酒井恵三





駈足



駈足をすると三半規管が

うなりをあげる――

耳のそばを空気を切る音

が通り抜けて行く

頭の中を真っ白にして

走り抜ける時の感覚

視点を定めて走り出す

時の興奮 何物にも代

え難いこの気分

平衡感覚は薄れ、馬にす

べてを委ねる時すがすが

しさすら感じるのだ

まさに至福と言える

この一時――





ジムノベティ



誰もいない部屋

ピアノの和音だけが響く

静けさ際立つ

サティの「ジムノベティ」

軽い眠気を催し

自身の無意識の世界に

入って行くかのよう

鋭い和音が脳波を

乱す事があっても

やがては予定調和へと

導かれて行くここちよい

サティの「ジムノベティ」

すべては

速度を落しつつある

乗物からの景色のように

ゆったりと流れ

そして止まって行く――





'05.01.17阪神大震災忌に



あの冬の日と同じように

今日も夜が明ける。

大勢の人々がろうそくに火を灯し

一斉に歩み出す

あの冬の日から十年経ったのだ

夜明けの太陽よりも

町を焦がす炎が眩かったあの日から。





まだ薄暗闇の六甲の山並みを

かすかに日の光が照らし出す時

おぼろげに浮かぶ阿鼻叫喚の町中

ろうそくの火をかざして見ても

今見えるのは祈り続ける人々の姿。

遠いのだ、

あの冬の日は。

あんなに近い事のようなのに。





私は慰霊の行進をテレビの中継で見ながら

一人心の中でろうそくを立てる。

家に押し潰され、生きながら焼かれた人々

たとえその記憶が薄らいで来ても

あの冬の日以降の焦げ臭さと死臭を

あの焦土となった町中で感じた私は

一人心の中でろうそくを立てる。





あの冬の日と同じように

今日も夜が明ける――





アルカンシェール(虹)




雨が降り止んだ後

高層ビルの屋上に登ると

虹が町に架かっていた

色が薄く

危うい吊り橋のようだった虹――

やがて虹は消えたが

幼い日の記憶を呼び起こさせた

プールサイドでシャワーを浴びた時

丁度目の前に小さな虹が架かり

淡く消えて行った記憶

軽い眩暈(めまい)のようで

心地良い一時だった