新しい文学館像を目指して  <世田谷文学館>

※世田谷文学館で2011年2月11日(金・祝)〜3月31日(木)に)開かれた「旅する絵描き いせひでこ展」に関連して、いせひでこさんへのロングインタビュビューが、こちらからお読みになれます。


一. 全ての世代に愛される文学館を目指して
 東京都南部に位置し、都区中最大の住民人口を有する世田谷区。成城や等々力など高級住宅街のイメージが強い一方で、若者の流行の発信地の一つと言われている下北沢や下町の趣を漂わせる世田谷線沿いなど、多面的な地域である。今回訪れた世田谷文学館の最寄り駅である「芦花公園駅(ろかこうえんえき)」で下りると、周辺は都会の喧噪から外れて落ち着いた雰囲気を漂わせる住宅地が広がっているが、少し離れたところにはどこかレトロな雰囲気の商店街も残っている。「芦花公園駅」は、昔は「上高井戸駅」という駅名だったが、明治〜大正期の文豪・徳冨蘆花(とくとみろか)の旧邸宅が公開された「蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん)」の開園に伴い駅名が改称されたそうである。
 左手に武家屋敷風の門と鯉の泳ぐ堀を見ながら世田谷文学館に入ると、ロビーホールの窓からは鴬が止まる紅梅と魚の泳ぐ池が見える。絵のような庭が広がる。世田谷文学館が建設される前に建っていた、化粧品会社ウテナ創設者の邸宅と庭の一部だという。ホールの一角には絵本コーナーが設けられており、飾られた人形や紙芝居で明るい雰囲気が醸し出されている。この文学館の目指す方向性の一つが、「子どもに親しまれる文学館」である姿勢がうかがわれる。



ロビーから見える景色

 平成七(一九九五)年開館当初から狭義の「文学」に囚われずに、文学を中心に映画や音楽など幅広い芸術分野を紹介する文学館作りを目指してきた。これまで『サザエさん』の「長谷川町子展」や、「不滅のヒーロー・ウルトラマン展」など数々のユニークな企画展を催してきた。二月一一日から三月三一日までは、海外で作品が翻訳出版もされている絵本作家の伊勢英子さんの「旅する絵描き いせひでこ展」の企画展示が行われている。代表作『ルリユールおじさん』『大きな木のような人』『まつり』の原画やスケッチの他、新作のタブロー(絵画)など初公開の資料も多く展示される。その他にもおはなし会、チェロとピアノのコンサートやワークショップなどの関連イベントも世田谷文学館で開かれる予定だ(※)。

(※)関連イベントについては、世田谷文学館ホームページもしくはお電話(〇三―五三七四―九一一一)でご確認ください。


二.文士達と歩んできた震災・戦後復興の道のり
 世田谷は平塚らいてう、水上勉、横溝正史、武者小路実篤、北原白秋、大岡昇平、萩原朔太郎など数多くの文学者と縁のある土地だが、円谷プロや東宝スタジオなど映画製作所と映画作りに携わる人々との深い関わりもある。
 そんな世田谷の文化の一部として、常設展示室にも黒澤明を初めとする映画人や横溝正史のミステリーなど文学を原作にして制作された映画の資料が多く展示されている。四月一〇日までは「成瀬巳喜男の昭和」と題して、『おかあさん』『めし』など昭和に生きる市井の人々をテーマにした作品を撮り続けた同監督の関連資料展が常設展示内で開かれている。昭和二三(一九四八)年に疎開先の岡山から成城に移り住んだ横溝正史は、〈金田一耕助シリーズ〉などで、世田谷の自宅周辺を事件の現場として登場させていた。江戸川乱歩も度々〈少年探偵団シリーズ〉の事件の舞台としていた。今は洒落た家や店が立ち並ぶ世田谷だが、当時は住宅地周辺に畑が広がり、何が起こってもおかしくない雰囲気を漂わせていたことが展示写真から伝わってくる。江戸川乱歩賞受賞の女流ミステリー作家・仁木悦子や、横溝正史の熱心なファンであったという大藪春彦も世田谷を舞台にした作品を発表している。大藪春彦愛用のレイバンのサングラスや狩猟者手帳、そして国際自動車ジャーナリスト協会(FIAJAF)の会員証などを眺めていると、流石は日本のハードボイルド小説の先駆者と呼ばれた人だとイメージが膨らむ。
 世田谷に作家や歌人が集まるようになったのは、大正一二(一九二三)年の関東大震災直後からである。地域別に縁のある文士たちを並べた展示を見ていくと、下北沢は大正末期に代用教員を勤めていた坂口安吾を初め、昭和初年には恋に生きた宇野千代が画家の東郷青児と共に暮らしていた土地であることが分かる。戦後も斉藤茂吉や森茉莉などが住み、作品に世田谷の風景を綴っている。
 原稿や初版本などの従来型の資料だけに止まらず、音楽を愛し楽器も演奏した萩原朔太郎愛用のレコードや自筆楽譜、終生少女らしさや自分の美学を持ち続けた森茉莉愛蔵の大きなチャウチャウ犬のぬいぐるみやティーカップなど、作家の一面やライフスタイルを窺わせる品々などが飾られている。また、代田に終の住処を構えて世田谷を詠んだ俳句を数多く残した熊本出身の俳人・中村汀女の書斎も再現されている。


萩原朔太郎所蔵のレコードと自筆楽譜

 成城は、お互いに尊敬しあった大岡昇平、大江健三郎、野上弥生子らが交流を重ねた地であり、大岡や野上は成城での生活を日記に書き綴っている。三軒茶屋・太子堂界隈も大正一四(一九二五)年頃、林芙美子や壺井栄らが前後して移り住み交流を深めた。貧乏でも笑いの絶えない仲間たちとの日々を、林は『放浪記』に書き記した。他にも松原に居住していた竹久夢二(詩人でもあった)や遠藤周作など、芸術家や文学者たちの面影をいたる地域に見つけることができる。
 世田谷文学館は活字離れが進む今、単に展示を見て終わるのではなく、見終わった後に興味を持った作品の本や映像の世界に戻って欲しいとの思いから、様々な方向からのアプローチを試みている。その常設展示で一際ユニークなのが、村上春樹の短編『眠』、萩原朔太郎の『猫町』、海野十三の『月世界探検記』、中島敦の『山月記』など七つの作品を自動人形で再現し、音楽と光で演出する「ムットーニのからくり劇場〜箱の中の文学世界〜」だ。綺麗だが怖いような、そしてどこか懐かしいような個性的な世界が目の前に繰り広げられる。自動人形師として知られる武藤政彦(ムットーニ)氏だが創作作品が主で、原作を下敷きにして制作された作品は稀なため、この展示を見るために世田谷文学館を訪れるファンもいるという。この他にも「世田谷文学館に怪獣あらわる!!」と題してウルトラマンと怪獣が世田谷文学館の周囲で闘う二〇分の一スケールのジオラマ模型が設置されていたりして、退屈しない。


「ムットーニのからくり劇場〜箱の中の文学世界〜」 萩原朔太郎の「猫町」

三.活動する文学館
 世田谷文学館は「活動する文学館」のコンセプトを掲げており、様々なワークショップやアウトリーチプログラムを通して文学を中心とした芸術に興味を持ってもらおうと試みている。区民の創作意欲を刺激するために独自の文芸誌『文芸せたがや』を発行する他、「世田谷文学賞」は去年第三〇回を迎えた。第二二回小説部門入賞作の『ママチャリに乗って彼女は』(山本幸久著)は、「小説すばる新人賞」受賞作となった『ママチャリと招き猫』の原型となった。若手アーティストの育成を目的にせたがや文化財団が平成二〇(二〇〇八)年に創設した「世田谷区芸術アワード“飛翔”」においても世田谷文学館は文学部門の選考に責任を担っており、今後活躍する作家の誕生が楽しみである。
 また、平成一六(二〇〇四)年に「日本語教育特区」となった世田谷区の文学館らしく、映画鑑賞や文学散歩などの小〜高校生向けジュニア向けプログラムが充実している。落語、絵やダンスを通して五感を使いながら、子どもたちに「ことば」の持つ力を体験して欲しいと全四回の連続ワークショップ「ことのは はくぶつかん」を開催している。二〇一一年前期は、五月一四日にスタートする予定である。その他にも、『赤毛のアン』や『回中宮沢賢治幻想紀行』などの名作の舞台の写真展や、読み聞かせなどを区内の小学校に出張して行う「移動文学館」を実施している。
 二階の常設展示を見終えて戻った一階には、ライブラリーやミュージアムショップがある。映像芸術に力を入れている世田谷文学館らしく、ライブラリーには文芸映画や特撮映画のビデオ約一、二〇〇本が保存されている。また、森?外が次女・杏奴の女学校受験のために作った手製の教科書が電子書籍として公開されている。通常の展示方法では開いたページしか見ることができないが、電子書籍化することによりタッチパネルでめくりながら全ページ読むことを可能にした。
 ミュージアムショップでは、社会福祉法人の共同作業所で制作されている絵はがきや髪留め、成城のさくらを使って染めたオリジナルスカーフなどが販売されている。他にも、世田谷区内にある東京農業大学ブランドのドレッシングやジャムなども購入できる。
喫茶「どんぐり」の入口では、ゴジラの着ぐるみが出迎えてくれる。実際に撮影に使われていたミレニアム・ゴジラだというから驚きだ。「どんぐり」では度々、企画展にちなんだメニューを用意している。例えば「石井桃子展」では、石井桃子さんが荻窪の自宅でお客様をもてなす際にはフルーツケーキを出していたということから、展示を観た後に石井さんの居間でお茶を飲んでお喋りしていくような雰囲気を来館者に感じ味わって欲しいと、フルーツケーキと紅茶のセットを出した。紅茶も石井さんが日本に翻訳紹介したピーターラビットを使った銘柄を使うなど趣向を凝らして、大好評だったという。「父からの贈りもの―森?外と娘たち展」では、森?外の長女・森茉莉のエッセイに出てくる思い出のマルボーロを特別メニューとして出した。「旅する絵描き いせひでこ展」でも特別メニューを考案中とのことで、楽しみである。
 世田谷は「文芸思潮」編集部のホームグラウンドでもある。子どもだけでなく大人の本離れも進む今、文学館および文芸の存在意義そのものが見直しを迫られている。文学を活字という狭い定義のなかに閉じ込めずに、幅広い芸術という枠のなかで捉え直して再構築し、少しでも人々に近づけようと試み続けるその姿勢に深く考えさせられた。


ジュニア向けプログラム「ことのは はくぶつかん」の風景

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DATA
世田谷文学館
東京都世田谷区南烏山1-10-10 地図
TEL:03-5374-9111
●開館時間
午前10時〜午後6時(入館は5時30分まで)
●休館日 
毎週月曜日(この日が休日にあたるときはその翌日)
年末年始(12月29日〜1月4日)
●アクセス
京王線「芦花公園(ろかこうえん)」下車、南口より徒歩5分
小田急線千歳船橋駅から京王バス「千歳烏山駅」行き」に乗って「蘆花恒春園」下車徒歩5分

常設展示観覧料金
一般200円(160円)、大学・高校生150円(120円)、中・小学生・65歳以上100円(80円)
※()内は20名以上の団体割引、障がい者割引あり。企画展示の観覧料金はその都度異なります。



世田谷文学館外観






常設展示コーナー風景




映画に関する資料も多数展示




大藪春彦が愛用したサングラスなど




ミュージアムショップ