じゅん文学

・年4回発行
・A5判、220ページ前後
・500円

名古屋市緑区神の倉3-31じゅん文学の会
電話052-876-5476 FAX052-876-6045
http://www.mc.ccnw.ne.jp/jyunbun







● 「じゅん文学」は純文学ではない   主宰・戸田鎮子


「じゅん文学」には純文学しか載せないのですか、とよく訊かれる。そのために「会則・規約」に〈「じゅん」は「純・準・順、潤、殉、醇、遵、馴、循」など、自由に楽しんで〉と付記してある。今や純文学と大衆文学を区別する時代でもないだろう。正しい日本語で「人間」が書いてあれば、あとは好みの問題ではないかと思う。
 私は一九六二年に「作家」に入り、一九九二年小谷剛氏の死で終刊するまで在籍した。氏が担当していた小説教室の講師を引き継いだので、発表したい人を集めて「じゅん文学の会」を設立。一九九四年六月に創刊号を出して、今年十二月には五〇号になる。
 二〇〇六年八月現在、同人は五八人。男性三二人、女性二六人。最高齢者は八七歳、最若年者は二六歳。四十代が最も多いようである。入退が激しくて創刊同人は六人しかいないが、大半は五年以上頑張っていて、純文学から推理小説まで各人各様、意欲的である。『文學界』の半期に一度の奨励賞に選ばれた人が二人。毎月のベストファイブに選ばれた人は六人。そのほか『オール讀物』の推理小説短編賞で二次を通過したり、最終候補まで行った人もいる。地方賞に応募して受賞したり佳作になったりした人もいる。「じゅん文学」には一作発表しただけだったが、退会後も頑張ってサントリーミステリー大賞を受賞した人もいる。この度『文芸思潮』推薦作に選ばれた人が出たことも、大きな喜びである。
 自慢たらしく並べたが、特に「賞」だけに拘っているわけではない。資料を根気よく集めて地元の埋もれている人物を発掘し、ライフワークのように書き続けている人、地味ではあるが私小説を誠実に書き続けている人など、各々の目的と文学観にそって全員が意欲的である。若い人には瑞々しい感性があるが、あらゆる意味で経験不足ということがある。年配者は年配者にしか書けないものがある。年齢を意識せよということではないが、同人のそれぞれが無理をしたり背伸びをしたりしていないのが良いと思う。



 合評会は掲載作品を二カ月に分けてしている。出席者は平均二十数人。二次会だけに来る人も三、四人いる。真剣、且つ厳しい意見が飛び交う。一週間くらい立ち直れないという小心者もいるが、もっと厳しく言ってほしいというツワモノもいる。昨今は他人とうまくやっていけない若者が多いので、作品を発表しても合評会には出ないという人や、一回酷評されただけで退会するという極端な例もある。
 十年以上、主宰をやっていて最も残念なのは、良い素質を持っているのに、数作書いてどこからも認められないとすぐに辞めてしまう人がいることである。そんな時は、有名作家でも何度も受賞しなかった人がいるという例を出したりするのだが、あまり効き目はない。おそらく、もともと名声だけに拘っていた人なのだろう。評価はともかく「書くことが好き」という人は長続きする。
 言うまでもないが、何事も主体的に取り組むことが肝要である。同人雑誌に入ったからといって誰かが何かをしてくれるわけではない。自分の趣向や志向をきちんと見極めていれば、おのずと受け入れ態勢は決められるだろう。うちの同人たちの多くは、同人雑誌で書くメリットとデ・メリットを賢く選別しているような気がする。(「文芸思潮」13号掲載)



「じゅん文学」51号(2007.3.1)目次

秋乃みか「天上に発つ前に」
古澤崇「宇宙で起こる普通の奇跡のために」
大谷史「藍微塵」(俳句)
加島憲「同行者」
山田ひさ「葉鶏頭」
神門ぺぷし「茶房三題」
薫まどか「レーゾンデートル」
千田よう子「空」
猿渡由美子「領域」
樹下始「演劇とスキーにひかれて」
長谷譲「あの夏への物語(中)」
北原深雪「マイペンライ(5)」
水野行男「悔い」
山川広海「運命はかくの如く…」(エッセイ)
藤澤茂弘「尾張の女性の強いわけ」(エッセイ)
伊藤仁美「ゴミを考えるのココロだ」(エッセイ)
長谷譲「ユズルちゃん闘病記(上)」(エッセイ)
田中弘子「もう一度、弘子と呼んで」(エッセイ)
山上まさる「小さな抵抗」(エッセイ)
荒波洋太「マドロス雑感」(エッセイ)