★連載3 「成長したクソガキが、バングラデシュの教育でサクセスストーリーをつくるのか」★
          
執筆:藤井陽見


「学校へは行きたくない!」

 イザーンが叫んでいた。「なんて贅沢なガキだ」といつものように日本語でつぶやき、彼が投げてくる日本製のミニカーなどをよけながら「学校は大切なものなんだよ」と慣れないベンガル語でたどたどしく諭す。いや、通じていない。いつものことだ。

 バングラデシュに来て二週間ほどだった。現地語であるベンガル語の学習のため、首都ダッカのミルプール地区にある、(かなりの)金持ち、(かなりの)大きな家にホームステイをさせてもらっていた。そこには老夫婦と、海外に留学している娘夫婦の子であるプライマリースクール(小学校)に通うイザーンというクソガキが住んでいた。

 そのクソガキであるイザーンくんは、なんというか本当にもうクソなガキで、小さなころから両親が不在、やさしいお金持ちのおじいちゃんおばあちゃんに育てられた、よくあるパターン、世界の中心は自分である、というガキだった。
※ただ途上国の上流階級の子どもにしては珍しく、デブではなかった。


ミニカーが大好きなイザーン。ちょっと気分が悪いとこれをビュンビュン投げつけてくる

 旧パキスタン時代の、クリケットのナショナルチーム代表選手だったおじいちゃんは孫の言うことならなんでも聞く。学校は面倒くさいからいかない。おもしろくないからいかない、と言えばその通りになる。そこへ日本から突然やってきて住み着いたおかしな顏の外国人が、「学校は行ったほうがいいよ」というような、おそらくそのような意味のことを下手クソなベンガル語でぼそぼそつぶやいている。そういうわけで僕はいつもイザーンからミニカーを投げつけられる。馬鹿にされながら。

その家には、もうふたり若者がいた。その家で住み込みでお手伝いをやっていた二人の二十歳前後の青年だ。地方の貧しいところから首都に出てきたが、まともな仕事にはありつけず、とりあえず、といった感じでこの家の手伝いをしている、掃除、洗濯、料理など。
 彼らは僕に対し、持ち上げておけば何かオイシイ思いができると思ったのか、それとも珍しさからか、単純に優しさからくるものか、仕事だからと思っているのか、とにかく自分にはよくしてくれた。よくしてくれ過ぎて彼らとのエピソードが無いため、ふたりの名前を憶えていない。恥ずかしがり屋だったが、彼らが唯一僕にしたリクエストが、「写真を撮ってくれ」だった。




彼らと筆者 

 彼らは小学校もまともに出ていない、と言っていた。彼らの方言混じりのベンガル語を理解するのに苦労したが、僕は聞いた。偉そうに質問した。「ここのクソガキのイザーンは学校へは行きたくないといっている。君たちは小学校をやめたそうだけど、今考えると学校は必要だったかい?」

 彼らの「何を言っているんだこの日本人は」といった顏を今でも覚えている。僕のベンガル語は、おそらく通じていた。


 バングラデシュの学校、教育。どんなイメージがあるだろうか。「あまり学校に行けなくてかわいそうだ」「ろくな教育受けていない」「教育の質が低そう」

バングラデシュの教育についてはこのサイトの記述が参考になる。
 http://www.nvcjapan.org/bangladesh/index.html

 
 はじめは、「就学率」のことを「卒業した」割合のことだと思い込んでいた。おお、就学率97%。意外、といっては失礼か。だがみんな小学校ぐらいちゃんと言っているじゃあないか!
実際に村に住むようになって、すぐにおかしいと思った。小学校を途中でやめた子どもがあちらにもこちらにもいた。あるベンガル人の公務員から聞いた話では、「一日」でも授業を受ければその子は就学したことになる、らしい。

 よく調べる。就学率は卒業した割合ではない。さらに調べる。5年(クラス5、つまりバングラデシュでの小学校卒業)残存率、65%。小学校を卒業するまでにドロップアウトする割合が、35%。

 大分現実味のある数字になった。ただ統計の方法も正直信用がならない。無責任に適当なことは言えないが、例えば、僕も何度も同行したことがある、政府主導の「村での全世帯調査(小規模な国勢調査のようなもの)」ではある程度人が集まっているところに調査人が行き、そこでその集落のすべての情報を、そこにいる物知りおばちゃんに聞いて、それを書いて終わり。というようなやり方で成り立っていた。バングラデシュのデータは、つまり村の物知りおばちゃんの気分次第なのだ、と思ったのを覚えている。途上国のデータ(その国が出したデータ)は特に信用すべきではなく、おそらく色んな問題がその意味のない数字の裏にヘドロのようにつもり重なっている。

 ただその正確なデータがあったとして、どうだというのだろうか。村で、学校に行っていない子どもの父親に言われたことに、僕は今も答えられない。「子どもが学校へ行ったら、誰が農作業を手伝ってくれるんだ?」理屈では答えることができる。将来のため、貧しいループから抜け出すため、そもそも人間の学びとは……。
 けれど「その場」では何も言えなかった。当たり前の答えが説得力を持つとは全く思えなかったからだ。
 
 ホームステイしていた金持ちのところのクソガキ、こいつはなんだかんだ言っても、結局は面倒くさそうに学校へ行く。そしてこれは皮肉なのか、この国のことを憂い、子どもの未来や教育問題のことを真剣に考えそして行動を起こしているのは、例外なくある程度裕福な家の出で、高学歴の若者だった。イザーンのような育ちのものたち。最終学歴も高く、さらに留学して一度は外国の文化に触れている若者だ。


「教育の質」。
色々な機関やほかの国、NGOなどの支援が大きく、これに関しては数年で飛躍的に伸びている。先進国よりも進んだ授業をしている地域だってある。

けして金持ち学校ではない。地方にある一般レベルの学校の授業

「子どもという労働力を学校にとられるのは嫌だ」という世代はもうすぐ消える。新しい技術や支援による進んだ授業を受けた「裕福でない」子どもたちのなかから、出てくるのだろうか。バングラデシュでは今までそのようなサクセスストーリーは生まれようがなかった。
 途上国で教育を受ける意味を体現できるのは、いまこのような教育を受けている子どもたちかもしれない。



 つまりそれまでのあいだ、どんなに農作業が忙しそうな子どもがいても、
「行かなくてもいいよ、学校なんて、ね」
 とは、絶対に言ってはいけない気はしている。理由を言えなくても。ベンガル語がある程度自由に話せるようになった今となっても。


一般的な村の公立学校。女の子は基本的に制服だが、着ていない子もいる。これは国の戦勝記念日に、生徒全員で「バングラデシュ最高!」みたいなことを言っている様子。著者撮影



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