柳兼子の歌 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 渡部信順




 筆者には最近、非常に重い感動に誘われた一枚のCDがある。これは「柳兼子」というアルト歌手の歌う「現代日本歌曲選集2 日本の心を唄う」と題された一枚だ。

 これはオーディオ・ラボからLPで出て以来、長らく廃盤のままになっていたものだが2001年に彼女の再評価の機運が高まり、CDとして復刻されたものである(オーディオ・ラボ OVCA‐00003)。

 柳兼子は1892年(明治25年)生まれ。1984年に92歳の高齢で亡くなったこの日本の近代の声楽法を確立したとされる不滅のアルト歌手は、音楽における「白樺派」の代表的人物であった。旧姓を中島と言い、夫である柳宗悦の文学活動を物心両面にわたって支え続けたと言われている。我孫子での新婚生活の中、当時の日本軍部政府の韓半島の人々への抑圧や同化政策に真っ向から対立し、夫婦ともに韓半島に渡ってリサイタルを開催。当地の人々と深い親交を結んだそうである。かつては「声楽の神様」とまで呼ばれ、1928年のベルリンでのリサイタルではドイツ人を驚愕させるほどの日本最高のリート歌手であったが、軍歌を歌うことを頑なに拒否。このため戦中より活躍の場を奪われてしまった。戦後も正当な評価がなされぬままになった感があるが、本人はそんなことなどまるで意に介さないかのように歌い続け、なんと85歳まで公式のリサイタルを続け、その後も二、三年は私的な集まりで何度となく歌っていたそうである。これは肉体そのものを楽器とする声楽家として通常は考えられないことであろう。ちなみに前述のCDは1975年、彼女が83歳の時の録音である。

 しかしなんと厳しい歌だろう。このCDの彼女の歌を聴くと、詩に対するえぐりは厳し過ぎるくらいである。彼女は詩を語りかけるように弱音主体で曲をすすめながら、曲の山に至ると凄絶なフォルテで、切ないまでの魂の叫びを響かせる。そこに感じられるのはもはや人間の声を超越してしまった何かであり、深い孤独感と憂愁が絶えず震える彼女の声の奥から響いてくる。いわゆる美しい声ではないし、磨きあげられた声でもない。それはまるですすり泣きのようであり、命懸けの訴えのようである。したがって日本歌曲の純粋なメロディの美しさに酔いたいという人にこのCDはむしろ向かないかもしれない。表面的な演奏でも通俗的な演奏でもない。それほど内容のえぐりが効いているからである。80歳を越えてなお芸術の深奥に迫ろうとする柳兼子という一人の人間の気迫を如実に伝えるそれは、まさに精神の声であり、魂の音楽と言ってよいだろう。老いのため部分部分で声が震えてしまうのは致し方ないが、少なくとも私には何の気にもならなかった。

 とりわけ感動したのは「平城山(ならやま)」「九十九里浜」「荒城の月」「母」「砂丘の歌」「浜辺の歌」「小諸なる古城のほとり」である。

 特に「九十九里浜」の強烈な魂の叫びは冒頭から私を捉えてしまった。一瞬にして太平洋の水平線につれ去られてしまうようだ。小林道夫のピアノ伴奏もまるで音楽に使える使徒のように柳兼子の歌と一つになって音楽の中に深く入り込んでいく。いわゆる外面的な美しさとは別物であり、それだけに心に奥深く突き刺さるような力を持っている。あまりにも感動的な絶唱で、聴いていて涙さえにじんでくる。

 背筋が寒くなるような感動に襲われたのは滝廉太郎の「荒城の月」である。何という憂愁! 柳兼子の歌はさながら古風な舞いを踊るようであり、聴いていて周りの時間が止まってしまう。呼吸をするのもはばかられる。音と音との間には深く暗い闇が開いているようで、深い詩心が語りかけてくる。滝廉太郎の詩の深さが悠久の時間の中を匂ってくるようであり、あたかも月夜の下で花が散っていくようだ。

 柳兼子の歌を聴くまで私は「九十九里浜」と「荒城の月」の真の魅力を知らなかった。これらの曲の本当の美しさを知らなかった。彼女の歌を聴くことで、私はこの作品に秘められた芸術性に気がつくことができたと言ってもよい。

 彼女の歌を聴くとヨーゼフ・シゲティのヴァイオリンを思い浮かべる。シゲティのヴァイオリンは技術的な問題を越えて音楽的な世界が響いてくる。少々クラシックを聴いた人間ならわかることだが、シゲティほど不器用で無骨なヴァイオリンは他にいまい。だがその独特の気迫を込めたような痛烈な音楽は、もはや技巧や楽器の音を超越して何かを伝えてしまう。このシゲティと似たような音楽性を筆者は柳兼子に感じるのだ。しかも驚くべきことは彼女は声楽家であり、自身の肉体を楽器とする演奏者であるということである。にもかかわらず肉体の衰えを乗り越えて彼女の音楽は進歩したのである。

 しかしこの歌はいったい何なのだろう。人間の声は鍛えに鍛え、ついにこのような境地にまで到達できるものなのか。彼女の「浜辺の歌」など、フレーズのあちこちに老いによる声の震えがあるはずなのに、聴いているとそんなことは少しも気にならなくなり懐かしさや優しさや詩の情景が胸に迫る。それはもはや歌手自身の人間性の発露の美しさとしか言いようがない。

 若い声楽家なら声の伸びやかさ、朗々とした美しさで歌を歌い上げることができるだろう。しかしそれらの若さと輝きをなくしたとき、声楽家は何を語りかけることができるのか。多くの歌手が年齢の限界によって舞台から去ってゆく中、ただ一人、柳兼子だけがその限界を飛び越えてしまった。その歌は、まるで歌手の声から若々しさが去ったときから真の芸術が始まるとでも言うかのようだ。

 「みなさん、年をとると歌えなくなるのではなく、歌わなくなるんでしょ」

 「この年になって、今まで出来なかったことが突然やれたり、新しい発見をすることがあるんです」(柳兼子)

 指揮者W・フルトヴェングラーは「真の芸術とは何か。技巧に走ることを必要としない能力である。」と語っているが、彼女の歌を聴いていると、技巧に走ってありあまるテクニックを駆使することが何とも底の浅い芸術に思えてきてしまう。彼女の歌の素晴らしさはいわゆる技巧とか若さとかそういったものを一切捨てたところから生まれてきたものだからだ。

 むろん筆者はここでテクニックそのものの必要性を否定しようとしている訳ではない。音楽にはテクニックが奉仕するところの最も重要なものが存在し、その表現手段としてテクニックが存在する。最も深い感動を表現するためにこそ、テクニックが存在するのであって、それ以外に技巧の存在意義などないのではないか。

 「仕事をしていれば人は年をとらない。そういうわけで、私は仕事を止めることなど夢にも考えることはできない。引退という言葉は今も将来も、私には縁がないし、私にはそんなことは思いも寄らぬ考えである。私は、私のような職業のものには引退はないと信じている。精神の続く限りは。私の仕事は私の人生である。仕事を離して人生を考えることはできない。いわば引退なるものは、私には棺桶に片足を入れることなのだ。仕事をし、倦むことのない人は決して年をとらない。仕事と価値のある事に興味を持つことが不老長寿の最高の妙薬である。日ごとに私は生まれ変わる。毎日、私は再び始めなければならない。」(パブロ・カザルス)

 私も柳兼子のように年を重ねたいと願わずにはいられない。柳兼子の歌は音楽の感動とともに、何か貴重な精神的な遺産を私たちに提供してくれる。それは人間がいかに生きるべきかという問いかけであり、自らの使命を最後の瞬間まで生き切るという彼女の不断の努力の姿勢である。

 自らの使命に生き切った人間こそが真の幸福な人間であろう。柳兼子はこのCDを聴く限り80歳を越えてなお闘っている。自分の声と闘い、声の衰えと闘いつつ、自分の限界を更に越えようとしている。そしてついにその歌声はもはや「声」であることをやめて、「詩」そのものになってしまった。聴いていて深い敬意を覚えずにはいられない。この歌手が歴史の陰に埋もれることのないよう、一人でも多くの人が彼女の歌を聴き、自分の耳でその素晴らしさに触れていただくことを筆者は希望する。

※参考文献(年代は邦版出版年代)

 ○宇野功芳『名演奏のクラシック』講談社現代新書、1990年

 ○渋谷昶子「歌声よ心に響け」(映画「兼子」脚本原稿)、2003年

 ○松橋桂子『楷書の絶唱 柳兼子』水曜社、2003年

 ○W・フルトヴェングラー『音楽ノート』芦津丈夫訳、1999年

 ○ 「名古屋タイムズ」名古屋タイムズ社、2004年9月4日付