シルクロードを西に向かえばそこは・・・シリアだった
(第1回 初めてのダマスカスは真夜中の3時)


                 記事:金丸知好









行くのやめたら?と忠告された国

「今度、シリアに行くことになったんだ」
仕事柄、海外に出かけることが多い。そんな私のことをよくご存知の方々は決まって
「いいですね〜」
と、多分の羨望とちょっぴりの嫉妬が混ざった反応を示してくれた。少なくともこれまでは。
ところが、今回に限って、反応は明らかにいつもとは違った。
「危険じゃないんですか、大丈夫?」
という返事が十中八九。なかには
「やめたほうがいいんじゃない」
と、本気で親切心から「忠告」してくれる方もいた。
私はこうした反応を自分なりに分析してみることにした。そしてその理由を突き止めた。


@シリアが中東という、なんとも硝煙臭い地域にあるから。
A確かにシリアの周囲を見渡してみれば、イラク、レバノン、イスラエルといった「紛争エリア」に囲まれている。実際にシリアはイスラエルとの間にあるゴラン高原で幾度となく戦火を交えており、現在も双方が「ゴラン高原は自国の領土」と主張している。
Bシリアはアメリカから「テロ支援国家」に指定されており、その経済制裁を受けている。
C1970年以来40年間にわたって親子で政権を継承してきた独裁国家である。


新聞や雑誌で少しでも中東情勢をかじったことのある人なら、前記4つの事実をトータルあるいはごちゃまぜにして「シリア=怖い国」というイメージを作ってしまうだろうし、シリアがどこにあるのかすら知らない人も、日本メディアがつくりあげた「中東=すべてが紛争地域」という印象だけでシリアを判断していることは想像に難くない。

それではあなたはどうなの?と問われると、最初にシリア行きの話を聞いたとき「怖い、危険」とまでは思わなかったものの、「映画インディ・ジョーンズの舞台となったペトラ遺跡があり、本を読みながら湖面に浮かぶことができる死海に面したヨルダンならともかく、シリアって・・・う〜ん、これといったイメージがわかんなぁ」というのが正直なところであった。



シルクロード・フェスティバルに招待された!

そもそもシリア行きの話が飛び込んできたことじたい、「はぁ、なんで私が?」というところだった。2003年以来、シリアでは観光のベストシーズンである10月に「シルクロード・フェスティバル」という同国観光省が主催する一大イベントが行われてきた。これはピラミッドのあるエジプトやペトラ遺跡のあるヨルダンなどに比べると、観光資源でもイマイチのイメージの強いシリアの、国を挙げてのプロモーションイベントと見ることもできる。で、毎年世界中の国々から数人のジャーナリストや観光関係者をシリアに招待してきたのであるが、今年は何と私がその候補に入るというのである。


サッカーで言えば日本代表である(大げさですが)。あくまでも「候補」ということであるから、かつてのカズや中村俊輔のように落選もありうる(やはり大げさ)。ただ、せっかくエントリーされたのだからシリアのことを調べておこう、と数少ないガイドブックやインターネットの情報をいろいろ眺めていると、なんだか世界遺産も多いし、治安もすこぶるよさげだ。


そのうちシリア行きが正式に決定し、「俺、シリアに行くことになった」と周囲に報告した。その反応は冒頭に記したように、ほとんどが「え〜、大丈夫?」だったが、「なにっ、シリア?アンタに代わって行きたいよ〜!」という人もいた。そう言う人は例外なく「熱烈なる歴史ファン」であった。実は私も歴史ファン。それが高じて物書きになった経緯がある。そして最初の海外旅行(もう20年以上前になりますが)で中国の西安、甘粛省、さらに新彊ウイグル自治区というかつてのシルクロード沿いの町をたどったことから、今度は20年ぶりに西のシルクロードをたどれるという喜びもあった。



オキュパイド・パレスタインが意味するもの

さて、シリアに行くには東京・六本木ミッドタウンというオシャレなスポットのすぐそばにあるシリア大使館で入国ビザを申請しなければならない。大使館で申請用紙を入手して、必要事項に記入しなければならないのだが、その項目の一つが「ううむ」と思わせた。  

それは「あなたは過去にオキュパイド・パレスタインを訪問したことはありますか?」という質問事項である。オキュパイド・パレスタイン。すなわち「占領されたパレスチナ」。最初は「???」だったが、あとでこれはいわゆる「イスラエル」のことであると知った。シリアは現在でもユダヤ人国家イスラエルの存在を認めてはいないのである。そしてもし、パスポートにイスラエルへの出入国経歴を示すスタンプが押されていようものなら、どんなに一度招待を受けた者であっても、それは簡単に覆される。そう、入国拒否である。私は無事、シリア入国ビザをパスポートに押してもらったけれども、「やはり中東は観光するにも平和な日本とは大違いなのだな」とあらためて実感したのであった。それも六本木という、こうした事情とはまったく無縁のように見える瀟洒な街の片隅で。




オキュパイド・パレスタインの申請用紙
シリアの入国ビザ申請用紙。12番目の質問で「オキュパイド・パレスタイン」(イスラエル)訪問歴をイエスかノーで尋ねている。



2009年のシルクロード・フェスティバルは10月9日から14日まで6日間の日程で開催されることとなっていた。そこで私はシリア観光省が手配してくれた飛行機で現地に向かうことになる。手配してくれた、といってもプライベートジェットであるはずはもちろんなく、一般のエアラインのエコノミークラスである。

私が暮らす東京からシリアの首都ダマスカスへのルートとしては

@羽田→関空→ドバイ(アラブ首長国連邦)→ダマスカス<関空からはエミレーツ航空>
A成田→イスタンブール(トルコ)→ダマスカス<トルコ航空>
B成田→ローマ(イタリア)→ダマスカス<アリタリア航空>

が主なものとして挙げられる。乗り継ぎ時間などを考えても、最もラクなのがエミレーツ航空だが、私の手元に届いたイーチケットはアリタリア航空、つまりローマ経由だった。



アザーンにうなされたダマスカス第一夜

13時40分に成田空港を飛び立ったアリタリア航空は、コードシェア便ということで機材やキャビンアテンダントはすべてJALであった。いま、何かと話題のJAL。さらに映画「沈まぬ太陽」の上映の影響で、会社イメージはすこぶるよくないようだが、ローマまで12時間のフライトはとても快適であった。なんだかんだ言っても、JALは日本のフラッグキャリアで、いまなお世界で屈指のサービスを誇るといっても過言ではない。


それを強く感じたのはローマから乗り継いだアリタリア機に乗ってからだった。機材は古く、シートも一時代昔のもの。もちろんJALのように液晶パネルなんてついていない。機内食も、これが美食の国イタリアの?と思わせるもので、私もほとんど手をつけなかった。ローマ時間で22時(日本時間だと翌日の午前5時※サマータイム適用時刻で)に飛び立ったアリタリア機は、墨を塗ったような空そしてそれとの境界線がまったく見分けがつかない地中海を飛んでゆく。機内が消灯され、窓の外には船の灯りがポツポツと見えた。


シリアの首都ダマスカス空港に到着したのは、なんと午前2時40分(日本時間で午前8時40分※日本時間からマイナス6時間。これもサマータイム適用時)!アリタリアの古いシートは、着陸時に無人の座席がパタパタパタとドミノ倒しのように前に倒れていった。私にとってダマスカスという町はもちろん、シリアという国じたいが初めてであったが、その第一印象は暗闇にかき消されて真っ黒である。


空港にはガイドのS君が迎えにきていた。そして韓国製のバンに乗せられてダマスカス市内にあるホテルへと向かう。ジャーナリストビザを取得していたものだから、「何の取材でシリアに来たのか?」「どんなマガジン(雑誌)に記事を載せるのか?」などと入国審査でしつこく尋ねられ、空港を出たのは午前3時半近くになっていた。ホテルまでの車窓から眺めるダマスカスの町は、すっかり眠っていて、ライトアップされたモスクとロータリーのある大広場の中心にある電飾がやたらまぶしかった。


ホテルのチェックインが完了すると、S君は明るく言った。「明日は午前9時にホテルのロビーに迎えに来るよ」。明日、って言ってもあと5時間後じゃないか!部屋に入ると、すぐさまベッドにもぐりこむ。長旅の疲れですぐに眠れるかな、と思ったが、初めての土地ということで不安と期待が入り混じった高揚感が頭をもたげ、なかなか寝付けない。しかも夢かうつつか、遠くからアザーン(礼拝の呼びかけ)が聞こえてくる。「ああ、俺はイスラム国家に来ているんだ」。かすかだが、確実に耳に届いてくるアザーンにうなされながらも、私はシリアにやってきたことを確信した。



最初の訪問地はなぜか蒸気機関車の博物館

結局、あまり眠れず午前7時にはベッドを這い出した。そして約束どおり9時にロビーに現れたS君とともに、韓国製のバンで出発した。ダマスカス市内を案内してくれるのかと思ったら、車は郊外へと出てしまう。私がシリアで最初に訪れたのは、ヒジャーズ鉄道博物館だった。ここにはオスマン帝国(1299〜1922年)が1900年に建設を開始し、8年後に完成したヒジャーズ鉄道で活躍したドイツやスイス製の年代物の蒸気機関車が、野ざらしで陳列されていたのだった。ヒジャーズ鉄道はダマスカスからムスリムの聖地メディナまで1308キロを結んでいた鉄道で、聖地巡礼のムスリムを運んでいたという。


ここは日本で最も有名な海外ガイドブックにも載っていない。なぜならつい最近開館したばかりだそうだ。1908年のヒジャーズ鉄道開通100周年の記念にオープンしたという。ということで、ガイドのS君ですら「俺もここには初めて来たんだよ。いや〜、面白いところだなあ」と私と一緒に観光している有様である。到着したばかりでまったく土地勘がないのと睡眠不足で私の頭の中は、まだダマスカスにいるのかいないのかはっきり判断が下せていない。「たしか、京都にもこんなところ(※梅小路蒸気機関車館のこと)があったよなあ」などとぼんやり考えながら、100年前の蒸気機関車を眺めたり触ったりしている。


ヒジャーズ鉄道は完成直後に始まった第1次世界大戦で、オスマン帝国と敵対したイギリスの支援を受けたアラブ人反乱勢力、とくに「アラビアのロレンス」ことエドワード・トーマス・ロレンス率いるゲリラ部隊の執拗な攻撃によって破壊され、ついに現代に至るまで再建されることがなかった。しかし、観光立国を目指すシリアは蒸気機関車をリニューアルし、ヨルダン国境近くの都市ボスラまでの運行(片道3時間かかるらしい)を近いうちに実現させるという。





ヒジャーズ鉄道の旧ダマスカス駅
ダマスカス中心街にあるヒジャーズ駅。20世紀初頭のオスマン帝国時代に建設された。現在は駅としての機能を果たしておらず、1階は書店になっていた。教会のようなステンドグラスが美しかった。




これから私たちもボスラに向かう。残念ながら蒸気機関車ではないが。もし、この鉄道が復活したら、それだけでシリアに来るという世界中の鉄道マニアも多そうだ。



第1回・了


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シルクロード・フェスティバルのプログラム表紙
シルクロード・フェスティバル2009のプログラム表紙。この祭典は6日間、シリア各地で催される。









アサド前大統領と現大統領
鉄道博物館の正門に掲げられている2つの肖像画。左が1970年から30年間、大統領の地位にあったハーフェズ・アル・アサド。右がアサド前大統領の死去にともない、2000年に父親から政権を受け継いだ次男のバッシャール・アル・アサド現大統領。








蒸気機関車
ヒジャーズ鉄道開通100周年を記念して開館した博物館に展示されている、年代物の蒸気機関車。









ヒジャーズ鉄道かつての写真
1900年代のヒジャーズ鉄道を撮った写真も展示されていた。















人形
ヒジャーズ鉄道で勤務していたシリア人鉄道員の人形もなかなかリアル。







頭上注意の絵
私はアラビア語を話せないし、文字も読めない(ちなみに英文とは逆に右から左へと読む)。ただ、イラストがあると「どこでも注意するべきところは同じなんだな」と妙に感心してしまうのであった。