篠原ひとみ

働き者のロバ  秋の収穫期は、村人だけでなく、ロバも大忙しだ。刈られた麦穂を運ぶロバたち

 

バルコルの午後
ラサの中心寺院ジョカン〔大昭寺〕の周りはバルコル〔八角街〕と呼ばれる一大バザール。 巡礼路をともなっていて、朝に夕に巡礼の人で賑わう
チベット・ラサ

 

ペットボトル
麦刈りの手伝いをしていた子供たち。カメラを向けると、ちょっとこわごわしながらも、好奇心に駆られて近づいてきた少女。手には空のペットボトルが…
   チベット・サキャ

 

青龍賞
受賞の言葉
                篠原ひとみ

 このたびは青龍賞に選んでいただき、ありがとうございました。
 去年の秋初めてチベットを訪れ、一か月滞在しました。思うようにいかないことの多かったチベットの旅、見て回れたのは外国人の行ける解放区の町や村などごく限られた地域でしたが、チベットのあの圧倒的な大地や空、気候風土こそがチベット人の根幹を作っているのだと実感できました。中国化の進む姿を目の当たりにした所もありますが、チベット人たちの篤い信仰心を肌身で感じ、厳しい自然に暮らす人々のたくましさ、優しさ、おおらかさに触れて本当に感動しました。
 一人旅の私にとっては、カメラはコミュニケーションの大切な道具となっています。チベットではもっと踏み込んで撮りたいと思いながらそれができず、もどかしい思いもしました。受賞できたのは、旅の感動が最も集約されたようなバルコル(ラサ)とサキャを選んだからかもしれません。
 これからもこの賞を励みに、撮影を続け、又近い将来チベットを再訪し、土地の人々とのコミュニケーションを深めながらチベットのすばらしさをカメラで表現できるようになればと願っています。


プロフィール

1960年生まれ、徳島在住、フリーター
1985年 初めての海外一人旅。以来30か国以上歴訪
1997、1999年徳島市内のギャラリーにて個展(インドの写真展)開催
来年はペルー・ボリビアなど南米での撮影旅行を予定している

 

北川恵子

友達になった家族の息子君たち二人。あまりにもかわいいので、弟君とは両親の承諾を得て婚約?
バリ・ウブド

おじいさんとお孫さん。日本でも目にする光景ではあるのだけれど、もっと暖かい、ほのぼのとしたものを感じることができた
バリ・ウブド

 

溝口弘子

敦煌  澄んでいる空気が、子供たちの表情にも出ている

 

川崎けい子

アフガニスタン内戦
今なお内戦の爪跡が残る首都カブール

 

ペシャワルで物乞いをするアフガン難民の子供たち。戦争で両親を失い、子供たちだけでパキスタンに来た  パキスタン・ペシャワル

 

鈴木佐和子

もの食う至福
ホーチミンにあるベンタイン市場を歩いていると、力強い視線を感じた。腹の底からの食欲を満たそうとしている彼にひかれ、シャッターを切った         ベトナム・ホーチミン

 

木下節子

ハノイ旧市街のある日
彼の大事な商売道具・空気入れを前に昼ご飯
                  ベトナム・ハノイ

 

富田幸雄

昼下がり
カメラを向けて撮っていると、彼ははにかんでふっと横を向いた。彼の仕事は何なのか、聞き忘れた
                  タイ・バンコク

 

子犬の眠る夜
少女の現実よりも、死んだように眠る子犬のなんとも言えない「かわいさ」に心をひきつけられシャッターを切った
                        タイ・バンコク  富田幸雄

 

児玉素可

仲良し三人組
通学用サイクルリキシャの上で
                   インド・マトゥーラ

 

萬治邦行

かざらなく
日本では難しくなった、かざらなく、さりげなく生活するアジアの人々
            インド・ヴァナラシ

 

 

 

 

 

 

 


 


 

選考委員

 

楠山忠之
くすやま ただゆき


1939年生まれ
報知新聞写真部を経て、現在フリー・フォトジャーナリスト
沖縄を中心に東南アジアを取材
ベトナム戦争の「サイゴン解放」に立ち合い、記録映画も作る
「自然との共生」をテーマに石垣島空港問題、岐阜徳山ダム、東京湾埋立問題を追い続ける
著書多数/最近著書「日本のいちばん南にあるぜいたく」(情報センター出版局)「おばあちゃん、泣いて笑ってシャッターを切る」(ポプラ社)など





染谷 學
そめや まなぶ

フリーカメラマン
1964年千葉県生まれ
日本大学芸術学部写真学科卒業
アジア・日本の民俗を中心に取材
日本写真芸術専門学校講師
日本ジャーナリスト専門学校講師
写真展「生きてゆくカレンの人々」銀座ニコンサロン
   「Calcutta」コニカプラザ







吉田敏浩
よしだ としひろ

1957年大分県生まれ
明治大学卒業(在学中探検部)
フリージャーナリスト
アジアプレス・インターナショナルに所属
1985.3月より3年7カ月にわたり、ビルマのカチン州、シャン州へ長期取材
NHKスペシャル「回想のジャングル」(1989.6.18放映)
96年「森の回廊」(NHK出版)で大宅壮一ノンフィクション賞受賞
その他主著に「宇宙樹の森」(現代書館)、「北ビルマ、いのちの根をたずねて」(めこん/近著)などがある
 

第5回アジアウェーブ写真コンテスト

選考委員
楠山忠之
吉田敏浩
染谷學



編集部■選考委員の皆さん、本日はありがとうございました。
「第5回アジアウェーブ写真コンテスト」には、おかげさまで、七二人、二五九点のご応募をいただきました。ご応募いただいた方々に心からお礼申し上げます。
 応募点数も昨年とほぼ同じに集まったばかりでなく、アジア各地から、生きたアジアの人々の素顔や生活するすばらしい姿が寄せられました。すべて一堂に広げてみると、アジアの世界が大きく開かれ、熱気とにおいがむんむんと立ち込めるような気がしました。
 今年の作品は全体的にレベルが上がり、視点や技術も充実している印象でした。選に漏れた方々のなかにも、心に残る作品、たくさんの方に見ていたいただきたい作品がたくさんありました。
 ドキュメンタリー賞につきましては、まだどのように提出するかという前段階でとどまっている観がありましたが、昨年よりはフィールドに対するアプローチは一歩前進している観がありました。
 五時間に及ぶ選考が終わったところで、今回のコンテストにつきまして、選考委員の方々のご感想、ご批評をいただきたいと思います。よろしくお願いします。

●応募作品全般について
染谷■審査中にも出た話題ですが、全体のレベルが上がっているというような感覚は確かに僕も持ちました。
 ただ、選に残った作品の、よいほうがぐんとレベルが上がっているかというとそうではなくて、むしろ選考委員皆が一致してこれはいいねという、ずば抜けたものがなかったという印象があります。
 それと、世間の写真コンテストなんかでも、ここまで人物を撮った写真ばかりが出てくるのはないと思うくらいに、人物の写真が多くて、コンテストとしてはとてもおもしろいコンテストだと思いました。ただ、それでいいかというと、人物を撮った写真が決して写真的に魅力的ではないものが多かったように思います。
 今回出てきた作品は、どれもこれも素晴らしい写真だし、いい出会いをしたし、いい旅をしたなと言いたい気持ちが本当は強いんです。だけれども、こういう写真コンテストという一つのゲームというか、競争の場では、やはりそれだけでは済まないことも事実としてあるわけで、こんな素晴らしい笑顔と出会ったというそのもう一歩先の、見る人を意識した表現というところまで踏み込んだものが少なかったように思います。その辺がちょっと物足りなかった。被写体が素晴らしい、いい経験をした、だからなおさら、その辺をおろそかにしてしまっているような気がしました。いい旅をして、いい笑顔やいい人々と出会って、だからこそ、それがコンテストという場ではなくても、人に伝えていけるような形としての写真になっていけばさらにいいんじゃないかなと思いながら見せていただきました。
吉田■今回五回目ってこともあって、再度応募した人もいるわけです。そうすると記憶の中で「あ、この人、前にこんな写真応募してたな」とか、前の写真が焼きついていたりするんですよね。この写真コンテストは毎回二〇〇枚以上あると思いますが、その五倍というと、一〇〇〇枚以上見てるわけですね。そうするともう、何千人のアジアの人たちと対面していることになるんですね。僕の中にも忘れ得ぬアジアの人々と言いますか、表情とか顔が焼きついてるんです。そういう人たちに出会えたな、そういう人物、そういう風景にまた出会えたな、っていう喜びが、選考してる側でもあるんですね。それがアジアウェーブのコンテストの他にはない意味なんです。この写真を選ぶ過程、あるいは写真を応募してくる人を通じて、写真の中で一個のアジア世界を体験していくわけです。応募してきた人がその国で出会ったアジアを、僕ら見る側もまた共有しているというか、撮った人と見る側で何かを共有できているなっていうのを、あらためて感じました。
 ただ、やはり惜しい作品も多かった。いつも言うことかもしれないんですが、写真を撮るっていうのは、そこで発見があると。そこからもっとアジアの奥に入っていく、扉をノックして開いてほしいなという作品も多かった。例えば中国の占いの写真なんかよかったんですけど、どんな占いをしていて、占師の表情や生活や、ほかの客はどんなことを占ってもらってたのか、写真というものを媒介にして、ノックして、向こうの扉が開いて、さらに奥に入っていこうという、意欲がほしかった。そういう作品が多かったように思います。
楠山■ここ一年なぜか日本が国内の方に目を注がなきゃならなくなってしまってね、不況とか、神の国発言とかこの前の選挙も含んで、果たしてこの日本はどこへ行くんだろうと、ひじょうに憂える時代に入ってしまった。二〇世紀から飛び立つはずが、沈みゆく戦艦ヤマトに乗っているような気がしないでもないんですね。僕自身の中でも、アジアのことがここ一年、意識の中で薄れていたんじゃないかと。
 でもアジアへの熱い思いをこういうコンテストでたくさんの人たちが足しげく、カメラ担いでけっこう人が行かない所へ行ってシャッターを切ってるということを見てですね、「あ、アジアは遠くなっていない」と思うわけです。ここに集まってきた写真群を見ることによって、あらためてアジアを考えさせられる。つまり写真っていうのは、やはり人と人、あるいは国と国をつなげていく、ひじょうに有効な手段だなぁということを、またあらためて考えることができて、僕は審査員をやることはたいへん幸せだなぁと思いました。
 全体の中でいえばね、確かにアジアというのは、みんなの意識の中で、昔と違って珍しいものではなくなってきたなぁという気はするんですね。だから、隣近所に行くような気分は確かに写真の中に出てると思うんですよ。ただそこから、どうやったら自分の物にしていけるかっていうことは、自分の主体性にかかってきていると思うんです。
 アジアはどんどん近代化していって、ここ五年でずいぶん違ってきているわけです。今や公害問題があったり、車も走るし、人々も経済の繁栄を求めるし、そうしてガングロネエちゃんみたいな同じファッションが韓国や台湾でも流行りだしている。東京も北京も、バンコクも同じになっている。民族の違いだとか文化の違いを撮ろうとするだけでは収まらなくなっている。アジアがどう撮れるかっていうことの時代を通り越しているわけですね。そうすると、撮る問題は、結果的には人間の共感っていう問題になってくると思うんですよ。
 それぞれの国の、それぞれの地方の風土に基づいた伝統文化が、大きな波で奪い去られちゃって、みんな同質化、均質化していっている。日本も、アジアの国々も、例えばマクドナルドのハンバーガー屋さんにいっぱい行列が並んでいるような時代になって来ているわけですよね。生活スタイルが皆同じになりつつある。そこで果たして僕たちが写真として何を撮っていかなきゃならないかっていうのがね、大きな問題になるわけです。皆さんが旅に出たときに、そこに行って初めて自分たちが何かを掴み取ろうという、そういう気概を持たないと、もはやアジアは遠くなってしまうんじゃないかなというふうに思うわけです。ちょうどその過渡期のような気がしますね。だからすごく「近づいたな」っていう部分と、逆に何か「それでいいのか」っていう部分という、両方の印象を持ちました。

●アジアウェーブ賞の作品について

編集部■各賞について入っていきましょう。
吉田■アジアウェーブ賞の竹岡弘恵さんの作品は、カンボジアの傷が癒えていく時間が感じられる、見ていて安らぐようなところがありました。楽器を弾く人の写真なんか、あまり寄り過ぎない、ちょうどこの距離がよかったと思うんですね。カンボジアの緑とか、後ろに遺跡があって、義足があって、地雷かなんかで足を失った人が楽器を弾いている。ツローという楽器の音色が聞こえてくるような感じで。この人の目を閉じた表情、見つめる表情、あと笑顔があったり……。
 かくれんぼをしている写真もよかった。子供が遺跡の陰に隠れるようなシーンは、癒えていくものを、日常の目線で捉えている。それがすごく素直に伝わってきましたね。カンボジアの人たちの日常を、等身大の目線で撮影した写真ですね。今までいろいろ出てきたカンボジアの写真とは違う視点、新鮮ていうか、見たことがないカンボジアのシーンでした。そういう意味でオリジナリティーがあったんじゃないかなと思いました。
楠山■今回はこの写真をめぐって、技術が先行するか、思いが先行するかというところでの論戦がありましたけど、竹岡さんは自分のカンボジアというのを持っているような気がするんですね。自分がほんとうに感じたものを素直に撮っているな、と。特に、アンコール・トムの門のところの石像のところのかくれんぼして遊んでいるシーンは、僕たちの日本人の、どこか昔の遊びに通ずるような風情があったりするんですね。アジアと日本との距離感を、このかくれんぼしている子供の中できっと考えたであろうと、撮り手の側が見えてくる写真なんですよね。
 それからこの楽器を弾いている人の、この人も地雷を踏んで足がないと思うんだけど、これ義足なんですよね、交通事故かもしれないけど、ただこの関係づけよりも、ツローというカンボジア胡弓を弾いているこの人の思いみたいなものに、スーッと入っていけそうな気がするんですね。僕は氷の写真がけっこう好きなんだけど。遊び心もあるし、カンボジアの国に寄せる思いもあるし、人々に対する愛情もあるし、ひどく悲しかったり楽しかったり、いろんなものが押し寄せてくるんで、とてもうれしくなる写真でした。人々にとってはやっぱり日常がとても大事だし、そしてその日常の中に彼らの人生があるわけですから、それがここには撮られていると思ったわけです。あえてこれをアジアウェーブ賞に推したのは、技術はまだまだ若いというか、幼いんだけども、それは二の次にして、原点は、自分がどう感じたか、それをどう表したかっていうことを、ここでもう一度確認しようかなという意味で、推薦しました。等身大であるだけに、その何が面白いんだよと、問いかけられるかもしれない。でもひじょうに新鮮な感じがします。それはだいじにしたいと思ったんですね。
 ちょっと大げさな言い方をすると、我々がどう生きるかってね、僕たち自身の生き方そのものがまずありきで、そこからアジアの人たちとつながっていくことが重要だと思うんですね。アジアの人たちから学ぶことはもちろん大事なんだけども、アジアの人べったりで、アジアの人から得られるだろうというだけではダメだろうと思うんですね。厳しい言い方ですけども、僕たちがどう生きるか、そしてアジアの人たちとどこで接点を作れるかっていうくらいの意識を持たないと、新しい写真は生まれてこないんじゃないかなと思いますね。

●白象賞・青龍賞の作品について

染谷■福井延幸さんの作品は、写真の撮り方として何の工夫もないし、きっと父親が自分で持っているタクシーではないと思うんですが、一日いくらかで借りてきたタクシーを、父親はまだ出かける前で中で眠っているわけですよね。子供たちが車を洗うのが仕事だったりするような、家族の仕事の分担みたいなものが見えたり、吊る下がっている服の大きさで、いろんな世代の人たちが暮らしているなというのが見えたり、この辺りはどちらかというと貧しい地域ですよね、トタンの屋根の様子からして。でも、この車の窓に、道一本挟んでビルが写っているんですよ。道一本隔てた生活のちがいみたいなもの、あとこの子供たちが学校へ行ってるのか行ってないのかわからないんですけども、個人個人の仕事で、磨くのが日課みたいな……。それらが、一枚の写真にうまく集結しているなと思ったんです。子供の日課、姿が見えない父親の仕事、生活環境、車の窓に写った生活の隔たりみたいなものが凝縮されている作品だと思いました。
楠山■ドキュメンタリー性ということを考えれば、タクシーを洗う子供たちについて、子供たちは自分たちの時代にはきっとこんな車を持てるだろうとかね、夢を感じてると思うんだよね。りっぱなテレビがあって、りっぱな家があって、そのうちそんなところに住めるだろうと、それにいま触っている感覚で車を磨いていると思うんですね。そこでハラハラする部分もあるし、そういう子供たちの希望まで写っていると思います。
 同じ白象賞の佐藤博子さんの作品は、逆にこれは情報が何もない写真、意味がないところに、ある種の空気感みたいなものがあるんですね。このおねえさんがスカートからちょっと太モモが見えるようなね、いわゆる中国人のバイタリティというか、こういう大胆さ、そして意外と一塊りになってきた中国の人たちが、逆にそれぞれの個人の思いのなかで、生き始めたというのがね、ちょっと読み取り過ぎかもしれないけど、そういう感じがあって、何か時代の空気が出ていると思うんですね。ただ一人だけ軍服みたいな姿の男の背中が見えていてね、そういう中国でありながら、若い女性はどんどん服装なんかも変わってきているというのが一枚の写真の中に出ています。ひじょうに取りにくいシチュエイションで、スナップにしては、ふつう撮ることはできないアングルなんですが、よく撮れたなと。軍服の人だけ顔が見えない、というのもね。見ていてしばらくこの人たちと同じポジションで中国のことを考えて見る気になる写真だなと思いました。写真もきれいだしね。光の反射があったり。
染谷■佐藤さんの作品は流れる映像でもできることなんですよね。いろいろなことを考えたり、勉強したりする意味では、福井さんの作品は情報量が多いと思います。これは状況というものだけでは語れない、状況を撮っただけではないものを伝えているおもしろさはあると思うんですよ。写真の独自性みたいなものがここにはあるんですね。写り込んでいる一つ一つからいろんなものが読み取っていけるというおもしろさがあります。
吉田■単写真としてのぜんぜんちがうタイプとして撮れているものとして、その方向性を二つが示してくれていると思うんですよ。そういう意味では、甲乙つけがたかった。正直迷いました。
楠山■確かに、この二つは甲乙つけがたいですよね。こっちに素晴らしい要素があり、こっちにないものが、こっちにありね。で、結局どちらもが白象賞になったわけです。

青龍賞の作品について

楠山■篠原ひとみさんの作品のなかで圧巻なのは、ロバの写真ですね。働き者のロバという題名があるように、ロバの砂煙を上げながら移動していくその姿の中に、ここの人たちの、我々日本人がすでに遠退いてしまった生活が、いまも脈々と営まれているということを感じさせる。そこに僕はひかれますね。写真としてはすごくうまい。アジアウェーブ賞の写真よりも、技術は格段にこの人の方がうまいと思いますけども。バルコルとかいう大バザールの午後、小坊主さんたちでしょうね、ちょっとした時間のときにお店に立ち寄っている、こういうショットが入ってきたことが、この人は尋常ではない腕があるなと思いましたね。ある意味では、アジアウェーブ賞を取ってもおかしくなかった。ただ、この人はどういうふうにコミュニケートしているのかな、というのが見えてこない。そこが技術先行かな、と思うんですよね。どこかでチベットを撮ろう、チベットを撮ろうとしている。そこが気になりましたね。僕は小坊主がちょっと立ち寄って、修行のちょっとの間、自分たちの時間を持って遊んでいる、この辺の写真は好きなんですけどね。

●その他の優秀作品について

染谷■僕はスギノユキコさんの韓国の作品をアジアウェーブ賞に推したんですけど、いままで自分の心象が強く出ている写真がなかったと思うんですね。アジアの被写体というのはそれなりにフォトジェニックだし、またフォトジェニックさだけに頼った作品が多かったなかで、この写真は撮った人の心象が出ているような気がしたんです。その人が犬の姿を借りて、町をほっつき歩く目を持ってぶらぶら歩いている、あとこの少し傾いた画面が、なんとなく異国での町歩きの不安な感じを、それらを白黒のトーンとわざわざ焼き込んで空を暗くしてみたりしたところに、すごくその気持ち、心象の部分が写っている。一枚写真として見れるな、と思ったので、僕はこれを買いました。
 このアユタヤのワット プラ マハタートの写真も、これだけ光がきれいに効いていて、しかもご自分でプリントされたんだと思いますが、光をきちんと見た意識がプリントまで残っているというのは素晴らしい技術だと思います。変にシャドウが出ちゃうようなプリントをせずに、光を見たぞっていうのがきちんと残っているプリントは素晴らしいな、というふうに思いました。
 それから木下節子さんのハノイの作品も印象に残りました。この雨戸のですね、上に書かれた番号ですけど、おそらくこの1、2、3、4、5、6って書いてある番号を間違えると、雨戸がはまらないんじゃないかという、この日々繰り返されている雨戸のはめたり外したりするような生活とか、あと今時こんな帽子なんかホーチミンで被ってる人いないですよね。ハノイだからこの帽子を被っていたりだとか、日々繰り返されている時間みたいなものが、一瞬の一枚の中に普遍的な時間が写りこんでくるようなおもしろさを感じました。この空気入れとか、おじさんの足はおそらく、ネガっていうかポジの段階では写っていたと思うんですが、プリントしたときに、フィルムの比率と紙の比率が、違うがためにこのおじさんの足元とかですね、空気入れの下の方の部分がカットされちゃってるのがとても残念に思います。もうちょっと下まで写ってると、より行き届いた写真になったんじゃないかなと思います。
吉田■僕は北川恵子さんの作品にひかれましたね。ワヤンという伝統的な、ラーマーヤナとかマハーバーラタとかインドの神話を元にした影絵のインドネシアでずっとやられてきた芸能をとってるんですけど、この人が昔影絵使いだったとか、影絵使いをしている村の話でっていう一個のストーリーとしてはっきりわかれば、もっと主張の強い、いい写真になったと思います。僕がこれにひかれるのは、影絵の幻想以上のものが流れている気がするんですね。神話というか影絵を見ながらこのおじいさんも子供のときから育ってきたと思うんですよね。この子供もこうした影絵を、同じ場所でずっと見てきたし、見ていくと思うんです。この人たちの心の中に神話的な世界が脈々と流れていて、また次の世代に伝わって、さらにまた次の世代に伝わっていくという、そういう心の中に流れる幻想の世界を僕も共有できる、そういうものを感じました。
楠山■溝口弘子さんの作品、中国敦煌ですかね、まだまだ空気が澄んでいる、これは女の子ですかね、小学校くらいの二人が、なんでこう笑顔でちょっと照れてるんでしょうね。こういうアクションを出したときになかなかシャッター切れないんだけれど、これはスナップとして、この恥ずかしさというか、照れさ加減がすごくいい。構図的にも押えてるし、けっこう僕、好きな写真です。
 それから富田幸雄さんの作品ですが、タイの国を人々はにこやかに微笑みの国なんていうけど、実は微笑んでるのは、ガードマンとか警官ばっかりで、他の市民はひじょうに何かこう、苦悩を持って生きているようなところが、異様な色彩の中で出ているような気がしました。なかなかいい雰囲気をもってるんだけど、ただ象の写真とか、それからこのバーの写真とかがね、表現足らずで、舌っ足らずな写真に終わってしまったのが残念です。
吉田■このバンコクの写真は、僕もやっぱりずっと気になっていました。バンコクの街の、いわゆる普通のバンコク、タイというイメージと違う所に目を向けようとしているということは感じますね。物売りのようなこのおじさんの陰りなんか、僕はなんともいえない、ひょっとして自分がタイ人で、バンコクに生まれてたら、これはもう一人の僕なんじゃないかとふと思いましたね。富田さんはきっとそういう感情移入っていうか、相手の世界っていうか、このバンコクに生きているこういう人たちの心の中に入り込むようなところが感じられるんですね。それをもうちょっと表現を工夫してきちんと出せればよかったかなと思いました。
 あとちょっとコメントしたいのは、萬治邦行さんのインドのバラナシの写真です。床屋で髭を剃っている。髭剃り屋かもしれないんですけど。この鏡の中に写っているおじさんの顔に、インドの人生の人間のいろんなものが映し出されてるところなんですね。ただもうちょっと、床屋っていう組み写真で、もうちょっと見たかった。他の客とかね。全部鏡の中だけじゃなくてですね。
 それとネパールの丘の少女ですか、中村美和子さんの作品ですね。重荷をしょって、額でぐっとしょってるんですね、荷物をしょってるこの子供の表情に、山地で暮らす人々の営みが凝縮されてるんですけども。一枚としてはいいんですね。そういう意味で、この子が背負っている重さと、で、重さを苦にしなくて生きていく逞しさっていうか、そういうのも感じる。よかったです。
 児玉素可さんの、インドのデリーの写真は、子供の表情とかよく撮れてるんですけども、映画の一シーンみたいな感じに終わっちゃって、もうちょっと写真として凝縮度がほしかったなっていうことですよね。
染谷■児玉さんの作品は、とても上手な写真です。でも上手さに頼りすぎてしまっていて、写真にすることのほうに先に気持ちがいっちゃっています。光を選んだり、背景のぼかし方を選んだり、レンズの広角を選んでヒンディーとその人の配置を考えたり、というふうなことに神経がいってるのが見えすぎてしまうので、上手さがかえって邪魔をしている。吉田さんの言う、画面に入っていこうとするこちらの気持ちを遮ってしまっているように思いました。
吉田■鈴木佐和子さんの作品は、実に美味しそうに食べてるっていうか、これ僕も食べてみたくなるっていうか(笑)。いかにも美味しそうですねぇ! これなんかほんとにアジアウェーブの写真コンテストのおもしろさですね。いつも言うんですけど、この写真の中に入っていって、自分もいっしょに食べてみたいとか、ひじょうに強く引き込まれる。いっしょにこの世界に入りたい、いっしょに食べたいとかっていうものをこっちに伝えてくれるものがあって、すごくいいと思うんですよね。
染谷■物食う至福ですね。本当に物食う至福っていうところがもろに出ている。しかもこの被写体を見つけたときに上から「食べてる子供がいる」っていってパチッと撮り下ろすのではなく、自分がしゃがみこんで、いわば自分も食べたい目線に降りているわけですよね。だからその辺のところがいいなぁというふうに思います。写真にはどっから撮ったら一番よく伝えられるか、一番よく感じられるかっていう所があって、この人の男のこのところまでしゃがみこんだっていう、たったそれだけのことですけど、この写真をよくしている原因だと思います。
吉田■あと、気になったのは、奨励賞の渡辺哲夫さんのベトナムのフエの写真。いっしょにこの船に自分も乗って何かこう、ゆらゆらと運河を、女船頭さんですか、この女船頭さんといっしょに、ゆらゆらとベトナムの昼下がりの運河を下っていきたくなるような写真ですね(笑)。
 それから中島梨江子さんの作品ですけど、おばあさんの昼寝で、僕もこの、こちら側に枕を置いてこうやっていっしょにこう時間を共有したくなるような、そこに登場している人たちにすごい親しみを感じていく、そういうのを感じさせる写真っていうのがよかったですね。
 柳さおりさんの「雨季に備えて」という、葉っぱで屋根を葺セふソく写真も心に残りました。ビルマのシャン州でもありますし。農村へ行くとあるんですけどね。モンスーンの広葉樹ですね。
染谷■僕もタイ・ビルマ国境のカレンの撮影に行ってたときにちょうど雨季にさしかかると、ポツポツと降り出した雨が、カサッカサッカサッカサッから始まって、バチャバチャバチャバチャいうんですよねぇ。柳さんの作品はそういうのを思い出させてもらえたっていう気持ちがありましたね。それと実はこれ、ラジカセが写ってるんですよね。ところがこういった、わりと原始的な竹とチークで編んだような屋根なんだけども、結局この人はここで音楽かなんか聞きながらやってるなんていう、生活文化と新しく入ってくるものみたいなものがちょっと見え隠れするのもおもしろいな、なんて思っていたんです。ラジカセをそういった意味で意識していたかどうか。どこを切り取るかっていうのは、その撮影者の意識の枠であるわけで、たまたまこの人を真中にとって、これぐらいにラジカセが写ってしまったっていうことならば、もう少し自分が撮ろうとしているものへの目配りがあるとさらにいい写真になったんじゃないかと思います。この後ろのかめですか、水がめですね、こういったものが写りこんでたりするのはとてもおもしろいと思いました。
 あと、日本の中のアジア、外人が人力車に乗っている写真がありましたね。日本のお花見のシーンで。これは技術的にとか、映像的にうんぬんということじゃなくて、こういったいわゆるアジアのフォトコンテストに、純日本的な祭りに来ているアジアの人たちっていうのに目を向けたことを、評価したいと思います。アジアに出て行って、現地でアジア人を感じて帰ってきて、日本に帰ってくればもう知らないよっていうような感覚を持っている人が多いなかで、日本にいるアジア人を見ていくことでアジアを感じようという姿勢が見えたので、この写真を一枚、何か特別な賞に、直接の賞ではないですけれども、いいんじゃないかなっていうふうに思いました。

●ドキュメンタリー賞について

吉田■川崎けい子さんのアフガニスタンの作品は、筆者の目線がまだはっきり伝わってこないんですね。この人の思いを際立たせるために、事実を積み重ねてゆくというのがちょっと足りない。なぜこの人がアフガンに行ったのか、なぜ興味を持ったのかっていうところに、少しだけでいいんですけど、触れてほしい。だから「今はどんなに惨めでも決して未来の希望を失わない子供たち、あの人の将来にかすかな光を見た気がした」ってある最後が、とってつけたような感じになっちゃうんですね。
 文章と写真のつりあいがない。アフガンの難民が出てくる背景もほしい。カブールの中でのタリバーンの兵士が巡回しているところや、戦車なり装甲車なりが町を巡回しているとか、何かあるはずなんですね。いろいろな事実を集めてきて、自分の言いたいことを述べるというドキュメンタリーの表現が、写真の面でも文章の面でももう一つ足りない気がします。アフガンでは、優れたドキュメンタリー、あるいはルポルタージュがいっぱいあるわけですよ。そういうのをもっとたくさん読んで、どういうふうに組み合わせていくかっていうのを、勉強してほしいですね。
楠山■この人には、もしねチャンスがあれば、また続けて、これにいろんな写真を足していってほしいですね。これで終わっちゃうんじゃなくて。これを完成させてほしい。そういう意味で、奨励賞に推しました。
 本間万智子さんの作品ですが、写真自体はきれいになっていますけど、きっと本間さんは、ここにも書いてあるように、前回出した写真とは違う人々の見えない生活を撮りたいと思ったんでしょうね。パタヤの子供の裸の写真は、かわいくて、よかったですけど。ただ相手の生活を撮る時っていうのは、我々はよそ者であるだけに、ド真面目、クソ真面目ってくらい、やっぱり真剣に考えてほしいわけです。撮り手が、自分でメロメロになるくらい追い込まれていかないと、本当にいい写真は撮れないですから、それだけの時間をかけなければいけない、っていうふうに思いますね。
吉田■今回の古川さんの作品は、すごく変化球すぎるというか、規格外っていうか……。この人は自分の独特の物の感受性とかですね、その場で出会ったことを発見して掘り起こしていく目があると思うんですよ。写真絵本みたいにちょっと子供向けとか、少年少女向けとかに、あるいは若者向けに、写真絵本みたいな感じに、フォトポエジーの試みをしていくといいかもしれないですよね。新しい、写真と文章を組み合わせた新しい分野を開拓できそうな気もしますね。
楠山■全体的にドキュメンタリーというものがまだちょっとわかってもらえていないところがありましたね。応募数も少ないですし、まだこれからというところでしょうか。

●次回に向けて

吉田■最近のアジアの動き、朝鮮半島の南北首脳会談とかね、見てても、台湾での政権交代とか、東ティモールが独立したとか、インドネシアでの民主化とか、アジアのほうが、新しい世紀へ向けて歴史を切り開こうとしている時代なんですよね。それを最近強く感じるんですね。逆に日本があまりにも後ろ向きで、神の国発言とか、石原慎太郎の三国人発言とか、もうアジアの中でどんどん日本が孤児になっていく感じですね。本当に一〇年経ってもまだ日本の政治家、それから日本人国民が、こんな内向きになってたらですね、取り残されていきますよね。そういう中において、あまりにも今日本の政治に象徴されるような、あるいはジャーナリズムの中で★★★小林よしのり論★★★のようなものが横行して、まだ新しい歴史教科書を作るなんて、ものすごい時代遅れ、アジアの全体の現在のアジアの動きから見ると、何かとんでもないギャップを感じますよね。これからはやっぱりアジアというものを通して、日本人の生き方、もちろんアジアの世界に入っていって、それぞれの人がまた自分の生き方を自問自答していってほしい。それが今後問われてくるような時代だということを自覚してほしい。だからもうちょっと日本の歴史とアジアがどう関わったか、戦争の傷跡みたいなのでもいいし、あるいはからゆきさんとか、日本人とアジアが切り結ぶようなところをトライしてみるのも、新しい分野が開けてくるかもしれないと思ったりします。
染谷■ふだんお茶の間にいてテレビをつければ、アジアなり世界なりの映像が映りますよね。でもそれはスイッチを切ってしまえば、それで切れてしまうものなんです。生活の中で雑誌を開けばそういった映像がある。でも閉じてしまえばそれっきりで、自分のただの暮らしがある。すべて場所や時間が寸断されて入ってきているじゃないですか。だから今自分がいるところとアジアのそこという場所、今自分が暮らしている場所と、アジアの時間、またはかつて、つらいことが起こった場所や時間みたいなものがバラバラになっていると思うんですね。せっかくアジアに出かけていって写真を撮ろうとする人たちは、お茶の間でテレビをつけてつけたり切ったりして寸断されてしまっている時間や場所の感覚ではなくて、自分という生身の人間が、場所を移動したり時間を経過したりということを経験しているわけですから、日々跡切れ途切れになった、我々の周りで溢れている映像とは別に、自分っていう軸が経過してきた場所や時間をきちんと確認しながら、映像っていうものを作っていってほしいな、というふうに強く思います。
 それと、ぜんぜん話は違うんですけど、コンテストということで、もう少し写真を大切にしてほしい。雑な仕上げとか、雑な見せ方をせずに、そんなに大切な人の笑顔なら、そんなに大切な自分の感性なら、人に見せるということをもうちょっと神経を持ってやっていくべきじゃないかなっていうふうに思いました。自分の写真を大切にすることが、ひいては大好きなアジアを大切に思うことなんじゃないかなっていうふうに思います。
 あと、サイズのズレについて、ちょっと言っておきたいと思います。皆さんが普通お使いになるカメラのフィルムというのは、フィルムのマネーサイズで2センチ4ミリ×3センチ6ミリ、2対3の画面比率を持ってるわけですが、実際写真に焼き付けてくるペーパーというのは、また比率が違うわけですね。ですから余白を取らずに印画紙に画面いっぱいに焼こうと思えば、フィルムの長い辺のどちらかが切られてしまう。でも画面の隅に映っているものにも、とてもいろんな情報があるし、大切なことが映っているはずですから、プリントするときにノートリミングで画面の端を切ってしまうことなく、フィルムに映っている情報がすべて印画紙に焼き付けられるように指示をされた方がいいと思います。それと応募規定にあるように、キャビネサイズ以上ですのでサービス版の写真は、せっかくいいものが映っていても、規定外ということでももちろん写真は見ますけれども、やはり一つのルールに基づいているものなので、是非応募規定通りに応募してほしいなと思いました。
楠山■今年はインドに一六の作品が出たわけですよね。タイが一三人、中国が七人。ネパールも。あとインドシナ半島が五人ずつくらい、カンボジア、ラオス、ベトナムと。ビルマは一枚だけですね。去年ひじょうにビルマが多かったので、そのせいか今年はビルマがほとんど見当たらないという感じですね。個人的にいうとやはり韓国とか、ひじょうに少ないというのが寂しいですね。隣の国がさっき吉田さんが言ったようにひじょうに揺れ動いている、そして新しい国づくりをしている。これからもう少し皆さんが目を向けてみてもいいんではないかなと思います。バングラデシュもあまりないんですね。とにかく自分がひとつ、やっていない国をやってやろうくらいのことを思ってもいいんではないかなと思いました。
 写真というのは、現場で自分がシャッターを切る、という後に、セレクトするという重要な作業が残っています。その選定の時にかなり皆さんの方で間違っている人がいるんじゃないかと思います。できればこのときのネガを全部見たいとか思ったりするわけです。昔「ライフ」という世界的な雑誌は、これはプロの世界ですけど、必ず前後のコマを見たりだとかしたわけです。もちろんそれは演出したかどうかの確証のためというのもあるんですが。セレクトで間違えるか、間違えないかっていうことによって、いい写真が生まれてくるかどうか決まってしまうことになります。例えば、このコンテストに出す前に友達なんかに見せて、どうだろうと聞いてみるのもいいんじゃないでしょうか。もちろんいろんな意見があると思いますが、それは写真を表現する者にとってたいへん勉強になると思います。自分で撮って自分で選んで、私たちが批評して、ああだこうだっていうふうにして終わったり、「あ、だめだった」で終わるんではなくて、やはり私たち以外に、ぜひ思い切っていろんな方に見せて、いろんな批評を得て、そしてそれを糧セかてソにして、また次のチャンスに生かしてもらいたいなぁと思います。
 写真というのは、これからの日本がどうなっていくんだろうとか、自分がどうしていかなきゃいけないんだろうということを考なきゃならない。それは当たり前のことなんだけど、そのことがかなり必要な時代になってきていると思います。少なくともこのアジアウェーブの写真コンテストの中ではね、やはり自分が作品の向こう側にどんな形でいるかっていうことが、我々の興味だし、そしてそのことが、あなたの個性のある写真になってくると思うんですね。言ってみれば、日々周りからいろんなことを吸収してください。そのことが、結果的にはアジアの写真を撮ろうとどの写真を撮ろうとね、なにかこう写真に豊かなものを与えてゆくんではないかと思います。
編集部■どうもありがとうございました。賞に漏れた方も、力のある方がたくさんいらっしゃいましたし、それぞれの写真の中に伝えたいことがそれぞれ強くこめられていて、ひじょうにエキサイティングなコンテストになったと思います。優秀賞以外でも、読者の方々に見ていただきたいものは、できるだけ今後アジア ウェーブ誌上に掲載していきたいと思います。
 また今回はほぼ全部の作品をアジアウェーブのインターネット・ホームページで発表させていただく予定です。http://www.asiawave.co.jpです。9月5日にオン・ラインの予定です。ぜひご覧下さい。
 次回はドキュメント部門での作品もいっそう期待しております。韓国・中国など東アジア、また西アジアの作品も期待しております。奮ってご応募ください。
 応募者の皆さん、選考委員の方々、ほんとうにありがとうございました。

 

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