湿地の油ヤシ農園
植林地に置いてある丸太
森林火災
油ヤシのプランテーション
パルプ工場にある天然木材
カワセミ
湿地の川と鳥
インドネシアの地図(左上がリマウ)
テナガザル
泥炭湿地帯
湿地林の水


1.のどかな風景にひそむ恐ろしい真実
 日本の南南西5,000キロに、インドネシアのスマトラ島がある。赤道直下のこの島は本来は熱帯雨林に被われている。だが私が訪れた場所は果てしなく広がる地平線まで、森らしいものは見えない。あるのは奇妙な形の椰子の木だけだ。ところどころに水路が掘ってある。水の色は墨を流し込んだようにまっ黒だ。あちこちに太い切り株があり、以前はここに森があったことをうかがわせる。

 ここはスマトラ島中央部にあるリアウ州の平野だ。どこまでも続く平らな地面に起伏はほとんどない。

 この地域は泥炭湿地林を開墾して農園にしている。近くを歩いてみると、地面はふかふかでマットの上を歩いているようだ。この地面の中に大量の炭素が蓄えられている。それが今、解き放たれている。一見のどかな農村風景の中に恐ろしい真実が隠されている。

 泥炭湿地とは沼のような土地で、樹木が枯れて倒れても水中に沈んでしまう。こうなると酸素不足から分解が進まず炭のようになって堆積している。これはまさに炭素の塊である。こういった地域の森林を伐採すると、地中から二酸化炭素が排出され地球温暖化に悪影響があると考えられている。

 自然のままの泥炭湿地林を見るために、森林が保護されている地域に向かった。入りくんだ川の支流をさかのぼると水の色が赤黒くなる。これは有機物の分解が進まないためだ。ブラックコーヒーのようだが手で掬ってみると意外に澄んでいる。

 水面にはあちこちで魚水面にはあちこちで魚が跳ね、川沿いの木々にはカニクイザルやブタオザル。原色がとても美しいカワセミなど、たくさんの動物が見られる。生態系の豊かさを実感できる森だ。


カニクイザル

 上陸してみると大きな木はあまり見られない。せいぜい高さ30メートルほど。森の中に入ると湿度が高くて息苦しくなる。さらに地面はぬかるみでとても歩きにくい。案内をしてくれた人が棒を差してみると、長さ2メートルもある棒が簡単に刺さってしまった。この土地は大量の水分と炭素を含む巨大なスポンジのようなものだ。この森を破壊してしまえば、生態系への影響は計り知れない。

 インドネシアで泥炭湿地林の破壊による二酸化炭素の排出量は20億トンにもなる。これを化石燃料による排出に加えると、世界第3位の温室効果ガス排出国となってしまう。これはロシアやインドの排出量を上回るほどだ。

 インドネシアの泥炭地は2,300万ヘクタールもある。リアウ州には400万ヘクタールの泥炭地があり、これは州の面積の半分近くにもなる。

 リアウ州の森林は、油ヤシのプランテーションや紙・パルプのための植林地に急速に変えられている。1982年には州面積の82パーセントあった森林が2007年には27パーセントに激減した。このうち28.7パーセントが油ヤシ農園。24.4パーセントがパルプ用植林地である。

 インドネシアの法令では泥炭の厚さが3メートル以上の地域は、植林地やプランテーションにできないはずだが守られないことも多く、広大な泥炭湿地林が伐採されている。


2.拡大する油ヤシ農園
最近、地球温暖化防止の観点から植物を由来とした、いわゆる「バイオ燃料」が注目されている。植物は育つときに二酸化炭素を吸収するので、植物油を燃やしても結果として二酸化炭素の排出は増えないと考えられるからだ。

 数年前、穀物の値段が異常に値上がりしたのは記憶に新しい。バイオ燃料の原料として油ヤシも挙げられている。油ヤシとはその名のとおり植物油が取れる椰子だ。日本は年間、50万トンほどを輸入している。この油がいわゆる「地球にやさしい石鹸や洗剤」に使われているのは知られている。だがその8割は食用で、マーガリン、ケーキ、クッキー、即席麺、チョコレートやアイスクリームに使われている。2007年の世界の生産量は3,825万トンで植物油としては最大の生産量である。生産量はマレーシアが1,582万トン。インドネシアが1,680万トンで、この2カ国で生産量の8割を占める。インドネシアには現在700万ヘクタールもの油ヤシ農園がある。今後政府はバイオ燃料の生産を奨励し、1,300万ヘクタールもの増産計画がある。そのなかには泥炭湿地も含まれる。
 
油ヤシの収穫

 油ヤシの実は収穫後迅速に処理しないと品質が落ちる。そのため搾油工場を隣接する必要がある。工場はある程度の処理量がないと採算が取れないので、油ヤシは大規模なプランテーション方式で生産されている。

 プランテーションに続く道をオートバイで走っていたら、遠くで煙の立ち昇っているのが見えた。近づいてみると灌木の茂みが燃えている。よく見ると油ヤシが植えてありそれも燃えている。ここは最近開墾されたのだろう。油ヤシはまだ小さく、実をつけてはいない。


燃える油ヤシ農園

 泥炭は炭のようなものなので、乾くと燃えやすい。地面を被っていた森林が無くなるとたちまち乾燥してしまう。こうなるとちょっとしたことで火がつきやすくなる。もちろん火災からも大量の二酸化炭素が排出される。これでは温暖化を止めるための油ヤシは、温暖化の原因となるだけだ。


泥炭

 火災の近くに消防隊がいた。ポンプで水を汲み上げてプランテーションに流しているだけだ。森林が無くなり乾燥してしまった土地に火がつくと完全に消しとめるのは容易なことではない。


3.泥炭地を飲み込む植林
 泥炭湿地林は紙を生産するためにも消えている。インドネシアの紙・パルプ産業は近年急速に発展している。パルプの生産量は1990年には100万トンほどだったものが、2001年590万トン。2007年には577万トンと急増している。

 リアウ州にはアジア・パルプアンドペーパー社とエイプリル社という二つの大きな紙・パルプ企業がある。この2社のパルプ生産量はインドネシア全体の3分の2を占めている。

 紙やパルプの原料は木材である。以前は自然の樹木を利用していたが、資源の枯渇から植林した木を利用するようになった。

 植林された木材を使うのなら問題がないと思われるが、インドネシアではそれまであった生態系の豊かな森をすべて伐採して、パルプ用にユーカリやアカシアなど成長の早い樹種を植えるのだ。育てるのは7,8年なので、太さは50センチに満たない。広大な地域に単一の樹種を植えているので生態系の豊かさは全くない。

 また泥炭湿地林も植林地にされている。泥炭地は湿地帯なので水路を掘って排水をする。これにより泥炭の乾燥と分解が進み、二酸化炭素が大量に排出される。

 泥炭地に作られた植林地を訪れると、全く同じ大きさの木が果てしなく植えられている。遠くから見ると芝生のようだ。一見すると森のように見えるが、これは木の畑だ。生態系といえるようなものはほとんどない。動物はおろか、鳥すらもほとんど見かけない。


広大な植林地

 植林地の中に掘られている水路の脇に巨大な丸太が積み上げられていた。これを見てもここが以前は豊かな森だったことがわかる。

 木材には黄色の警察のテープが巻きつけてあった。どうやらこれは違法伐採で押収されたものらしい。それでパルプ工場に行くこともなく打ち捨てられている。

 インドネシアでは泥炭地での伐採は基本的に禁止である。それでこの木材は押収されたのだろう。

 しかし昨年の2月に泥炭地での伐採も許可されてしまった。今のリアウ州には自然林は泥炭湿地くらいにしかない。このままでは残り少ないリアウの森は、完全に消滅してしまうかもしれない。


4.紙となる森

 私が昨年の1月に来た時は木材を運ぶトラックは植林されたものを積んでいることが多かった。しかし、今年は3割から4割くらいのトラックが明らかに自然の森林から伐採されたと思われる木材を運んでいた。自然の木には大木も含まれ、太さも不ぞろいなので見た目からでもある程度判断できる。

 これらの木材は実際にパルプ工場に向かっているのだろうか。それを見るために、カンパール川沿いにあるアジア・パルプアンドペーパー社の関連企業であるインダーキアット社の工場に向かった。


パルプ工場

 工場近くの道路から見える貯木場には細い木しか見られない。ここは目立つので植林された木材しか置いていないのだろう。ボートで川沿いにある貯木場に向かった。工場近くの港には巨大なクレーンが立ち並び貨物船にコンテナを積み込んでいる。ここから世界中に熱帯林で作られた紙が輸出されているのだ。

 その近くに貯木場はあった。私はここを2003年に訪れているが、その時より木材の量は少ない気がする。自然の木が少なくなり原料不足に陥っているのではないだろうか。木材は細い木が多いがなかには大木もあり、明らかに自然に育った樹木と思われる。インダーキアット社は2009年には100パーセント植林された木材を使うといっているがそれはまったくできていない。

 写真を撮るのに夢中になっている私に船頭が、警備員がいるから気をつけろという。川の中で何の警備かと思ったが、モーターボートが貯木場の近くに停まっているのが見えた。あれが警備艇だという。こちらのことを気づかれたかと思ったが、私たちのほうには近づいては来なかった。しかし、こんなところまで警備を強化しているとは、企業は自然の樹木を原料にしていることを隠そうとしているとしか思えない。


自然木を運ぶトラック(事故で横転している)

 だがこのような自然林の伐採が続いていけば、世界的に見ても生態系の豊かなリアウ州の森林は消滅してしまうかもしれない。

(了)



写真・記事: 内田道雄(うちだみちお)
1962年埼玉県生まれ。フォトジャーナリスト。週刊誌カメラマンを経て1990年よりフリーランスとなる。 これまでタイ、フィリピン、マレーシア、インドネシアなどの環境問題、少数民族を取材している。
 写真展「サラワクの森の民」
1998年ミノルタフォトスペース。
 著書「サラワクの風1999年、現代書館。「消える森の謎を追う2005年、創栄出版。


※インドネシアの森林破壊に関しては、内田道雄著ルポルタージュ「消える森の謎を追う−インドネシアの消えゆく森を訪ねて」においてより詳しく報告されています。

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湿地林を流れる川は鏡の様に水面を映す
インドネシア
燃える泥炭湿地林