詩集『時の彼方へ』あとがき


 詩を書き始めたのは、定時制高校時代だった。
 集団疎開から解放され、中学校に入学した頃から、ぼくの家庭は揺るぎ始めた。そして両親の関係が、ある時崩壊してしまった。そのため、ぼくは中学卒業後すぐさま働きに出なければならなかった。
 最初の勤めは菓子問屋に小僧としてであり、次は手造り飴の職人見習いとしてだった。だがぼくのなかには常に高等学校への進学を望む思いがあった。
 ぼくはやがて印刷工場に勤めを変えた。印刷工場で働けば、高等学校への進学が可能だからだった。ぼくは印刷工場で働きながら県立の定時制高校に入学した。
 昼の工場勤め、夜の学校。ぼくは季節の推移を感じることも、風景のなかに生きているものを見る余裕も持てない日々を送った。そしてぼくはその毎日のなかで、ごくわずかな自由の時間のうちに様々な詩や小説を読み、その世界に少しずつ浸るようになった。やがて詩を作ったり、小説を書いたりするようになった。
 そんな四年間を過ごして、ぼくは定時制高等学校を卒業した。
 いつのまにかぼくのなかには大学への夢が宿っていた。
 印刷工場を退職すると、ぼくは時間的に余裕のあるアルバイトをしながら受験参考書に取り組み始めた。三年後、ぼくは国立愛知学芸大学国語科に入学した。
 大学では上代文学研究室に籍を置き、そこでぼくはY教授に出会った。そして詩や小説よりも、むしろ古典の研究に興味を覚えた。そのため大学卒業後、県立高校の教諭になってからも研究者への道に憧れを抱きつづけた。
 しかし卒業論文を超える論文は書ききれず、唯一まとめきれた論考と言えば「土佐日記」についてであり、それは晩年の紀貫之が土佐守解任後の長い無官の間の弛緩の日々に、土佐から京への帰還の旅程、緊張に満ちた旅程を想起しながら虚構に仮託し書くことで、生の実在感を噛み締めていたのではないかという着想であった。そしてそれはまた僕自身の日々の生に隠れた、かすかな意識の反映であったような気がする。だから僕は時々詩とおぼしきものや小説とおぼしきものに手を染めそれらを慰めにした。
 そうした曖昧な思いと姿勢のまま、ぼくは高等学校の教員を三十数年勤め、定年退職した。

 退職少し前から行っていた趣味の陶芸で五度目の個展を開いたとき、その新聞記事を見て訪れてくれた高校時代の友人N氏が、彼の同人誌に作品を載せることをぼくに勧めてくれた。
 ぼくはその同人詩にメモ程度に書きためておいた古典作品についての考えを整理して、その論考を掲載したり、また書きためていた詩や小説を整理し、掲載するようになった。
 そうやってあらためて過去の自分に向かい合うとき、ぼくのなかにかつての季節感への想起や風景への陶酔が鮮やかに浮かび上がってきた。
 定時制高校時代に詩を書き始めながら、その後ほとんど詩の創作には無縁な数十年を過ごしたにもかかわらず、湧き起こってくるそれらにぼくは驚いた。再び詩を書くことでぼくは己れの生を瞶めようとした。
 はじめての詩集『散乱する実在に』(二〇〇四年/近代文芸社)も一部含めて、今回、書きついできた詩のほとんどを、ここに収録することになった。
 今、最初の詩集や今回の詩を再読する時、ぼく自身がいかに季節と風景に己れの思いを形象化しているかに、あらためて気づかせられた。
 おそらくそれはぼく自身が幼い時を過ごした山あいの町での自然のなかでの色彩豊かな生活が、生きる実在感に満ちていたことによるのだろう。季節の豊かな推移に彩られる日々とその風景のなかでものに感じる心を育まれたことそのことが、光に満ちた黄金の世界としてぼくの奥深くに輝き宿っているのかもしれない。
 だが、ぼくのなかにはもう一つの世界がある。ぼくが詩らしいものを書き始めたのが定時制高校時代であったためだろうか、いつ自分の生活が崩壊するかという、生の不安と虚無に、詩の表現の内奥が色濃く染まってしまう。家族の別れや労働や社会の軋轢に早くして晒された苦渋が、生の底に虚無の色を湛えてくる。不安と不幸感に満ちた生活を余儀なくさせられ、季節を感受することもなく、風景の中に己れの姿を垣間見ることのない日々を過ごしたことが、ぼくの詩の一面を彩っている。そうした時に書いた詩は、この詩集に収録した詩のなかでは、「ある日街角で」と「とける旅」の二編だ。
 光の世界と不安の世界の、二つの対照が、ぼくの詩の根になっている。
 現代詩は詩の根拠をどこに置くかという問題への問いつめも、一方で僕の脳裏を去らない。その意味でこの詩集は形式としてもまた内奥としても極めて雑多なものの集積であると言える。
「ぼく」という生の表出であり、過去の何層もの自分と、自分を取り巻いてきた、運命を含む人々や社会の、一つの世界が、やがて未来の果てに踏み込む彼岸への一つの痕跡となるかもしれない。


序文

「時の彼方へ」――回帰のまぶしさ

五十嵐 勉


 佐山広平氏の詩群には光が騒いでいる。水の表面が絶えず青空からの光を受けて細かく反射し、千々にきらめき、億兆の小さな太陽を浮かべる。その放射を万象に呼びかけて、世界を光で満たそうとする。まぶしい散乱を可能にしているのは、その底に渦巻く密やかなしかし強靭な意志だ。苛酷な少年時代、厳しい苦学の時代、忍従と苦闘の青年期、それらを振り返りつつなおその苦渋を光に満ちたものと変えることのできる意志に、光のさざなみを蔵した言葉を生み出させる力がある。これらの言葉は、世界を肯定する。世界をまぶしさに変え、世界を讃歌に変える。光のきらめきを通して、この生を愛惜に満ちた永遠の頌歌へと立ち昇らせる。
 もう一つ、讃歌を可能にしている力は、時の流れを見つめる理知の再現力だ。少年期のみずみずしい自然、青年期の新鮮な風と若葉の匂い、そして恋愛と人への成熟の薫り、それらは時を越えて、いや時を越えるからこそ、いっそう清流の匂いを孕んで、耀き映える。この生を洞察し、疑問を投げかけ、抗議を唱え、またそれによってこそ生きる力を得た、力強い理知の骨格が、過去からの時間の水流の音を可能にしている。不安と懐疑から得た生存の根を掘削する力――過去の遠い時を現在につなぐ強いその力が、時の激流の音を鮮やかに響かせ、その深遠と生の危うさを呼び起こしてくる。そのみずみずしさは、だから遠く隔たれば隔たるほどより鮮やかに、回帰の新しさに満ちる。
 光と時間の交響が、この詩群の構造をなしている。それはたしかに時を止め、時を穿ち、一度だけの生をその交響の楽音のうちに、固定化する。それは永遠をめざす。蝶の舞う時間の一瞬性が、頌歌の合唱のうちに虹の球体の中に封じ込められる。永遠に失われることのない虹の水玉の中に、それらは安息の揺らめきを得ようとする。
 佐山広平氏の詩は、時の激流の上に架けられた、光のきらめきの海を渡ろうとする永遠への橋だ。少年のみずみずしい眼差しが、彼岸を貫こうとする。


PROFILE

佐山広平   さやま こうへい
1934年生まれ 
菓子問屋の小僧、手作り飴の職人見習い、印刷工場の工員の間に愛知県立瑞陵高等学校定時制に入学し、卒業
国立愛知学芸大学国語科卒業
愛知県立高等学校の教諭として6校を歴任
趣味の陶芸において5回の個展と1回のグループ展を行う
「文芸思潮」現代詩賞当選・優秀賞2回・奨励賞1回
羽生市主催「ふるさとの詩」佳作入賞
白山市主催 千代女全国俳句大会 「つるべ賞」受賞
「宇宙詩人」同人・「名古屋文学」同人
詩集『散乱する実在に』(近代文芸社)・小説『華やいだ虚無を求めて』(日本文学館)