日田文學

・不定期発行
・A5判、250ページ前後
・800円

〒877・0041
大分県日田市竹田新町2-16
電話0973・23・9073








● 厳しい研鑽の場として   編集人 江川義人


「日田文學」は、昭和二十九年に、昭和三十三年度上半期芥川賞候補作「銀杏物語」の作者・岡田徳次郎(日田市役所職員)や「九州文学」同人の松尾末松などにより創刊された。
 昭和三十三年三月に第四号を発刊した岡田は上阪した。岡田が日田を去った後、「日田文學」は久恒隆弘(日田市役所職員)を中心に引き継がれた。その当時の動静については詳細は不明だが、同人の大半が離散し、ほとんど久恒一人で支えていた。
 昭和六十三年に二十七号を発刊し五年間の休刊となった。久恒のことばでは「日田文學の冬の時代」であり、日田の地での同人誌発刊の継続の難しい時代でもあった。
五年間の休刊後、平成五年一月に二十八号(復刊一号)を編集・江川義人(詩誌「アルメの会」同人)・発行人を久恒隆弘として「日田文學」は復刊した。
 この時の呼び掛けに賛同した同人は九名で、作家の河津武俊(「詩と真実」同人)、詩人の江川英親(「アルメの会」同人)、新聞記者の竹原元凱などであった。そして十五年の歳月が過ぎていった。
 この十五年間、多くの同人の集散離合があったが、とにかく「文学同人誌」としての力量を凌駕することを厳しく目指し、年間二回発行を堅守してきた。その間同人の高齢化の波に晒され継続の危機に直面したこともあったが、その危機を回避し、今年四月で五十六号(復刊二十九号)を発刊するに至った。
 三十号(復刊三号)の稗田紳太郎の小説が「文學界」の全国同人誌評に初めて取り上げられた時は何ともいえない感激であった。その後発刊する度に誰かの作品が「文學界」や新聞文化欄の書評に取り上げられるようになり、取り上げられる度に書くことへの情念のボルテージを高揚させていった。
 現在までの中で、「文学界」の同人誌評でその月のベスト5には、稗田紳太郎、河津武俊、大石恭平と江川英親の作品が選ばれ、中でも河津はベスト5に五回、そして大石恭平の「夏還る」(三十八号・平成九年八月)と江川英親の「ヘビと麦畑」(四十二号・平成十一年九月)はその年度半期の優秀作候補となった。
 また地元の大分放送(OBS)文化振興財団と日田市より、「日田文學」の文化活動を顕彰し表彰を受けた。
 昨年、「日田文學」復刊十五周年記念の五十四号(復刊二十七号)で、郷土の先哲「広瀬淡窓」を河津武俊が脚本を執筆し「広瀬淡窓特集号」とした際、日田市より「文化活動振興補助金」を戴き、広瀬家十一代・県知事や市長の寄稿を掲載した。
 このような「日田文學」を「文学界」同人誌評で大河内昭爾先生は、『「文学同人誌」をして「地方文化誌」への変貌を余儀なくしている場合もあり、それが雑誌文化の成熟なのかどうかはいちがいにはいえないが……』と評されている。このことに深く考えさせられた。
 同人の中には小説集や詩集を上梓している者もいる。小説集では、河津武俊、大石恭平、相加八重がいるし、詩集では江川英親、中島緑、江川義人がいるが、中でも河津の「富貴寺悲愁」は『ふるさと文学館第五巻・大分編』(ぎょうせい版)に収録され、「肥後細川藩幕末秘聞」(講談社)は熊本県立劇場で上演された。
 また江川英親の詩は『現代詩手帖』に再三収録された。江川義人は『季刊文科』二号(紀伊国屋書店)にエッセイ「『地方』と『同人誌』」を執筆した。
 昨年九月の「第三回富士正晴全国同人誌賞」(徳島県三好市/選考委員・津本陽氏ほか)では、「日田文學」は、応募総数百五十九誌の中から大賞候補十一誌に選ばれた。
 表紙絵の日本画家・斉藤和は「一九九九年京都文化博物館主催京都美術工芸展」で題「傍らに」で大賞を受賞し(京都博物館所蔵)、「全国水墨画公募展2008」(広島県呉市)では金賞を受賞した。同人の日本画家・伊藤忠雄は「第十九回上野の森美術館・日本の自然を描く展」で題「南阿蘇長陽村」で美ヶ原高原美術館賞を受賞した。
 同人は現在三十人で、日田市出身が大半であるが、大分市・福岡市・津久見市・中津市そして京都市からと広範囲に広がる。
 近藤勲公は、一昨年の五十三号からの参加で、「海辺の家」は「日田文學」最初の作品である。
 人口約七万余人の緑の稜線に囲まれた小地方の「文学同人誌」として、互いの作品を砥石として研鑽し、日田の地から文学の発信をし続けていきたい。(「文芸思潮」23号掲載)



日田文學」同人合評会で