インドネシアの交響楽

和合の音楽

ガムランに魅せられて

ガムラン奏者・樋口文子さんに聞く

インタビュアー=五十嵐勉

 

樋口文子さん 東京・浜松町のランバンサリ・スタジオで

 

2000年のランバンサリの自主演奏会で。弦楽器の後ろで太鼓を演奏しているのが樋口さん

 

中野の百観音の毎夏のガムラン・コンサートで

 

太鼓を演奏する樋口さん

 

 

 

 

 

 

 

   ガムランはインドネシアの打楽器交響楽。日本でもかなり知られるようになったその深い和合的な響きは、西洋音楽にはない豊饒と神秘の時空で包んでくる。心の奥へ深く厳かに降りてくるような親和的な魅力にとりつかれる人は少なくない。日本のガムラン・ファンも着実に増えているが、そのガムランの魅力や演奏のおもしろさなどについて、今回直接ガムラン演奏者からお話を聞かせていただいた。
 樋口文子さんは演奏歴一五年のガムラン演奏者。ガムラン・グループ「ランバンサリ」で演奏活動を続けている。ガムランとの出会いからなお一五年以上学び続ける習得の過程に、千年の伝統音楽の奥深さがうかがわれる。ガムランの世界がどのようにして作られるのか、稽古の合間に樋口さんにお話をうかがった。


五十嵐■樋口さんのガムランとの出会いは、いつですか。どのようなものだったんでしょう。
樋口●ある音楽大学の教育科に入学した次の日でしたね。大学のクラブ紹介があって、そこで初めてガムラン演奏を聞いたんです。楽器も初めて見たわけですよ。それでなんだかドカーンとこう、やられて。度肝を抜かれたといいますか。楽器の持つ異様な雰囲気というか、やっぱり触れたことがないものですよね。音自体もよかったですし、見た目もよかったというか……姿形にしても、音にしても……たぶん好みが合ってたんでしょうね。すっかりとりつかれてしまって……もうその次の日には、部室へ行って楽器を叩かせてもらってました。
 最初は単なるクラブ員だったんですよ。当時はまだガムランってこんなに知られていなかったですし、メジャーでもなかった。音楽大学のなかでもマイナーで、正規の授業も一年生では取れなかったんです。ですからガムランは、一年生っていうのは、好きな人たちがクラブでやるしかなかったんです。
 もともと好きなこと以外は目に入らなくなっちゃうので、それ以来ガムランばかりで一五年経ってしまいました。
■高校の頃から音楽方面をめざしていたんですか。
●埼玉の普通の公立高校でしたけど、六歳の頃からピアノをやっていて、進学は音楽方面と決めていましたから、ほとんど家でピアノ弾いてればいいんだくらいのことで、公立の高校にもかかわらず、学校にきちんと行かなくてもぜんぜん先生はとがめなかったんですよね。だから山登りに行ったり、勉強なんかほとんどやらずに好きなことばっかりして、最後のスパートで、たまたま音大に受かって、また好きなことへのめりこんでいったという感じですね。
 ただ、昔から私は近代のフランスの音楽が好きで、ほんとは音大生になるためには、モーツァルトだとかベートーベンだとか、一般に言われているものを一生懸命やらなければいけないんですけど、私はもう受験の前からそういうのがだめで、フランスのドビッシーだとか、ラベルだとか、ちょっと現代の、二〇世紀に入ってるかいないかくらいの人たちのピアノ曲ばかり一生懸命弾いてたんですよね。で、あとでわかったことなんですけど、あの人たちは曲を作るときものすごくガムランから影響受けていたんですって。万国博覧会で見た時にね。今振り返ってみれば結局、体質というか感覚的に合っていたってことではないですかね。そういうのが好きだったって。そういうふうに言われてみれば、私が大好きなピアノの曲、フランスの作曲家の書いたピアノ曲は、どこかガムランの響きに似てるなってあとからとっても納得がいったっていう感じでした。
■それにしてもすごいのめりこみようですね。
●本来取っておかなければ単位をほっておいて、大学に入ってから二年間ほとんどガムランばかりやっていたんです。ほんとに一年生なのにあんたは何やってんのと言われるくらい好きなことをやってました。
 家庭の事情で、学資が続かないっていう背景があったんです。最初から途中で止めるからくらいの話で、無理矢理私立の音楽大学に入ったんですね。もう受験の時に音大は経済的に続かないぞって親に言われてたんです。音大は普通の大学の数倍授業料が高いですから。当時で年間の授業料が二〇〇万はしなかったけど、医大生以上にかかるんですよ。日大の芸術学部も受かったんですけど、日大の芸術学部よりも音大のほうがおもしろそうだった。で、日大だったら四年間行かせてあげられるけど、東京音大だったら二年しか無理だって親に言われたんです。でもまあ、途中で何か見つけるから、やめてもいいやってことで、音大に入ってしまった。とりあえず行きたいほうへ進んでしまって、だから途中でやめることになるかもしれないっていう事情があったものですから、最初から好きでもないものを単位に取っとかなきゃっていう気はぜんぜんなかったんです。
 だから私もいつも時間が限られてるような気持ちだったし、それであまりにも好きなように、二年間好きなことに集中してやりたいようにやっていたんですね。
 ですから、一方でそういう家庭の事情と、自分でもこりゃだめだっていうのがあって、二年の終わりで中退したんですよ。で、親に三年生の前期の分だけ、学費をちょうだいって言って、もらって、それを握ってジャワに飛んでしまったんです。
■勢いがいいですね。インドネシアは初めてだったんですか。
●私は大学をやめる前から、ソロに行ってたんです、すでに。夏休みに、先生に連れられて……。いい先生でした。最初に行ったのは二年生の時です。そのとき初めて現地の人から習ったわけです。
■そのときの印象はどうでしたか
●もう見るものから何から、めずらしいわけですよね。海外旅行そのものが初めてでしたし、もうルンルンですごく楽しかったです。先生がほんとによくお世話してくださいましたしね。屋台で食事をしたり、生活を二週間したのがまた楽しかったですね。ガムランを習ったということもそうですけど、日本で味わえない経験がすっごくよくて、それもやみつきになっちゃって……。
 ガムランを初めて現地の人に習ったのも、とにかくすごく新鮮で、いい経験でした。これでさらに……という感じです。でも、まず言葉がわからなかったですよね。先生がずっと付いててくれるわけじゃなかったので、途中からもうわざとほっぽりだされるような感じでした。付きっきりだと勉強にならないからって。言葉がわかんなくても、自分でどうにかしてやんなさいって言われて、あちらの先生も途中で説明を半ば諦めて……もう、即楽器をやってテケテケテケテケって……そのときは木琴だったんですよ。ガンバンっていう。テケテケテケテケテケテケって弾かれて、ハイッどうぞと言われて、とにかく必死で真似するという……そんなことを何日か一生懸命やって、二週間くらいですかね、いたのが。とっても新鮮でした。うれしかったです。
■さっき物真似みたいな習い方をしたとおっしゃいましたが、それが樋口さんだけでなくて、インドネシア人でもそういう習い方をするわけですか。
●ガンバンは、それでしか入れない楽器ですよね。鉄琴とか、楽譜から入れる楽器もあるんです。そういうものはみんな紙を見ながらやってます。「そんなもの、憶えちゃいなさい」とか言われたりしますが、あれが一応楽譜なわけで、そこから入ることもできるんです。だから日本ではたぶんこの辺の楽器は二年くらい経ってから、チャレンジする楽器なんですけど、私も二年目だったので、じゃあっていうんで、技術的にすぐにはできない楽器を向こうにいるときは練習したということです。基本的にはこういう楽器は普通はそうやって真似しながら覚えていく、ということだと思います。
■現地での教え方はほかに日本とちがった点はありましたか。
●向こうの先生方は、日本の個人レッスンと比べて熱心でしたね。とっても。もう、一回習うと自分の子供みたいな感覚になっちゃうと思いますね。言葉ができないのに、二時間みっちり真似するっていうのが、終わったあとに、今度は曲についての説明とかをガンガンされるんですよ。フンフンと聞いてるんだけど、私にはわかんないんですね。そのうちさらに熱が入って、書き始めたりね、日本でそれこそピアノの教室とか、全然ちがうっていう感じはありました。外国から、しかも女の子が習いに来たっていうんで、とってもあちらとしても半分うれしいような、珍しいことでもあったかもしれませんし、そういうことで一生懸命教えてくださったのかもしれませんけど、でも全般的に日本の何々教室みたいな雰囲気ではないですね、ほかの人たちが習いに行っても。けっこう入れ込んで教えてくださる、という感じです。
■その説明の部分が実はひじょうに大事だとかいうことはないんですか。
●私五年間ガーッと行ったわけですね、向こうに。そのときにもうガンガン、もうわけはわからないけど、行っては録音し、行っては録音しというのがいっぱいあるわけですよね。で、一〇年くらい経ってからあのときの録音を探して聞き直して、そういうものがやっといま初めて使えるようになった。資料として。そのときはわけがわからないんですよ。片言のインドネシア語は勉強して行くわけですけど、向こうはジャワ語が入ったりしてすごく訛るんですね、すごくわかりずらくなるんです。ほとんどわからなかったですけど、いまやっと、録音しておいてよかったと思いますね。
■それは樋口さんだけじゃなくて、ジャワの人たちにも、曲でない、口で説明してくれる部分があるんですか。
●たぶんね。向こうの人たちって、そうやってこう、サラリーマンの息子がガムランの奏者になろうとか普通思わないみたいで、お父さんがガムラン奏者だったら、小さいときから私もガムラン奏者でしたという感じなんですね。
■自分の子供にはそうやっていろいろ口伝で……
●そうですよね、口伝とか、演奏そのもので教えるっていうか。おれの親父はとか、おじいさんの話をお父さんから聞いたとか、そういうのが強かったりするんですよ。それが重んじられたりして、音楽家だったうちの父ちゃんの父ちゃんが言ったことによれば、こうらしい、とかいうことが、とっても貴重だったりするんですよね。
■樋口さんも当然そういう教え方をされることになるわけですね。
●そうですね。長老たちがどんな演奏をしているか、してきたかってことを一生懸命言って聞かすんですよ。何々じいさんは、ここのところはこうやるんだよ、でも何々じいさんはそれはちがうって言うんだよなって、いま聞くとそういうことをいっぱい教えてくれているんですよね。これができる人はそうそういないんだとかね、でもおれはだれだれさんに教わったから知ってるんだけど、みたいな。初めてやってみるっていう外国人によくまあそんなことまで一生懸命教えてくれたなっていう感じですね。感動しますよね。
 家族以外の一般の人に教えたり、特に一対一で教えたりすることは特殊なので、それは珍しかったのかもしれませんけど、でもそういう教え方が普通のようです。ガムラン奏者って普通全員男なんですよ。女性はあと歌手か踊りしかやることがないんですね。
■なぜ、奏者は男性なんですか。
●たぶん、これは推測ですけど、王家のものですし、基本的には男性がやるものとされた……神聖なものなので、女性の血を嫌うといった……あるいは歌舞伎や雅楽のような類似点があるかもしれませんね。
■向こうでの滞在は三カ月とか四カ月とかですか。
●いえ、ビザがないから、長くても二カ月しかいられないんですよ。で、お金もそんなに持って行けたわけじゃないですから、使っては帰ってきて、またお金をアルバイトして貯めて、また行っては……だいたい一年の半分を向こうで過ごして、半分こっちでアルバイトてお金を、とそんな感じでしたね。
 それで気がついたら二五歳になってたんですよね。夢中で、全力で走ってきたという感じです。
■それだけ熱中できたというのはいいですね。若者の多くはその熱中できるものを探しているうちにうやむやに年をとってしまう感じですからね。
●とっても好きなものにだけ、時間とお金を使ったっていう感じですね。
■いいですね。
●親にはそういうことで泣かれましたけどね。おまえがもう一つの方の普通の大学に行っていれば、ちゃんと四年間行かせてやることもできたし、たぶんガムランになんか出会わなかっただろうから、まあ平穏にピアノをやって、ふつうにピアノの先生にでもなっていただろうに、ということで、ずいぶん泣かれましたけどね。へんな物好きになってしまったとか……。
■話が元へ戻りますが、向こうでのガムランの勉強はどんなふうに進んだんですか。
●ガムランにはいろんな楽器があるんですね。いろんな楽器をやってみたいわけで、そうすると、この楽器はあそこの王宮で弾いてたあの人かっこよかったなとかで、いろんな楽器をいろんな人に習うことができるんですよ。もちろん一人の長老にいろんな楽器を習うっていうのも手なんですけど、あれは、あの人がかっこいいとか、この楽器だったらあの人がいいなとかっていうんで、そういうことができるんですね。
■ほとんど全種類の楽器をそういう形で習ったんですか。
●まあ、全部じゃないですけどね。習ってます。習い途中。これなんてまだ、ちょっとだし、あれなんてまだ見よう見真似でやってるくらいですね。その太鼓が習い途中。あとまあ、これが習い途中。大学生たちがやってたような、キンコンキンコンというこれらは、特に向こうへ行って習うほどの楽器じゃないので……
■むずかしくない小さいほうの鉄琴みたいなのがありますよね。あれは何ていうんですか。
●あれはサロンといいます。いろいろちっちゃいのとか、おっきいのとか、サロンでっかい、サロンちっちゃいとかいろいろありますけど、全体でサロンです。
■鉄琴と、木琴と、太鼓と……この三つの太鼓のなかでこれが一番難しいわけですか。
●このチブロンという太鼓が技術的にはむずかしいです。
■この鉄琴は。
●グンデルといいます。
■何の金属でできているんですか。
●上は青銅です。銅と錫の合金の……
■この木琴みたいのは。
●ガンバンといいます。
■この胡弓みたいな絃楽器は……
●ルバーブといいます。
■日本では習えないのは、これらのうちどれでしょう。
●グンデル、太鼓のテブロン、木琴のグンバン、弦楽器のルバーブ、この四つが向こうへ行かなきゃ習えない楽器の代表ですね。
■この金属壷が並んでいるようなのは。
●これはボナンって言います。これはむずかしさでその次に来るような感じ。でも比較的音がわかりやすいので……
■これも青銅なんですか。
●キラキラしているものはすべて青銅です。
■真鍮に見えるんですけど、青銅なんですね。
●青銅です。王宮で発達した演奏楽器なので、向こうでも高価なもので、権力の象徴みたいなものです。なるべく長持ちするもので、音色のいいもので、ということで青銅になったと……小さな村のガムランは鉄だったりしますけど。
■大きいのもボナンというんですか。
●あっちの大きいのはクノンと言います。
■小さいのとか中くらいのがクノンで、大きいのがボナンというんですね。あのでっかいドラみたいなのがありますが、あれは。
●あのドラは黒いものはゴングと言います。黒であるとはかぎらないですけど、いちばん大きいものがゴングで、小ぶりなものはクンプールとか、あとスウァンとか。
■これも、あれも日本でやっちゃったわけですね。
●こういうものはある程度日本の授業の中で覚え込んでいけるものですね。
■これでだいたい全体ですか。
●そうですね、それに女性歌手パートがあったり、男性の何人かで歌うパートがあったり、もうちょっとありますけど。
■いちばん初めに樋口さんが大学の授業でやった楽器は何だったんですか。
●ゴングでした。打つ回数が少ないんですよ。曲の中で(笑)。
■それからどれに行ったんですか。
●いえ、普通ガムランはすべての楽器をローテーションで回しながらやっていくんですよ。私がこれっていう分担じゃなくて、基本的に、むずかしいもの以外はすべてローテーションでやっていくんです。だから一つの曲を二、三カ月かかってやります。同じ曲でも全然別々の楽器に入るとやることがちがうから三カ月飽きないでもつんですね。そこが西洋音楽といちばん違うところです。オーケストラの場合は役割が固定されていて、分担が動きませんよね。でもガムランはある程度全部できないと、対応していけないんです。
■それはガムランという楽器演奏そのものがそうなんですか。
●そうなんです。基本的には向こうの音楽家も全部できます。むずかしい楽器は別として。それが結局ジャワのガムランに足をつっこむと抜けなくなる理由の一つなんですよね。やることがいっぱいありますから。飽きないっていうか。長くなるっていうか。やればやるほど抜けなくなるというか。
■その代わり、指揮者みたいな人もいらないっていうことですか。
●ローテーションすることによって他の楽器を聞く力ができますよね。全部できるわけですから。相手の気持ちがわかっちゃうっていうか。それで、以心伝心の音楽になっていくんでしょうね。たぶん周りのができて初めて、こうしたいんだな、ああしたいんだなってのがわかってくるんじゃないでしょうか。
■歌うことも勉強させられるんですか。
●結局やらないと行き詰まっちゃうんですよ。好き嫌い、得て不得手はあるにせよ、結局歌うことになっちゃうんですよね。ですから、一五年やっていてもまだこれからやらなきゃならないことのほうが、多い。歌だって、歌をやらなきゃ次へ進めないっていう段階に来たのが最近なんですよね。あーっ、それは知らなきゃいけないのね、って今そう思っているところで。そういう意味では最近なんですね。
 歌もそうですし、私このルバーブっていう胡弓も手をつけたことなかったんですけど、あるところまで来たら行き詰まるわけですね。ここから先へ進めなくなるんです。そうするとこの胡弓をやらないと、その信号が読み取れない、ルバーブの信号を読み取ることで、もっとほかの木琴の深みが増すらしいんです。
 この間、ジャワにいったとき、木琴のことで向こうの先生にいっぱい質問を浴びせたんですよ。久しぶりにジャワへ行ったもんですから。あれも聞きたい、これも聞きたいって。そのほとんどの答えがね。この楽器、胡弓の奏法のなかに隠されているって言われて、ここまで来て、また新しい楽器を始めないと、次へ進めないのねって、思ったんですよ。そういう感じで、次から次へと課題が出てきてしまうんです。
■現地で一人前というふうになるのは、だいたい普通何年くらいかかるんでしょうか。
あるいは楽器の種類で言って、どのくらいの楽器までいったら一人前なのか……

●それに答えるのはむずかしいですが、一通り曲をこなしていくと、そのうち初めての曲でもすぐに演奏できるようになってくるんですよ。そこまでいくのに、私のようにたまに現地へ行ったりとかしてる人でも、一〇年くらいかかる。当然向こうでそれで一人前とは言われないですけど。向こうで一人前なんて言われる人はそんなに日本ではいないんではないかと思います。いま向こうでプロとして活躍している日本人が一人だけいますけど、でもその人は若くして向こうへ嫁いでもう毎日のように楽器にまみれて……大先輩ですけど。
■そんなに年期がかかるんですか。
●ですから、あんまり理想を高く掲げすぎちゃうと、さっさと挫折しちゃうんですよね。のんびりやっていくくらいの気持ちでやっていくのがちょうどいい……。一人でワーッとやったからって、日本で何もできないじゃないですか。それだけの人数が、それぞれの持ち場の楽器ができてはじめて一つの曲ができるわけですよね。ガムラン一人でやってもつまんない、自分だけやってもだめなわけです。人数揃えるだけで、大変ですよね。ここの「ランバンサリ」の代表の木村佳代さんにも頭が下がるんですけど、そういうことを考えながら、一グループ作ろうって思うことがすごくたいへん。向こうでももうプロはだれもやらないよっていうくらい初心者向けの曲を一曲できるようになるまでに二、三年かかっちゃうわけですよね。それだけ、人を育てることもだいじになってくるんですよね。しかもここは報酬なしにやってるわけですからね。そういう意味で、ここはここですごいと思うし、ここの代表も私はすごく尊敬してるんですけど、私なんかそれに乗っかって、ガムラン好きです、大好きですって、ワーッてやってるだけ。私は猿回しでいうと猿のほうで、回すほうはたいへんでしょうね。ここでは楽しいです。好きに演奏させてくれる場ですからね。
■これからどういう方向でガムランを続けていきたいですか。
●初めてガムランを聴いたときや演奏したときの感動を、今度は私が作っていきたい■そういう方向で続けていきたいですね。あの感動を今度は私たちが再現して、共感する仲間を増やしていきたいと思っています。また私個人の演奏の内容としては奥を深くして、大人っぽい領域に踏み込んでいければいいですね。
■演奏の輪、ガムランの輪が広がっていくことを期待しています。ありがとうございました。
(二〇〇〇・一一・七/浜松町「ランバンサリ・スタジオ」で)

 

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