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カレン民族解放軍のなかで注文
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カレン軍の戦いの事情は下記の本に詳しく書かれています。ご興味のある方はご連絡、ご注文ください。
ビルマ軍によるカレン殲滅作戦「ドラゴン・キング作戦」に反抗して戦うカレン軍兵士。最大の激戦地となった1992年1月のティパウィチョウの戦い。傷ついて、味方兵士を抱きかかえて敵の弾丸のなかをくぐっていくカレン軍兵士       Photo by David Dickinson

●一通の手紙
 一通の国際郵便が五月一日、タイ・ビルマ国境から届いた。封筒に記された宛名に目をやると、妙に見覚えがある。よく見ると、自分で表書きをした返信用の封筒だった。封を切ると、一〇センチ四方のメモ用紙が一枚。ボ・ジョー司令官からのメッセージが入っていた。
 タイ・ビルマ国境は今でも、終わりの見えない「武装抵抗闘争」が続いている。ボ・ジョーは、ビルマ軍事政権に反旗を翻す、カレン民族同盟解放軍(KNLA‖Karen National Liberation Army)第5旅団の最高責任者である。カレン人による、自治権獲得の闘争は今年一月末、五三年目に突入し、とうとう世界で一番古い内戦となった。

●若き司令官──ボ・ジョー
 若いカレンのゲリラ兵三名に付き添われてビルマの山奥に入ったのは、昨年十二月二三日。山を下りてきたのが一月七日。目的はただ一つ、ボ・ジョーに会うことだった。他の六つの旅団の司令官が全員六〇歳を越す中で、彼はただ一人、三〇代後半の司令官だ。
 実は一昨年、彼と会う機会は何度かあった。だが、運悪くすれ違いが続いた。ビルマ軍から「賞金首」が懸けられているボ・ジョーは、隠密行動が多い。カレンの取材にはそれほど苦労しない私も、彼と直接会うことにてこずっていた。また、第五旅団に行くには、とにかく時間がかかる。徒歩による山越えである。往路に一週間、滞在に一週間、復路に一週間、ビルマ政府軍の動向を考えて予備に一週間。たった一週間の取材に、最低一カ月の期間を確保しなければならない。
 首尾よく彼を取材できたとしても、それが必ずしも一般のメディアで報告できるとは限らない。そう考えると、カレンの取材はできれば、タイの町が近い、KNLAの第6旅団か第7旅団でということになる。しかし、少しでもカレンの実状に明るくなると、その取材方法は、全く不完全なものだと気づく。

●ボ・ジョーの苦悩
 できるなら新世紀を山の中でカレンの人たちと一緒に迎えたい。カンボジアで取材をしていた昨年の十二月、そう思い始めた。すぐさまその思いを行動に移した。タイの首都バンコクからビルマ国境をめざした。ボートを借り切って国境のサルウィン河をさかのぼり、雨季なら一週間以上かかる山道を約二日間歩いた。
「ここまで取材に来てくれたジャーナリストは君が初めてだよ」。ボ・ジョーは、にこやかに出迎えてくれた。朴訥とした風貌。司令官と名乗られなければ、田舎の農夫となんら変わらない。
 話の中で偶然、彼は私と同じ年齢だということが判明した。それも同月生まれ。たった六日違いの生年月日。三十数年前、ほとんど同じ時期、この世に生を受けた彼と私。何がその違いを生じさせたのか。「戦いたくない。が、戦わざるを得ないんだ」。噛みしめるように話してくれたボ・ジョー。私は彼の置かれた状況の過酷さを想像することはできるが、決して彼の感じる思いを共有・共感できるはずはない。彼と自分の立場の違いを痛感させられた。
 新世紀を迎えた一月一日朝五時四〇分、六〇名のカレン兵を率いた彼はビルマ軍に戦いを挑んだ。手持ちの武器は旧式でうまく作動しなかった。五名の死者。一三名の負傷者。ゲリラ戦としては致命的な大敗である。そんな彼に私は残酷な質問をした。「死んだ五人の人生、運命についてどう思う」と。その日の午後、彼は柵に腰をおろし、じっと考え込んでいた。その姿は今でも目に焼き付いている。夕方、彼は過労で倒れた。

●手紙での交信──終わりのない抵抗闘争
 第5旅団を後にする前夜、彼は私に、別のカレン名と連絡先を教えてくれた。日本に戻って落ち着いた四月、私はその連絡先に、返信用の封筒を入れて手紙を送った。
そのボ・ジョーから五月初め、返事が届いたのだ。「今度はいつ来るのか。また色々と話がしたい。例の件は、やっぱり無理だったよ」返信の手紙の中には、決して外部には出せない、二人だけで交わした話の内容の結果が簡潔に書かれていた。ビルマ政府軍と砲火を交えるボ・ジョーはまた、カレンの中でも孤立しているようだ。なんら効果的な解決策を持たず、現状の変革を望まないカレン指導部の老幹部たち。ボ・ジョーの不満はいつか爆発するのではなかろうか。
 あまりにも長期化した戦闘のため、カレン人の間にも厭戦気分が広がっている。一〇万人を超える難民キャンプでは、戦闘をやめることのできないカレン指導部に対する不満もたまっている。昨年末から秘密裏に始まっていた政府側との和平交渉も足踏み状態が続く。二月から三月にかけて、停戦に向けて大きな動きがあるかもしれないと聞いていた。だが、それも噂に過ぎなかった。終わりのない抵抗闘争は、雨季が明けても続くようだ。

大場玲次
おおばれいじ
(フォトジャーナリスト)
1993年よりビルマの取材を始める。
http://www.uzo.net/にて写真やルポを発表中

終わりの見えない「武装抵抗闘争」
タイ・ビルマ国境若き司令官ボ・ジョー
文・大場玲次