カンボジアでは2002年二月三日、和平以後初めての統一地方選挙が行なわれた。今回の選挙は市・郡・村の各長を決める選挙で総議席数八八六二という膨大な数の各長が選出される。この地方選挙の帰趨は今後のカンボジア政治において、中央政権がどう地方を掌握できるかきわめて重要なターニングポイントとなる。開票結果が遅れ、全体は二月八日現在明らかになっていないが、今後のカンボジアの政治の流れがどう変わるのか、この号が発行される頃には、全体が明確になっているだろう。
 昨年秋日本を訪れたカンボジア国会議員/サム・レンシー党のイム・ソバン氏に、地方選挙前のカンボジアの政治状況をお聞きしたので、それと併せて、現在まで明らかになったカンボジアの地方選挙の動向をお伝えしたい。


●正義の行なわれない政治

五十嵐●二〇〇一年秋の時点でのカンボジアの政治状況はいかがでしょう。
ヤン・ソバン■これまでの概略を申し上げますと、カンボジアは九三年に国連アンタックによる選挙があって、そのときは五〇の政党ができたのですが、フンシンペック党(シハヌーク国王の王子ラナリットによる王立党)が五八議席を取って勝ったわけです。CCP(カンボジア人民党/フン・セン首相の政権党)が五二議席、ソン・サンなどの他党が一〇議席で、ラナリットとフン・センの二人首相体制でスタートしたのですが、ご存じの通り、CCPが軍事力を握っているものですからそれを背景に次第に勢力を伸ばしていったわけです。それに危機感を抱き、フンシンペック党は九七年に武力による回復クーデターを起こし、ゲリラ戦をやったわけですね。しかしフンセンに武力鎮圧されてラナリットは追放という形になりました。シハヌーク国王のはからいで恩赦となり、ラナリットはやっと国内に戻って現在上院議長になっているわけですけれども、フンセンのCCPが以後は圧倒的勢力でカンボジアを支配して現在も動いているわけです。
 カンボジアでは、パリ平和協定以来、全体的には平和に向かっているだろうというのが、世界一般の理解であるとは思いますが、私たちのサム・レンシー党は決してそうは思っていません。確かに、戦争自体はすでに終わりました。ポル・ポトが九七年に死んだり、ポル・ポト派が投降したりして、現在戦闘自体はほとんど少なくなっています。しかしほんとうの平和というのは、正義に基づいているべきであり、正義に基づいていない平和というものは、あり得ないと思っています。
 例えばカンボジアにおいては、法を司るべき裁判所においてはまったく正義というものがなく、政府の思いのままの裁判所になってしまっています。正義がないまま政府による腐敗と横暴が続いている状況です。
●棚上げのままのクメール・ルージュ裁判
 よく知られているクメール・ルージュの裁判もこのことをよく表しています。国際社会は国際法廷を開かなければならないということを何度も言っていますが、政府は延期、延期と無限に引き延ばして、それを実現させない戦術をとって、現在まで来てしまっています。カンボジアがほんとうに平和に向かおうとするときに、カンボジアに対してあれだけの大罪を犯した人々を野放しにしておくということは、正義はどこにあるのかということになります。あれだけの人類に対する罪を犯した人々に対して、区切りをつけずに、真の平和に向かうことができるとは思えません。
 国際的な場所できちんと裁かれないのは、なぜかといえば、現在の政権の中には元クメール・ルージュだった人々がたくさんいるわけです。カンボジアの人々はこのことをよくわかっているわけですが、カンボジアが真の平和へ歩んでいくためにはどうしても踏まなければならない道であると私は思っています。

●抑圧される言論の自由


●正義がなされない、民主主義が機能していないということは、他にどんなことに表れていますか。
■例えば新聞一つを例にとってみたときに、カンボジア語の現地紙は二〇から三〇くらいありますけれども、二紙を除いてほとんどが政府系の新聞になってしまっています。二紙というのは反対党つまりサム・レンシー党よりなんですけれども、首都をはじめ一〇〇〇部から二〇〇〇部くらいしか出ていません。いちばん有名なラスマイ・カンプチアは毎日一万部出ています。政府系の新聞は政府が強力にサポートし、言論統制をしているわけです。
 トゥン・ブンリーというある新聞の編集者は、いつもフンセンに対してはっきりものを言う人物だったんですけれども、ある日モニボン通りという目抜き通りで、白昼に暗殺されました。彼は同時にサム・レンシー党の活動家でもありました。もちろん彼一人だけでなくてこれまでジャーナリストで暗殺されたのは枚挙にいとまがありません。最近でも二〇人は下りません。怪我をしたのは二〇〇人を超えます。
 九七年には、カンボジアは独立した政府を監視する機関、憲法を監視する機関がないから、憲法委員会というのを作るべきだと、サム・レンシー党が支援者とともに市内をデモしたことがありました。街中をデモしたときに、CCP側の人間によって四発の手榴弾が投げられ一七人が死亡し、二〇〇人以上が負傷しました。
 民主主義には、原則として言論の自由、出版の自由というのがあるわけで、こうした報道の自由という点から見てもカンボジアには民主主義が公正な形であるとは言えないと思います。少なくとも大きな抑圧の下にあるわけです。初めての地方選挙にもこれは大きな影響があると思います。

●経済状況――蔓延する汚職


●経済状況はどうでしょうか。
■パリ平和協定以降、三つの局面があります、まず一つは平和です。二つ目は開発です。三つ目は民主主義です。いま平和について述べましたが、経済的な側面として開発について述べさせていただきます。
 一九九三年以降、三〇億ドル以上の外国からの援助がカンボジアに対してなされましたが、現在カンボジアでは失業率が三〇%、平均寿命が五三歳、一歳以下の乳幼児死亡率は一〇〇〇人中一三〇人、エイズの感染率四%、これはアジアの中で最悪という数字です。こういう状況で、経済、保健状態は惨憺たる現状にあるわけです。
 もう一つ、カンボジアの経済の深刻な問題としては汚職があります。汚職があまりにもひどくて海外からの投資が来ないわけです。利益を上げるよりももっとひどい、前段階の状態でお金が消えてしまうわけですから、きちんとした投資が来ないという状況が続いているわけです。その結果労働人口というのが浮いてしまってカンボジアでおよそ一〇〇万人以上が失業下にあります。
●汚職に対する浄化運動はサム・レンシー党は当初から強く推し進めていますね。そのためにさきほどの手榴弾事件のように受難も多いと聞いています。
■そうしたことに対して私たちサム・レンシー党は二〇〇〇年に反汚職法を議院立法で国会に提出したのですが、CPP(汚職・腐敗がひどい)とフンシンペック党はまったくそれに目を向けようともしない、もちろん手を付けようとともしない、サム・レンシー党が声を大にして言っても、それをこうまともに取り上げようとしないという現状があります。
●具体的には汚職はどれくらいひどいんでしょうか。
■つい最近カンボジア開発調査機構CDRIというところが、ある結果を公表しました。これがカンボジアでいまたいへんな話題になっているんですが、カンボジアの官僚が犯している汚職の総額が年間で七〇〇〇万ドルに上っているということです。
 同時に彼らが調べたのは、税についてなんですけれども、そもそも徴税というのがまともにできていませんから、現行法で取れるものを一〇〇%としたときに、現在徴収できているのは二〇%か三〇%程度でしかないという状況なのです。国会議院としても、お金持ちにしても、金がありますから豪奢な別荘や邸宅を買っているわけです。それを外国人とかに貸して膨大な収入を得ているわけです。国会議院自らその税金を払っていない。そういう例は枚挙にいとまがないほどです。
 それから、ロイヤル・エアー・カンボジア(カンボージュ)という航空会社が今回潰れました。それがこれまでに政府から二五〇〇万ドルの支援を受けていたのですが、このお金も返ってこなくなりました。これも汚職問題が絡み、またそれによるまちがった経営が招いたものです。

●木材の乱伐


●木材の乱伐も深刻化しているようですね。それも汚職と関係があるんでしょうか。
■違法の木材伐採の話ですね。一時期よりたしかに減ったんですが、それがなくなったなどというのはとんでもない話で、現在でも大量に木材は伐採されています。国道六号線が違法伐採道路になっていて、コンポントムやシェムレアップの道路にみな材木が置いてあるのです。国道六号線は日本の支援で道路が直りましたからね。その六号線沿いの木がぼこぼこ切られて、それをシハヌークビルまで運んで輸出しているのです。
 法によると、罰金があったり、国の管理規制があったり、違法するとその会社を閉めなければならなくなったり、いろいろな措置がなされるはずなのですが、一度もなされたことがありません。
 グローバル・ウィットニスというNPOの調査によると、森林伐採の問題はたいへん深刻化しているという警告が出ました。カンボジアの森林の割合は一九六九年に七五%、九三年に五〇%、二〇〇一年に三〇%に激減しています。伐採した材木を積んだトラックは夜間に移動するんです。違法伐採については、むしろ陰に潜り込んで深刻化していると言えます。ゆゆしき問題です。

●土地を失う農民――農村の荒廃


●土地を失う農民が急増して、それがプノンペンに流れ込んで、新しいスラムを形成したり、タイに出稼ぎに行ってひどい状態になったりしていると聞きましたが、なぜ農民が土地を失うのですか。
■前政権の八九年から九三年の初頭まで、CPPカンボジア人民党が支配していて、前はこれは共産党政権だったわけです。国連が入ってくる直前に制定した土地取得法によって突然固有財産を認めたのです。そのときに共産政権からの移行でしたから、土地はきわめて安かったわけです。ところがそのころは一般人に情報が伝わる構造がまったくなくて、ハイランクの人々、政治中枢に近い人しか知らなかった。知事やら区長やら、村長やら国会議院やらという人間たちだけが、土地をガンガン取得したわけですね。ところが一般農民たちはそんなことはまったく知らなくて、その手続処理にまったく対処を知らなかった。以前からカンボジアにはそんな土地に関する書類、証書などはなかったものですから、そのまま見過ごしてしまった。そんなことはまったく知らずに九三年のアンタックによる選挙を迎えたわけです。
 ところが九三年以降、土地は急騰し、特に二、三年前からプノンペンやアンコールワットのあるシェムレアップなどの土地は暴騰しています。暴騰をきっかけに全国で特に政権党関係の人間たちがこの人たちに証書がないことをいいことに、詐欺取得を始めたわけです。これが土地問題の発端です。これによって何千という単位でプノンペンに来ている農民が、土地を失ってプノンペンに来ているわけです。騙し取られているような形ですね。
 以前お話ししたことがありますが、パイリンから行き場がなくてプノンペンに来た何百人という農民に緊急物資支援をしたんですけれども、彼らもみな搾取されて土地を奪われた農民たちでした。そうしたことが現在にいたるまでカンボジアの土地、農業に関する大きな問題になっています。
 カンボジアは八割五分が農民で、そのうち一三%が土地を持たない農民で残りの八七%が土地を持った農民です。しかし地方を回るともっと多くの農民が土地を失っています。農民が土地を失う、こうした状況がカンボジアで現在進行しているのです。一ヘクタールあっても一家族は食べられません。もっと土地は小さく狭められている状況にあるのです。四分の一さえ持てない農民が増え、タイへの惨めな出稼ぎも急増しています。農民の小作化、零細化、隷属化が急激に進行しています。

●地方選挙をめぐって


●こうした状況でいよいよ地方選挙が行なわれるそうですが、それについてはいかがでしょう。
■やっと和平以後やっと二〇〇二年二月三日に地方議院選挙が行なわれるわけですが、選挙人登録に関してすでに大きな問題があります。国家選挙管理委員会NECが選挙人登録を決めるんですが、選挙者は九三年に登録したカードを持っていて、これが一種の戸籍でアイデンティティカードなんですね。また新しく年齢に達した人も登録しなければなりませんし、すでにこれを持っている人も、交換しなきゃいけない、年とか違うので変えなければならないということで、今回作り替えをやったんですね。地方の役所に行って作り変えなければならない、持っていない人は役所に行って登録申請をしなければならないわけです。当然、地方のそれぞれの役所が、このことを住民に知らせる義務があるわけです。ところがそれを公正にやらないのです。CPPの支援者には知らせる。しかしサム・レンシー党の支援者には知らせない。教えないわけですね。公平ではないわけです。それが大問題になっています。CPPの支持者が来たらカードを作る。サム・レンシー党関係の人間が来たら「係の者がいないんだ、また来てくれ」と時間を引き延ばしたりしているうちに登録期限が終わってしまう。そんなとんでもないことが行なわれています。
 選挙運動のさなか、過去二回の選挙を見ても、我々の党の中だけでも二五人の人間が殺されています。そのうちの一人はウィ・トーンという人物ですが、区長選挙の立候補予定者ですが、彼も殺されてしまいました。その人は殺される一週間前に人権保護で有名なリカドーとかNGOの保護を求めたんですけれども、結局殺されてしまったんです。そういうことが現在この地方選挙で起きているわけです。
■地方選挙を前にして、今日の記事が、民主主義の意識を喚起するために、多くの人に読まれて日本政府に影響を与えてカンボジアの政府にプッシュされるように祈っています。間接的にでもカンボジアの人々や政府にいい影響を与えることができると思いますので、それを心から祈っています。外部からの助けがなければカンボジアの民主主義は根付かないと思っています。
●ありがとうございました。身の危険もかえりみず自国の民主主義とその発展のために活動していらっしゃる姿に心を打たれました。がんばってください。
(聞き手/五十嵐勉)

CAMBODIA
カンボジア――新たな苦悩
カンボジアの政治状況
腐敗と地方選挙をめぐって
カンボジア国会議員
サム・レンシー党
ヤン・ソバン氏に聞く
INTERVIEW 五十嵐勉
■カンボジア
地方選挙の結果

2002.2.8現在
総議席数 8862
●プノンペン特別市
 CPP       345
 サム・レンシー党239
 フンシンペック党 68
●バンテアイミンチェイ州
 CPP       129
 サム・レンシー党 65
 フンシンペック党106
●カンポート州
 CPP       338
 サム・レンシー党129
 フンシンペック党 74
★サム・レンシーの躍進、フンシンペック党の凋落が目立つ
(サム・レンシー党による集計/インターネットより)
カンボジア王国国会議員
サム・レンシー党
ヤン・ソバン氏
1997年のクーデターでフン・セン軍とフンシン・ペッグ軍とが対峙していたカンボジア国境への道路に乗り捨てられていた、大破した戦車
写真/和田博幸
カンボジアからタイ国境へ向かうダンボールなどの廃物を積んだトラック。夜には乱伐の木材が国境を越えてタイ領へ運ばれていく
写真/五十嵐勉
いく
工事中の首都プノンペンの目抜き通り。道路整備には日本からの援助も使われている
写真/五十嵐勉
ヤン・ソバン氏
土地紛争はカンボジア各地で頻発している。ポイペトの250世帯が追い出された120ヘクタールの土地は、塀に囲まれ、監視小屋が建っていた。(写真左が村があった土地)メート・スレイパウさん(25歳)の田畑はブルドーザーで整地されてしまった。なんとか踏みとどまろうと家に居座り、家屋の取り壊しだけはのがれた。土地の権利は国防大臣に安く払い下げられ、カジノとゴルフ場建設が予定されている。
写真/和田博幸
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