ふくやま文学

・年1回発行
・A5判、200ページ前後
・500円

〒721・0974
福山市東深津町6-3-58
0849・22・5864








● 草の命をさらに強く   同人 大河内喜美子


今年三月、「ふくやま文学」は20号を発行しました。平成元年に創刊号を出してから年1冊の刊行を守り続けて二十年、小説、詩、児童文学、エッセイの四部門からなる同人誌です。現在、正会員、投稿および読書会員をふくめて四十人ほどの集まりです。
創刊のきっかけは、それまで月刊百号以上続いていた同人誌「文芸プラザ」が代表者の病没により廃刊、熱心な文学志向者の発表舞台が失われたことにあります。
福山市は広島県東部に位置するかつての城下町ですが、現在は大手の鉄鋼会社を有する人口五十万の中核都市です。井伏鱒二、木下夕爾、福原麟太郎、山代巴、近くは日野啓三など、風格ある文学者の故郷でありながら、草の根的な同人誌は至って寂しい状況で、「文芸プラザ」を失ったあとは瀕死に陥りました。
こうした崖っぷちの状況から立ち上げたのが「ふくやま文学」でした。当初は小説、児童文学、詩の三部門で、中でも児童文学は皿海達哉氏という中堅作家に支えられて活気づきましたが、身辺の事情で皿海氏が退場されてからは児童文学の書き手もやめていき、代わりに小説部門が元気になりました。
書きたい、自分の思いを今に留めたい、伝えたいの願いを想像力に託して試行錯誤を重ねながら、小説修行が始まりました。同人の溢れる思いが凝縮された創刊号を手にしたときの感激、誰彼を問わずに見せて誇りたいような気持ちは、このあとも決して忘れることはありません。
勉強の方法としては、毎月一回部門ごとに学習会を持ちます。小説では、テーマを決めて五枚程度の短編を書きます。モチーフは「待合室」「穴」などの名詞や「走る」「落ちる」の動詞、或いは場面設定をしての状況からイメージを膨らませるというやりかたです。この方法は伝習所で井上光晴氏の授業から学んだもので、想像力を鍛えるのが目的でした。このようにして書き溜めた短編は結構な量になるので、時々手作りの短編集を作っています。
振り返ると、二十年という年月はやはり永い日々でした。この間には、亡くなった人、連れ合いの転勤や引越しで抜けていった友、珍しく若者が入ってきたので喜んでいると、思いが違って去っていく。その度に大小の摩擦を繰り返し、存続の危機に及ぶこともありましたが、書き続けたい一念で支えあい窮地を脱しました。
毎年三月一日が発行日。その日、手分けして本屋に並べます。店の人に「平積みにして下さい」と頼むことにもようやく慣れました。ある程度の期間が過ぎると回収するのですが、どっと返本の時や、売り切れて追加の連絡がある時もあり、文字通り一喜一憂です。
なりゆきで、「ふくやま文学」は一度も広告を取ったことがありません。同人が印刷費を出し合って発行を続けてきましたが、近年は投稿が増えたので、貧乏所帯のやりくりも少しは楽になりました。しかし、本屋に置かせてもらうのは資金調達のためばかりではなく、見も知らぬ誰かに向けて文学の心を発信したいからなんです。売値は印刷代の半分にも満たぬ額ですが、本が売れると、誰かが読んでくれて、その人の心に何かを訴え、考えてもらえるはず、と思うだけで嬉しいのです。
ちょうど真ん中の10号を過ぎた頃から他の同人誌と交流を始めました。前橋の「クレーン」、九州佐賀の「佐賀文学」など、どれも文学伝習所の仲間で、「ふくやま文学」より先輩誌です。誌の遣り取りだけでなく、作品の投稿や合評会にも参加します。これはいい試みだったと思います。地方同人誌に、その地に根付く言葉や匂いが濃く伴うのは当然で、固有の土壌の賜物ともいえましょう。ですが、それが文学の視野を狭くし想像力をマンネリ化させるのを怖れます。「クレーン」や「佐賀文学」と交流したことで、未知の刺激を呼び込み、作品世界を広げる事ができたと思っています。
つい先ごろも「クレーン29号」の合評会が東京池袋であり、「ふくやま文学」から三人が参加しました。遠隔の地ですから、参加に時間と費用が掛かるけれど、仲間内とは異なる激しいやり取りや熱気に触れ、更に大きな未知の課題を抱えて帰ってきました。20号の「あとがき」は、過去現在未来へ通じる仲間の思いを吐露したものです。
『「ふくやま文学」の火が消えたら、この町に文学の草の根が涸れる。その一念で同人たちは身銭を切り、絶え間ない生存の不安を抱えながら、時勢の不条理と向き合ってきた。二十年かけて育ち根付いてきた草の命をさらに強く、一人でも多くの読者の心をつかむために、これからも書く』(「文芸思潮」24号掲載)