おたまじゃくしが消えた・・・・・・・・・・・・・・・・・・由愛 葵(ゆめあおい)




とうめいなゼリー粒の固まりがひっそりと、水溜りの中にある。一粒一粒をよく見ると黒いゴマ粒がなかにある。

ここは知多半島の南部、東に三河湾、西に伊勢湾、中央を南北に丘陵が連なる自然ゆたかな町である。



今朝もゆるやかな坂道をゆっくり下る。気温がマイナス二℃、今年の二月は雪が数回降り、まれにみる寒い冬である。十年ほど前はこんな事は珍しい事ではなかったという。

私と愛犬ハナの、散歩道にある水溜りにうすい氷が張った。この地域では年に数回このように氷が張る朝がある。



私は、真っ赤なフードのついた長いアノラックをすっぽりあたまからきている。ハナにもおなじ色のセーターを着せる。この犬は十四年前、春の花が咲き乱れる暖かな日に私の家で産まれた。母親は産後の弱ったからだに、パルボという伝染病にかかり、小犬たちが乳離れした時期に逝ってしまった。その中で一番はじめにこの世に生を受けた一匹で我家の大切な家族である。それ以来朝夕二回の散歩はつづいている。最近は大好きだった散歩も寒さがこたえるので気がすすまない。元気だった頃は、遠くからでも私の姿をみつけ、尾をちぎれるほど振って胸に飛び込んで来たが、最近は眼がかすみ姿を見失う事もある。足腰も弱りなるべく歩きたくないのである。「さあー散歩に行くよ」と声をかけられても暖かな自分の居場所から動かない。「しょうがない子ね」といいながら玄関まで抱きかかえて真っ赤なリードをつける。しかたなくのろのろと、私のあとをついて歩きだす。

山茶花、カイズカイブキ、アカメ、ツゲ、さまざまな垣根の住宅街をとおり抜け、コンクリートで固められた坂道を下りてゆく。やがて丘陵が連なり、裾野に田んぼが広がる地にでる。



私とハナは、わざとコンクリートの道をさけ、畦道を歩く。冬でも黄緑の苔が畦道をおおい、名前もしらない草花が、ささやかな命を遠慮がちにしかしたくましく春のやわらかな日差しをひっそりと待っている。まるで自然の絨毯の上を歩くようだ。足のうらから身体の中心をぬけ脳細胞をよびおこしてやわらかなぬくもりに包みこまれる。ハナも私も大好きな散歩道だ。



ある二月下旬の朝、田んぼはいつのまにか掘り起こされている。その中の掘り起こされていない田んぼのくぼみに、夕べ降った雪が解けて水溜りができていた。その中にかえるが卵を産んだのである。

両手で、そっとすくいあげる。まだ産まれて時間が過ぎていないようで、出産時の、親カエルの苦しみの声が聞こるようだ。産まれたばかりのぬくもりが手に感じられる。



次の日も次の日も毎日おたまじゃくしが無事でいることを確認する。数日後雪が降りおたまじゃくしが、七ミリメートルほどの氷に覆われた。「さあーたいへん凍え死んだのでは」あわてて氷を取り除く。だいじょうぶだった。すこしやわらかくなっていたが真中の黒いつぶつぶは元気で一安心。手に取った氷を朝の太陽にかざしてみる。朝陽がうすい氷をとおして色々な模様をつくりだし、まるで色の無い万華鏡のようだ。



一週間ほどするとまん丸だった黒い粒から、尾らしきほそい線がつきでてきた。段々固まりがふにゃふにゃと柔らかくなる。

昨日は寒い雨が糸のような雪になり、やがてさくらの花びらが湧きでるように、空からおちてくる。家の庭が白で覆い隠され、静かな白い世界が広がる。雪国育ちの私には心落ち着く風景である。

メジロくんメジロちゃんの夫婦、ひよくん、ひよちゃん夫婦が寒さで身体を膨らませ、椿、やまもも、雪柳の木にきている。輪切りにして挿してあるみかんをついばみにくるのである。白い世界の枯木にオレンジ色の花が咲いているようである。

どこで見ているのかみかんを木に挿して、まもなく鳥たちはやってくる。いつも同じメンバーである。

木の下に古い米をばらまく。はと、雀がきて米を食べはじめる。私は、家の中から双眼鏡で小鳥たちの姿を時間が過ぎるのも忘れて眺める。メジロ、ヒヨドリ、すずめ、はとは少々の勢力争いはあるようだが、空腹は満たされたようだ。



こんな地域に二、三年前から青、黄色、オレンジと鮮やかな色で巨大なカマキリが首をふりまわすようにユンボ、トラクター、シャベルカーが轟音をだし山々を削り出した。以前の風景が思い出せないように変わった。カメ、めだか等がいた小川はコンクリートで固められた。鶯の鳴声も、轟音で消されてしまう。

一年ほど前、コンクリートで固められた側溝で子供たち四、五人あつまり騒いでいた。

近よって側溝の中をのぞくと、モグラの子供がコンクリートの壁をよじ登ろうともがいている。コンクリートの堅い壁は、モグラの爪ではとらえきれず這い上がる事ができないのである。

子供達は相談して、一番大きな子が、家からはしごを持ってくる事にした。はしごをとりに行っている間も、モグラは疲れもせず同じ動作をくりかえすばかりである。

やがてはしごをとりにいった子が戻り、そろりそろりとはしごを下ろす。そっとモグラを捕まえ抱きかかえて、地上に上げ、田んぼの中に返した。モグラは安心と恐ろしさで後ろをふりかえりながらノロノロと田んぼの中に消えていった。子供達は大歓声をあげた。



三月上旬、日差しがやわらぎ、つくしが顔を出しやわらかな風がそよぐ朝、おたまじゃくしはどのくらいに成長しただろう。畦道を急ぐ。

そこで見たものは掘り起こされた田んぼである。「その場所にはいずれ道路が出来るのだ」とトラクターの運転席から声がした。その言葉が朝のすみきった青空にむなしく消えていった。