愛国主義と人種差別・・・・・・・・・・・・・・・・・・尹柱鉉(ユンジュヒョン)



 去年の9月初め(2009年9月5日)、韓国を卑下する発言があったとしてメディアに集中報道された人気アイドルグループ2PMのリーダー、パク・ジェボム(22)氏が8日、グループから脱退して韓国を去った。
 問題の発火点となったのは約4年前、パク氏が米国のソーシャルネットワーキングサイトである「マイスペース」に残した言葉のためである。彼は「韓国がきらいだ」、「韓国人はおかしい」などと書いたが、ちょうど、その頃は在米同胞として、韓国に来て練習生活動を始めた頃であった。
 今回の事件は「第2のユ・スンジュン事件」とも名づけられ、韓国社会に依然としてありつづける強い愛国主義、民族主義コンプレックスを現した良い例であった。「韓国が嫌いならば去れ」といった強固な愛国主義は、公認も有名人でもない、ただの練習生時代の若者の発言まで“思想検証”するものにつながった。
 なぜ、今の21世紀社会において我々大韓民国は、特に韓国人の血を引いてるという事だけで強い愛国心を要求するのであろうか?
 故郷より大切なのが血筋である。しかし、それ以上に重要なのが、現在その人が持っている考え方であろう。さらに、出身地より重要なのが居住地であって、その居住地より重要なのが、現在どんな考えを持って居るのかである。
 単にその人の出身地だけで判断するとしたら、日本の大阪出身である大韓民国の李明博(イミョンパク)大統領は日本人であり、アーノルド・アロイス・シュワルツェネッガー米国カリフォルニア州知事はオーストラリア人である。
 長年離れて育った実の子供より、今まで一緒にいた他人の子供がわが子に思われるかもしれない。黒い髪の外国人より、金髪の韓国人が韓国人であるのと同様だ。
 しかし、我々大韓民国の社会は青色の眼と金髪をもった外国人、また、我々韓国人と似た顔型をしているが、外国人である人達に対する態度は今の国際社会においても普通であるとは言えない。

 時にはべた褒めしながらも、また、ある瞬間には、強く卑下する。
 それは、国際化という見かけ倒しの美名がもたらした混同された矛盾が、この社会には広く根強く残っているからである。
 その混同された矛盾は"Korea is gay"という幼子みたいな批判的な表現により、パク・ジェボムと言う一個人に向け、韓国の全国民が彼に責任を追及し、ひいてはそれに民族的国家観念や自尊心等が絡み合い『パク・ジェボム事態』といった前代未聞の事件にまで問題が発展してしまったのである。
 しかし、ただ単に社会的な雰囲気を考慮せず、"Korea is gay"と発言したパクさんが悪いと言うのであれば、それはあまりにも彼を追い詰めているとしか考えられない。
 この様に、パク・ジェボム事件を通して明らかになった韓国社会はもはや私にとって魅力的な社会とは言い難い感がする。韓国系海外同胞出身のアイドル歌手等がハングル語を間違えればそれはむしろ魅力であった。しかし、海外で生まれ育った彼等の思想であるアメリカンマインドが浮上した時、韓国社会は一瞬、正反対の態度で彼等を敵に回した。
 見た目は韓国人だが中身は米国人であった韓国系同胞青年。この事件が起こる前までは多くの韓国人は彼等のアイデンティティに熱狂しながらも、ある瞬間、彼等を皮肉ったりもした。パク・ジェボム事件で分かるように大韓民国の社会は、非同時性と同時性、魅惑と皮肉の両面の顔を映すヤヌスのような有様を呈している。
 しかし、今回のように大韓民国の国民に対し極度の怒りと裏切り感を与えた心理的背景にあるのは一体何か。国籍なのか?階級なのか?を考えた場合、その外見上は国籍かも知れない、しかしが中身は階級の差によるものであろう。

 例えば、英語が堪能で美人系の白人ハーフの子供たちは韓国の学校でも仲間たちの人気者であるが、それとは逆に顔が黒い東南アジア若しくはアフリカ系のハーフの子供たちは大韓民国社会においてイジメのターゲットになっているのはなぜか?
 これは我々韓国人が彼等を韓国人でないから差別するといった単純な問題ではない。
 この様に、我々韓国人が持っている歪んだ差別意識の背景に存在する本質は、経済的な階級に基づくのではないか。



 とくに韓国社会は儒教の影響力が根強く、権威主義が異常に強い国であり、その結果、現代社会において韓国人は初対面の人同士でも序列、すなわち、階級を明らかにし、上下の関係をしっかり決めようとする傾向がある。
 この様にあらゆる面で階級を明らかにしようとする文化の影響で国際社会においても、その階級を判断する基準が当該国間の経済力の差によって判断するようになった。
 そして、その国家間の序列は人々を判断する序列にまで繋がったのである。
 韓国の経済成長の過程で主に東南アジア出身者が韓国へ移住するようになり、自然と経済力の低い東南アジア国家に対する韓国人の優越意識は差別意識へとなっていった。韓国人の多くは貧困な国に対し優越感を持ち、黒い皮膚を持った東南アジア人は劣等民族であるという人種主義が形成された。さらに韓国社会の強力な単一民族主義は自然と他民族に対する排他的な人種主義にとつながった。
 もし、過去の歴史において、白人が黒人の奴隷であったとしたならば、現在黒人が主体となっているアフリカなどの国が全世界の経済帝国であるとしたならば、この様な現象は変わっていると思われる。夜中、一人で道を歩いていても黒人よりは白人が後をついて来るほうがもっと恐怖感を感じるであろう。今回の件は平たく言えば白人だと分かっていたが、実際は黒人であったとの裏切られた感情。堅実な同胞であったと知っていたが中身はチンピラであったと言う侮辱感にも例えられるが、ここには白人、米国同胞という経済的な主流とアメリカに対する羨望的な心理がその背景にあると言える。
 この様に、韓国人は多くの場合単一民族と純血主義に執着する人種的排他主義の態度を持っているにもかかわらず、白人に対しては劣等意識を、黒人や東南アジアの人達に対しては優越意識を持つ二面的な態度が根強く存在する。しかし、このような韓国社会における純血主義は一種の幻に過ぎない。ただ我々がこの幻に気づくことができないのは、この幻に「韓民族優越主義」という当為性と共に過去数年間政府によるイデオロギー即ち世界観として使われたからである。言い換えれば、この様な韓国社会における劣等意識から生み出された純血主義は身分上昇の欲求をもたらしたのである。別の観点から見れば今回、パク・ジェボム事件は米国同胞に対する韓国社会の認識が米国から渡ってきた特権と経済力をもった憧れのスターであったが、一瞬、米国人であるという差別を受け憎みと怒りの対象になったのである。


 さらにつけ加えると、海外へ移住した同じ韓国人には強烈な愛国心を要求する反面、外見が違う外国人には異常であるほど抵抗感を表す矛盾した態度は、歪んだ劣等感の表れであるとしか言い様がない。
 私自身も幼い頃、父親が博士課程の日本留学を終え、90年代韓国へ帰国した際、同胞たちの憧れであった一方、嫉妬の対象であった事は今でも忘れ難い。思春期も過ぎていない小学校の生徒達が徹底した反日教育を教え込まれる一方では、ドラゴンボールやハローキティ、ワンピース等の日本のアニメが受けいれられ、トヨタ、ホンダ、パナソニックといった日本の製品に熱狂し、毎年、日本への留学をするべく多くの韓国人学生が日本語の勉強や日本の大学受験に挑戦する。
 この様に我々韓国人は皮膚色の同じ東洋系の日本がアジアにおいて盟主の座に上ることを願いながら、それとは逆に、外形が全く違う米国を初めとする欧米諸国に対しては卑屈な態度をとる程、劣等感を表す姿を見せて来た。
 ひょっとしたら、我々が表すこの劣等感すら、過去欧米諸国の植民地遺産を間接的な形で影響を受けているのでは無いのかも知れない。
 私は今回の「パク・ジェボム事件」の問題について、根本的な立場で解決案を導く必要があると考える。我々韓国人の心の奥深くに潜んでいる劣等感と優越感、その優越感すら実は劣等感の表われであるのかも知れない。
 未成熟なサッカー競技的な愛国心が、我々をこの様にさせているのではないだろうか。
 これからの国際化する社会の中で、我が韓国社会が最優先に考えなければならないものは自国に対する強固な愛国心ではなく、人間の尊厳に配慮する心、すなわち、この世のすべての人を同じ一人の人格として認識する“人間愛”が、何より大切であると考える。
(2010)


ユンジュヒョン