渤海

・年2回発行
・A5判、140ページ前後
・1000円

渤海
〒930・0916
富山市向新庄町2-4-5 杉田欣次方
電話076・451・7770








● 「書く」「寄る」「出す」   編集委員 杉田欣次


創刊号は一九七四年(昭四九)十二月である。それまで続いていた「文学DARA」を発展解消しての「渤海」発足であった。DARAと言うのは富山弁の「あほんダラ」のダラである。一九七三年(昭四八)八月の「文学DARA」終刊号は十四号であった。十三号は同じ年の五月発行で計画的な解消だった。
したがって次の準備は早かった。翌年一九七四年の三月には「渤海」の設立総会が持たれた。集まった同人は三十名、富山県と石川県がほぼ半々で、東京、京都からの参加もあった。
すでに準備されていた誌名の「渤海」は中国の渤海王国に由来する。九世紀ごろ、渤海国の使節は主に北陸地方の海岸から日本に上陸している。それはこの地が大陸文化の玄関口であったことを意味する。その文化が京の都を初め、全国へ発信されて行った。「渤海」という誌名はその「全国発信」に因んでいる。
創刊号は石川近代文学館気付で発行された。当時の館長の後押しがあって、暫らくは文学館気付で発行させて貰った。しかしある時、新聞のコラムで「自由であるべき民間の同人誌が公の施設を気付にするとは何事か」と皮肉を言われた。そのころには、金沢の同人が大分少なくなっていた。また、気付で届く郵便物が文学館の職員に随分手間を掛けていることも軽視できなくなってきた。そこで遅ればせながら、一九九七年(平九)三月発行の三十三号から発行元を富山に移した。
規約では「日本海文化の歴史に根ざした芸術を創造する」と高い理想を掲げているが、なかなかに難しいところである。号を重ねるごとに規約の趣旨に近付いていると思いたいが、それは読者の判断に委ねなければならない。
当初は季刊「渤海」を銘打ち、年四回の発行を目指した。「季刊」は今も規約に残っているが、春季、秋季の年二回の発行が定着したのは一九九五年(平七)三月の春季・二十九号からである。
その頃、「書く」「寄る」「出す」の同人誌活動の基本を再確認した。節目となる年間計画も決めた。
まず、「書く」については年二回の締め切りがある。秋季号の締め切りは五月の連休明け、春季号の締め切りは十一月初めの連休明けである。当初は締め切り間近になると言い訳の電話や手紙ばかりが編集者に寄せられたが、最近は概ね期日が守られるようになった。締め切り日から二ヶ月近くの編集・調整の期間を持って、秋季号の原稿は六月末、春季号の原稿は十二月の末に印刷所へ回す。二度の校正を経て、春季号は三月十日、秋季号は九月十日付けで発行する。実際にはその前月中に納本されており、前月末に四五人が事務局で発送配本の作業をする。この周期で一年が動くようになって今年で七年になる。いろんな機会に、そろそろ春夏秋冬の四季発行に踏み切らないか、と編集者から提案するが未だ同人の賛同は得られていない。
「寄る」とは、同人が集まって顔を合わせることである。そうでなければ同人誌の看板を揚げられない。「渤海」では年四回は確実に顔を合わせることにしている。一月の新年会から始まって、四月の春季号合評会、七月の県外研修、そして十月の秋季号合評会である。
合評会には同人の知人や他の同人誌の方の参加も得ている。合評会が終わると懇親会があり、合評会で聞けなかった感想や各人の次作への想いについて忌憚のない遣り取りをする。
県外研修は近県の文学探訪といった趣きで続いている。石川、福井、新潟はもとより岐阜、長野、山梨方面へも足を伸ばした。各県ゆかりの作家や歌人の文学館を訪ね、美術館、博物館もコースに入れて見聞を広めている。その土地の酒肴を賞味し、今では同人の楽しい年中行事の一つになっている。
新年会を含め何かに付けて親睦を深めているように見えるが、この年四回は程よい節目になっている。
県外ではないが「渤海」の二十号を記念して、一九八九年(平元)に“「渤海」、渤海国へ行く”という中国研修旅行を企画した。天安門事件で一年延期し、翌一九九〇年(平二年)八月には十人の団体を編成して楽しい中国の思い出を作った。
さて、最後の「出す」については勿論お金、雑誌運営経費に充てる会費である。会費には二種類がある。一つは通常の会費でこちらは月二千円で年二万四千円になる。もう一つの会費は「原稿料」である。同人誌では常識になっているが、書いた枚数に応じて印刷の経費を負担して貰う。「渤海」では原稿用紙一枚八百円である。三十枚で二万四千円、五十枚で四万円ということになる。この会費と原稿料を合算し、年二回に分けて雑誌が発行される頃に会計に入れて貰っている。
感謝しなければならないのは、原稿を出さないで通常の会費だけを納入し続けている同人もおられるということである。「渤海」を支援するために参加されているのである。
こうして同人誌活動を続けている。長い年月とともに各人各様の作風に磨きがかかり、それぞれの作品独自の味が出てきた。「図書新聞」「週間読書人」、そして「文学界」の同人誌評で、発行する度に「渤海」同人の名前を見かけるようにもなった。この三月の春季号で設立三十四年、五十五号を数える。(「文芸思潮」24号掲載)




1990年(平2)8月“「渤海」、渤海国へ行く”
中国旅行中、遼寧省丹東市・鴨緑江河畔にて