★連載1 「僕のバングラデシュ」★ 新連載スタート! 
          
執筆:藤井陽見




バングラデシュの庶民の足・リキシャ



 ある日の夕飯どき、なんとなしに点けていたテレビから「バングラデシュ」という国名が聞こえてきた。
 
 バングラデシュ。
 
 この言葉には敏感に反応部屋の水道から出ていた「茶色のサビ水」するようになってしまった。しばらく住んでいたのだから。初めての飛行機に乗って、初めての海外として行って、そのまま三年間も住んでしまった国の名前なのだから。

 貧困問題、援助、経済等の話題を中心にニュースやドキュメンタリー番組への露出が多くなってきたバングラデシュという国。良く見るのは、例えば泣き顔の子供が注射を受けている、それを見守る外国人。または、家のまわりが冠水し、腰まで水に浸かりながら少ない食料を運ぶサリー姿の女性、はたまた首都では高層ビルの建設ラッシュ、その新しいビルの中、富裕層向けのショップを開店する若いオーナー……。
「アジア最貧国」という言葉、そして「経済成長著しい国」これらの『まったく正反対のようにも、繋がっているようにも思えるふたつの重要なキーワード』をいつも従えながら、バングラデシュという国は日本での露出をこの数年で急激に増やしている。

 ただこの日「バングラデシュ」を紹介していたのはニュース番組でもドキュメンタリー番組でもなかった。最近よく見る「世界おもしろびっくりナントカ映像ベスト100」といった風なタイトルの番組だ。バングラデシュから遠く離れた日本という国で、「おもしろ」で「びっくり」なものとして紹介されていた映像がこれだ。


「Hard labour, guy stacking 20 bricks on his head」(YouTubeより転載)

 足場の悪い船の上で、頭の上にたくさんのレンガを積み上げて運ぶ少年。私はバングラデシュでこうやってレンガを運ぶ作業を何度も直接見たことがあった。だがやっぱりこの映像を見て少し「びっくり」し、「おもしろ」く思った。
「そりゃいくらなんでも積みすぎだぜ」

 そして、こうも思った。
「バングラデシュには、もっと『びっくり』するし『おもしろ』い人や物や出来事がたくさんある」

 このバングラデシュという国に、半年前まで三年ほど住んでいた。

「バングラデシュ、タンガイル県カリハティ郡、エレンガの中心街の様子」(著者撮影)

 そのうち二年間は地方の農村にいた。首都ダッカからバスで三時間ほどのタンガイル県カリハティ郡という村落部にあるエレンガという町。ここは首都から北に通る大きな幹線道路が通っており、この町につくられたバススタンドにはいつも多くの人が集まっている。人のいるところに商売人も集まる、というわけでここには農村部にしては大きめのバザール(市場・商店街)が形成されていた。乾季には細かい砂埃が常に舞い、そのなかをいつも大量の人間たちが、大声を張り上げて何か叫んでいたり、自分の商品を売りつけようとしたり、することもなくただ歩いていたり、バスから降りてこのバザールに立つと、乾いた埃の匂いと、あたりの男たちの汗臭い体臭が混ざったもの、これをエネルギーと言っていいのか、とにかくそういうものに包まれる。


「バングラデシュの少年たちと筆者。タンガイル県カリハティ郡、エレンガ」(著者撮影)

 その市場のなかにある文房具屋の二階の部屋を借りて住んでいた。水道はついていたがひねれば鉄サビで茶色になった水がドッポンドッポンと妙なリズムで出てきたし、電気も一応通っていたが、夏場は一日の半分以上が停電して、せっかく朝早起きして買いに行った牛肉と鶏肉がすぐに腐ってしまったりしていた。部屋を貸してくれた大家さんは純粋なバングラデシュ人なのにタイガー・ウッズに瓜二つで、彼は地元では金持ちだったために、そこの子供は村の他の子供5人分ぐらいは体重があろうかというぐらい太っていて、日本人であるはずの自分が何故かそこで一日一ドル以下の生活をしているのに、そのガキときたら、言ってしまえばまあ、クソガキであった。最新のゲーム機で遊ぶその大家の子と、履物も買えず裸足で村のなかをかけまわる子どもを見比べながら、経済格差の一番わかりやすい形、つまり栄養状態の違いは、見た目はもちろん性格までもこんなにハッキリと分けてしまうのだな、としみじみ思った。


部屋の水道から出ていた「茶色のサビ水」



首都ダッカの喧噪

 もう一年は首都で過ごした。ダッカのグルシャン地区。外国人やバングラデシュ人(※)の上流階級が居住する高級住宅街にある家で、居候をさせてもらっていた。そこにはベンガル料理よりも日本料理のほうが上手くなった目のキョロっとしたかわいいオジサンコックさんや、給料を少しずつごまかしては車のパーツ販売という自分のサイドビジネスを大きくしていったドライバーがいたり、いつも人の顔を見れば金をくれ、金をくれ、と言うので「いやだな」と思っていたガードマンがある日いなくなったな、と思ったら強盗に左腕を切り落とされて入院していた、などといったことなどがあった。

自分がどのような存在だったかというと、おそらく、前半の農村在住時では「なんだかわからないけれど金も持たずに村に住み着いた困った外国人」という扱いだったろうし、後半の都市在住時は「なんだかわからないけれどいいところに住んでる外国人だから、ちょっとおだてとくか」といった程度だろう。こちらが思っていたのと同じように、たまには「びっくり」され、「おもしろ」がられていたのに違いない。

 私が出会った人や場所のエピソードを紹介する前に、バングラデシュに関してこれだけおさえれば大丈夫、というデータがある。これらの基本的な要素を覚えていれば、なぜユニクロがバングラデシュへ進出したことが話題になり、他の業種の企業もこぞって「バングラ詣で」をするのか理解が容易になる。なぜ「援助の実験場」とまで呼ばれた国から世界最大のNGOが生まれ、自助努力によって発展を遂げるまでになったのか、考えるヒントにもなる、のかもしれない。とにかく発展途上国と呼ばれる国は、関係無さそうな要素がいろいろと複雑に絡み合って、面白い結果となっていることが非常に多い。

 バングラデシュはどんな国か?
 「国旗が日本と色違い」それは何となく知っていても、バングラデシュの位置をすぐに思い浮かべられる人は少ないだろう。
 インドの三角形の右脇、大きな河が何本も海へと流れ込む場所で、国全体が三角州のようになっている。


大きな地図で見る

 面積は日本の40パーセントほど。北海道の二倍程度だ。その小さな国土に、日本よりも多い人口が住む。公には2009年のデータで1億4660万人となっているが、ストリートチルドレンや物乞いなどその調査から外れている人もかなり存在しているはずで、その数字よりもはるかに多い人口が「実際は、いる」とされる。
 宗教は国民の9割以上がイスラム教徒、残りはほとんどがヒンドゥー教徒で、少数だがキリスト教徒、仏教徒も存在する。他のイスラム教国と比べればかなり穏健(過激でない、という意味で)なほうだろう。気候は亜熱帯で暑くはなり、雨季になれば水位が上がり国土の多くが浸水してしまうのだが、それも毎年のこと。基本的には、安全で過ごしやすい国だと思っている。

 この国の特徴というのはやはりあって、ひとつは国の言葉であるベンガル語を誰もが大切にしていること。自分たちの言葉を守るためにこの国は独立したのである。それが1971年。非常に「新しい国」であるということ。それがもうひとつの特徴。そしてこれこそが、「最貧国」と呼ばれたり「これからの成長」を見込まれている大きな理由でもある。

 データはここまで。次回からは、もっと具体的にこのバングラデシュの「おもしろ」で「びっくり」で「泣け」たり「笑い」もあるエピソードなどを紹介していきたい。

※詳細なデータは例えばウィキペディアの「バングラデシュ」のページなどを参照ください。しかし出ている数字のデータは「あんまり」あてにならない。例えばバングラデシュ政府発表の「初等教育を受けている子どもの割合」の数字などは100パーセントに近いものが出ていることがある。これは実際には「一度でも授業を受けた子どもの割合」で、その後ドロップアウトしたデータは含まれていない(実際は半分近くが様々な理由でドロップアウトしている)。

2011.01.31

※私も含め、バングラデシュ在住の日本人は「バングラデシュ人」という意味で「ベンガル人」と言う人が多い。が、厳密な定義では「ベンガル人」は「ベンガル民族の人々」のことであり、これはバングラデシュだけではなくインド西ベンガル州やビルマなどベンガル湾周辺に多く住んでいる民族全体を指す。これからの記事は「バングラデシュ」という国についてのことなので「バングラデシュ人」で統一する。


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