陽だまりロードウォーキング・・・・・・・・・・・・・・・・・・鷲津 勇




 四十年間連れ添った愛妻に先立たれ、突然独り身となった。寂しさと健康面の不安で一挙に頭が一杯になり、これを機会に二十年以上休んでいた運動再開を決意した。
 運よく自宅から五分ほど歩いたところに白石サイクリングロードがある。札幌中心街から続くこのロードは、北広島までの約二十一キロメートル、都会の真中を通りながら自然がふんだんで、「陽だまりロード」の愛称で呼ばれ、サイクリング、ジョギング、ウォーキングのファンに大歓迎されている。しかも、木々が芽吹く早春から氷点下の厳冬まで一年中通して楽しめる都会の秘境となっている。
 恵まれた環境の中で運動再開ができることに感謝し、私の頭の中でシミュレーションを描いた。若いころは「森を駈ける風」と粋がってジョギングをしていたが、結局年齢相応に無理なく楽しむウォーキングから始めることにした。
 自宅からそのロードに入り、往復約七キロメートルを一時間で終える区間をマイ・コースとして設定した。
コース最初の約二キロメートルは、公園や住宅街で挟まれた並木ロードで、サクラ、イチョウ、シラカバ、ナナカマドなど四季折々の彩りを見せてくれる。コース途中の厚別南公園入口に、「旧千歳線上野幌駅跡地」と書かれた一枚の案内板が建っている。並木の多くが樹齢百年に近い老木で、整然と並んで道を守る姿に威厳を感じたのも道理、ここは古い歴史のある線路あとなのだ。
 次のコース約一・五キロメートルは、都会であることを忘れさせるほど深い森で、イタヤモミジ、ヤチダモ、ミズナラ、エゾマツ、ブナなど多種の樹林に覆われ、昼なお薄暗いトンネルロードである。一歩足を踏み込むと、森の静寂に小鳥のさえずりが響き渡り、時には合唱で迎えられることもある。稀に「キュン・キュン・キュン」と甲高く鳴きながら飛び交う、愛くるしいエゾリスの歓迎を受ける感動も味わえる。
 最後のコース約一・五キロメートルは、日差しが降り注ぐ高台となっていて、視界が大きく開かれる「学習の森」へと続く林間ロードとなっている。このようにバラエティに富んだ自然を満喫できる贅沢なコース設定に私はたいそう満足している。
 真冬のロードは肌に突き刺さるような寒さに身震いする。一月中頃になると、降雪量が減ってひたすら冷え込む日々が続く。すっきりと晴れ上がった氷点下の日には、キュッキュッと靴が鳴り、眉毛や帽子がバリバリに凍りつく。冷え込んだ翌日には、放射冷却現象で並木は樹氷に飾られ、自然の造形美にしばし感嘆する。森は春の到来までじっと寒さに耐える。そんな沈黙の木々の中で、真っ赤な実の半分を雪に包み込んだナナカマドには数十羽の小鳥が群がって実をついばみ、静かな森に躍動するいのち生命が宿る。
 マイ・コースには大小いくつかの川が流れ、中でも一番水量豊かな小川は、札幌市と北広島市の境界を流れる清流だ。そのせせ細らぎ流の音がウォーキングしている私の耳に心地よく響き、森の豊かさを物語ってくれる。
 融雪どきの道すがら、一番水量の多い小川に寄り道すると、水に垂れた枯草や枝木の先に、まん丸や棒状の氷がついていて、それが小川のせせらぎに流されてはぽんと戻る。まるで、木琴演奏をしているように、チョロチョロポーン、チョロチョロポーンと…なんともみごとなメロディーを奏でていた。かわいらしい小川の精の音楽に誘われたように、雪の陰からフキノトウがひょっこり顔を覗かせる。こんな微笑ましい自然の姿に暫し心を和ませる。
 やがて春を待ちわびる草木は一気に萌える。ウメ、サクラ、スモモ、ツツジ、コブシなど、一気に咲き誇り、百花りょう乱の花の宴に酔いしれる。
 初夏の森は精悍そのものだ。ウォーキング途中に、唯一遠方の山並を見渡せる上野幌サイクリング橋がある。その跨道橋は高台に位置し、遠くの視界が望める日には、りりしく優美な青年を思わせる恵庭岳頂上付近を見ることができる。恵庭岳を挟んで右には牛が寝そべっているような形の山が、左には恵庭岳に奥まって見え隠れするように三角の山が顔を覗かせる。輝く朝日が恵庭岳を照らし始めるころ、三角の山が反射しながらそっと赤く染め、それは奥ゆかしく頬を赤らめて恥じらう乙女の姿に見えてくる。
 ロードの秋は短くあわただしい。気品高く着飾った樹木は、精一杯の彩りを見せてくれる。そして、朝晩の冷え込みがもっとも厳しくなるころに、紅葉のクライマックスもフィナーレを告げる。山々の頂が雪化粧をし、川のせせらぎが澄み透ったころ、今年芽を伸ばした若枝の先端から、晩秋に別れを告げるように音もなく一枚の葉が舞い落ちた。
 ウォーキングを始めて一年経った春、新緑の森に入った瞬間、赤や黄に染めた木々を発見、「えっ、今は秋?」と勘違いした。例年より半月ほど速いペースで桜前線が北上しているというが、サイクリングロードで私が見たものはまさしく秋の紅葉そのものであった。すべての木が同時に芽吹き始めてはいるものの、春は新緑と思っている私には、赤や黄色に染めた木々の色づきは不思議な現象を見る思いであった。異常気象といわれる今年、森が語るものは何であろうか…。
 その数日後の新聞では、「新緑近しはるもみじ春紅葉」とのタイトルで、春紅葉は、広葉樹の新緑が光合成で葉緑素をたくわえる前に、元来持つ色素が見える現象を言い、「今年はすべての木が同時に芽吹き、木の色づきも見応えがあり、一週間から十日ほどの間、春紅葉が楽しめる」と報道されていた。自然に親しんではじめて知った「森の姿」であった。
 程よく汗ばむウォーキングの途中、思わぬできごとに出合うこともある。
ある日のこと、深い森のトンネル入口付近に、五十p四方位の洒落た手作りの給餌小屋を見つけた。小屋といっても、小鳥が数羽餌をついばむ程度の大きさで、数日前に取り付けられたものである。多分大工気のある心やさしい年配者が製作したのであろうと想像を膨らませた。
 心和ませながらその場を素通りしたが、帰路にはその小屋になんとエゾリスを発見した。器用にヒマワリの種子を手で持って口に運ぶそのしぐさが実に愛らしい。思わず足を止めて暫し見とれ、心癒された。このロードを通る人々を和ませ、野鳥や小動物にも喜ばれる給餌場をどなたが作ったのであろうか興味津々で、次のウォーキングが楽しみになった。
 その一週間後、またかわいいリスがいるかも知れないと心躍らせながらその場所に近づいた。ところが、給餌場の前にこんな立看板が目に付いた。「この給餌場を作られた方は厚別区土木部まで連絡ください」と。私には、これが何を意味するのか分からなかった。給餌小屋が細い丸太風でしっくりと自然にとけ込んだ作りに比べ、たった三行の言葉だけを書き込んだ立看板が周りと不釣合いな白木の材料で作られていて、違和感を覚え、やはりお役所のやる仕事ぶりとはこんなものかなと失望するとともに、文書が何を意味するのか「なぜ?」の文字が私の頭を独占した。
 森は一体誰のものだろう…。地域住民か、管理行政か、道や国か、いやそんなちっぽけではなく、世界人類や全地球のものではないか、などなど疑問は果てしなく膨らむ…。
 また一週間後にその場所を通ると、立看板も給餌小屋も撤去されていた。やっぱり製作者が注意を受けたのだろうか。
「そもそも野生生物に対してふれ合いを求めること自体がまずいのだろうか…」など、このことがずっと頭から離れずにロードを往復した。
 その数日後、ある新聞の読者欄に「野鳥餌付け問題感染研究の場に」と題し、野鳥を呼び寄せて観光名所とする「餌付け」の問題が浮上していることを知った。つまり、野鳥を過度に集中させると、鳥同士や鳥から人への鳥インフルエンザ感染の危険が増すほか、野鳥本来の生態系を乱すのだという。基本的に野生生物を人に慣れさせる行為は、キタキツネやエゾヒグマのように、その生き物にとって様々な不幸を引き起こす引き金になるだけでなく、むやみに餌付けすることは、その生き物の生態を乱し、また、餌付けられやすい種類だけ可愛がるという生き物に対する差別を生みだすのではないかという疑念が書かれていた。なるほどなあと半信半疑の気持ちにもなっていたが、その数週間後、動転するような自然の現実を突きつけられた。
「バタバタバタ」と静寂をかき消す大きな羽音が頭上を襲った。何だろうと目を凝らすと、傷ついてようやく飛べる程度のスズメがカラスに追われているのだ。ふらふらになったスズメが一本の木にようやくたどり着いて葉陰に身を隠した。ところが体の大きいカラスが身をよじらせてスズメに接近していくではないか。私は心臓が止まるかのように狼狽したが、瞬時のできごとをただ傍観するだけであった。いやな予感が背筋を走ったその瞬間、カラスの接近を逃れるスズメはこん身の力を振り絞って飛び立った。しかし、直ぐさま力が尽きて地上に落下した。追われたスズメは限界だったのだろう…。牙をむいた大きな暗黒が道一杯に広がったと思ったら、次には「バサッ」と鈍い羽音を残して飛び去った。その足にはしっかりとスズメを捕らえて…。
 カラスを追い払う間もない私は、残酷な自然を目のあたりにし、突然バットで頭を殴られたような大きなショックを受けると同時に、弱肉強食も野生の生態系であることを覚ったような気がした。
 給餌小屋も一見生物にやさしい行為に写ったが、生態系を破壊する行為であることを自然が語ってくれたのだ…と。
 これからの私は、「地球をまもる森、森がはぐくむ水、水を育てる森」という自然の偉大さに感謝しつつ、老いの人生をゆったりゆっくり歩くことにしようと思っている。
 今は亡き妻におも偲いを寄せ、森と語らう喜びをかみ締めながら…。
(2010)




パソコン教室――枯れ葉の溜め息・・・・・・・・・・・・・・・・・・鷲津 勇


 官・民合わせて四十三年間のサラリーマン生活中、「毎日が日曜日になれば、どんなにか楽しいだろうなぁ」と思い続けてきた。その思いがようやく叶った。
 ところが、二週間過ぎからそわそわ・うずうずし始め、三週間もすると、何か後ろめたいような罪悪感さえ覚え始めた。矢も盾も堪らずに区の社会福祉協議会へボランティア活動の相談に訪れた。とにかく何かしないといられない心境になっていたのだ。
 活動対象は、福祉施設等での話し相手、演芸披露、趣味の指導、介助など私に不向きなものばかりで、才能のなさを今更悔やんだ。ボランティア活動を諦めかけたころ、厚別南地区福祉のまち推進センターにおいて、高齢者向けパソコン教室の講師を求めているとの情報に接した。幸い私は、マイクロソフト社のオフィス・パワーポイントを使用したプレゼンテーションを職場で指導していた。早速砂川センター長と打ち合わせをした結果、平成二十年十月からのパソコン教室に参加することになった。
 講師となって瞬く間に二年の歳月が流れた。

「枯れ葉をどうしたらいいのか分からないよぉ……」と多田講師が頭を抱えた。「今までにない悩みのタネだねぇ」と塩谷講師も追い討ちをかけた。能面のように無表情な嶋田講師が、「皆と一緒は無理だねぇ」と諦めの言葉を口にし、砂川講師も、「あのハンデではねぇ」と唖然とした。私は、どうしたものかと考え倦(あぐ)ね、返答に窮した。
 それは、受講生が帰ったパソコン教室内で、講師達が交わした会話の一コマであった。
悩みのタネ≠ニは、八十四歳の高齢女性のことだ。

 開講日の自己紹介で「私はもう枯れ葉です」と前置きし、「福まちセンター発行の広報『絆』にパソコン教室が無料≠ニあったから飛びついたの!」と言って全員の笑いをとり、場を沸かせた。だが、正直過ぎ・お人好し≠ニの印象を招いた。無料≠ノ惹かれて参加したのは皆同じだ。しかし、誰も本音はおくびにも出さないものだ、と。
 また、参加動機を聞くと、「年賀状作り、写真整理、インターネット、家計簿作り」などと各自それぞれが目標を述べた中、彼女だけはなぜか口を閉ざした。センター長が指導上知りたいと聞き直すが「分からない……」となおも口を噤んだ。しかも今まで、ワープロ、パソコンに触れたこともなく、今後持つ予定もないと言うのだ。では、なぜこの教室に通うのか? 講師でなくても疑問が湧く。その日から彼女に枯れ葉≠フ渾名が付いた。
 この教室の主な講義内容は、マイクロソフト社のオフィスワード・エクセル、デジタルカメラ、インターネットの四部門で、毎週火・木コースに各六名を六か月間教えている。「怖い・不安・今さら無理」など、最初の一歩を踏み出せない高齢者向けの初級課程だ。今まで七期生、八十二名の受講生がセンター企画のカリキュラムを履修したという。
 一見理想のパソコン教室に映るが、毎回いろいろと悩みのタネも生まれるのだ。

 ワード編開始、通常は三十分位で説明を流すマウス操作と文字入力(ローマ字入力)だが、枯れ葉は、ここからまったく前へ進めない状態となった。マウス操作では、マウスポインターの確認やカーソルの移動が容易でない。特にダブルクリック、スクロール、ドラッグ&ドロップが難題だ。つまり、手が動かない・震えるのが原因だ。ローマ字入力では、文字をアルファベットに置き換えるのが不得意だ。「いくら高齢でも学校で習ったはずだがなぁ……」と傍らの塩谷講師も首を傾げた。母音は何とかなっても、子音、濁音・半濁音、つまった促音、小文字が伴う拗音になると未知との戦いでパニック状態だ。多田講師は、これら重いハンディキャップを克服するため、やむなくマンツーマン指導に切り替えた。ここは、他の有料教室にはない裕福な講師編成の上、豪華重箱布陣との風評も高い。
 時として、多田講師の「ここをしっかり覚えて!」との檄が飛ぶ。その度に枯れ葉は、「分からないよぉ……」を連発し、青筋立てて首を振る。次に決まって「ア〜ァ」と大きな溜め息を漏らす。「ア〜ァ」は自分への失望なのか? 癖なのか? それとも拒絶なのか? 絶え間なく繰り返される。それ以外の言動は頑なに閉ざしたままだ。
 その後他の受講生は、ワードアートの装飾文字に感嘆し、写真挿入の妙味に笑顔の花が咲く。エクセルデータから瞬時にグラフが作られ、セルの一発で関数処理できることに目を丸くし、歓声が上がる。そのたびに枯れ葉も耳が奪われ、目が隣に向いてしまう。「気を奪われずに熱中しなさい!」と多田講師から叱責され、「ア〜ァ」が空間を埋める。

 牛歩の様な枯れ葉のローマ字入力演習には、閉幕の緞帳は降りないのだ。
「自信喪失で来なくなるだろう……」との講師らの予想は見事に外れていく。この根性はどこから来るのか。脱帽だ! 「ここに通わせるワケは何なのか?」その疑問はいつまでも払拭できない。
 ふと私は、買い物もないのにデパートやスーパーに毎日やって来て、独り寂しく時間を費やして帰って行く。そんな孤独老人の姿とダブって見え、身震いした。
 多田講師にはもう一つストレス要因があった。教材用パソコンは、突然飛んだり、固まったりと痴呆症状に陥るウインドウズ二〇〇〇またはXPという流行遅れのOS(基本ソフト)だ。その上、ワード・エクセルのアプリケーションもオフィス二〇〇三年版と前時代的代物だ。ようやく調子に乗り始めた頃固まってしまう。つい、えいっとばかり電源を落としたくなる心境も分かる。まさに踏んだり蹴ったりだ。他講師が担当の受講生持参OSは、ビスタあるいは7(セブン)、アプリも二〇〇七年版以降が主流という最新マシーンで恨めしそうだ。反面、つい古いヴァージョン感覚で指導するハプニングもあり、反省を余儀なくさせられる。ボランティアとは言え、講師のヴァージョンアップも課せられる。

 いよいよパソコン教室の最終日、枯れ葉は満面笑みをこぼしながら全講師と受講生にお礼の包みを渡すではないか。なぜだ。枯れ葉にとっては、全日程を修了したのではなく、ようやく文書入力だけができたということなのに…… 「ア〜ァ」はどこへ行ったのか? きらりと輝く満足感は何だ? 疑問だけがめまぐるしく旋回する……。
 自分の覚えが悪いため、講師に苦労をかけ、他の受講生にも気まずい思いをさせた責任をひしひしと感じ取っていたのだろうか? 何と律儀な人だと思う反面、私には、開講日の「正直過ぎ・お人好し」の印象が蘇り、無性に寂しく悲しいことに映った。受講生には対等に知識・技能を教え、その結果に上下が生じても、精神作用に勝敗・優劣・老若の差があってはならない……と。加えて、差し出すお礼の包みを簡単に受け取る受講生の感覚も私には理解できないのだ。
 その場の空気が読めないと思っていた枯れ葉が、一番空気を読んでいたのではないか……とやるせない。

 一〇月初旬、次回のパソコン教室準備会が開催され、珍しく高揚した多田講師が一通の手紙を披露した。それは枯れ葉から多田講師に宛てた御礼状であった。
「……ローマ字や英語もわからないのに習いに行ったのですから、私も無謀だと思っていましたが、それなのに此処まで教えて頂きましてなんとお礼を申し上げてよいのかわかりません。お陰をもちましてこのようにパソコンで文書を書けるようになりました。心よりお礼申し上げます……」と、随喜の涙で綴る手紙だった。多田講師には、苦労・悩みが大きかった分、喜びも大きく、何にも勝る嬉しいお便りだ。
 後日談では、枯れ葉のご子息はパソコン精通者だという。だからこそ「パソコン教室に通う」と打ち明けた母に「今更覚えられるわけがない。やめなさい!」と猛反発されたのだ、と。だが、その言葉に母は発憤、闘争心を煽ったのだ。母をもっとも知る息子だからこその所行だ。この話を誰にもひた隠し、「絶対パソコンを打てるようになる!」と内心誓ったのだった。「ア〜ァ」という溜め息のワケは、自分を追い込むための悲痛の叫びであったのだ。頑固な母の信念に夢のパソコンを贈った孝行息子。このカラクリはきっと最初から仕組まれていたのだろう……と、親子の微笑ましい姿に目が潤んだ。独り善がりに誤解を抱いた私は、頭をハンマーで殴られたようなショックを受けた。傍らで、悪条件を打破し、高齢者ニーズに応えた光明に、砂川センター長と嶋田事務局長が諸手を挙げて喜んでいた。
 帰路の道すがら、澄み渡った晩秋の輝きの中、一本の老木から色づいた一枚の枯れ葉が音もなく舞い降りた。きらきらと生きる悦びに感謝するかのように……。
(2011)




陽だまりロードに魅せられて・・・・・・・・・・・・・・・・・・鷲津 勇

 四十三年間のサラリーマン生活を、私はまるで飛行機に乗ったかのように、あっという間に終えてしまった。せっかちな性格に相応しい。せめて退職後は、鈍行列車でのんびりと当てのない旅をしてみたい。
「老いは足から」との医師のアドバイスを素直に聞き入れ、ウォーキングも始めた。三日坊主の私が、四年も続いているから驚きである。鈍行列車に乗り換えたお陰か……。

 ウォーキングコースは、札幌市郊外の白石から北広島市まで続く白石サイクリングロード。都会の真ん中を通りながら自然がふんだんなため、「陽だまりロード」の愛称で呼ばれている。サイクリング、ジョギング、ウォーキング、犬の散歩ファンに大歓迎され、早春から厳冬まで一年を通して楽しめる都会の秘境となっている。

 自宅から五分程でこのロードに到着し、片道五キロ、往復二時間のコースを設定した。最初の二キロは、サクラ、シラカバ、イチョウ、ナナカマドなどの並木ロードで、四季折々の彩りを楽しませてくれる。並木の多くは樹齢百年に近い老木で、整然と並びながら風格と威厳を感じる。それも道理、ここは古い歴史のある旧千歳線跡地なのだ。次の一・五キロは、都会であることを忘れさせるほど深い森で、昼なお薄暗い樹林のトンネルロードである。一歩足を踏み込むと、森の静寂に小鳥のさえずりが響き渡る。稀に「キュン、キュン」と甲高く鳴きながら飛び交う、愛くるしいエゾリスの歓迎を受ける感動も味わえる。最後の一・五キロは、日差しが降り注ぐ高台となっていて、視界が大きく開かれた林間ロードとなっている。

 バラエティに富む贅沢なコース設定に満足し、私は勝手に「マイロード」と呼んでいる。まるでベテランのような顔をしているが、この道たった四年目の新参者だ。時折、恐々屁っ放り腰でウォーキングを始めたころの失敗の数々に、思い出し笑いをしてしまう。
 森に恋の季節がやってきた。「デデッポー、デデッポー」とキジバトが伴侶を求めてせわしく鳴く。林間ロードでは、「ダダダダダッ」と機関銃のように木をたたくキツツキのドラミングが響く。耳を立てると二羽が交互につついている。一羽が「あなた、やっと春がきたわね!」と言えば、もう一羽が「本当! 待ちくたびれたよ」とでも会話しているようだ。ペアができれば愛の巣作りが始まる。そんな折、やけにカラスが鳴き叫ぶと思った瞬間、羽音を残して黒い影が私の頭を掠めた。カラスの強襲だ。恐怖に身をかがめ、周囲を見渡す。なぜか私だけが標的に。しかも数匹で連続襲撃だ。身の毛が弥立ち唖然とする私に「白い服は狙われやすいよ! 危険だから帽子も忘れずにね……」と傍らの人が教えてくれた。この辺は集団営巣場所らしく、「カラスに注意」の立て看板が空しい。それ以来、カラスの子育て時期には、帽子、上下服、靴までカラス同様黒装束にしている。

 とんだドジも踏んだ。マイロード後半に札幌と北広島を挟む谷川が流れ、そこからのだらだら坂は、ギアチェンジが必要だ。坂手前に「マムシが目撃されました。ご注意ください」との警告板を発見。鎌首をもたげ、とぐろを巻く絵が圧巻、小心者の私を怯えさせるに十分だ。マムシに噛まれた男性が、手首を失った昔の記憶が蘇り、「この森にも危険な動物が棲んで不思議はない」と暗示にかかった。坂下から頂上付近に目を移すと、ススキの影からじっとこちらを観察する一匹のキツネがいるではないか。しかも体を斜に構え、鋭い目と耳の大きさから親キツネが予想できる。微動だにせず近付く私を警戒している。心臓が飛び出るほどの高鳴りだ。一大決心をし、大声や地団駄を踏んで機先を制してみた。だがたじろぐ様子もない。「まさか急に襲って来ないだろうなぁ」と逃げ腰ながら、怖ず怖ずと接近してみた。「エッ?」と驚愕する。そして笑った。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」そのものだ。私が見たものは踏みつけられて枯れたフキの葉であった。独りで笑いこけた。ウォーキング雑感を聞かせる女房には、絶対内緒にしておこうと決心した。「小心なユウさん!」とのレッテルを貼られるのがオチだから……。

 迷いが生んだ失敗も。今にも泣きそうな空を無視し、傘を持たず出発した。悩みながらも、引き返す踏ん切りがつかない。案の定小雨に見舞われたが、運良く樹林のトンネルロードに差し掛かかる。まるで傘を差したように木の葉で私はガードされ、天国気分を味わった。程なく雨も止み、快適に折り返して家路を急いだ。再度雨に見舞われたが、またもや幸運のトンネルに差し掛かる。おもわず「ラッキー」と叫んだのも束の間。降り注ぐ倍ほどの雨量に仰天。「なぜ?」を繰り返しながら濡れ鼠になってしまった。往路は、恵みの雨を木の葉一杯に吸収してくれた。帰路は、木の葉に貯めた雨と降雨の重なりで、より激しい雨量となったのだ。自分に都合の良い浅はかな考えを恥じた。今は鈍行列車の身、引き返す勇気と傘の携行が大切と森に教えられた。
 マイロードでいつも癒される自然のギャラリーがある。上野幌サイクリング橋から恵庭岳山頂を望むスポットアングルだ。四十キロも離れた雄姿がキリスト教会のとんがり帽子上にくっきり現れる。時にはラインで描くパノラマ写真風に、時にはモヤの空間から墨絵風に、時には逆光を受けてシルエット風に、時には茜色の雲海がグラデーション風に……。四季の移ろいとその時々の気候、雲、風によって様々に描写される。自然の広大なキャンバスは、無限の感動を与えてくれる。

 人との出会いも喜びのひとつ。一年中馴染みの顔ぶれと触れ合う。服装も速度も自由だ。また、あいさつを交わす人、黙礼する人、黙って過ぎ去る人などそれぞれだ。リズムを取る手の振り方が千差万別でおもしろい。横に、縦に、斜めにと角度も振り方も違い、それに伴って体の揺れ方も微妙に変わる。それがその人固有の特徴だ。遠くからでも常連さんは見分けられ、元気な出会いに一安心する。
「あぁ〜 やっぱりブッチャンだ!」と近付く人。もう忘れ去った渾名を呼ばれ戸惑う私。「だれ?」と帽子を下から覗き、思わず「な〜んだ、フルさんだ!」と叫ぶ。なんと昔の職場同僚だ。奇遇な出会いに驚喜した。

 右に手バサミ、左にビニール袋を持ち歩く女性がいる。二か所の給餌場に毎日エサを補給しながら周りを清掃し、往復のゴミ拾いをしているのだ。清潔なロードに加え、餌場に訪れる小鳥やエゾリスによって通る人は癒され、元気をもらっている。まるで女神の存在だ。ある日、木立の隙間から並行するJR千歳線を眺めている女神に出会った。「どうしましたか?」と声を掛けると「丁度『はまなす』が通過する時間なの!」と目を輝かせた。視線が注がれた先に、青森発札幌終着の寝台列車がリンゴの香りを乗せて通過した。まるで少女のようにあどけない笑顔で手を振る女神。それがたまらなく初々しい。別人を見た思いで、何ともさわやかな風を感じた。それ以来女神に出会う度「いつもありがとう!」の感謝を忘れない。

 ウォーキングのお供にラジオは欠かせない。「NHKラジオあさいちばん」は情報が豊富で、まさに耳でよむ朝刊≠セ。中でも、健康ライフの尊い言葉に目から鱗が落ちる思いがし、我が健康の道しるべだ。早起きは三文の徳! を実感する毎日である。
 今日も紅の空と爽やかな森の風を配したマイロードに出迎えられた。失敗、感動、喜びのすべてを飲み込んだ川の流れと木の葉のざわめきが心地よい。時には、心痛む出来事にも出会う。多い盗難自転車の乗り捨て、跨道橋壁への落書き、犬の糞害などだ。早朝から夜間までロード愛好者が賑わうから、いずれも深夜の仕業であろう。防犯灯の設置が裏目に出た行為なのか……。
 蝉時雨が夏の終わりを告げるころ、照り返すアスファルト上に動かぬ蝉を発見。この蝉も陽だまりロード地中に長年生息し、地上に出たひと夏で天命を全うしたのだ。「ここがあなたのふるさとだよ。ゆっくりお眠り!」そっと草むらに戻してやった。そのとき一枚の枯れ葉が音もなく舞い降り、蝉に覆い被さった。まるで私の思いを重ねるかのように……。蝉も枯れ葉も次なる生命の環を生むのだから、土に還すことは自然の摂理なのだ。

 しんしんと降り積もった厳冬の朝、陽だまりロード一面銀世界となった。人も除雪車も通らぬ未踏のロードは、一冬に一回有るか無しか……。いや、今の時間だけ咲く月下美人なのかも知れない。そう思うと、粉雪を蹴散らす感触が小気味好く、残された私だけの足跡が純白大輪のように誇らしい。
 ダイヤモンドダストが木漏れ陽に輝き、まるで万華鏡を覗いたような世界だ。
 幻想的な陽だまりロードに魅せられ、私はハミングしながら一歩一歩を踏み締める。
 この先に、私の生きる道しるべが描かれている気がして……。
(2012)