
西武新宿線、中井駅にある「中井前クリニック」は外国人の患者が多い。診察を受けた患者の口コミでひろがっているそうだ。中木原和博医師がここにクリニックを開いてから三年になる。今は診察を他の医師にまかせ、NGOの活動を中心にしていこうとしている。ここでクリニックを開くまで、ミャンマー人に特別関心を持っていたわけではなく、多くの患者を診てきてそのような活動をすることになったという。
中井駅近辺は特にミャンマー人の住人が多い。月に三〇〇人ほどの外国人の患者を診るという。その八割がミャンマー人で、残りの二割がマレーシア人、ネパール人、中国人、韓国人などだ。彼らは健康保険証を持たないため病院により診療、治療の金額に大きく差があり、苦労している。貧しい外国人を相手に法外な治療費を請求する病院もあるという。中木原医師は患者たちに適切な病院の紹介もしている。また、診察よりもその前と後の世話が多いと言う。亡くなった方の身内を見つけたり、葬式を頼んだり、身内がいない場合には知り合いにお骨を預けたり、仕事がない人に労働組合の紹介や、知り合いの紹介、また法律問題で困っている患者には弁護士の紹介もしている。
多くのミャンマー人の患者がエイズや肝炎で命を落としている。ミャンマーでは医療事情が悪く、外国からの輸入に頼らざるを得ない医薬品は、経済事情の悪化のため、暴騰し、ほとんどの病院でも不足している。エイズ患者のほとんどはミャンマーにいた時に病院が注射をまわして消毒しないで使うため感染したものだという。これが日本へ来て、過労のため様々な病気が出てくるらしい。
困ったことに残りわずかの命とわかったときに不法侵入しているため、入国管理局で審問され、すぐには出られない。また、日本のミャンマー大使館に一人につき一カ月一万円の税金を納めなくてはならない。一年滞納すると一二万円、二年滞納すると二四万円である。それが払えないことにより国に帰れないことだ。この税金を徴収している在日大使館はミャンマーだけだ。これがどうにかならないものかと多くの人が訴えている。

中木原医師から紹介してもらって二人のミャンマー人と話すことができた。その一人はKさん。一九九一年から日本にきて大阪で五年、東京で五年働いたという。日本の印象を聞くと、病気にならなければいい環境だけれど、病気になると大変だと話す。ワーキングビザがせめてあればと言う。ミャンマーに住む父親が亡くなり母親を見るために帰ろうとしていた矢先の入院だった。Kさんは余命三カ月のガンだった。今は、どうやって帰るかが問題になっている。
もう一人はミャンマーの民衆平和のために活動しているJさんだ。一度はミャンマーで警察に捕まったため、六カ月刑務所に入り、解放されたのと同時に日本に逃げてきたという。三人の娘と奥さんをミャンマーに置いてきている。ブラックリストに入っているため、手紙も送れず、電話もすべて盗聴・録音されている。またミャンマーはファックスもインターネットも政府が握っているため、それらの手段で連絡を取ることはできない。奥さんはヤンゴンから出ることもできないという厳しい境遇だ。
以前は中心になって活動していたが今は家族のことを考え、日本にいるミャンマー人のグループを、後ろから支援している。この一〇年の間にJさんの両親も姉も亡くなったという。奥さんや子供にも何度も帰ってきてほしいと頼まれたが、ミャンマーの民衆の平和のために残ったと言う。ある日本人がミャンマーに行ったときに家族をビデオにとって帰ってきた。私がJさんに話を聞きに行った時、ちょうどそのビデオを見た後だった。それには当時まだ生まれていなかった現在九歳になる娘のメッセージもあった。 Jさんは涙を流しながら「自分は強いと思う。でも九歳の娘に言われると苦しい。『帰って来てほしい、お父さんと会えないなら、私はだれから生まれたのかわからなくて、どうしようもなくさびしくなる』とその子が言っていた。胸が痛いよ。本当に痛い」と話してくれた。彼らのグループが日本の政府に何度お願いに行っても、表面上は力になると言いながら、全く何もしてくれないという。
多くのミャンマー人、外国人の人が苦しみに遭っている。この日本でそのような境遇に置かれている人たちがいるということを意識していかなければと思った。