― 中央アジア ―

 

文・写真 清水隼人

 

キルギス共和国の伝統競技「コクボル」。「蒼き狼」という意味のこの競技は、騎馬のラグビーで、疾走する馬で山羊を取り合う迫力はすさまじい。騎馬民族の伝統文化を現代に伝える競技である

 

山羊が重くて方向転換が思うようにいかない!騎手は全体重を利用して馬の制御をする

 

山羊を抱えた味方が動けないでいるところを、右端の選手がその馬のクツワを持ってゴール誘導しようとする。それを妨げようと相手チームの一人が間に割って入った

 

山羊をゴールへ投げ込む選手。山羊の重さは20数kgある。ちなみに帽子は旧ソ連軍戦車兵のヘルメット。強さと軽さとスタイルがマッチしているので、いつのまにかこれを愛用する選手が多くなった

 

重いウラク(山羊)をしっかりとキープして走るときは、アブミをかけた足で押え、駆け抜けていく

 

砂煙をあげてゴールへ突進する騎馬たち

 

対戦前に必ず選手宣誓が行なわれる。「神に誓って正々堂々と勝負する!先祖の残した偉大な伝統を受け継いでいく!」

 

優勝チームへ大統領杯を授与するアカーエフ大統領

 

流鏑馬の衣装を着て開会式でスピーチする筆者の清水隼人氏

 

●はじめに
 今回ここに紹介する馬の話は、皆さんにとって珍しい地域の紀行文と映るでしょうか? 決してそのようにとらえないで下さい。私たち日本人が騎馬民族を思い浮かべるときそこに求めて止まない『勇敢な騎馬民族スピリット』が、このキルギスにこそまさに眼前に躍動し繰りひろげられているのです。なおかつそこには現在も、生きている伝統文化≠ニいう意識を持ち発展させようと努力する人々がいるのです。
 馬自体の様子もさることながら、現代社会の中で伝統文化がどのような形と可能性を持つものなのか≠読者の皆さんにぜひ問いかけたくペンをとりました。
 まず地図帳をひろげてご覧下さい。キルギスという国について簡単に説明いたしますと、一九九一年旧ソ連から独立した中央アジアの国の一つです。面積は日本の約半分。国土のほとんどは天山山脈に位置し、平均標高も約二五〇〇mといった山岳国です。独立後は経済混乱の中から旧ソ連で最初の独自通貨発行を成し遂げ世界を驚かせるなど、アカーエフ大統領の「開かれた国づくり」に意欲的な新興国です。
 これから述べる騎馬競技「コクボル」は、このキルギスの人たちによって古代から連綿と伝えられているものです(日本ではペルシャ語の『ブズカシ』の名称でご存知の方もおられると思います)。

●これぞ、まさに騎馬戦
 競技は首と足首を切り落としたウラク(山羊)をボールに見立て奪い合い、自陣のゴール「タイカザン」へ投げ入れるとポイントになり、言うなれば『騎馬戦ラグビー』とお考え頂けると解りやすいと思います。4騎対4騎で対戦しますが、控(交代メンバー)の4騎を入れて8騎で1チームとなります。
 ウラクは二〇〜三〇sにもなり、持ち上げて馬上で奪い合うのはそう簡単にはいきません。かなりの腕力と乗馬の技量が要求されます。家畜の胴体を使うと言うと、残酷に聞こえますが、そこは牧畜文化の人々、多分(比較すると怒られそうですが)日本人が米俵を担いで力比べをするというのと共通するのではないでしょうか(実際、競技に使われる山羊は大きな毛玉に見えます。殺した後の生々しい家畜という雰囲気はありません)。
 一試合は一セット二〇分を三セット行ないます。グランドは100m×50m。その両端に直径3m程の臼セうすソ状の盛土を作りゴールとします。首都ビシュケクの会場は競馬場内に設営のため砂の馬場ですが、地方会場の中には一面の緑の牧草地の所もあります。

「「さてゲームは敵味方合わせてサイドラインに整列した8騎がセンターサークルに置かれたウラク目がけて突進し奪取するところから始まります。
 地面に置いてある重さ二〇数キロの物体を馬上から掴み上げるだけで大変な技ですが、それを騎馬の集団がぶつかり合いながら競う様はものすごい迫力です。互いに相手チームの騎馬をブロックし自軍の選手が行動し易いように牽制し合います。首尾よく一人が山羊を掴み上げゴールへ走り出そうとしても、それを奪おうとする騎馬が走りながら周囲を取り巻き、ディフェンスに入った味方も交え、走りながらの騎馬のおしくらまんじゅうのようになっていきます(地面につぶれないラグビーのモールが続くという感じです)。人馬が団子状態で疾走していく様や、ゴール前で騎馬のモールが音を立ててぶつかり合う様に観客は大きな声援を送ります。騎馬民族の血が騒ぐとはまさにこのことなのでしょう。
 日本でもスポーツとして乗馬を楽しむ人は多いと思いますが、もしこのコクボルをご覧になったらびっくりされるでしょう。馬がこれほど強靭で、荒々しい使い方に耐えられるものだとは想いも寄らないことでしょう。
 実際、騎馬戦とか騎馬軍団とか言っても、今の日本の人は歴史の中の物語のみでイメージを膨らませてきたとしても過言ではないでしょう(現在の日本人が騎馬民族のイメージを当てはめるとき、まず憧れるであろうモンゴル人の土地には、この競技はありません)。
 筆者は初めてキルギスでコクボルを見たとき、「古代より変わらぬ、そして騎馬民族本人たちが実践する馬本来の使われ方を遂に見つけられた」と驚き、かつ喜びました。
 今、誌面でしかお伝えできないのが残念なくらいです。日本人が好きな『騎馬民族』という言葉の中の、最も華麗で重要な『勇壮な騎馬軍団・機動力』の部分がここに存在する素晴らしさを、繰り返し強調しておきたいと思います。

●彼らこそ騎馬民族の真の末裔
 コクボルの他にもキルギスには幾つも馬を使った競技が伝統文化として残っています。
それらは古代より騎馬民族ならではの競技として継承されてきたわけです。コクボルという名前はキルギス語で『蒼き狼』という意味です。「おや、別の民族のイメージとそっくり」と思われた読者も多いでしょうが、こちらキルギスの方が歴史や伝説からひも解いて見てもオリジナルに近いと言えるのではないでしょうか。
 キルギス族は紀元前匈セきょソ奴セうどソの時代よりその存在が知られ、西暦八四〇年には内陸高原を統一しました。さらに時代が下って一二世紀末その高原に新しい支配民族が登場し、現在はその民族名を使ってその土地をモンゴル高原と呼ぶようになったわけです。
 遊牧騎馬民族と言うと、読者はまずモンゴルをイメージされるでしょうけれど、歴史に登場するのはこのように中世以降のことなのです。つまり有史よりの騎馬民族文化をテーマとする場合、キルギスは最も古いグループの一つであり、一般に注目を浴びていませんが、現代まで続くオリジナル性を持ち、この点はもっと強調されてもよいと思われます。
 中国の史書に登場し、民族名とその系列が現在まで続き、しかも名称を国家として継承している古代騎馬民族は、堅昆(キルギス)と丁零(テュルク)という二つのトルコ系民族だけとも言われます。日本人が騎馬民族イメージの筆頭に置くのはモンゴルですが、内陸アジアでそれ以前の一千年間は、主にトルコ系民族が遊牧騎馬民族文化の主人だったのです。テュルクは西へ移動を続け、ご存知の通りボスポラス海峡まで達し、「トルコ」という大帝国を興しました。一方キルギスは北方ユーラシアで幾多の騎馬民族と交戦を繰り返しながら天山山系に移りその命脈を保ちます。「太古より現代まで民族が続いているから」、そして逆に「伝統文化を大切に強固に守る意志があったから」、どちらにしても騎馬競技が現代まで存続し民衆から支持された所以といえるでしょう。
 競技名コクボルの名の由来も、狩りのあと獲物の狼を騎馬で取り合って遊んだのが始まりとされています。まさにユーラシアの騎馬民族が「蒼き狼」のイメージを持っていることの伝承の最も初期のものと言っても差し支えないでしょう。

●現代における伝統文化の一つの可能性として
 筆者がこのコクボルを見続けてきた理由は騎馬の躍動感に魅了されたことの他にもう一つ、競技運営する人たちの主旨に感心するところが大きかったからです。彼らは、何とかしてこの騎馬文化を組織化発展させ、「新興国家のアイデンティティ形成への一助としたい」という意向と、さらに、「自分たちが誇れる民族文化を世界に示し」「同時に世界各国と共有化できる騎馬文化を尊重することによってキルギスが文化交流の牽引役にもなれる」という熱意を燃やしています。
 キルギス共和国コクボル競技連盟は九八年このような考えを持って設立され、それまで祭事の時の遊技でルールも曖昧だったコクボルをルールシステム化し、競技として成立させました。
「伝統文化を前面に出した正当なナショナリズムで独立後の混乱の国民を鼓舞しよう」「州ごとの地方予選を経て全国大会にてチャンピオンを決め、民族文化を受け継いでいく牧畜農家の子供たちへの夢を与えよう」と、馬事畜産関係者の間で発足されたのです。
 九九年八月の独立記念日に開かれた第一回全国大会が成功し、今年は第二回大会が大統領杯の元に開催されました。優勝表彰を大統領自らが行なうなど大変な盛況ぶりでした。
 中央アジア大会と称する国際競技大会が開かれることもあります(中央アジアのトルコ系民族にはコクボル競技がコクパル、ククパル≠ネどの呼び方で伝わっています。すべて「蒼き狼」という意味です。ペルシャ系の色濃い地域ではブズカシ<uズは山羊、カシは引くという意味、つまり「山羊の引っ張り合い」と言われています)。
 中央アジア内でも、キルギスは競技チームの強さはもちろん、連盟の組織力も群を抜いていると言えます。中央アジア大会と聞くや、たちまち各州の有力人馬を集合させキルギス・ドリームチームを編成して他国のナショナルチームをワンサイドゲームで圧倒します。
 昨年一二月ウズベキスタンで開催された折はパーフェクトゲームが相次ぎ、文字通り「キルギス騎兵に向かうところ敵無し!」「現代に残る騎馬軍団」と喝采を浴びました。

●来年以降はより大きな目標に向けて
 筆者は当連盟の設立時より参加し、この競技を見守ってきました。たんにイベントの取材のためではありません。私は日本における馬上の弓道‖流セやソ鏑セぶさソ馬セめソを習ってきました。コクボルを通して、その馬を扱う伝統技術と並んで、民族文化としてどういう発展(または進化)をたどるのかという興味のある動きに出会い、見届けようと思ったのです。今年の大統領杯大会では、日本の民族馬術の愛好家代表として日本の馬術用の着物を着てキルギス語でスピーチを披露しました。表彰式では大統領と列席して入賞者へのプレゼンテイターという晴れの役まで授かってしまいました。
 私のような一個人へもこれだけの理解を示してくれるのは、民族馬術文化がこれからの文化交流の大きな発展材料になり得るとの信念に基づくからでしょう。世界中で数少ない民族馬術の組織との連携を考えているようです。その国々において馬の文化はやはりその歴史や迫力から第一級のものになり得ることは読者の皆さんにも推量していただけると思います。
 競技連盟は今、さらなる舞台を考えて飛躍しようとしています。皆さんは二〇〇二年が『国際山岳年』となって国連に登録されたのをご存知でしょうか。主催者はユネスコで、世界規模の自然環境保護運動となり観光奨励行事も予定されるそうです。現在はスイス・イタリアなどがメンバー国となり企画を進めていますが、ヨーロッパ以外では唯一キルギスだけが後援国になっています(九月二〇日現在)。「天山山脈の国、騎馬民族文化が今も花咲く国」と謳い、キルギス当地において関連行事を開催できることはほぼまちがいないでしょう。コクボル連盟がこの機会をとらえ、世界に民族馬術文化というスタンダードを設けることが可能かどうか、実現はいかに「「今からとても楽しみです。

 

清水隼人
しみずはやと
プロフィール

1961年生まれ。日本で古式馬術「流鏑馬」を習っていたが、本場内陸アジアでの騎馬民族伝統競技を見聞するため、脱サラをして単身大陸に渡る。現地へ飛び込んでモンゴルで1年半研究し、さらにキルギスで5年研究を続けた。
 すべて現地語で、現場の生の声と付き合い、「民族文化の発掘」を続けている。「現代の国際社会において、伝統文化という分野がもっと重視され、活用されるべきだ」との信念でがんばっている。独身。

 

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