冷酒・・・・・・・・・・山本薫


     センター試験に伴う鎮魂歌
     2006年の春、谷を流れる川に放った橙の花のために





ひとり人を蹴落とすと、自分が大学に入れる、
そういう社会システムを、浪人時代、何度呪ったことか。


センター試験の日、インフルエンザにかかって、ストーブの真ん前で、試験を受けた。
目の前に置かれた、自分の受験票の顔写真を見ながら、体内とストーブの熱でおかしくなりかけた頭の中で、
殺してやる、と何度も思った。人間を、ではない。他人や社会システムを、でもない。

前の年の、12月31日、大晦日に死んでしまった友達のことを思った。
私が、いじめっ子だった彼を許さなかったから、彼は死んでしまったのだ。―そういう思いにとりつかれた。



彼が亡くなった数日後に、私が子供の頃に書いた藁半紙のメモ書きが出てきた。

○○なんか、死んでしまえ、と幼い字で書いてあって、私は、言葉を失った。



試験は、国語はそこそこ、世界史は20点UP、生物はそこそこだが前の年より3点ダウン、数学はいつもどおり良くない、
という、どうでもいい結果だった。



それから何年も、時折、私は彼の夢を見た。
小学生の彼が、手を差し出す。私は、手を握り返して、人間の手の感触に驚いて、――生きている。
と口にする。
となりにいた別の友達が、そうなんだよ。俺もビックリしたよ、と笑う、そういう夢だった。


彼の墓参りに、行かれない。
自分のためにも、行かなければ、と何度も思ったが、
お葬式の日に、私の顔を見て泣きそうになった、彼の優しいお母さんの表情を思い出すと、体が動かなくなった。

遠く離れた土地のアパートで、
自転車に乗りながら、
田舎の学生寮で、
実家のお茶の間の炬燵の中で、

私は何度も、彼の住む地区の上空を旋回する鳥になった。

涙が、出なかった。


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予備校の頃、大学受験というシステムに対する怒りを抑えるのに、私は必死だった。
あんまりあからさまに口に出したら、他の受験生の精神衛生上、良くない。
予備校の先生だって、愚痴られたところで困るだろう。

私は、自分のストレスがたまって、いても立ってもいられなくなると、ぶらっと抜け出しては、
ひたすら市内や公園を歩き回った。
途中で休憩できそうなところを見つけると、ようやく冷めた頭で、英単語や世界史の用語集を読んだ。

高校の美術室に行って、気を紛らわせたこともある。

私のお気に入りは、100円でジュースと居場所がもらえる、交差点の角の菓子屋だった。
菓子屋のおばさんは、この風変わりな女の子を、卑しい目で見た。


予備校の友達のひとりが、階段ですれ違いざまに、
「あなた、すっごくいいよ。いい味出してる」
と、私を誉めた。

ひとりの、良く知らない男が、自習室で、私の勉強中のノートを覗き込み、フッ、と見下したような息を吐いて、去った。

競争とか、ゲームとか、争うことが嫌いなの、
と言った、髪の長い女の子が、昼休みにぶどうをくれた。
ゆっくり食べていると、ノルマを与えちゃったみたいでごめん、と言われた。


世界史の講師は、私を見るたびに笑った。

数学の講師は、予備校の職員室に飾られた絵を批評しろと言った。
可も不可もない、研究中のような絵に見えたが、受験生に悪影響はなさそうだ、と思った。
でもそんなことあんまりな言い方なので、別の視点から感想を述べた。

古典の優しげな講師は、私のことを、怖い、と言った。悲しかった。

同じクラスの男友達は、私の相手になるのはめっちゃ強そうなタイプな気がする、と言った。
それは悪いけど、誤解だ。私は、マッチョなタイプは好きではない。


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推薦入学の決まった人が、センター試験を受けるのに、友人達はおしなべて批判的だった。
誰かの偏差値をひとつ下げることをわかっていない、自分の都合しか考えていない、と。

アメリカのように、全入学で、卒業できない人は放っておく制度にしたらどうだろう?と兄に電話すると、
それだと、日本人は勉強しないんじゃない? と言われた。

アメリカの街角インタビューがテレビで流れるたびに、こういう風土に日本はなりえないし、なって欲しくもないなと思った。


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大学生の頃、精神的に参ってしまったときに、ふと、手が、呪文のようなものを書き出した。
お経を永遠に唱えているような感覚だった。止めたくても、止まらない。止めたくない、という気持ちもあった。
書いていると、まるで、呼吸器をあてられた患者のような、不思議と静まる心地さえした。

大学の保健センターの医者は、精神運動発作というのよ、と言った。でも普通は、書いている間のことは覚えていないわよ・・・と。

駆けつけた母は、あれを見てぞっとした、とあとで語った。
優しい大学の友人は、大事そうに、両手で紙を抱えてくれた。


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子供の頃、空間が、まるで宇宙の縮図のように見えたことがある。

中学生の頃、太陽系だか銀河系の、本物の模型を前に話をする、白衣の科学者2人の夢を見た。


私の祖母は、大変辛辣で大雑把でわがままな人で、
おばあちゃんは、世界が自分中心に回っているのよ、と母が言ったのを聞いた子供の私は、
わたしは、宇宙が自分を中心に回っている気がすることがあるけど、それってわがままな事なのかな、
・・・だったらどうしよう、と思った。


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1996年の大晦日に亡くなった彼の墓参りに、私はまだ行かれないでいる。
行って、手を合わせたって、どうにもできないことが苦しいからだ。



小学生の頃、私がいじめられているのを心配した母が、担任の先生に相談したことがある。
ランドセルが傷になったり、擦り傷の絶えない私を見かねてのことだった。

先生は、あれは薫さんが好きなんですよ、と言ったという。
当時の私には、まったく理解のできない話だった。


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今日は、 穏やかで、やわらかな夕陽が窓から差し込んできて、心を慰められた。
そういえば、今はお彼岸。明日は、昼と夜の長さがちょうど同じになる、春分の日だったことを、ふと、思い出した。

(2007年)