@ブカアサ

*連載15 「慈善月間 
                   
エッセイスト・ラフマン愛


8月11日からイスラム教徒はラマダン(断食月)に入った。30日間、日中の飲食・喫煙を断つ。世界最多のイスラム教徒を持つインドネシアでも、多くの人々がこの宗教色の強い神聖なる月を過ごしている。もちろん私も挑んでいる。ボーンムスリムではない私にとっての断食は「する」ではなく「挑む」である。毎年胃を悪くして途中離脱してしまっているので今年も不安は大きいが、なんとか全行程やり遂げてみせようと意地にもなってきた。食べ物の恵みに対しての神への感謝、貧者の気持ちを知り、慈悲の情を持つことの大切さ、それらを身をもって学び宗教心を高める月である。そんなことを感じながら最初のころは断食していたが、時は経ち、今はもはやただただ空腹と疲労との闘いである。ボーンムスリムとはこの辺の意識の差を感じざるをえない。

さて、食を断つということばかりが注目されがちなイスラム教徒のラマダ、実は慈善事業に尽きる月とも言える。イスラム教と慈善事業は、その教えからも、切っても切り離せない関係にある。私もイスラム教徒になってからと言うもの、毎月毎年かなりの寄付や募金をしている。慈善事業が生活の中で本当に身近であり、しない人がいないからだ。ビジネスや日常生活においてどんなに節約主義の人であっても、寄付や募金にはそれほど惜しみをいとわない。貧窮者への慈悲は義務であり、行為によっては後々報奨があるという教えがある。情けは人の為ならず。そんな情けをイスラム教徒はみな持っている。

ラマダンの慈善事業として最も一般的なのは、モスクへの寄付である。ラマダンに入ると、毎日タラウィという特別の夜半の礼拝がある。私も何度か行ったことがあるが、そのときに、ローラー付き募金箱が順々に回されてくる。そのほか、食料などの生活必需品をモスクに寄付することもできる。そしてモスクはそれらを貧困者に配る。だいたいどのくらいラマダン月に寄付すべきかは、とても細かい算出方法があって、金や銀、土地・家畜・株・預金の多さによっても変わってくる。年収4800万ルピア(約48万円)の家庭で、約172万ルピア(約1万7200円)が妥当な額だということだ。かなりの額である。

家庭だけでなく、イスラム系の私立学校でも多くの慈善行事が行われる。息子の通う小学校ではなかなか細かい指定があり、油1リットル、砂糖1キロ、シロップ1瓶、紅茶1箱、インスタントラーメン5袋、これらをビニールでラッピングして持ってくるように言われた。また、娘の通う幼稚園では、米、油、砂糖、インスタントラーメン、寄付金、のいずれかを持ってくるように言われた。幼稚園ではこれらをきちんと量って分け、近所の貧困家庭にクーポン券を配り、取りに来てもらうというやり方をしていた。また、幼稚園ではブカプアサという行事も行われた。ブカプアサとは、断食が解ける時間にいろんな人を招待してご馳走することで、経済的に余裕のある一般家庭でも断食中によく行われる。幼稚園では全員で寄付しあって、近所の孤児院の子らを招待した。


Aブカアサー幼稚園にてー生徒によって寄付の品物が贈られる


Bブカアサに招待された孤児達

いろいろな慈善事業が行われる中、毎年自宅に来た人全員に2万ルピア(約200円)を配るという人が問題でニュースになっている。あまりにも大勢の人が詰め掛け、去年は21人が圧死した。懲りずにまた今年もその家庭で行われ、テレビで見ていて気が気ではなかった。そのほかにも自宅前に大量のインスタントラーメンを置いて、さあどうぞという家もあった。もらいにきた人らは必死に一つでも多く取ろうとしていて、何かしらの怪我は回避できない状態だった。慈善事業とはいえ、丸投げはよくない。もっとやり方を考えてほしいと少し悲しくなった。


Bブカアサ

日本では、駅のホームでダンボールにずらーっと寝ているホームレスをよく見たが、インドネシアではめったにホームレスを見かけない。親戚、地域の中での助け合いが徹底している。慈悲の情を持つことが当たり前なのである。世知辛い世の中とは無縁のようだ。どんなに貧困でも、その笑顔に嘘がないインドネシア人。学ぶべきところがあると同時に、我が家も慈善事業に関わることができてうれしく思う。残りのラマダンも皆が平穏に過ごせますように、祈っている。


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