文士が愛した街の洋館   <鎌倉文学館>

   待本里菜

 ステンドグラスがはめこまれた窓からは、相模灘の水平線。目を転じて室内を見渡せば、ガラスケースの中には鎌倉文士と呼ばれた作家たちの肉筆原稿や愛用品が並ぶ。
 ここは丘の中腹にたつ瀟洒な洋館を使った鎌倉文学館。加賀百万石の藩主で知られる前田利家の系譜、旧前田侯爵家の別邸だったという建物は、春と秋にバラ咲き誇る洋風の前庭、背後に鬱蒼と茂る森を統べて、悠然と訪問者を迎えてくれる。入口から建物までは、木漏れ日が揺れ遊ぶ坂道。登りつめると目に入る真っ青な屋根瓦が印象的だ。大理石の玄関で靴を脱ぎ、館内へ。ダークブラウンを基調とした落ち着いた室内には、意匠を凝らした照明器具や上品なステンドグラス。柔らかな絨毯が足に触れ、邸宅に招かれたような気持ちになる。
 海と山に囲まれ、豊かな自然と歴史的遺産をもつ鎌倉は、明治以降、多くの文学者が居住、滞在し、創作活動を行った土地。昭和50年、市内の有志により、鎌倉の文学を研究する「鎌倉文学史話会」が発足し、文学館設立のために様々な活動を行う。昭和56年、鎌倉市は文学館建設の検討をはじめ、鎌倉在住の作家・里見ク、今日出海、小林秀雄、永井龍男らによる「文学館建設懇話会」が組織された。昭和58年、旧前田侯爵別邸が鎌倉市に寄贈されると、文学館としての利用が決定。昭和60年、鎌倉ゆかりの文学者の直筆原稿・手紙・愛用品などの文学資料を収集保存、展示することを目的にした鎌倉文学館が、別荘地でもあった当地の歴史を偲ばせる建物を使って誕生したのである。現在、川端康成、大佛次郎、里見ク、久米正雄、小林秀雄、吉屋信子など、300人を超える鎌倉ゆかりの文学者の資料を有し、常設展や企画展、講演会、文学講座、書籍の発行など、多彩な活動を行っている。
 斜面に建っているため建物2階にあたる玄関から入って左側が、鎌倉ゆかりの文学を紹介する常設展示室。常設展示室1〜4は南向きの4部屋つづきになっており、第一部「鎌倉文士たち」、第二部「古典文学」、第三部「明治・大正・昭和(戦前)」、第四部「昭和(戦後)・平成」の四部構成で、鎌倉ゆかりの文学者を紹介している。
 常設展示室1には「文学都市かまくら100 人」の地図パネルが大きく展示され、鎌倉ゆかりの文学者たちの旧居住地や滞在地などが一目瞭然。ほう、あの人も。へぇ、この作家も鎌倉か・・・。知った名前を見つけ、場所を確認するのが楽しい。地図を見ていると、小説家だけでなく、高浜虚子などの俳人や佐佐木信綱などの歌人、劇作家の井上ひさしや映画監督で脚本家の小津安二郎など、広く文人に愛されてきた地であることも伝わってくる。現役で活躍する作家の名前もちらほら。場所をメモして、文学館の帰りに周辺を散策してみるのもいい。鎌倉ではちょいと立ち寄った喫茶店や食事処が、好きな作家の行きつけだった、なんてことだってあるのだ。
 久保田万太郎、久生十蘭、菊岡久利がカフェでビールを飲んでいたり、久保田万太郎がミス鎌倉の審査員を務めていたりする愉快な写真が壁に貼られているのも嬉しくなる。蔵書を持ち寄った貸本屋「鎌倉文庫」を運営したり、鎌倉カーニバルを発案したりと、鎌倉で市民生活と関わりながら生き生きと暮らしていた文士たち。展示によれば「鎌倉文庫」では川端康成や高見順が店番をしていた、とある。川端康成から本を借りられたとは、当時の市民がなんとも羨ましい。常設展示を見ていると、文学史を彩る著名な作家たちにも親近感が湧く。
 時代ごとにゆかりの文人たちを紹介している展示室2〜4では、作家ごとに顔写真、略歴、自筆原稿や書、愛用品などが展示され、それぞれの個性が感じられて興味深い。紹介される作家は、特別展の開催に合わせ、季節ごとに入れ替えている。展示室2の「古典文学」のコーナーでは『万葉集』をはじめ、多くの古典文学に鎌倉の地名が登場すること、鎌倉幕府三代将軍源実朝が和歌をたしなみ『金槐和歌集』を編んだことなど、近代以前から鎌倉が文学的な風土だったことに感じ入り、なるほど、浜に寄す波や谷戸を抜ける風にも情趣がある、などと思ってしまう。
 常設展示室4の隣、2階南向きの最後の部屋は談話室。飲み物の自動販売機があり、椅子にかけて思い思いに休憩できる。過去の展覧会の図録も置いてあり、読み始めると時間を忘れてしまいそうだ。こんな気取らないスタイルも、どこか長閑な鎌倉らしさかもしれない。庭には絵筆を握り、熱心に文学館を写生している人の姿も。談話室からはテラスには出入り自由。テラスで景色を眺めていると、小鳥のさえずりが聞こえ、すぐ裏に迫る山の気配も濃厚に感じられる。ここは『山の音』を著した川端康成の旧宅に近く、三島由紀夫の『春の雪』に登場する別荘のモデルとなった場所でもある。自然と文学の息吹を感じながら、ゆったりと時間が過ぎていく。
 常設展示を見終えたら、特別展示室へ。2階山側の特別展示室1と階段を降りた1階の特別展示室2では、現在12月12日までの「開館25周年記念特別展 川端康成と三島由紀夫 伝統へ、世界へ」を開催中。46歳の川端康成に20歳の三島が最初の小説集を送ったことに始まる二人の交流の軌跡を、多彩な資料で紹介している。中でも目を引くのが書簡。年齢的にも文学的にも大先輩である川端に対し、三島が「先生」ではなく「川端さん」と「さん」づけで呼びかけている文章にも、ふたりの友情のあり方が垣間見える。死を決意した三島は川端に宛て「自分が笑はれるのは平気ですが、死後、子供たちが笑はれるのは耐へられません。それを護つて下さるのは川端さんだけだと、今はひたすら便り(ルビ=ママ)にさせていただいてをります」と手紙をしたため、川端は「年少の無二の師友」であったと三島の死を悼む。じっくりと展示を見るうちに、ふたりの文学者の深い絆が感じられてくる充実した内容だ。
 12月17日からは「収蔵品展 鎌倉文人録シリーズ5 劇作家・脚本家篇」を開催予定。久保田万太郎、村山知義、北條秀司、小津安二郎、井上ひさしらを館収蔵の資料で紹介する。
 玄関を出て再び靴を履けば、空気爽やかな晩秋の湘南。海を見下ろす庭園を散策して帰ろう。芝生の上で振り返れば、国登録有形文化財でもある旧前田侯爵別邸の格調高い姿全体が目におさまる。
 地元のシルバー人材センターが管理するバラ園は、芝生が広がる庭園の南側。秋のバラは、10月中旬から11月の下旬が見頃となる。いっせいに咲き誇る春と違い、株ごとにポツリポツリと咲き始める秋のバラは、香り高く、色も鮮やかだとか。
 そっと顔を近づけてバラ一輪の香りを吸ってみる。
 甘やかな芳香。
 またおいで。花に誘われた気がした。


文人ゆかりの場所がひと目でわかる市内地図


オリジナルグッズが多彩に揃う館内ショップ


館内のステンドグラスをモチーフにしたアートクリップと手帳



DATA
鎌倉文学館
鎌倉市長谷1−5−3
рO467−23−3911
●開館時間
3月〜9月 9時から17時(入館は16時30分まで)
10月〜2月 9時から16時30分(入館は16時まで)
●休館日 
月曜日(祝日は開館し、翌火曜休館)、年末年始、展示替期間、特別整理期間など
●アクセス
江ノ電「由比ヶ浜駅」下車、徒歩7分

鎌倉文学館外観(写真提供=鎌倉文学館)


文学館前庭のバラ(写真提供=鎌倉文学館)


木漏れ日の光る道を通って文学館へ


入口から文学館の建物へはトンネルのある坂道を上って辿りつく


透かし彫りが施された重厚な木扉の玄関で靴を脱ぐ


ステンドグラスが美しい室内に鎌倉文士の資料を常設展示(写真提供=鎌倉文学館)


テラス(写真提供=鎌倉文学館)