棘KENJI






旅立つ君



君は、何かに怒っていた

君が父と引き離されたこと……でも、それは君のせいじゃない

まだ十一歳に過ぎない、か細い君

長い黒髪をいじりながら玄関に現れた君は、誰よりも美しい可憐な表情をたたえていた

私は忘れられない

父と母の狭間で魂を引き裂かれそうな君は、どこか喧嘩腰に生きようとしていた

乱暴な言葉……君は苛立ち、いつも逆らいたがっていた

でも、それは君のせいじゃない

アニメキャラのように、両耳の上で髪を束ね、長く垂らしている君

絨毯に残った一本の髪の毛は、君の心細さを表すかのように、極めて細く

空気のように軽くて、まるで天使の羽のようだった

何げなく触れた君の指先は、何だかちょっと冷たくて、淋しげだった

私は何も望まない

ただ時折君と、将棋を楽しんでいたかっただけ

でも、この春君は、父のいない土地で、大人への遠く長い路を歩き出すんだね

君に父親が必要なことは分かっているよ

父親無しで大人になるのは、決して易しいことじゃないから

私も、ある意味では君と同類なのさ

父親が導いてくれない人生なんて、迷子同然だから

それでも君は、事実この土地を離れてゆく

胸の奥が痛くなってくる

私は悪いことばかり考えるくせがあるから

君は、薄汚れた貝殻の白碁石を一つ欲しいと言った

その貝殻は今も、君の引き出しの片隅にでも眠っているだろうか

君は、家から一かけの氷飴を持って来て、私の口に放り込んでくれた

初めて行った大型店の玩具売場で、偶然君に会うなんて、不思議な偶然だった

君は父の腕を引いて、買い物をねだりながら、幼子のように笑っていた

父と娘のごく当たり前の幸せ……それさえも、君には数える程しか与えられないんだね

父親の側に何か責められるべき事があったのだとしても、君は父親が大好きなんだね

怒りっぽい君、言うことを聞かない君、アニメキャラのような君、天使のような君

そんな君の細い肩を、私は時折ちょっと抱き締めてあげたかった

二つに裂かれてしまいそうな君を、少しでも接着できるかもしれないから

私は大人げもなく、まだ子供に過ぎない君に恋したのか

そう、恐らく、多分……

父親を失おうとしている君へのシンパシー、子を持たない私の父性愛

それらも、きっと、イエス……

「キモイッ」

君は私と将棋を指しながら、私の指した手を見て、そう言った

でも、君と将棋盤を見つめ合うことは、もう二度と無いかもしれない

君はこの春、海峡を越えて旅立ってゆく

まだ少女の君が、一瞬見せる大人の気配

そんな揺れ動く君が、沢山の不安と希望に傷つくことがないように

この土地に執着させて、君の新しい未来が曇ることがないように

私のことなど、すぐに忘れてしまえ

だが、君にとって父は特別な人……その父が住むこの土地を、君が忘れるはずもない

やはり君は、いつの日か、この地に帰るだろう

エレガントな大人の女性になった君が、老いた私の前に現れる

さあ、そしてまた、あの懐かしい駒箱を開けてみよう……