「たかがITされどIT」 ・・・・・・・・・・・・・・ 吉町利三


 専門用語が変じて、汎用語となるケースは多くの例を見ます。「岡目八目」などは、棋界用語ですが、普通の会話の場でも良く耳にする言葉です。
  IT業界も60年代から未だ50年の浅い歴史にもかかわらず、加速度的普及に伴いIT専門用語も同時普及浸透し汎用語化したとものも多く、また新造語登場も甚だしく、いまやIT用語は氾濫気味です。最近では「クラウドコンピューティング」などと、ITに関しては岡目八目の拙者も雲をも掴むような用語で、科学技術を定義する言葉というよりは、寧ろ曖昧さを楽しむことを特徴とする文系用語と言っては文系人に失礼でしょうか。
  ただIT用語は商業的である場合が多く、注目をひくために意図的に曖昧にしている場合もあります。
  「クラウドコンピューティング」は、直訳すれば「雲上電子計算処理」と何と大仰な呼称(お隣の大国を思わせる)ですが、機能面からすれば所詮「コスト削減型大型共同利用サービスコンピュータシステム」程度に他なりません。このような用語が何と多いことでしょう。
  とは言え、ITは現代の経済・社会システムの革命児であることは、50年の歴史が証明しています。仮に、もしコンピュータがこの世に無かったとしたら、労働者不足に陥り、今日の様な雇用問題は発生していないでしょう。例えば銀行などでは、算盤、電卓と紙の山で、拙者の試算では、恐らく今の倍以上の行員が必要であろう事は明らかです。(余談になりますが、最近某メガバンクでATMが数日取引不能になるシステム障害が発生し、ITの弱点露出のように振舞っていましたが、それはシステム当事者であるメガバンク責任、ITを知らない人達による人災です。IT災などとは全くの言い訳です。)
  その意味では産業革命時、織物業などの機械発明が職工の仕事を奪い、打ち壊しに進んだがそれに値する代物です。もちろん一隅に照準を当てるだけではえこひいきになるので、ITの技術歴史などを検証しつつ、ITの本質じみたところに岡目八目で迫ってみたい。

 最近の社会事変はITにまつわることが多いようで、中東民主化闘争や例の国との国境問題では、やれツイッターが……YouTubeが……フェイスブックが……とかまびすしい。
  ケータイとインターネットの技を駆使し、最大限のスピードを持っての某大学入試のカンニング、ITのなせる技に違いないでしょうが、実は通常の学内試験等ではその利用方法、手口は様々で、既に常用されていると言うのは岡目八目の言い過ぎでしょうか。旧態依然とした入試出題、入試方法、どちらかといえばそちらに工夫が必要なのではないでしょうか。一層のこと、急進短絡的かもしれませんが、パソコンを活用しながらの入学試験、学内試験の方が、受験者にとっては平等と言えるし高レベルの解答が期待できるかもしれません。ITを特別視することなく文明文化を支える一道具として受け入れる、既にそんな時代が来ているのではないでしょうか。 
  ケータイ、パソコンを主に利用者端末とするITは、大量情報処理、科学技術計算もさることながら、すぐに知りたい情報は、多層広域データベースから即座に得ることができ、また発信したい情報は、特定宛先はもちろん不特定宛先にも広域ネットワークを介し、即座に世界中に伝播できます。これらのことは人間の知的欲求欲望を相当程度実現可能にし、ある程度文明文化に影響を与えたかもしれません。しかしながらITは情報の高速処理、大量処理、広域処理には多大な貢献をしていますが、それは人間のもともとの欲求ですし、ITが文明文化にそして人間の変革にまで影響する代物にはなり得ないでしょう。あくまでも情報取得、情報処理の道具に過ぎないのです。

 世には驚愕の発明は多々ありますが、コンピュータはそれに値するほどのものではありません。明晰な数理学者が発明したかのように思われるかもしれませんが、数理学者の本業からすれば遊び心程度で考えたものに過ぎません。第二次世界大戦時の大砲の弾道計算のために造られたのが最初であるとされており、超速で正確な命中のためには人知を凌ぐ計算スピードが必要でした。それは人間の計算時の思考過程を機械回路に置き換えること、つまり論理的には回路は見えていたわけですから、大変複雑なジグソーパズルか論理的迷路設計に知力を傾ける程度のもので、どちらかと言えば忍耐と泥臭さの結集物と言えます。(ちなみに1946年、アメリカのエンジニア J.PエッカートとJ.Wモークリーによる汎用計算機開発が最初と言われている)もちろん今も当初の基本回路設計は活躍していますし、全体処理能力(トータルスループット)は当時の数万倍ぐらいにはなっているでしょう。
  この驚くべき処理能力の向上に貢献したのは、ソフトウェア技術も相俟ってその根源は超微細技術による半導体の進化であります。大容量記憶、超高速処理そして超小型化を可能にした半導体は、コンピュータメーカーが業界ナンバーワンを獲得すべく、熾烈な競争となり、70年代から80年代に高速の進歩を遂げました。(岡目八目は余談好きで恐縮ですが、科学技術は全てナンバーワンを目指すのです。ナンバーツウでは何故いけないかなどとは不勉強無知蒙昧の極みであります!)そして半導体はコンピュータばかりでなく、自動車、家電製品、ケータイなどなど、今や部品(主にマイクロコンピュータ)として組込搭載していないものはないでしょう。
  現代のITを築いたのは当初の基本設計もさることながら、何といってもその根幹は半導体なのです。
  ITの普及は、件に述べたように経済・社会システムの合理化・効率化に大いに貢献しました。そしてIT産業自体が労働者を多勢必要とし、特に20世紀後半は「花のコンピュータ産業」ともてはやされ歓迎され、IT産業は新基幹産業としてその地位を築いてきました。
  ただコンピュータの技術開発が猛スピードであったため、携わっている人達ですら、そのスピードに圧倒され後追いを余儀なくされていました。利用者は新製品が出現するたびに、その機能・性能に驚愕していたに違いありません。拙者の様な岡目八目ですら、兎に角数十年前あの機関車のように大きかったコンピュータが、パソコンやケータイなどに化けたかと思うと、やはり“すごい”と思ってしまいます。そして「大量情報処理」「高速情報処理」「広域情報処理」「双方向情報処理」「日本語処理」「画像処理」……どれをとってもここまで来たかと、隔世の感であります。

 しかしながら、IT利用による社会事変、更にはIT依存世代の出現に、世の一方ではIT罪悪説なる暴論をたまに耳にします。ITは必要情報を速やかに「蓄積」「往来」「交流」あるいは「計算処理」してくれる手段にすぎない、ただただ人間に酷使されている代物であります。ITから得る情報は、その情報に関連する人々が発しているのであり、ITは利用しやすくしてくれているだけのことです。ITは、膨大で広域で数多の人間が関わる情報処理を可能にしたために、利用者にしてみれば利用時の瞬間に、めくるめく情報が利用者に「我が情報を採用せよ」とばかり誘いかけてきます。情報の氾濫と言えなくもありませんが嬉しいじゃありませんか。狭域で与えられた情報から学ばざるを得ない、ややもすれば「それが真実」と思いこまざるを得ない時代、状況に比べれば、沢山の選択肢があるのですから。情報を信念を持って選択し体得する能力があれば、ITは知性も感性をも広く深く十分支援してくれますし、豊かな知的生活の拠り所ともなります。
  歴史に見る階級社会の権力者による情報統制、あるいは現代でも隣国の「一党独裁大国」や「狂人独裁小国」の情報閉塞・統制による情報遮断すればどのようになるかは周知のとおりなのですから。
 
  最後にITの虜になりIT仮想人間と思しい方は、あの口舌鮮やかな「遍歴の騎士ドン・キホーテ」的自己満足型の仮想英雄というところでしょうか。あぶないですね。
  かく言う拙者も、ネット囲碁におぼれている始末でまさに「ネットの棋士」、岡目八目の訓練をしております。この程度なら大丈夫でしょう。


吉町利三

プロフィール

昭和24年8月21日生。
昭和48年北大(理学部数学科)卒業、同年富士通入社。
営業畑を経験し、本年より自由人。



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