感と「監獄」 ガザと西岸
パレスチナ自治区がある西岸とガザは車で一時間半ほどの距離があり、しかもパレスチナ人はイスラエル側の規制で相互の行き来が容易ではない。この距離がそれぞれの住民に独特の気質を育てているように見える。
概して、ガザは「保守的」で、ヨルダン川西岸は「開放的」といわれる。キリスト教徒が比較的多い西岸に比べ、ガザはイスラム教徒がほとんどを占めることが影響している。ガザには、映画館はなく、酒を飲める場所も数えるほどしかないのに対し、キリスト教徒が多い西岸のラマッラは、常時アメリカ映画を上映する映画館もいくつかあり、酒屋も多い。そんな西岸の人間は時々「ガザは貧しい」とやや見下したような言い方をすることがある。
三六〇平方キロの面積に約一〇〇万人がひしめき、その実に七割が難民キャンプの住人というのがガザの実情だ。西岸の人間が、西岸内やイスラエル内を比較的自由に行き来できるのに比べ、ガザ地区は基本的に北部にあるエレズ検問所を通じてしかイスラエル側へ出られない。「我々は大きな監獄で暮らしてるんだ」||パレスチナ自治警察職員のO氏は、そう言う。
●宗教と酒
ヨルダン川西岸ラマッラでは、パレスチナ唯一のビール「タイベ」が製造されている。製造主はキリスト教徒で、酒が禁忌のイスラム教徒の反感は根強いというが、「タイベ」ビールはエルサレムのユダヤ人地区でも店先に並ぶほど、ポピュラーなビールになっている。ガザでは、今回の騒乱中、イスラム原理主義組織ハマスのメンバーが、酒を提供するホテルやバーを焼き撃ちする、という事件があった。
そんなガザでは、酒は慎重に扱うべきものなのだ、と思い知らされる事件があった。 ガザ滞在中に、密かにエルサレムから缶ビールを大量に持ち込み、ホテルで少しずつ飲んでいた。そして、ガザを一度出る、ということになり、残ったビールを今度来たときにまた飲めるように、と知人のパレスチナ人ジャーナリストA氏(35歳)の事務所に一時置かせてほしい、と頼んだところ「イスラム教は、酒にさわることすら禁じている。勘弁してくれ」と断られた。それでも、重ねて頼み込んだところ、しぶしぶ了解してくれたので、ビールを託してガザを後にした。その翌日のことだ。
十月十二日、イスラエル軍は、西岸ラマッラでイスラエル軍兵士二人がパレスチナ人にリンチされ殺されたことへの報復として、ガザのパレスチナ自治政府施設などをミサイル攻撃した。その時、A氏はたまたま、ガザ港で取材中で、イスラエルのヘリが放ったミサイルがA氏の数十メートル先に落ちた。その上、翌日、ハマスのメンバーが、元酒屋が入っていたアパートを焼き撃ち、建物の二階に住むA氏宅も被害を受け、一時焼け出された。後で聞いたところでは、彼は、「酒を事務所に隠したことが、神の怒りにふれた」と感じていたらしい。酒を無理に預かってもらったことを後悔するとともに、ガザの人の信仰深さに触れた。彼にはその後謝って、一応の「許し」を得た。
●生活への絶望と殉教精神
イスラエル軍とパレスチナ人の衝突現場に何度も足を運んだ。石や火炎瓶を投げているのは、ほとんどが若者だ。中には一〇歳前後の少年もいる。イスラエル側は「組織的に少年を送り込んで国際世論の同情を訴えている」と批判するが、印象では、少年たちはだれかに命じられて石を投げているとも、思えなかった。
では、子供たちは死の危険を冒して、なぜ石を投げ続けるのか。一つは、イスラム教の「殉教」精神にあると思う。イスラエルに対する「聖戦(ジハード)」で死んだ者は「殉教者(シャヒード)」になり天国へいける、と考える。石を投げている子供たちに「なぜ石を投げるの」聞いても「殉教者になりたいから」という答えが次々と返ってくる。現代の日本人の感覚からは理解しがたいものだが。
もう一つは、現実の生活への絶望だ。ガザの衝突現場で火炎瓶を投げていた無職のM氏(21歳)は、家庭の財政事情で大学を中退、職を探しても、見つからない。イスラム教の聖地である「エルサレム奪回のためなら、危険なんて関係ない」と毎日、衝突現場に来ていた。もし、パレスチナ人たちが経済的にもう少し満たされていれば、今回の状況も違っていたのではないか。
●パレスチナ人はがめつい?
「パレスチナ人はしたたかだ」とよく言われる。イスラエル建国によって離散を余儀なくされた歴史がパレスチナ人に、どんな場所でも生きていく術を教えたのかもしれない。 エジプト人の知人は言う。「パレスチナ人は金儲けがうまい」と。エジプトに暮らすパレスチナ人の中には、事業などで成功している人間が多く、そうしたことへの「羨望」と「妬み」があるように思う。パレスチナ人と同じ「アラブ人」であるアラブの国々の人々の心には、パレスチナ人への同情、共感がある一方で、こうした反感のようなものがあるのも事実だ。
実際にパレスチナ人はがめついのか。もちろん統計などないが、エジプトとパレスチナでタクシーに乗って、料金を払う時に「ふっかけられたな」と感じる割合は、エジプトの方が明らかに高い。
ピラミッドなど多くの観光地を抱えるエジプトは概して「観光客ずれ」していることや、エジプトの物価水準がパレスチナに比べかなり低いことも背景にあるかもしれない。 アラブ人地域の東エルサレムを根城にする知人のパレスチナ人タクシー運転手Y氏(39歳)は、決して自分から料金を提示しない。「あなたが払いたいだけ払えば、それでいい」といつも言う。日本人の性格を知り抜いてそうした言い方をしているのであれば、実は相当したたかなのかもしれない。
●日常の暮らし
東エルサレム近郊のパレスチナ人の村に住むタクシー運転手Y氏(39歳)の家に招かれ、訪ねた。家はアパートの二階で、日本の普通の一戸建て並みの広さだろう。子供は一六歳を筆頭に七人。早婚で子だくさん、というのが、一般的だ。アラブ世界に共通するのだろうが、パレスチナ人は概して、異国の客にも非常に親切だ。街をふらふらしていると、コーヒーを飲んでいけ、コーラを飲んでいけ、と盛んに誘いがかかる。Y氏の妻も、ふだんは決して食べないだろう「マグルーバ」という鶏肉まぜご飯というごちそうを作り、歓待してくれた。歌と楽器演奏が趣味のY氏は、食事後、キーボードを弾きながら歌う独演会を約一時間。歌と踊りは皆大好きだ。あとは、トルコ式コーヒーを飲み、水タバコ(アル・ギーラ)を吸いながらのおしゃべりが延々と続く。時節柄ということもあるが、話題は、パレスチナの政治、社会情勢や国際政治など時事問題も多い。自分の生活と、国際政治とが直接につながっている人たちということを考えれば、当然のことなのかもしれないが、日本と比べると格段に国際問題への関心が高い。
また、パレスチナ人の携帯電話の普及度の高さは、異常なほどだ。ガザのパレスチナ自治警察職員S氏は、月給約四〇〇米ドル(約四万三〇〇〇円)のうち、約一〇〇ドルを携帯電話通話料に支払うという。ひょっとしたら、日本人よりも携帯電話が好きな人たちなのかもしれない。
ふたたび立ち上がる子供たち
古居みずえ
パレスチナの歴史
アジアウェーブ編集部
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