★連載6 「ラマダーンが明ける。説明できない祝日・イード」★
          
執筆:藤井陽見




2011 年 8 月 30 日、これは日本の時間においてだが、 SNS であるフェイスブックのウォールが一斉に同じ言葉で埋め尽くされた。

「 Eid Mubarak! 」

断食月が終わったことを祝うこの言葉が、この日は世界の至るところで飛び交っている。
バングラデシュから離れて現在身近にムスリムの知人もいない自分は、ネットで、ケータイを通して、この言葉に久しぶりに触れた。

約一ヶ月のラマダーン(断食月)が終われば、断食明けの祝日であるイードとなる。国民の約9割がイスラム教徒のバングラデシュでももちろん、社会のほぼ全体で参加する断食の期間、そしてそれが明けたイードという祝日は非常に重要な行事になる。


ラマダーン(断食月)について ? Wikipedia

バングラデシュで知り合ったムスリムの多くは、忠実にこの断食のルールを守って生活していた。夜明け前、断食時間に入る前のシェヘリという軽い食事をし、日中は食事、喫煙はもちろん唾も吐き出す。日没のアザーン(礼拝への呼びかけ)が鳴り響けばまずは水を飲み、イフタール(断食時間後の食事)の準備へと向かう……。

 

 

自分にとっての初めての海外体験として過ごしていた一年目、タンガイルの村で迎えた断食月は、せっかくであるから、という非常に軽い気持ちで「参加」をした。イスラム世界のことなどほとんど何も知らない時分の目で見た失礼な感想としては、女性が至るところに唾を吐くのはショッキングだったとか、皆が空腹なのでこの時期の長距離移動は運転が荒くて危険だな、とか、日没後の断食時間明けのイフタールという食事は油っぽい塩辛いメニューが多いので、お酒のつまみにはいいな、などそんなようなものだ。

 

自分の興味本位での断食体験は、暑い昼間に村の中で脱水症状になりかけたのと、煙草の我慢が苦しいという理由で、わずか二日ほどであっけなく終わり、その後はムスリムの同僚たちから隠れて事務所裏にある井戸水をこっそりガブ飲みするというようなことをやっていた。

 

そんな自分が断食のあいだ重宝し、強く印象に残っているものが、ラマダーンのときだけに現れる、闇営業チャドカン(お茶屋)だった。

闇営業といえば仰々しいが、表からは店の内部が見えないように(外側に布がざっくりと取り付けられているだけなのだが)細工して営業しているお茶屋のことだ。


突然現れた見世物の象のせいで非常に見えづらいが、後ろに見える布がかけられた小さな小屋が「ヒミツ営業中」のチャドカン(お茶屋)。断食月以外ではもちろん布無しで普通に営業している。

 

千枚以上はあるはずのバングラデシュの写真。三年分のものから断食月の期間のものをずっと探したが、この「断食月に、ひっそりと日中営業しているチャドカン」の写真が見つからなかった。上に掲載したものも、布をかけたお茶屋が目的ではなく、巡回サーカスの宣伝をするために街なかにあらわれた象を撮影したもの、に偶然お茶屋が映り込んでいただけだ。

 

ちょっとでも気になるようなものはすぐに撮影するようにしていたのに、今回に限って何故無いのだろう。例えば、田舎の売春宿や偽マリファナの売人や、障害者の物乞いや、そういったカメラを向けにくいものと同じもの、だからだろうか。おそらく違う。この闇営業お茶屋に限っては、自分も客としてそこを利用したいたという事実も大きかっただろう、写真に撮ることはほぼブログで公開することと同義であったから、それをしようとは思わない何かをその場所に感じていたのかもしれない。

 

などと大袈裟には書いてしまったが、断食時間のあいだに茶を飲んだり煙草を吸った、イコール断食の放棄、ではない。ある程度の自らの弱さを認めながらも、自分なりの断食を実行していく。そこにイスラム的な自分なりの信仰があるのらしい。

 

 

村で一緒に仕事をしていた男性のひとりは、「キミは外国人だし、仏教徒だしね。断食に加わることはないから、お茶が飲めるところに連れて行ってやろう。煙草も吸いたいだろう! 連れて行ってやろうね!」と非ムスリムである僕をダシに、「そういう店」に何度も行く、というようなことをしていた。その彼はそこでは煙草を吸い、茶を飲むが、唾はきちんと吐き出していた。

 

僕はその場所を気に入っていた。

普段よりも飲料水は手に入りにくい期間であるし(水やジュースを売る商店なども日中は閉まってしまう)、煙草も外では吸いにくい(断食では喫煙も禁じられているので、外で副流煙をまき散らすわけにはいかない……)ときであったので、「そういう店」でやっと飲むことができる、禁じられた甘いショウガ茶などはやはり、美味かった。

布で囲われた小さな店内、日が照っているときなどその中はサウナのような状態になり、お湯を沸かすカマドからの熱も加わって熱気で息苦しい。間違いなく「隠れて」茶や、煙草や、バナナやお菓子を、断食月の日中にからだに入れている村の男たちの体臭までが充満した「苦しい」その空間は、いつも以上に彼らの素がむきだしになっている場のような気がしていた。

 

 

そして一ヶ月の断食期間であるラマダーン月が終わる。断食明けの祝祭、 Eid ul-Fitr (イード・アル=フィトル)。この日のために新調したイスラムの礼服を身につけ、お祈りをし、イード用のご馳走を食べて、どこかへ出かけて買い物をしたり、昔からの友人との再会をしたり、イードの特番が多く放送されているテレビを見たりと、いつもよりは華やかに、しかしゆったりと、イードの休日を楽しむ。


イードの日、村では特設会場がつくられ、村人みんなで聖地へお祈りをする。

「お祈りをしているときは、前に立っちゃだめだよ(聖地とのあいだに入っては駄目)」と言われる。「横のほうから写真を撮ってもいいかい?」「ぜんぜん構わないよ」

 

ほとんどのバングラデシュ人は、故郷でこのイードを過ごす。そのためにラマダーン終わりの時期になると一斉に帰省する。人口密度が実質世界一高いこのバングラデシュで人が一度に動くというのは、これはこれでまたひとつの重大なイベントというか、出来事、事件であるのだ。

 

とにかく「人間」の多いバングラデシュ。イードを故郷で迎えるために列車で帰省する人々の映像。本当にこんな感じである。

バスも運賃が普段の三倍ぐらいに跳ね上がり、乗車率はもちろん400%ぐらいになり、いつもであれば2時間で着く道のりが10時間以上かかる。この移動で怪我人や死人まで出ることもあるが、皆は必死で田舎に向かう。都会で買った贈り物用の荷物をいっぱいにかかえて。



同僚の実家に呼ばれ、記念写真を撮影。この日のための新品の服を着て、イードの到来を喜ぶ。

 

 

バングラデシュのニュース番組。イードの日を楽しむ人々の様子。近頃ではこのように都会でイードを迎えるパターンも増えてきている、が、もちろん映っているのはまだまだ少数の「富裕層」たちだ。

 

 

このイードという日を日本の友人に説明するときなどには「お正月とお盆が一緒に来ているようなものだ」と言ってしまうが、どうにも自分の語彙のなかではうまく説明できない。

みんなで祝うもの、という単純にその日が来たというだけではなく、もちろんそれまでの断食期間があっての、この日である。それぞれの信仰を、それぞれである程度の苦痛をもって体言し、イスラム社会まるごとで迎えるこのイードという日。自分には想像が及ばない、神聖な(という簡単な言葉では追いつかない)喜びがあるのかもしれない。

 

 

 

 最後に、バングラデシュ人の知人のひとりが、今回のイードの日にフェイスブック上で出したメッセージを紹介する。

 

 

Holy Eid Greetings to all my Friends and the Peace loving People.

(この日を迎えた喜びを全ての友人たちへ、平和を愛する人々へ)

 

The holy Eid-ul-Fitr will bring Peace, Prosperity & Happiness for all Creatures of the World.

(聖なるこの行為が、世界の全ての生きとし生けるもののために繁栄と幸福を、そして平和をもたらしますよう)

 

 

(2011.08.31 藤井陽見 maukarasu.net




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