― 中国 ―

マクドナルドの景品を作らされた子供たち

児童労働〜経済格差の広がる中国農村

高橋信之

 

 

マクドナルドへの低賃金抗議に参加した香港人の子供たち

 

新城の当時のマクドナルドの下請工場。
現在はマクドナルドとの契約は切れている

 

中間堂村

 

マクドナルドの下請工場で働いていた女の子たちが
寝泊りしていた寮

 

 

工場で働いていた12歳の少年

   子供を当用した世界的な広告販売活動を展開するマクドナルドの中国下請け工場で、下は13歳に至る子供たちが働かされていた事実が発覚して久しい。事実そのものは、昨年8月末以来、すでに各国の主要メディアで報じられ、国際世論となっている。にもかかわらず、マクドナルド本社は事実を認められないばかりか、市民の声に逆行して、大量な宣伝活動をすすめ消費者の目をごまかそうとしている。朝七時から夜10時・11時まで、遅い時は深夜2時まで使われていた子供たちは事件発覚直後に解雇され、マクドナルド側は深川・沙井の同下請け工場との契約を打ち切った。しかし、他の10件の同社下請け工場も、同様に労働時間や最低賃金法など、現地労働法に違反する事実が昨年末にかけた地元NGOの調査で明らかになった。景品だけで年間1億2千万ドルというマクドナルドの膨大な投資額はいまの中国経済が抱える矛盾をむしろ助長させている点は明瞭だ。世界貿易機関(WTO)加盟を前に、外国企業利益に迎合する中国政府は、事件解明へ動くことができず、工場の劣悪な環境とその背景に広がる農村の貧困を手放しにしている。マクドナルドの景品の袋詰めなど製造ラインに加わっていた児童約四百名のうち大部分は、ベトナムとの国境にも近い広東省の西端にある高州市・根子鎮の出身である。市の東南に位置する根子鎮をさらに分け入った中間堂村が児童の故郷である。熱帯性気候のもと茘枝(レイシ)や龍眼(りゅうがん)の生産で知られる根子鎮の人口6万3800人のうち中間堂村の人口は6200人に過ぎない。世帯数にしてわずか1681戸の同農村から、小中学校に通うべく児童300名以上が狩り出された事件の背景をもとめ中間堂村を訪ね追跡調査を行った。
 ILOの統計では、10〜14才までの児童労働者は中国で確認されただけで922万4000人と同年齢層の7.8%に達している。背景には農村の貧困、教育の荒廃、国土の汚染などが山積している。マクドナルドをはじめとする巨大国際資本企業の思惑に飲まれ、20余年を経た中国の「改革開放」政策が大きな曲がり角に立っている。外国企業が中国の国内総生産に貢献を果たしてきたことはまぎれもない事実であるが、マクドナルドのような進出形態は中国国内の貧富の格差を助長し、改革のひずみを拡大させるものである。
新興工業地域(台湾・韓国・シンガポール・香港)の「奇跡」を追う東南アジア諸国。中国の改革開放政策はさらにその後に習うもので、大枠において輸出指向型工業化という外資の導入をテコにしたアジア共通の成長モデルに従うものだ。対外依存度を深める中国・アジア諸国において、社会保障を含む国民経済の形成を両立させるには、多国籍企業を厳しく監視する日本を含む資本輸出国の消費者・国民の責任も重要である。
 児童労働者の出身地である高州市・根子鎮の鎮政府講堂で昨年末、同政府幹部と会う機会を得た。ただし話しは根子が茘枝の全国一の産地であり江沢民も視察に訪れたことなどに終始し児童労働に関する著者の具体的質問に応じようとしない。「取材には上級機関の承認が必要である」ことと「義務教育は9年間を保証している」点を幹部側はくり返すにとどまった。ただし今回の訪問で、中間堂村を構成する24の自然村のうち、訪れた複数の自然村で小学校高学年にいたる児童が、マクドナルドの景品製造に就いていたことが判明した。同村の親や子供たちの話しを総合すると、中間堂小学校、根子一中の校内掲示版に「夏期の臨時工募集」の貼り紙が出されたのに応じ、150名以上がバス3台に乗せられ深川に向けて発ち、期間後に帰されたという。深川・沙井の新城工場では、「臨時工」以外に「常勤」の同郷出身の児童労働者約300名、他郷出身者約100名が大人以上の過酷な条件で雇われ、マクドナルドの店先に並ぶハローキティ、スヌーピー、プーさんなどおまけの生産ラインに加わっていた。
 工場敷地内の寮内に視察に入った人たちの話しによると、300平方フィートの部屋に児童16人づつがすし詰めにされ二段がさねの木のベッドはマットも敷かれていなかった。時給1.5人民元で1日15時間以上、休みは月1日〜2日のみであり、賃金のうちから寮費として月60人民元、1食当たり2人民元がさっぴかれていたことを香港基教督工業委員会は明らかにしている。沙井地区の法定の最低賃金は、時給換算で10.5人民元であり、労働法に明白に違反している。
 香港各紙に続き、AP,CNNなどを通じて世界に事実が公表された後、マクドナルドは新城工場を経営する香港企業、プレジャーテックとの契約を破棄し責任回避の対応を取った。しかし、同社のほかの中国下請け工場のほとんどが、賃金水準や労働時間で現地法律を破っている点から、マクドナルドが自社工場を持たず現地工場に下請けに出すのは、問題があった時の責任転嫁を目的としていると言われてもしかたがない。工場地区の取材では、表情からは中学生以下としか思えない多数の労働者と近隣工場から出てくるところを行き交った。塀に埋め込まれたガラスの破片は、外部の侵入者に対する以上に敷地内の者を囲むことに意味があるように思えてならない。
 中間堂村は昨年12月、今年最後の収穫ににぎわっていた。きゅうり、ピーマン、らっかせい、バナナなどの刈り入れ時である。目抜き通りには、深川などから来た買い付け業者のトラックが並び、田心・老屋・各下など自然村の農民たちが、きゅうりを秤にかけ値段の交渉に当たっていた。自然村とは、人民公社の時代に生産の最小単位であった生産小隊がその前身である。1978年の改革後、直接の指令を受けていた生産大隊は「村」となり、人民公社は「鎮」となったが、生活の相対的な自由度や生産性が向上したことなど、農民は農業改革に一応の評価を与えていた。かつては、収穫の4割以上を大隊や人民公社に上納が義務づけられ、今以上に土地に縛られる状況のなかで、いかにノルマを減らすかということが眼目だったのである。
 世帯当たりの経営自主権が認められ耕作地の請負制になると、生産意欲が飛躍的に高まった反面、農村は貨幣経済の波に飲み込まれ、生産方式の商品化にともない農薬や関連機器など現金支出も増加し世帯ごとの収入格差も目立ってきた。政府公表によると農民当たりの平均年収は、全国で2090人民元、高州市では3450人民元となっている。ただ実際に農民から聞いた話しによると全国でも貧しいところは現金収入がないかあっても年500人民元程度のところも少なくなく、また負債を抱えているところもある。中間堂村の一角では、世帯収入が年3千人民元程度だが、稼ぎの悪い時は2千人民元を割る場合もある。ハローキティやスヌーピーの工場に子供を送らざるを得なかった農家は、郷鎮企業からの支援もなく収入が思わしくなかったところばかりである。
 村びとの家計を圧迫しているのは第一に様々な名目を設けた政府徴収でありその中には子供の「教育費」も含まれる。生産の面では、化学肥料・農薬・改良種子および関連機器の購入費用など生産方式の近代化にともなう負担も影響している。
 きゅうりのトラックへの積み荷を手伝ったお礼にお昼をご馳走になっていると、目の前の中間堂路を小学生の列が午後の登校に通り過ぎていった。マクドナルドの景品工場に狩り出され両親から中学生との紹介を受けた子供も列の中に見ることができた。通りの坂を上ったところにある中間堂小学校は、教科書代など「雑費」として半期に360人民元、年間最低でも720人民元を徴収する。仮に農家の年収を3千人民元として計算すると、一人っ子であれば家計の24%、子供二人であれば48%以上を占めることになる。根子一中の年間経費は1千人民元を超え、中学生を含む子供二人を学校にやるには家計上無理がある。学校より工場であり、年齢を偽っても一家の稼ぎ手を失いたくないと思う親の心理が生まれるのも当然だ。
 中国政府は1996年の義務教育法により小中学校教育9年間の学費を無償とする方針を名文化した。しかし実際には「教科書代」「印刷代」「教師費用」など様々な名目で「雑費」として「教育費」を徴収し農家の家計に重大な負担を強い、この傾向は「改革開放」がすすむに連れ悪化する傾向にある。公教育の荒廃がすすむ一方、93年からは「貴族学校」とよばれる私立学校の設立が認められ、典型である上海市場で株式を公開した広東英豪学校は、都市部の企業経営者の子弟などを対象とし、小学生の学費が年間4万6000人民元で豪華な全寮設備を完備し、土地成金や開発ブームを背景に貧富の格差は拡大する一方だ。
 圧倒的多数の人口を有する農村地域では、教育のほか社会保障・医療制度も荒廃が進でいる。伊藤忠が日本で代理販売をすすめる高級育児用品の「キッコ」も中国工場で火災事故を起こし、補償金の遅配や医療制度の不備が被害者にふりかかっている。93年の「キッコ」玩具工場火災事故の犠牲者の多くは、全国でも最貧農業地区に属する四川省の出身だが、重傷者の一人である陳玉英さんは火傷の手術治療費は現地の病院でさらに12万人民元かかり、ほかの被害者も平均で7〜8万人民元が必要だ。福利制度は、改革後農村で郷鎮企業に引き継がれたがいまや「採算性重視」のためほぼ消滅し、都市部でも国有企業下にあった生活保障を含む非生産部門は合理化されている。一方、独立採算性になった病院の治療費が高騰し、多額の借金を抱えなければ農民は大きな病気にかかれず、事実、マクトナルドの景品をつくらされていた児童の一人は、病気で亡くした父親の治療代を肩代りしていた。
 根子の村人たちの答えに共通していたのは、「官僚の腐敗が心配」というものだ。中間堂村の外れで、目の前の木に本当にパイナップルが実るのか、つきそいと議論していた時のことだ。木のわきで屋根の補修をしていた農民が議論に加わりやはり成るのだという。そのうち著者が海外からなにがしかの取材に来ているということに気付くと、屋根上で何やらわめきだした。よく聞き取れないので、降りてきて紙に書いてもらうと「社会黒暗」(社会が腐っている)だという。「道路工事費用から教育付加費用さらには水利費用など名目だけの乱脈な政府徴収で世の中は腐っている」となれない手つきで書いてくれた。農村の末端でも行政単位・党組織・営利組織が不可分であり、庶民は官僚の汚職に対する不満でのどもとまでいっぱいである。現在の局面としては多国籍企業が、「改革開放」の進行とともに、投資の寄生的チャネルとして、一党支配体制を幹とする腐敗状況をむしろ助長・重層化させている。鎮政府レベルで見ても収益性の望めない教育や福祉などの分野よりも、投棄性や対外性の強い郷鎮企業などに名目徴収を転用する傾向が強く、アグリビジネスを含む内外企業もそこにビジネスの契機をうかがっている。
 根子鎮の町には、農民の生活必需品を補う雑貨店、銀行、農工具店、料理屋、肥料店、農薬店などの店が並び、広場では砂糖きび、バナナ、果物類を売る者のほかバイクの乗車代で副収入を補おうとする農民も多い。兼業農民は、一人当りの耕地不足を反映している。「売れ行きはまあまあ」と口をにごす者が大半のなかで、目立って元気がいいのは、農薬や化学肥料を扱っているところだ。常時トラックで化学肥料が運び込まれる看板店は、政府公認の「高州市根子名産茘枝販売所」でもあり、江沢民の茘枝亭視察を契機に町起こしを狙った鎮政府のテコ入れがうかがえる。しかし実際に売っているのは、農薬や化学肥料ばかりで米日欧など高額な外国産のものが目立つ。
 ほかの農薬店にも聞いた結果、最高の売れ筋は、米国大手デュポン社の殺虫剤ランネットであることが判明した。濃度90%の高毒性のもので、成分は本国カリフォルニア州法においても危険廃物の毒素に指定されている。深夜まで製造ラインにつかされていた児童はもちろん、小学校にあがった子は放課後など農作業を手伝っており、子供への被害が気になる。第二位にはスイスのブランドであるリドミルが挙がった。日本製も目立ち住友商事が窓口となっている「日曹」は四番目くらいだという。住友化学工業のものもたなに並んでいた。農薬多用を条件とする「一代交配」かぎりの雑種性の改良種子が、殺虫剤の売れ行きと平行して祭日の市場で流れていた。
 中国の零細農村にまで食指を伸ばしているアグリ・ビジネスは、農家の家計負担という経済的側面以外にも、人間の基礎をつくる子供の公教育と対置している。土・水の汚染は、中国華南の農村を皮切りに全土へ浸透しつつあり、山西省などの砂漠化とも全く無関係ではないのである。中国国家環境保護総局筋(副主任)は昨年12月21日、「最近は改善の兆し」と前置きをしながらも「農薬の多用が、数十年来、中国全土における有益虫や小川の淡水魚を殺してきた」汚染の事実を認めた。政府統計において化学肥料の投入量は、97年までの10年間に1999万3千トンから3980万7千トンへ中国全土で約2倍の伸びを見せている。(『中国農業発展報告)世界的な総合化学開発企業であるモンサント社は、河北省で綿花の遺伝子組み換え種子をすでに販売しているほか、中国における大豆の改良種子の開発所有権を申請中だ。
 「自力更正」の名のもとに閉鎖経済を選んだモデルが毛沢東主導の中国以外でも相次ぎ崩壊するかで、人民公社体制に基づく農村の経済余剰の収奪を改め、経済建設の不足分を外資の導入にもとめた1978年以来の中国の選択は必然的な流れであった。しかし重要なのは、多国籍企業の影響を社会保障の確立を含む自立的な国民経済の形成にいかに転化し、市場原理の最大の標的とされる農村・農民の保護をどう進めるか、ビジョンと戦略の問題であり、深い意味での国際資本企業との対決でもある。NIES・アジア諸国が、4年前の金融危機を契機に将棋倒しとなった理由を大雑把にあらわせば、各国がその点で意欲も能力もなかったからである。
中国を振り返れば、この20年間に資本主義の採用に基づく生産力の向上という事実のほか何らかのビジョンなりを持ちえただろうか。国内総生産が急増した一方、農工間の成長格差は40%を越え、さらに悪化の傾向にある。農民と同じ視野に立てない限り、国際資本企業に草刈り場を提供するWTO(国際貿易機関)加盟も、改革のひずみを一層拡大するものである。中国、あるいはNIES型成長をめざすアジア諸国の発展に、対外投資関係は不可欠な幹として組み込まれており、重要な点は外国企業だけでなく日本を含む資本輸出国の消費者・国民も、中国や生産現地国の行く末に責任を免れないという点だ。今後アジアの「開発」とは今のように多国籍企業だけに誘致の道を開く排他的なものでなく、同時に日本を含む資本輸出国の消費者・国民に窓を開けることで、現地国の市民と二段重ねで多国籍企業による環境破壊や人権侵害など負の作用を監視・摘出し、「北」の国々によって歴史的につくらされてきた低開発性を農村から変えていく必要がある。中国において一つだけあげれば、都市部との格差是正や生産性にも密接な関連を持つ農村地域における9年間の義務教育を法律通り無償で追加徴収せずに実施する必要がある。鎮単位で財源を補えないなら中央政府が全額を保障すべきであり、それを可能にする体制をつくることこそ「改革開放」の本来の戦略的目的の一つだ。中国の国土と環境について自分の頭で考えられる人間を一人でも農村の学校から輩出すべきである。

 

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