中央アジアの草原にて汗血馬を証明する

幻の名馬「血の汗を流す馬」━━発見

 

 

 

イラスト/鈴木由香里

 

 

 漢の時代の歴史書に登場する中央アジアの馬は、中国の為政者、武人に垂涎の的だった。大規模な戦闘を制するのは、騎馬軍団の力であり、その力はさらに馬の疾走能力や耐久力、運搬力が決定的な要素となったからである。また騎上から閲兵する際にも、リーダーのステイタスとして、現代での乗用車以上のシンボルの役割を果たしていた。どの皇帝、どの将軍も優れた馬を手に入れたがったとされている。なかでも「汗セかんソ血セけつソ馬セばソ」(血の汗を流す馬)は名馬中の名馬として、歴史書に記されている。
「汗血馬」「「長く伝説の名馬として語り継がれてきたそれが、中央アジアに実在した。
 伝説の「汗血馬」を現代に明らかにしたのは、歴史文化研究家の清水隼人さん。本号の騎馬競技紹介にもあるとおり、清水さんは日本の流セやソ鏑セぶさソ馬セめソから出発し、騎馬民族文化をフィールドワークするため、モンゴルをはじめ中央アジアを数年来訪問している。現地語にも堪能となり、すべて自分の目と耳で、そして自ら馬にまたがり活動を続けていくうち、中央アジアの馬には汗血という現象が現在もあることを知る。そして今回ついにその様子を写真に収めることに成功した。
 馬の皮膚表面への出血という現象は現代では畜産学上「寄生虫によるもの」として解明されている。「古代文献の『汗セかんソ血セけつソ馬セばソ』の表現はその症状を示すものではないか」との見方もあった。しかし、日本のシルクロード研究の中で汗血馬のイメージは膨らんでも、実際にその確認に現地調査に赴く人はいなかった。
 今回、清水さんは次の二点で「漢の武帝の心を動かした張セちょソ騫セうけソ古セんソの言葉は本物だった」と実感している。つまり、
@血の汗のように見える現象は、馬が激しく運動した場合、それに付随してのみ出現し、流れ出した汗とともに馬体の表面を濡らすものである。
A土地の牧民たちは汗血馬に対し、「エネルギーがあり余って血を噴出させるたくましい馬」というイメージを持っている(現地畜産関係者のなかには、寄生虫が要因であると知っている人も少なくないが、その家畜としての実害はまったくなく、乗用馬への使用を認めている)。
 と、まさに歴史で言われ続けたとおりの現実が把握できたからである。
 清水さんいわく、「汗血馬の例に見るように、歴史や文化というテーマは、現地の人と本当に付き合っていれば、自ずから見えてくるものだと思います」
 今回のことを「『血を流す馬』が日本では『謎とロマンの域を出ていなかった』のに、現地では『ときどき起こることで、牧畜民にとってはごく普通に存在する話』だった「「事実と伝説の間を結びつけることができた、文化の溝を埋め、つなげることができたのがいちばんの収穫です」と言う。
 清水さんはこの他にもシルクロードの歴史や文化をテーマに、新しい事実の証明へとつながる材料をいくつか追い続けている。
「いつかアジアウェーブの皆さんにも披露したいので楽しみにしていてください」とのことだ。期待しよう。

 

 

中国の古典の中の汗血馬

 古代より中央アジアの馬の優れていたことは、漢代の文献にも記されている。「漢書」に、「大宛(だいえん/中央アジアのフェルガナ地方)もと天馬種あり、石を踏みて血を汗あせす。汗は前肩膊より出で血のごとし。一日に千里と号す」とある。
 中国では古来名馬を「天馬」と称しているが「史記」の「大宛列伝」によると、「はじめ烏孫(うそん)の馬を天馬と名づけたが、大宛の汗血馬を得てみるといっそうたくましかった。そこで大宛の馬を『天馬』と称し、烏孫の馬を西せい極きょとく改めた」と記述されている。
 漢の武帝の時代、張騫(ちょうけん)の西域遠征により、西域に名馬のいることが知られるようになった。この汗血馬に魅了された武帝は、紀元前一〇四年、李広利を「貳師(じし)将軍」として大宛征伐に向かわせた。汗血馬を獲得するためだった。李広利は二度目の遠征で良馬数十頭、中馬三〇〇〇余頭を得て凱旋した。武帝は大いに喜び、「西極天馬の歌」を作らせたといわれる。
 以後中国では「汗血馬」は名馬の代名詞となり、唐代の杜甫の詩「洗兵馬」の一節にも「京師みな騎す汗血馬」とうたわれている。

 

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