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中井駅前クリニックの中木原医師
夕闇の高田馬場
在日ミャンマー人の困難
Burmese in Japan
安楽 怜

●クリニックから見た在日ミャンマー人事情
 西武新宿線、中井駅にある「中井前クリニック」は外国人の患者が多い。診察を受けた患者の口コミでひろがっているそうだ。中木原和博医師がここにクリニックを開いてから三年になる。今は診察を他の医師にまかせ、NGOの活動を中心にしていこうとしている。ここでクリニックを開くまで、ミャンマー人に特別関心を持っていたわけではなく、多くの患者を診てきてそのような活動をすることになったという。
 中井駅近辺は特にミャンマー人の住人が多い。月に三〇〇人ほどの外国人の患者を診るという。その八割がミャンマー人で、残りの二割がマレーシア人、ネパール人、中国人、韓国人などだ。彼らは健康保険証を持たないため病院により診療、治療の金額に大きく差があり、苦労している。貧しい外国人を相手に法外な治療費を請求する病院もあるという。中木原医師は患者たちに適切な病院の紹介もしている。また、診察よりもその前と後の世話が多いと言う。亡くなった方の身内を見つけたり、葬式を頼んだり、身内がいない場合には知り合いにお骨を預けたり、仕事がない人に労働組合の紹介や、知り合いの紹介、また法律問題で困っている患者には弁護士の紹介もしている。
 多くのミャンマー人の患者がエイズや肝炎で命を落としている。ミャンマーでは医療事情が悪く、外国からの輸入に頼らざるを得ない医薬品は、経済事情の悪化のため、暴騰し、ほとんどの病院でも不足している。エイズ患者のほとんどはミャンマーにいた時に病院が注射をまわして消毒しないで使うため感染したものだという。これが日本へ来て、過労のため様々な病気が出てくるらしい。
 困ったことに残りわずかの命とわかったときに不法侵入しているため、入国管理局で審問され、すぐには出られない。また、日本のミャンマー大使館に一人につき一カ月一万円の税金を納めなくてはならない。一年滞納すると一二万円、二年滞納すると二四万円である。それが払えないことにより国に帰れないことだ。この税金を徴収している在日大使館はミャンマーだけだ。これがどうにかならないものかと多くの人が訴えている。

●ミャンマー人
 中木原医師から紹介してもらって二人のミャンマー人と話すことができた。その一人はKさん。一九九一年から日本にきて大阪で五年、東京で五年働いたという。日本の印象を聞くと、病気にならなければいい環境だけれど、病気になると大変だと話す。ワーキングビザがせめてあればと言う。ミャンマーに住む父親が亡くなり母親を見るために帰ろうとしていた矢先の入院だった。Kさんは余命三カ月のガンだった。今は、どうやって帰るかが問題になっている。
 もう一人はミャンマーの民衆平和のために活動しているJさんだ。一度はミャンマーで警察に捕まったため、六カ月刑務所に入り、解放されたのと同時に日本に逃げてきたという。三人の娘と奥さんをミャンマーに置いてきている。ブラックリストに入っているため、手紙も送れず、電話もすべて盗聴・録音されている。またミャンマーはファックスもインターネットも政府が握っているため、それらの手段で連絡を取ることはできない。奥さんはヤンゴンから出ることもできないという厳しい境遇だ。
 以前は中心になって活動していたが今は家族のことを考え、日本にいるミャンマー人のグループを、後ろから支援している。この一〇年の間にJさんの両親も姉も亡くなったという。奥さんや子供にも何度も帰ってきてほしいと頼まれたが、ミャンマーの民衆の平和のために残ったと言う。ある日本人がミャンマーに行ったときに家族をビデオにとって帰ってきた。私がJさんに話を聞きに行った時、ちょうどそのビデオを見た後だった。それには当時まだ生まれていなかった現在九歳になる娘のメッセージもあった。 Jさんは涙を流しながら「自分は強いと思う。でも九歳の娘に言われると苦しい。『帰って来てほしい、お父さんと会えないなら、私はだれから生まれたのかわからなくて、どうしようもなくさびしくなる』とその子が言っていた。胸が痛いよ。本当に痛い」と話してくれた。彼らのグループが日本の政府に何度お願いに行っても、表面上は力になると言いながら、全く何もしてくれないという。
 多くのミャンマー人、外国人の人が苦しみに遭っている。この日本でそのような境遇に置かれている人たちがいるということを意識していかなければと思った。

 高田馬場駅周辺にはビルマ料理店が五軒ある。「ナガニ」(赤い龍=かつての反英民族主義運動のシンボル)、「ミンガラーバー」(「おめでとう」の意味だが、現在は「こんにちわ」の意味でも使われる)、「ナウンインレー」(シャン語でインレー湖。この店はシャン料理専門)、「センチュリー」、「トップ」といずれ劣らぬ立派な名前をつけている。どの店も経営者、コックともにビルマ人である。本・雑誌、ビデオ・CD、衣類、食料品などをそろえたコンビニ風のビルマ雑貨店も近くに三軒ほどある。これらも在日ビルマ人が経営している。料理店にせよ、雑貨店にせよ、客はほとんど在日ビルマ人である。
 在日ビルマ人の数はおよそ一万人。半数以上は滞在期限超過者(オーバーステイ)である。こうした人たちは就労資格のない短期滞在査証で入国し、期限が過ぎたあとも滞在し、働き続けている。彼ら、彼女らは、日本へ来るために斡旋業者に高額な金を支払って手続きをするのが普通である。できるだけ多くの金を早く稼ぎたい、だから朝は喫茶店、昼はラーメン屋、深夜から早朝にかけては居酒屋といった風にいくつもの仕事をかけもちし、肉体を酷使している人が多い。くたびれ果てて炊事も面倒になると食事はビルマ料理店ですます。ヤスミ(ビルマ人たちが一番先に覚える日本語)にはビルマ雑貨店をのぞいたり、ビルマ料理店で同胞と会い、情報交換をしながら慰めあう、時には酒を酌み交わし、カラオケも楽しむというのが生活パターンである。
 高田馬場は忙しい生活を送る東京のビルマ人たちにとって職場と住居の中間点にあたる。一〇年ぐらい前は、高田馬場から二駅先の西武新宿線中井駅周辺がリトルヤンゴンで呼ばれるほどにビルマ人たちでにぎわっていたが、今はそれが高田馬場へ移ってきている。しかし、中井と違って高田馬場駅周辺は繁華街であるから、街中でビルマ人の姿が目立つことはない。目立たないことは、ビルマ人に限らずオーバーステイの在日外国人にとって大事なことである。目立つと摘発される危険が増える。なるべく香辛料の匂いを抑えて料理をする、壁の薄いアパートでは放歌高吟はしない、夜は自転車に乗らない(無灯火や二人乗りのため警官に止められ、摘発されたケースは少なくない)と、ひたすらおとなしく暮らすビルマ人が多い。
 その代わり、在日ビルマ人社会のコミュニティ活動はさかんである。上座部仏教徒にとってはなによりの心の支えであるビルマ僧は、在日のビルマ人たちが招いて、いま東京に常住されている。例えば、雨安居にあたって戒を守る誓いを立てたい時、結婚や誕生日、親の年忌にあたって寄進(ダーナ)や施食(スンチュエ)をしたい時、定(精神の安定/タマーディ)を求めて瞑想をしたい時など、折りにふれてビルマ人たちは僧侶のもとを訪れる。三〇〇〇人ものビルマ人が集まる水祭り(新年を祝う祭り/ここ一〇年ほどは中野で開催)ほどではないが、雨安居明け(ダディンジュッ)の祭りや僧侶に僧衣を寄進するカティナ衣会なども例年東京で盛大に行なわれている。もちろん、カレン、カチン、チンなど少数民族出身者に多いクリスチャンや、イスラム教徒のビルマ人たちも、それぞれに連絡を取り合い、定期的に集まる機会を持っている。
 集まりや催し、慶弔のお知らせなどは「エラワン」をはじめとするビルマ語誌や料理店・雑貨店などに張り出されるポスターやチラシなどで伝わる。ほかの国からの人たちに比べてつきあいは密で、助け合いもそれなりにある。おたがい問題をかかえた母国のことが気になって、同胞意識が強まるのかもしれない。日本に居て母国民主化の運動をすすめているビルマ人も多い。LDB(ビルマ民主化同盟)、NLD・LA(国民民主連盟・解放地域)日本支部、BRAJ(在日ビルマ・ロヒンギャー人協会)などビルマ民主化をめざす団体は、日本人の理解・協力を求めながら国際的な運動の一翼を担っている。それぞれの団体の幹部はほとんど日本政府から難民(政治亡命)認定や在留特別許可を得ている人たちだが、一般の在日ビルマ人とかけ離れた存在では決してない。
 在日ビルマ人たちが頭を悩ます問題は、入管に摘発されて強制送還される心配に加えて、医療と税金である。保険に入れない人がほとんどだから病気になったら困ってしまう。とくにエイズ。ここ数年日本でエイズを発症するビルマ人は増えている。「アジア友好の家」などのNGOが救援の手をさしのべてはいるが、問題の解決には遠い。
 税金とは、日本政府に納めるほかに、ビルマ人たちは在日ミャンマー大使館に月額最低一万円の税金を支払わなければならないことである。これを納めないとパスポートの延伸などの手続きを大使館はしてくれない。たまるとたいへんである。病気になったり、もう充分働いたからと、入管に出頭して帰国しようとしても、大使館への税金が未納であるため、帰るに帰れないビルマ人も少なからず居る。ここにも軍事政権の悪政が及んでいる。
日本の中のビルマ
高田馬場で会いましょう
〜在日ビルマ人はいま〜
田辺寿夫
ビルマ市民フォーラム