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ハウラー駅の市場
インドで牛として生まれることは幸せな生のひとつだろう、特にここ聖地ベナレスでは
ガンジス河の対岸は、沐浴場の喧騒とは打って変わったように、静かで何もない ベナレス
ガンジス河での洗濯 ベナレス
インド__彼岸への源流
インドの大地は、時間と空間の壮大な層の重なりを見せてくれる。太古からの地層や大河はそのまま表面に人間の雑多な表情を息づかせながら、何千年という歴史の流れを滔々と遥かな彼方へと溶け込ませている。
そこに営まれる混沌は、両極端の現象をむしろ深い融合の相として、生成の渦の深奥を覗かせる。汚穢のなかに清浄があり、死のなかに誕生があり、罪業のなかに聖性が同居する。相反し、矛盾するものの混在が、逆にすさまじい力をほとばしらせて世界の豊饒を歌いあげる。
苦楽の強烈な矛盾に裂かれ、生きる足場を根こそぎ崩されるそこに、インドの大地はむしろ大いなるものへ通じる平穏と永遠の道を匂わせてくる。人はどこまでも業レカルロのレマロなかに宿命づけられながら、むしろそれを起点として天空の下での自由の真理を見い出す。此岸から彼岸へ━━遠い天空への融合は、現在の汚濁と苦悩のなかにこそあることを開き示してくれる。
永遠の相の波打ち際で聞く楽音、荒寥とした風の音のなかに聞く空(くう)の囁きは、すべてこの大いなる流れに帰一していく彼岸への誘(いざな)いにほかならない。
インドをとらえた十字和子氏の作品群には、大いなる時空の流れへ向かい、むしろそこに吸い込まれていく回帰の色が滲んでいる。彼岸への渡渉を光と影として表出する作品群は、ここから出発した氏自身の輪廻を蔵しつつ、天空へと流れ溶けていく。
五十嵐 勉