動物の思いやり、いたわりから思うこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・手塚涼子




今から七、八年前の話である。私は夫と日帰りで札幌に遊びに行った。一日ショッピングなどを楽しみ、帰りのバスの時間まで大通公園で時間をつぶす事にした。公園には沢山の鳩があちこちで地面を突っつきながら歩いていた。よくよく見るとどうも恋の季節なのか、オスが興奮して首を前後に振りながらメスの後を歩いて追いかけている。雌はあまりオスに興味がないのか、どの雌も迫ってくる雄を避けるように逃げていく。それもベンチに座っている私たちの足元でその行為が繰り広げられている。昔から鳥が好きな私は、その姿を飽きることなくいつまでも観察していた。

私は側に動きのおかしい雌の鳩がいる事に気がついた。毛艶も悪く、元気がない。歩き方も引きずるような感じである。見ると、片足の先がなくなっていた。どうも切断されたようだ。その頃、鳩の足を切断したり、殺したりというニュースを度々耳にした。もしかするとこの鳩もその被害者なのかもしれない。迫る雄たちと逃げる雌たちの集団から少し離れるように彼女はじっとしていた。もしかするとエサを食べる元気もないのかもしれない。痛々しい姿のその鳩に私は同情するしかなかった。

一匹の雌の鳩がその鳩に近寄ってきた。その雌は足を切断されたその鳩の首を突っついた。私は最初、片足を切られ、弱っている鳩をいじめているのかと思った。あまりいじめるようなら追い払おうと思って見ていたのだが、次の瞬間、私は意外な光景を目の当たりにした。

寄ってきた鳩に首を突っつかれて振り向いた例の鳩は、口を開けた。するとどうだろう。寄ってきた鳩はその鳩に口移しでエサを吐き出して与えているではないか。もしかするとその鳩の母親か姉妹なのか。詳しい関係はよく分からないが、足を切られた仲間に同情してせっせとエサを運んでいるのだろう。

私はどの動物も弱肉強食で、弱いものは淘汰され、強いものだけが生き残っていくと信じていた。この片足を切られた鳩も仲間から除け者にされて、そのうち弱りきって死んでいくのだろうと思っていた。冷たいと思っていた動物の世界にも仲間を思いやる心、いたわる心がきちんと備わっているのだ。この出来事は私にとても強い衝撃を与えた。あれからかなりの年数が経ったというのに、今でもその時のことは強くに印象に残っている。

動物の仲間同士のつながりもその種類によって違ってくるだろう。群れを成さず単独で行動する種類はもちろん仲間意識などはない。縄張り意識が強いので、自分のテリトリーに入ってくる動物、それが自分の仲間であっても容赦しないという種類も多い。群れを成し、一緒に行動する種類なら仲間を思う気持ちも多少なりともあるだろう。もちろん、つがいで巣作りをし、一緒に子育てする動物もそうだ。

私はもう一つ鳥に関してある出来事を覚えている。どこの県かは覚えていないが、燕の雌がぶつかったか何かで気絶して地面に墜落した。つがいの雄が側にいてずっと雌を突っついたりして揺り起こすようにして側に寄り添っていたという。まるで介抱をしているようである。初めは死んだと思われたその雌の燕はしばらくして意識を取り戻し、元気になって雄と一緒にどこかに飛び立って行った。もしかすると、雄の雌を思う気持ちが雌を助けたのかもしれない。その姿をある人が写真に収め、新聞などで公開された。私は雌を助けるように寄り添う雄の姿を見た時、胸に熱い物を感じた。動物にもきちんと相手を思いやりいたわる気持ちが備わっているのだ。きっとその年、この燕のつがいは仲良く巣作りをし、子育てという大役を立派に果たした事だろう。

下手すると動物より現代の人間の方が冷酷かもしれない。文明が発達し、今ではインターネットも普及して私たちの生活も便利で使いやすい物になっている。しかし、核家族化が進み、人同士のつながりも希薄になってきて、そのせいかはよく分からないが、子供だけじゃなく大人のいじめも問題になり、青少年の残酷な犯罪も近年多発している。私も人間は冷たいと思うことが良くある。もちろん私もその一員である。私たちには人を思いやり優しくするという暖かい気持ちが不足しているのかもしれない。

それに比べるとどうだろう。かえって動物の方が暖かい気持ちを持っているような気がする。我が家で飼っているセキセイインコも、どうしたらそんなに飼い主に心の底から信頼し、愛情を表現できるのかと疑問に思うことが良くある。だから、皆愛情が欲しくてペットを飼うのかもしれない。彼らの愛情、信頼は無限の物だと私は思う。それは時に人間のそれを超える事がある。

もう少し私たちも彼ら動物の愛情を見習い、もっと周囲に優しさ、思いやりを表現した方が良いかもしれない。そうは思っていてもなかなか表に現すことができない、またそれも現実だ。思いやりだけじゃなく、それを行う勇気も私たちは不足しているかもしれない、と私は思う。