シルクロードを西に向かえばそこは・・・シリアだった
(第3回 人類最古の都市ダマスカスにて)

                 記事:金丸知好













オープニングセレモニー              


ボスラやカナワット、シャハバなどシリア南部に残る古代遺跡を巡ってダマスカスに戻ったとき、すっかり日が暮れていた。この夜は、ダマスカス旧市街の入口にある城塞(シタデル)で行われる「シルクロード・フェスティバル2009」開会式に出席した。


セレモニーではカザフスタンやトルコといった陸のシルクロード沿いの国々だけでなく、アフリカ(どこの国を指すのかはわからなかった)やフランス、スペインなど東洋から西欧までさまざまな国の民族舞踊ショーが繰り広げられた。そのなかには「JAPAN」というものもあったが、遠くからでハッキリ判別できなかったけれども、日本人を演じているのはシリアの人のようであったし、背景に出てくる映像も日本というよりも中国の桂林のような景観だった。まあ、それは差し引いても、全体的に非常にスペクタクルなミュージカルを見ているような感じ。とりわけラストに登場したシリアのショーは素晴らしく、地元の関係者が多くを占めた場内も大いに盛り上がったのであった。


こうして午前3時にダマスカス空港に到着し、シリア南部を駆け足でまわった「シリアの長い1日目」は夜空の下で展開する派手なイベントで幕を下ろしたのであった。



首相府での記者会見


初日があまりにもハードなスケジュールだったため、その夜は爆睡。おかげで2日目の朝は実にさわやかな気分で迎えることができた。午前はシリア首相府で、世界各国からやってきたシルクロード・フェスティバル参加者のための、シリア政府関係者による記者会見。厳重なボディチェックと荷物検査をへて首相府に入る。


会見場に登場したのは経済担当の副首相だった。副首相の「シリアには年間400万人、海外からの観光客が訪れている」という説明には少々驚いた。日本から直行便がなく、事前のビザの取得も義務付けられていることから、近隣のエジプトやトルコに行くような気安さに比べて、どうしても「遠くて、やっぱり遠い国」というイメージが先行するシリア。しかし、周辺のアラブ諸国やヨーロッパからの訪問者は多いということなのだろう。


副首相の簡単なブリーフィングのあと、フェスティバル参加者、つまりその大半を占める世界各国のジャーナリストとの質疑応答となった。質問に立ったジャーナリストの国籍はチュニジア、モロッコ、バーレーン、レバノン、イラン、オマーン、ヨルダンといったアラブ諸国。そしてアメリカ、イギリス、ドイツ、トルコ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、日本(残念ながら私ではありません)。副首相はアラブ語の質問にはアラブ語で、そして英語の質問にはわかりやすい英語で応答していた。記者席には英語⇔アラブ語の同時通訳が聴けるイヤホンが備え付けられており、アラブ語の質問の時にはこれで英語の翻訳を聴いた。正直、英語のヒアリングもかなり危ない私であったが、まったく理解不能のアラブ語よりはマシだったからだ。



アメリカから直行便を


参加者から発せられた質問の内容は、経済が専門の副首相によるシリア観光振興のための会見にもかかわらず、中東をめぐる国際情勢に関するものがほとんどだった。たとえばパレスチナ問題だったり、シリアとイスラエルとの和平に関するものだったり、シリアとイランとの関係だったり。しかし、シリアという国が観光立国として今後歩んでいくためには、周辺諸国との平和構築が大きなカギを握っていることを考えれば、これらは決して的外れな質問ではない。


特に注目を集めたのは、現在シリアに対して経済制裁を行っているアメリカとの対話について。アメリカから参加した女性ジャーナリストは「ダマスカスに到着するまで何度も飛行機を乗り継ぎました。シリアにアメリカからの観光客を大勢呼びたいのであれば、ぜひ、ニューヨークとダマスカスの間に直行便を開設していただきたい」と発言し、会場が少なからずどよめくというシーンもあった。


こうした難しい質問の数々を、副首相は丁寧に、そしてうまく核心をはぐらかしながら答えていった。中東という何千年ものあいだ激動を繰り返し、なおそれが続く風土で、この副首相の答弁も鍛えられているかのようであった。



人類最初の殺人事件が起きた町


記者会見が済んで、その次にハンディ・クラフト・マーケットでのオープニング
セレモニーに出席したあと、ダマスカス旧市街の散策となった。シリアの首都ダマスカスは城壁に囲まれた旧市街と、それ以外の新市街というふうに大ざっぱに分類できる。ちなみに私が宿泊しているシェラトン・ダマスカス・ホテルは、新市街と呼ばれる現在のダマスカス中心部からさらに西方の郊外にある。ダマスカスは「人類最古の都市」のひとつと呼ばれている。紀元前2000年ごろ、つまりキリスト教の旧約聖書が書かれた時代から存在しているという。たとえばシェラトン・ホテルや首相府からは草木の極めて少ない山を眺めることができたが、これはカシオン山といい、旧約聖書によれば人類最初の殺人事件(カインによるアベル殺害)が発生した伝説の地なのである。ダマスカスは砂漠のオアシスにあったこと、そしてアラビア半島・メソポタミア・地中海の中間地点に位置することから、シルクロードを含む世界の東西文明の交差点として存在してきたのであった。その重要性ゆえにローマ帝国やイスラム勢力、オスマン帝国、ヨーロッパ列強などさまざまな国々の支配を受け、あるいは戦乱が繰り返されてきたという、とてもここでは書きつくせないほどの紆余曲折をへてきた都市だ。その4000年以上にもわたる歴史をつぶさに見続けてきたのがダマスカス旧市街であった。



まっすぐな道と複雑な迷路


この旧市街を東西およそ1500メートルにわたって貫いている道を「まっすぐな道(英語名はストレイト・ストリート)」という。現在はみやげ物が軒を並べる観光道路と化しているが、新約聖書でここは重要な舞台として登場する。古代ローマ帝国の時代、キリスト教徒逮捕のためダマスカスに赴いたパウロは、突然失明する。その治療と休養のために旧市街に運ばれたパウロは、ダマスカス初のキリスト教司教である聖アナニアと出会う。その家がこの道沿いにあったという。パウロは聖アナニアから洗礼を受け、キリスト教に改宗する。パウロが洗礼を受けたアナニアの家は聖アナニア教会として旧市街に残り、改宗したパウロがユダヤ教徒からの報復を避けるためダマスカスを脱出した門は、ギリシャ正教会が運営する聖パウロ教会となって、やはり旧市街にある。


シリアといえばゴリゴリのムスリム国家、というイメージがあったのだが、旧市街を歩いているとそれが非常に偏った見方だったことを思い知らされる。たしかにイスラム教第4の聖地ウマイヤド・モスクでは、黒いヴェールをすっぽりと身にまとった巡礼の女性たち(サウジアラビアからの巡礼者が多いと聞いた)を数多く見かけるし、多くの人々でごった返すスーク(市場)はアラブ風喫茶やハーンと呼ばれる隊商宿、そしてアラブ銭湯ハンマームが立ち並び、アラブ色濃厚なエリアである。それでも聖アナニア教会やギリシャ正教会といったキリスト教会もあちこちに見られる。ダマスカス旧市街は、それこそが歴史の寄木細工であり、歴史というものがたとえば「キリスト教VSイスラム教」とか「アラブVSヨーロッパ」といった単純な対決の構図ではなく、旧市街の街路と同じく複雑な迷路のようなものだということを示唆しているように思えた。



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シルクロード・フェスティバル開会式 
東は日本から西はスペインまで、さまざまな国々の民族舞踊が繰り広げられた壮大なショー。トリをつとめたのはホストカントリーのシリア。場内の盛り上がりはピークに達した。




首相府での記者会見
こちら向き右が経済担当の副首相。アサド現大統領の肖像画をバックに、世界各地の海千山千のジャーナリストたちから発せられる難問に次々と答えていった。質問者にとっては、ややフラストレーションが残る回答が多かったものの、なかなか見ごたえのあるやりとりであった。




カシオン山
旧約聖書・創世記の「カインとアベル」のハイライトシーンがここで繰り広げられたという。ここから見えるダマスカスの夜景は素晴らしい、とガイドのS君から聞いた。ただし、シリア軍の基地も置かれているところが、現代中東の緊張を思わせる。




まっすぐな道のお土産店
文字通り一直線な石畳のストリート。巨大迷路のようなダマスカス旧市街にあって、この道だけが東西を一本で貫く。沿道にはお土産店やクラブもあれば、アーケードつきのスークやスパイスの芳香漂う香辛料街、イスラム教のモスク、ローマ帝国時代の記念門にキリスト教会が点在する。このお店もそんなストリートを象徴するかのようなディスプレイ。




アラブ式銭湯「ハンマーム」の脱衣場
日本の銭湯のように男女別になっているのではなく、時間帯によって女性と男性の利用が分けられている。イスにかけられている絨毯がいかにもアラブっぽいが、アサド前大統領の肖像画が裸の男たちを眺めているのはいかにもシリア。




ハーン(隊商宿)・アサド・パシャにたたずむ若いシリア女性たち
ダマスカスでも老舗のハンマーム・ヌールッディーンに隣接するハーン・アサド・パシャ。建物の中央に噴水があり、スークでの買い物の途中、ここで休憩する若い女性が二人、おしゃべりに花を咲かせていた。




ファーティマの手 
ダマスカス旧市街の家の扉でよく見かけるドアノッカー。これはイスラム教徒の護符「ファーティマの手」だ。ファーティマはイスラム教の開祖ムハンマドの4女で、4代目カリフのアリーの妻。アリーをムハンマドの後継者とみなすシーア派は「ファーティマの手」を愛用している。



スークのシャーイ(紅茶)売り 
ダマスカス旧市街のスーク・ハミディーエには絨毯や金銀のアクセサリー、民族衣装などを売る店が軒を並べている。その入口ではオスマン帝国時代のトルコ風衣装に身を包んだ男がシャーイを売り歩いていた。かなりの人気で、いつも誰かが彼からシャーイを買っていた。