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●カンボジア地方選挙をめぐって
ヤン・ソバン氏インタビュー工事中
●農村から見た人々の苦悩/堀本崇
工事中

●和田博幸さんの本●
カンボジア、地の民
ポル・ポト時代と内戦以後、平和が訪れた現代カンボジアの姿を克明に描く渾身のルポルタージュ/現代も不条理な世界をさまよう民の姿と苦悩を摘出した力作/「それは狂気とよんでいい、弱肉強食の社会だった」/略奪、地雷原、人身売買――苛酷な運命に翻弄されながら、精霊と仏教を篤く信じ、明日を見つめる人々/ポル・ポト政権の傷痕いえぬカンボジアの現在を活写する/九〇年代以後の最良のカンボジア・レポート
和田博幸(アジアプレス・インターナショナル)◇著/社会評論社рO3・3814・3861/2600円


▼アジアプレス・インターナショナル
〒114・0013東京都北区東田端2・10・14セルメゾンコダマ202рO3・5692・4101
和田博幸●プロフィール
わだひろゆき


一九六九年神奈川県生まれ。フリージャーナリストとして、アジアやアフリカの民族紛争や社会問題を取材。共著に『匿されしアジア』『アジアの傷アジアの癒し』(共に風媒社)など。昨年十二月に、カンボジア農民の仏教や精霊信仰、土地問題や少女売春などを取材した『カンボジア、地の民』(社会評論社)を出版。アジアプレス・インターナショナル所属。
CAMBODIA
カンボジア
新たな苦悩
プノンペンの買春街
トゥールコックで働く女性たち
児童売春・強制売春の現状
アジアプレス・インターナショナル 和田博幸

1997年8月、私はフン・セン軍とフンシンペック軍が対峙するタイ国境へとつづく一本道を、前線へと向かっていた。道ばたには、掘りおこされた地雷が放置されていた。















トゥールコック売春婦組合のチャン・ディナさんは、「私は、売春婦は売春でしか稼ぐことができないと考えています。働く権利が手に入れば、私たちはもっと自由になれるのです」と語った。彼女の部屋は、トタンを組んだだけの一間だった。濃いベージュのカーテンで仕切られた、薄暗い部屋だ。しかし私を招いた彼女は、嬉しそうに生き生きしていた。私は感じた、この部屋には自由があると。ディナさんが自分で自分の体を売ることのできる、自由があると。

















ひとつの村100軒が、隣村に焼き打ちされるという事件が起きた。襲われ人たちは着の身着のまま逃げだし、バッドンボーン州庁舎前で座り込みの抗議を続けていた。寡婦のパッ・モンさん(37歳)は、三人の子どもを抱え、おまけに7カ月の身重だった。彼女はこの事件で財産の一切を焼き払われ、やっと手にした土地も失おうとしていた。
















職場から締め出された縫製工場の女工たち。彼女たちはひとりずつ呼び出されては、職場に復帰したいなら経営側が準備した「ストライキは二度としない」という誓約書への署名を迫られていた。「署名すれば自分たちが悪いと認めることになる。職場に復帰したいが、署名することはできない」と彼女たちは口々に訴えた。カンボジアで唯一の産業といわれる縫製産業。しかし労働法を守らない経営者も多く、労使紛争が絶えない。














カンボジア人権擁護センター(CCPCR)の、「子どものためのリハビリセンター」。九歳の少女は「ここに来てはじめて字を習った」と教科書を読んでくれた。










掘りおこした地雷を見つめる子ども。土地紛争を闘う住民は、自分たちが素手で掘りおこした地雷を大事そうに保管していた。「これは証なんです」とかれらは言う。地雷除去によってけがを負った住民もいる。危険をおかしてやっと手に入れた土地を、権力者が取り上げようとしていると、住民は怒りを隠さない。














シェムレアプの舞踊劇団で、カンボジア伝統の「アプサラ・ダンス(天女の舞)」の練習をする少女。ポル・ポト時代には、多くの踊り手が虐殺の対象となった。平和がおとずれた今、伝統を継承する若い世代が育ちはじめている。

●チャン・ディナさんの詩

わたしはポル・ポト時代を知らない子どもです でも奴隷でした
選ぶことは許されず ひどく働かされました 
体は苦しみと痛みでいっぱいです 
わたしは市民でも人間でもない 
ばい菌かなにかのように あなたは私を見ていますね 
わたしは気づかれない あなたの目にはうつらない
    あなたはわたしを憎んでは責めます
 あなたがたのなかには わたしを哀れむ人もいるでしょう
  わたしは哀れみなどほしくない 施しなどいらない
 わたしがほしいもの それはあなたの嘘や偽りではなく
  わたし自身の権利なのです

 売春婦の心情をあらわしたこの詩は、プノンペン市内の売春街トゥールコックで働くチャン・ディナさん(二五歳)が詠(よ)
んだものだ。彼女は「売春婦組合」のリーダーとして、売春婦の人権を訴え続けている。

●トゥールコックと「女性の家」
 売春街トゥールコックは、プノンペン市内ボンコック湖北側の一五〇〇メートルの道沿いにある。道の両側に並ぶ一三一軒の売春宿には、およそ五〇〇人の売春婦が働いている。そんな売春街のちょうど中央に、売春婦組合の事務所である「女性の家」がある。私はそこにディナさんを訪ねた。
 組合の設立は九九年、民間援助団体「カンボジア女性発展機関」(CWDA)の支援を得て始まった。組合員は二二名で、その全員が売春婦として働いている。強制売春や児童売春などの人権問題、エイズなどの性感染症、地元警察官による賄賂の要求――。様々な問題を抱える彼女たちが、自分自身で問題の解決を考え、仲間を支援するためにこの組合は設立された。

●売春婦の生活とHIV感染
 ディナさんは、「自分は売春婦として独立している」と言う。彼女は仕事と生活の場として、売春街の一角に、トタンを組んだだけの質素な部屋を一日五〇〇〇リエル(取材時、一〇〇リエルは約二・八円)で借りている。そこで自分の好きな時間に働き、一日平均五、六人の客をとり、一回に五〇〇〇リエル(一四〇円)を稼ぐ。彼女によれば、ここの売春婦は三通りに分けられるという。ディナさんのように独立している者。売春宿のオーナーに借金を負い、稼ぎの半分をかすめ取られる者。そして監禁され、売春を強要されている者がいる。
「エイズは深刻です。最近はコンドームを使うようになってきました。でも酒に酔った客や兵士、警官は今も使ってくれないんです」
 すでに友人三〇人が亡くなったという。
 カンボジアでは現在、アジアのなかでもHIV感染者の増加率が高い国である。そのHIVが原因となって発症するエイズによる死亡者も、増加の一途をたどっている。国連の報告書によると、九八年のHIV感染者総数は推定一八万人で、これは一五歳から四九歳の人口比の三・七五%にあたる。九九年にはそれが二四万人に増加したと推定される。
 問題はそれだけにとどまらない。警察官が宿にやってきては難癖をつけ、彼女たちにお金を要求する。要求額を払わない者を拉致(らち)しては、他の店に売り飛ばす。売られた者は、借金の額が増えることになる。また警官は、毎日のように売春宿の経営者から「みかじめ料」として一万リエルほどをせしめていく。

●売春婦組合の活動
 組合活動はそんな状況の下に置かれていたディナさんに、意識の変化をもたらしたという。それまで暴行やコンドームの拒否にあっても、なす術がなかった。しかし、今は違う。組合での様々な活動を通じて、彼女は知識を得た。仲間たちと連帯することで、不当な扱いに抗議する勇気も生まれてきた。だがそれでも、監禁されている仲間に対しては救出できないほうが多い。助けようとすれば、ディナさん自身に暴力が及ぶからだ。

●アジア人権擁護センターCCPCRの「子どもの家」
 強制売春や児童売春の問題は深刻だ。子どものケアを中心に活動している、カンボジア人権擁護センター(CCPCR)の事務所を訪ねた。ここは九五年に設立され、子どもの権利擁護のための活動を行なっている。一八歳以下の少女が売られた場合、警察と協力して救出し、その後のリハビリ、アドバイス、職業訓練といった支援をしてきた。
九五年から九九年までの五年間でCCPCRが扱った子どもの数は、五二七人にのぼる。年齢別では一五歳以下が八五人、一六歳から一八歳が四二二人、一八歳以上が二〇人となる。一方、全体の一五%がHIV陽性、半数がその他の性感染症に感染していた。
 CCPCRが運営する「子どもの家」は、プノンペン市内の閑静な住宅街にあった。外部からそれとわかる表札などはない。訪ねた時この施設には、九歳から一八歳までの九人の子どもが入所していた。私はそのなかで、リンさんという一七歳の少女と話すことを許された。

●リンさんの話
 リンさんの一家は九三年に、タイの難民キャンプから母の故郷に帰還した。父は、リンさんが物心ついた時にはいなかった。村には農地はなく、母は日雇いの仕事で四人の子どもを育てた。そんなある日、彼女の暮らす村に見知らぬ女性が来て、プノンペンで皿洗いをする人を捜しているという。母から「家を助けるために行ってくれないか」と頼まれ、行くことを決めた。九九年七月、リンさんが一六歳の時だった。
 村からは、二五歳と一七歳の三人で行くことになった。二人ともよく知った仲で、心配ないと思った。ブローカーに騙されたという人の噂は、聞いたことはあった。しかし家族を助けるため、決心は固まっていた。
 プノンペンにつくと、三人は一つの部屋に入れられた。一五平方メートルほどの部屋で、窓はなく小さな赤い電球が一つ灯っていた。三人は、そこにそのまま監禁されてしまう。その後の一週間は、食事もトイレも水浴びもその部屋でした。鍵がかけられ、出ることができない。騙されたことを知り、涙が止まらなかった。すると鉄の鎖を持った男が入ってきて、「そんなに泣いていると、殺して水草の下に沈めてやる」と脅かされた。
 一週間たって別の部屋に移され、強姦された。初めての客はクメール人で、彼女が抵抗すると、「金を払っているんだ」と女経営者に言いつけた。すると男が入ってきて殴られた。殴られ倒れると、客はその上に覆いかぶさってきた。その後、一日に三、四人から強姦された。コンドームは客が使いたくないといえば、使えなかった。
「私たちが監禁されていることは、他の店の売春婦たちもわかっていたと思います。でも誰も助けてはくれません。みんな暴力が怖いのです」
 一カ月ほど過ぎて、逃げだすことに成功した。朝四時、床下の板をはずし、三人はドブ沼を潜って逃げた。運良く途中でバイクタクシーをつかまえ、そのまま村まで帰ろうと思った。トンレサップ河にかかる日本橋を渡った所で、警官による検問があった。泥だらけの彼女たちを不審に思った警官が、理由をたずねてきた。三人の説明に、「私たちが車で村まで送ってあげましょう」と、警官は親切にも申し出てくれた。彼女たちはバイクを帰して、「ああこれでやっと村に帰れる」と安心して座りこんだ。
 車が村とは逆方向に動き出した時、はじめて騙された事に気付いた。車は彼女たちを乗せ、トゥールコックの売春街に戻っていく。そこでは陰惨な暴行が彼女たちを待っていた。
「また捕まって殴られると思うと怖くて、逃げるなんて考えられなくなりました」
 九月になって警察が売春宿の強制捜査に踏みこんだ時、監禁されていた九人が救出され、そのなかにリンさんもいた。
「売春宿の経営者は、警察が踏み込んだ時には逃げてしまったと聞きます。トゥールコックにはまだ多くの人が監禁され、売春を強要されていると思います」
 彼女はその後、まだ母と会っていない。母と会ったら起こった事を隠さずに話すつもりでいる。しかしその時、母は自分に何と言うだろうか。そのことが心配でならない。

●深い子どもたちの傷――売春街の現状
 リンさんは監禁されて二カ月目に助けだされた。しかし、なかには二年近くも監禁されていたケースもある。子どもたちの傷は深い。特に、男性に対する恐怖は拭いさることが困難で、はじめのうちは近寄ることも難しい。徐々に接していくしかないとスタッフは言う。
 私はプノンペン市内の売春宿をまわってみた。ある店では入るとシャッターが締められ、錠がかけられる。時おり、警告のブザー音がなる。すると男が注意深く外の様子をうかがう。外にも見張りがいて、警察の動きを監視しているのだという。室内にはベニヤで一畳ずつに区切られた、五つの小部屋が並んでいた。裏はヘドロの溜まった沼が広がっている。そしてこの小屋自体が、ドブ沼の上に建っている。
 カンボジア人少女二人は、一言も話すことなく、うつむいていた。聞けば一六歳だという。女性をホテルに連れ出すことはできるかと聞くと、それはだめだと断られた。二人は目が虚ろで押し黙ったままだ。用心棒の男が壁にもたれ、私たちを見つめる。そして頻繁にブザーが鳴る。夕方五時、私は売春街を後にした。道はまだ閑散としていたが、七時ごとから客は増え始めるという。また、祭りになれば地方からやって来た客で、どの店にも行列ができる。
 売春宿をまわった結論として、児童売春は特殊な状況ではなく、どの店にも多くの子どもがいることがわかった。心に傷を負い、さらにHIV感染により命をも奪われる子どもたちがいる。アジアの同時代を生きる者として、かれらの小さき声に耳を傾ける責任が、私たちにはあるのではないだろうか。










シエムレアプの舞踊劇団で、カンボジア伝統の「アプサラ・ダンス(天女の舞)」の練習をする少女。

















シエムレアプの農村で、稲刈りにおわれる少女。カンボジアでは人口の八割以上が農村に暮らしている。雨水を利用した天水田が多く、自然の力に頼った農業を営んでいる。家族単位の自作農が中心といわれているが、最近では借金のカタに土地を手離した、土地なし農民の増加が懸念される。



















バッドンボーンでバイクタクシーの仕事をしていたドイさん(二九歳)は、よく友人に誘われて一カ月に一度の割合で売春宿にくりだし、一回3000リエルほどで女を買った。「仲間のなかでも、よく行くほうではないんです。たまにですから、コンドームなんてつけません。使わないとエイズになるなんて、思いもしなかったんです」。私が話を聞いた二一日後に、彼は亡くなった。後には妻と二人の子どもが遺された。















右の少女が九歳の少女
子どもの権利擁護のために活動をしている、カンボジア人権擁護センター(CCPCR)の子どものためのリハビリセンター。仕事の斡旋話を信じて騙された子どもは、ひとり50から400ドルで取引され、最終的に売春宿にはその一・五倍ほどで転売される。



















ポイペト近郊、タイとの国境地帯の地雷原で、木を伐る親子。一家は、故郷のコンポントムの村には土地がなく、安住の地を求めてこの地に流れついたという。「故郷よりここのほうが、食べていけるだけ暮らしはまし」とは言うものの、少年の小さなからだを引き裂かんと、地雷がいまも地中に眠っている。













私が滞在していたバッドンボーン州トラン村では、年に一度、「スノーループ」とよばれる霊媒師による精霊降ろしの儀式がおこなわれる。60人ほどの村びとが見つめるなか、斎庭の老婆には二時間のあいだに七つもの精霊や霊魂がかわるがわる憑いていった。