@応援するユドヨノ大統領夫妻






Aインドネシアナショナルチームのメンバー。後列左がゴンザレス選手













































*連載19(最終回) 「アセアン・スズキカップ 
                   
エッセイスト・ラフマン愛


年の瀬のインドネシアは、サッカーのアセアン・スズキカップで大変な盛り上がりようだった。決勝まで進んだインドネシアのナショナルチームを最後まで応援しようと、首都ジャカルタのスナヤン競技場はいまだかつてないほどの人だかり。ニュースはどのチャンネルも、どの時間帯も、アセアン・スズキカップの話題一色だった。一般庶民だけでなくユドヨノ大統領夫妻も、インドネシア国旗の色である紅白の応援服に身を包んで歓声を上げ、さらにこの大会を盛り上げた。

スズキカップの正式名称は、AFF(Asean Football Federation)と言って、’96年にシンガポールで開催されたのが始まりである。当初はタイガーカップと呼ばれていた。以後は約2年毎に開催され、今年はインドネシアとベトナムの共同開催であった。試合は総当たり戦だが、‘04年からはホームアンドアウェイ方式が導入され、東ティモールも加わった。'07年に名称がアセアンカップとなり、さらに今年、スズキカップに変わった。なお、次回開催予定の目途は立っていない。

今大会、予選で着実に点数を重ねたインドネシアは準決勝にこまをすすめ、見事フィリピンに1−0で勝利した。12月26日、決勝の対マレーシア戦第1試合はアウェイ戦。アウェイという不利な立場だが、本国では国民全員がテレビに向かって必死に応援した。が、残念ながら0−3と惨敗。29日のホーム戦では最低でも4−0で勝たなければならない状況となった。苦境に立たされたインドネシアチーム、最後まであきらめずに応援を続ける全国民、本当に熱気に包まれた90分であった。結果は2−1と勝利したものの、得点差でマレーシアの優勝が決まった。

インドネシアナショナルチームの要は、クリスチアン・ゴンザレス選手(FW)。今大会では3ゴールを決めた、いちばん人気の選手である。元々はウルグアイ人だが、単身でインドネシアのリーグにやってきて以来ずっとインドネシアのチームに在籍しており、インドネシア人と結婚して11月に帰化したばかりの新メンバーだが、率先してチームを引っ張っている存在であった。就任後間もないオーストリア人監督Alfred Riedl氏が率いるインドネシアナショナルチーム、初優勝は惜しくも逃してしまったが、将来の期待が高まるゲームを観客たちに披露してくれた。誰もが笑顔で拍手を送れる、誇り高いチームとなったことにちがいない。

今大会で大変な問題となったのは、チケットの販売である。大勢の人がスナヤン競技場にチケットを買うために殺到し、圧死寸前の気絶者が何人も出たということだった。前もってネット販売もされていたが、ネット売買というのはインドネシアではまだそれほど浸透しておらず、チケットブースに長蛇の列、ではなく、蟻のような人だかりであった。きちんと並べない、すぐに乱闘が起こるなど、世界レベルの国際試合を開催するには、インドネシアにはまだまだ課題が多いように思われた。


Bチケット売場に群がる人々

悲しいことに、アセアンの中ではワールドカップに出場できるほどの実力を持った国がない。アジア大会でも、日本、韓国、中東諸国という列強にはまるで歯が立たない。しかしながら、国民全員が熱烈なサポーターであることを身近に感じ、サッカーに対する思いのほうは、ほかの列強諸国とは負けず劣らず十分にあると思った。インドネシアでは、大人から子供まで、サッカーがいちばんの人気のスポーツである。今大会で大健闘したインドネシアナショナルチームには、皆がもちろん今後も期待を抱いている。さて、将来日本と大接戦する日がくるだろうか。そのときはテレビの前で夫と応援合戦を繰り広げよう。将来が楽しみなインドネシアチーム、これからの活躍に目を見張りたい。


本エッセイは、今回を持って最終回とさせて頂きます。長い間、ご愛読ありがとうございました


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