定年なればこそ、できる ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山本正人




 静岡で生まれ、東京・横浜で育った私。定年により平成十七年三月末で三十七年間十二回転勤の会社人間に終止符を打った。

 そして、妻の古里である北九州を終の棲家に全く新しい“気儘な生活”を送って、早くも二年が過ぎようとしている。定年なればこそできる色々なものにチャレンジしたこともあって本当にあっという間の二年となるのであった。

 気儘な生活といっても、先ずは「規律正しく一日一日を有意義に過ごすことが肝心」と長い間の会社漬けから脱皮すべく新しい生活リズムの構築に取り掛かった。午前六時起床、近くの公園を散策、ゴミだし、布団たたみ、神・佛壇へのお供え、部屋の清掃、庭の草取りなど現役時代にはとても考えられなかった家事を担った。

 当初は心の抵抗もあったが、今では勝手に手が動くから不思議である。もっとも「貴方も定年なら私も定年よ」と言いながらも結婚三十五年、何の文句も言わずに私の転任地に随従してくれた妻への感謝の気持からの行動でもある。

 定年になったら「先ず旅行を」と誰もが言うように旅行関係の書籍や案内パンフに目がいった。「足が弱ったら行けなくなるから今のうちに海外へ」と言う私に妻は「まずは国内の沖縄や知床に行きたい」。

 結局、沖縄へは私の定年記念旅行と称して東京に住む長男家族と那覇空港で待ち合わせ三泊四日の旅を楽しんだ。知床には福岡空港からのツアーで行った。いずれの地も初めてゆえに感動の連続であった。特に知床は料金が安くて内容も濃く心憎い程のものだった。

 晴耕雨読というが、これに関係なく本を読めるのがいい。若い時に読んだ本の再読中心だが、当時は文中に出てくる難解な文言や字句を「まあいいか」と読み飛ばしていたが、「今は時間的余裕があるから」と電子辞書や漢和辞典、古語辞典で調べ、忘れないようにノートに書き込んでいる。

 新刊書も読むが旅行で行った所の出身作家の著書を古本屋も含め、まとめ買いをするようになった。動機はその作家の出身地に行ったことで、その作家がより身近に感じられたからである。北海道旅行で旭川に旅し「この素晴らしい旭川が『氷点』の三浦綾子の出身地だったのか」と感激。帰ってから文庫版全てを求め読破した。

 ゆえに「地元出身の作家の著書も読まなくては」と私の住む北九州出身または所縁のある森鴎外、火野葦平、松本清張の作品を読み返したり、購入したりしている。ただ、昔購入した著書は最近の大きな活字に比べ小さく老眼鏡を必要とするから面倒でもあるが。

 地元紙への投稿を積極的に行った。問題提起だからといって国にもの申す的な大上段から振りかざすのではなく地域や生活に密着したテーマの方が取り組み易く掲載率も高いのではと考えた。投稿回数も二ヵ月に一回くらいに絞った。

 すると案の定、その通りに一年間に六回の掲載をみた。テーマは「パソコンの出現で存在感薄まるエンピツ」「安易にするなバス便数削減」「転入先の投票もう少し早く」「間違い目立つテレビの字句」などだ。

 口さがない友人は「応募者が少ないから掲載されるのでは」と言うが、とんでもない。競争率は結構高いのである。定年後二年目となる今年の四月からは購読を全国紙に替え、更に高い競争率を考えて半年に一回のべースで投稿することにした。幸い五月に「定年後はスローライフで」のテーマで掲載をみた。

 勤めている時は滅多に観ることのなかった映画が六十歳を超えるとシルバー料金の千円で観られることを発見。水曜日には女性に限って千円で観られるレディスデーがあるから夫婦二人で水曜日に行けば二千円で空いた席にゆったりと座り話題の封切り映画を鑑賞できるのである。「男たちの大和」「オリバー・ツイスト」には妻から「鬼の目にも涙というけど歳をとって随分涙もろくなつたね」と言われるほど感涙した。

 歌謡曲のCD、カセットテープをよく聴くようになった。以前に妻が購入した「懐かしのメロディー」が大半だが東京中野の長男宅に行った折、中古店で買ったプレスリーやビートルズの曲も含めヘッドホーンを耳にウィスキーのオンザロックを飲みながら聴くのが最も至福を感じるひと時だ。

 北九州市内の楽器店でもついオールドファン好みの石原裕次郎、八代亜紀、ちあきなおみなどのものから地元北九州を舞台にした村田英雄の「無法松の一生」、福岡県出身の尾形大作、氷川きよしのCDおよびカセットを買い求め、聴いて覚えるようにしている。

 残念なのはそのノドを披露するスナックやカラオケ店が遠く、なかなか機会がないことだ。「まあ、いつの日か。今は練習、練習」と部屋で口ずさみ、時には風呂で歌うが地声が大きいことから妻に「近所迷惑になるから止めて頂戴」と小言を発せられている。

 「もう一度学校でそれこそ真剣に先生の講義を受けてみたい」も定年後やりたいものの一つだった。「北九州市民カレッジ・前期」で色々なコースを募集していることを知った私は先ずは地元を知ることからと「いのちのたびセミナー・北九州の自然史」を選んだ。

 いまだ北九州のことをあまり、良く知らない私にとって同セミナーの内容(北九州の地質と鉱物、魚、蟹、貝、昆虫、サンショウウオを学ぶ)は渡りに舟で即申し込んだ。講義は六月から八月末までの週一で全十回。講師はいのちのたび博物館の全国から集まった新進気鋭の若手学芸員ばかり。

 受講料は五千円と安く平日午前の講義だけに受講者は私と同様に定年後と思われる男性が二十五人と主婦十人の計三十五人のメンバー。内容が内容だけに小・中学校時代の理科の授業が思い出され、実際に博物館のサンショウウオを見学するなど和気藹々の楽しい講義だった。

 続いて十一月から後期市民カレッジの「団塊の世代生き方セミナー」を受講した。団塊世代といえば厳密には昭和二十二〜四年生まれを指すが、資格対象が団塊世代を中心となっていることから六十歳の私も五十歳代前半の人もOKとなり十一月から二月まで週一で全十回の講義を受けた。

 いざ初日の講義に行って驚いたのは、何と女性受講者が二十一人と多いことだった。男性は十四人で計三十五人のメンバー。ちょうどテレビ番組で渡哲也、松坂慶子主演の「熟年離婚」が放映されていた時期でもあった。

 私は興味本位にも「テレビの内容と同様に主人の定年日に離婚宣言しようと思い、そのための事前勉強に来ているのでは」と思ったりした。この件は別に女性受講者からじつくり本音を聞いたわけではないが。

 男性受講者の建前としての申込み理由は明らかだ。自分の定年後の足がかり、即ち、これまで長年培ってきた知識、経験、能力を生かした人生を送るための生活設計、ボランティアなど地域への関わり方などのノウハウを知りたい。女性は主人の定年を控え、今後二人でどう過ごしていくか、職業婦人として生きてきた自分の今後のあり方についてのヒントが欲しいなど。

 講師は大学教授、フイットネス研究所長、人事教育会社杜長、社会保険労務士、介護支援専門員、茶屋店社長と多彩。講義時間を現役受講者に配慮して午後六時半〜八時半までとしており私などは夕方に家を出ることから近所の人に「夜の仕事に行っているのかな」と思われたようだ。ゲーム感覚を取り入れた実技や料理教室もありで実にザックバランで愉快な講義だった。この雰囲気は番外編の春の満喫旅行にまで発展するという『おまけ』まで付いた。

 講師の介護支援専門員が保有する耶馬渓のロッジに四月下旬、マイクロバスで一泊二日の旅をしたのである。希望者二二人が参加したが何とうち二人は講師を務めたフイツトネス研究所長と人材教育会社社長であった。

 私は旅行の世話人を務めたが、つい我を忘れて年甲斐もなくはしゃぎ、満喫し過ぎてしまつた。それだけ参加メンバー皆さんの協力度合が最高で学生時代を思い起こすほどの楽しさがあったからこそと思うのだが。

 さらに二月下旬から三月末まで別の北九州市立年大学校主催のシニアカレッジ(週二・全十回)を受講した。六十歳以上が対象で私が最年少。受講者は男性五十四人・女性三十四人の計八十八人で最高齢が男性八十五歳・女性八十二歳というからビックリ。世界の長寿国・日本と私が好きな言葉である「人間一生勉強」がダブルのであった。

 一日に一時間半ずつ二人の九州国際大学の教授から「アジアを学ぶ」を聴講。受講生の中には教室に一時間早く来て最前列の席を確保する人も。高齢者にありがちな居眠りする光景が全く見られず、講師に鋭く質問するシニアが多かった。

 このように高齢者の向学心の熱心さを目の当たりにした訳だが、ますます進展する高齢化社会にあって、こうした勉強の場の提供はもとより家庭や地域での高齢者の「居場所」または「溜まり場」つくりは喫緊の課題であると感じた。

 そうした意味からも私自身、地域杜会の一員として些かなりとも地域のために力を発揮し、そして新しい人生劇場において創造的に生きる大人即ち「創年」になっていくべく、努力精進していきたい。