カンボジアの民話を採集して

楢崎しのぶ

 

 

 

 

 

 

 

 

『いたずらうさぎチュローチュ』という絵本がある。カンボジアの民話が描かれた、きれいな絵本だ。絵本作家の田島征彦さんが著したこの絵本は、今年二月一七日に大腸ガンでお亡くなりになられた川村正文さんが、自らの足でカンボジアの老人から昔話を聞き書きされ、その中から選んだ一つの話をもとにつくられたものだ。カンボジアの言葉のクメール語にも翻訳されて、たくさんのカンボジアの子供たちにも手渡されて、楽しく読まれている。
 川村さんは、カンボジアの民話を元に、毎日国際ボランティアネットワークMIVNといっしょに「ウサギとタニシ」、「おひゃくしょうさんとトラ」などの絵本も作ってきた。
 川村さんはカンボジアの民話を採集し、これらを作るために、病を押してカンボジアを往復した。何度かカンボジアに同行されていた奥様の川村美也子さんに、正文さんの活動を振り返ってもらった。

Q■川村さんがこの絵本を創ろうとした理由はなんでしょうか。どうしてそこまでカンボジアにこだわられたのですか。
川村美也子さん●川村が初めてカンボジアを訪れたのは、九五年三月のあるスタディツアーの同行でした。そのとき、プノンペン市郊外のチューンアエクの丘に、一本の大樹がありました。そこは、ポル・ポト派による虐殺現場で、掘っても、掘っても、白骨が出てくる。子供の骨ばかりが出てくる穴が、その大樹のそばにありました。生き残った人の証言では、知識階層の人々の子供たちが、両足を握られ、頭をこの大樹のちょうど曲り角あたりにぶっつけられて、たくさん殺されたということでした。そのとき、川村は、言い知れない脅セおびソえと人間の愚かしさへの恐怖を覚えました。そしてその次に思ったことは、この国の再建のために、何か自分に手伝えることはないか、ということでした。そして、九七年三月から現地でお年寄りたちを訪ね、民話を録音して回り始めました。
 川村は民話は民族の宝だと常々思っていました。そこには、長年積み重ねられた知恵や願い、また歴史の証言までもが込められています。ただ、カンボジアではお年寄りが少なく、そうした民話がどんどん消えて行く状況にあります。シアヌーク国王全盛期に、仏教研究所がまとめた『民話集』全一〇巻がありますが、川村は生の声で残す必要があると考えていました。
Q■本はその後どういう経緯でできたのですか。
●帰国後、スタディツァーの仲間たちと毎日国際ボランティアネットワークMIVNという小さなNGOを作り、タイ東北部の小学校分校に図書館を作る支援をしたり、カンボジアへ日本の古い絵本を送るなどの活動を細々と続けていました。
 九七年五月のMIVNの例会で、川村がそれ以後集めていたカンボジアの民話を絵本にして、この国の子供たちに贈ろうという提案がなされました。ポル・ポト派の焚書(本を焼き捨てる)政策で大人の本は少なく、ましてや子供の本となるとごくわずかでした。日本の古い絵本の読み聞かせると、大勢の子供たちが目を輝かせている現場を、私たちは見ていました。
 SVA(「曹洞宗国際ボランティア会」/現在「シャンティ国際ボランティア会」)がプノンペンで印刷工養成のためのプリンティン グ・ハウスを作っていたので、絵本を印刷してもらい、そして、九八年一月一日に完成したのが、クメール語と日本語併記の一冊目の絵本『ウサギとタニシ』です。
 その後、昨年九九年の一月に、二冊目の『おひゃくしょうさんとトラ』が完成しました。『いたずらうさぎチュローチュ』は、絵本作りに共鳴された絵本作家の田島征彦さんに二度カンボジアへ同行していただいてできたものです。九九年十一月に童心社より発行していただきました。
Q■ところで奥様御自身は、 それらを読む現在のカンボジアの子供たちと触れ合う機会を持たれて、どうお感じになられましたか。カンボジアの子供たちの印象はいかがでしょう。
●九八年十二月にプノンペンの「アジア子供の家」という所の運動場でMIVNの活動の一環として、象のお絵書き大会をしました。その時、予想以上の多数の子供たちが集まってきて、私たち主催者側はある程度の混乱は覚悟していたところ、子供たちはお互いに場所を譲り合い、ほとんど私たちが指示をあたえなくても、自分たちの持ち場でお絵書きを楽しんでいました。これには驚きました。
 子供はどの国の子供も同じだと思います。ただ、大人の世界が子供の世界に与える影響はとても大きいと思います。
 カンボジアの子供たちは、どの子も必ず手を合わせて挨拶をします。ホテルで見た光景なのですが、ホテルの前に小さい女の子が、だれからかジュースか何かの飲み物をもらっていました。その子のそばには、体の不自由な人がいました。喉が渇いている様子だったのでしょう、その子はおそらく自分も飲みたかったと思うのですが、それをその体の不自由な人に渡していたのです。
 あと、アジア子供の家でのことですが、日本から持って来た折り紙を机に置いておいた所、あっという間になくなってしまいました。そのとき、私が「もらっていない子に分けてあげてね」と身振り手振りで伝えたら、子供たちはほんとうに素直に、折り紙を持っていない子供に渡していました。何が必要で、自分が何をすべきか、すばやく判断して行動することに、他人への思いやりがカンボジアの子供たちは豊かなように感じました。そして、みんな好奇心で目がキラキラしていたのは、とても印象的でしたね。

 川村さんは病気を患いながらも、亡くなる三カ月前まで、電話やFAXだけでは納得できないと、最後まで精力的にカンボジアを往復しながら活動を続けた。
 美也子さんは一人でカンボジアへ旅立たれる川村さんを信じ、勇気をもって見送られ、たという。川村さんはカンボジアから戻ってくるたびに、子供たちやカンボジアの人々から「元気」をもらってきた。そんな川村さんを見ては、複雑な思いにかられながらも、美也子さんはまた、川村さんの旅立ちを見送り続けた。
 川村さんはつねに言っていたという。「自分はカンボジアのおかげで生きられている。それまで、この国のために手伝えると思っていたことが、実は尊大に過ぎることだったと思い知らされた。カンボジアの人の心の豊かさにふれて、こちらが学ぶことの方が、はるかに多い」と。この言葉は、絵本の中で、いたずらうさぎチュローチュが旅をして出会った動物たちによって成長を遂げていくストーリーと重なってくる。
 川村さんが晩年に初めて訪れたカンボジア。川村さんはそこで、ご自分の生命を謙虚な気持ちで見つめることができた。自身にとってのカンボジアでの出会いや、怒りや、いのちや、希望……そしてそれらの重なりのなかで残された足跡は、うさぎのチュローチュの心の旅の中にこめられた川村さんのカンボジアでの想いといっしょに、子供たちにきっと届いているのだと思う。



●「いたずらうさぎチュローチュ」童心社/1300円※全国書店でお求めになれます。
●「ウサギとタニシ」MIVN/1050円・「おひゃくしょうさんとトラ」MIVN/1000円をご希望の方はアジア ウェーブまで御連絡下さい。ン03・5706・7847/FAX03・5706・7848
★川村さんはこの他にも「七色の雨」という本を自費出版で出されている。川村さんのカンボジアに託した純粋な想いが、きれいな挿絵とともに遺されている。心が洗われるすばらしい本だ。
(楢崎しのぶ)

 

川村正文さんは、アジアウェーブの会員としてアジアウェーブを愛読してくださっていました。川村さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
           アジアウェーブ

 

 

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